神の召しをわきまえるために
ウイリアム・ウッドの体験

baikal no haru

主は思いを与えてくださる

 三十年の信仰の歩みを振り返ってつくづく思うことは、主は御心(召し・計画)を明らかにしぃうおうとされるときに、まず、一つの思いを与えてくださる、ということです。

 「なぜなら、あなた方の内に、耐え得ず効果的に働きかけて<あなた方の内に力と願いとを発動させ、また作り出し>神のよしとされること<満足されること<喜びとされること>のために志を立てさせ、実行させるのは{あなた方自身の力ではなくて、実に}神だからです」(ピリピ2章13節・詳訳聖書)

 この聖句が示しているように、神の導きは外側から来るものではなく、心の中で働いてくださる聖霊様によって分るものです。ですから、神の御心(召し)をしろうとするときにまず第一に大切なのは自分の心を吟味することです。つまり、自分の中にどんな思い・願い・夢・ビジョンが有るかということです。自分が主として、何がしたいのかを考えるのです。

御心を確認するためのステップ

 次にそれが聖霊からのものかどうかを確認するために、下記の六つのことを自分に問いかけます。

 1.その思い(計画)は、神の栄光を現わすものか。 
 神のみ業がなされ、人々が神をほめたたえるときに、「主の栄光が現れた」といいます。聖霊が与えてくださるビジョンの究極的なゴールはいつも、神の栄光です(ヨハネ16章14節参照)。それに対して、人間の思いが実現したといは、結局、人間が注目されたり、脚光を浴びたり、評価されたりします。

 2.その思いが実現することが、他の人への助けや祝福につながるか。
 主の御心は、人々の救い、いやし、解放、回復にあります。イエスから、人々の祝福を願うものは、神と同じ思いになっています。それは間違いなく、聖霊の働きです。

 3.その思いは、聖書のみ言葉に反していないか。
 極端な話ですが、心の中に「銀行強盗を働きたい」という思いがどんなに強くあったとしても、それ神からからの思いではないことは一目瞭然です。「盗む無かれ」と聖書に明記されているからです。神の導きは必ず、聖書のみ言葉と一致しています。

 4.その思いは、いつまでも心から消えないか。人間的な思いは時間の経過ともに弱くなったり、あるいは記憶から完全になくなったりすることがありますが、主から与えられるビジョンは、心の中でいつまでも燃え続ける火のようです。祈れば祈るほど、あつく燃え上がるのです。

 5.その計画に対して、聖霊の平安があるか。
 「キリストから<来る>平和<魂の調和>が、あなたがたの心を支配する<いつもその裁定者となる>ようにしなさい」(コロサイ3章15章・詳訳聖書)とみ言葉にあるように、心の平安(平和)は大切な霊的バロメーターです。主が導いておられるので有れば、豊かな平安があるはずです。また、御心からはずれた場合平安が無くなります。

 6.その計画は、私の力よりも大きいか。
 神のみ業は、人間の力ではなく、神の力によってなされます。ですから心の思いを吟味して、「こらh、私の力ではとうていできそうにない」とあきらめるのではなく、むしろ神によって与えられたビジョンだと確信すべきです。また逆に、自分の力だけで何とかなる計画だとすると、小さすぎると判断せざるを得ないのです。
 もし、これらすべての質問に対して「イエス」という答えが出るなら、神の御心だと確信して、具体的な行動を起こします。一歩踏み出すときに道が開かれていくはずですが、学に道が閉ざされたように感じた場合は、立どまってもう一度よく祈り、次のように考えるべきです。「本当に主から与えられたビジョンなのだろうか。もう少し、主の時を待つべきではないだろうか。私の行動に問題はないだろうか」。


恵みの雨2002年12月号
「神の召しをわきまえるために」
著 ウイリアム・ウッド
より