漫画家紹介

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中沢啓治
投稿者:アインシュタインはマンハッタン計画に立ち会っていない
1939(昭和14)年3月14日広島県広島市生まれ。子供のころ日本画家だった父が絵を描くのを見たり、絵を描くのを教わったりして過ごした。1945(昭和20)年8月6日午前8時15分広島市に一発の原子爆弾が投下され、父、姉、弟を失う。戦後、鉄くずやカラスの破片などを拾い集めたりして生き抜こうをしていった。そんな中、ある友達が学校に手塚治虫が描いた「新宝島」を持ってきた。その本を買い、それからというもの、いろいろな漫画本を買って読んだり、描いたりしていく。
そして1961(昭和36)年、22歳で上京し、2年後「スパーク1(少年画報)」でデビュー。そして1966(昭和41)年、母が死亡し、火葬したが骨は粉しか残らなかった。それをきっかけに原爆漫画をスタートする。代表作である「はだしのゲン」は1972年に月刊少年ジャンプに「各漫画家の自伝を描く」という企画が始まり、描かれた自伝が「おれは見た」である。それを読んだ編集長のアドバイスで1973(昭和48)年に週刊少年ジャンプにて「はだしのゲン」がスタートする。本作品は翌年に終了したが、何回も連載雑誌を変更して、続いてきた。まだ事実上完結はしておらず、本人も続きの構想を練っているが、2000(平成12)年に約30年前から患っていた糖尿病を悪化させ、左目が見えにくくなり、細かいものが描けなくなり、連載の目処は立っていない。


中島徳博
投稿者:GEN56
1950年、鹿児島県出身。母校は高校野球で有名な鹿児島商工(現・樟南)。
彼は本宮ひろ志の門下ではないが、本宮を「市川の兄ちゃん」と慕い、画風や作風もそれに近かったので、事実上本宮門下の雰囲気を感じさせる。
代表作はご存知「アストロ球団」の作画担当と、本宮の名作「男一匹ガキ大将」の臭いを感じさせる「朝太郎伝」。
しかし彼を語るにはずせないのは、「アストロ球団」連載時にジャンプ編集部に「雑誌の活性化のためにサバイバル制度を導入してはどうか?」と提案し、これが現在にも残る悪名高いジャンプのアンケートシステムが生まれ、さらにはアンケート至上主義が今に残る原因を作ってしまった事か。
これによってジャンプは活性化するものの、中島のその後は「朝太郎伝」以外は自らが提案したアンケートシステムによって自ら首を絞めた形による出す作品が短期打ち切りのオンパレードで、漫画家としての人生は不遇なものとなってしまった。また、同業者からもこのことで恨みを買っているのではと思わせる。
個人的には「悪くは無いけど、本宮ひろ志の亜流作家」と言う印象しかなく、また、アンケシステム提案の事を知ったときには更に好感度が下がってしまった。ただ、彼の手がけた「アストロ球団」が名作であることは否定できない。


那須輝一郎
投稿者:岩瀬
82年にジャンプで「滅菌部隊」を連載した漫画家。その後はジャンプから離脱し、青年誌に移行する。現在は月刊GOLFコミックで「飛ばし屋雷五郎」を連載しながら、別冊週漫スペシャルでたまに悪女と肉欲をテーマにした読みきりを描いている。基本的に雑誌の中に「こういう作家のこんな漫画がありますよ」というスタンスの扱いを受けている為か、雑誌掲載はされてもコミックスは中々出してもらえないようだ。最近では「傭兵女医黒木レイカ」と言う作品が珍しく単行本になっていたけど、2巻で刊行ストップのうえ、絶版状態になったようです。やはり雑誌でしか作品が読めないみたいですね。


西ゆうじ
投稿者:岩瀬
主にオヤジ向け漫画雑誌で連載を持つ漫画原作者。ビッグコミックで「華・チャイナ」、漫画サンデーで「日本一短い手紙」、「みんなのバス」、ビッグコミックオリジナルで「あんどーなつ」、週刊漫画TIMESで「蔵の宿」を連載中。人情ドラマを得意とし、固定ファンを掴む。ただ作品によっては少し内容が説教くさくなるのが欠点か。





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