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( 吃音症 − どもる症状 )

【 はじめに 】
 吃音症(ドモリ)は、
人口の1%以上に存在すると言われるポピュラーな障害です。また、ひとくちに吃音症といっても、その重症度はさまざまです。また最近では、吃音症の亜型と表現すべきケースも見られます。たとえば、職場で電話を受けるときに、「・・・会社です」というマニュアルどおりの受け方の最初の一言だけが言いにくく、それ以外の状況では、全くどもることがないという方がおられます。これを吃音の難発現象と呼ぶには、あまりにも困る状況が限定され過ぎています。本人はそれが苦痛で来院されてはいるのですが、一般的な吃音者と比較すると、いわゆる吃音の軽症者ともタイプが異なるようです。重症例から軽症例や亜型も含めて、吃音はいくつかの要因が重なった「症候群」として捉えられる障害なのかもしれません。
 過去の多くの偉人や有名人(タイガー・ウッズ、清水宏保(スケート選手)、アリストテレス、ダーウィン、ニュートン、チャーチル、マリリン・モンロー、サマセット・モーム、大江健三郎、重松清、金鶴泳(キム ハギョン;作家)、江崎玲於奈、井上ひさし、寺山修司、羽仁進、水森亜土、木の実ナナ、徳川家康、三遊亭歌奴、田中角栄、ルイス・キャロル、ローマ皇帝クラウディウス(米国の奴隷解放にまで影響を及ぼしたとされる碑文のある学際的皇帝)、その他大勢)が吃音症であることが知られていますが、一方で吃音ゆえに就職や進路で人生の損な選択をせざるを得ない人達も少なくないでしょう。

【 過去の医学的治療

 吃音の医学的治療の歴史は、紀元前400年頃にヒポクラテスが、「吃音は舌の乾きが原因」として治療を始めたのが最初と記録されています。以後、1940年ごろには二酸化炭素吸引療法という奇抜な方法(意識の低下後に精神運動の興奮が生じる)が試され、メタフェタミンなど種々の化学物質が用いられた時期がありました。一方、精神分析の領域においては、吃音は乳幼児期の「口唇期から肛門期」における無意識の葛藤課題によると考えられ、それなりの分析治療が行われましたが効果は不明瞭です。その後、現代になって、抗不安薬、抗精神病薬、抗てんかん薬、βブロッカー(循環器系の薬)等も用いられてきましたが、それらの有効性もまだ混沌として明確にされていません。それらの治療においては効果のある人もいれば効果のない人もいたと報告されています。しかしその症例報告数も少なく、治療効果にはプラセボ効果(偽薬効果)や雑多な要素がバイアスとしてかかっていることも否定できません。どのような吃音症例にどのような治療薬が有効あるいは無効であるかは、まだ殆ど闇の中です。最近になって、吃音者には、環境・養育の問題よりも、中枢神経のハード面の問題や脳の神経伝達物質の不調和が発症に絡んでいるのではないか、という報告が脳の詳細な研究を基盤にして疑われるようになってきました。一方、吃音は状況依存性の障害ですから、生まれ持っての中枢神経系の問題のみに限定してしまうのも不自然であると考えられます。この点については様々な議論のあるところでしょう。
 すなわち以上をまとめるなら、残念ながら吃音の原因究明や治療方法は、まだまだ今後の発展に期待せざるを得ないのが実情のようです。そして巷では、吃音に関して「過酷」と言わざるをえない精神主義的な治療法がまだ誤用されている感があります。結局は医学的・心理学的根拠もないままに、吃音という障害を吃音者の人生観や性格のせいにしてしまうアプローチに偏っているのではないかと。

【 現在の状況 】
 では実際の臨床現場で吃音症の診療はどうなっているのでしょうか。耳鼻咽喉科における言語療法士さん達による吃音治療については詳細はよく知りませんが、軟起声、アクセント法など種々の方法を用いることで一定の成果をあげられていると耳にします。
 しかし残念なことですが、日本の心療内科医、精神科医そして耳鼻咽喉科医のなかで、吃音治療に関心を持っている医師は(実際に調査したわけではありませんが)とても少数であるという印象があります。世間には吃音に悩む多くの人たちがおられ、「吃音症」は疾病の国際分類にきちんと定義記載されているのに、この少なさは不思議というか異常な現象です。ちなみに厚労省の
発達障害者支援に係る検討会(平成17年1月18日、厚生労働省 社会・援護局第2会議室)の「発達障害の定義について」のなかで引用資料としても、小児<児童>期及び青年期に通常発症する行動及び情緒の障害(ICD-10)に吃音が含まれており、吃音は医療機関で受診可能な健康保険適用の疾病として分類されていいます。しかし実情では、吃音症の研究や臨床については厚労省からまだ黙殺されている感がありますね。
 当院においてはネットで吃音に関する記載をしている故か、吃音を主訴にして来院される人達は少しずつ増加しています。とくに、吃音にうつ症状や社会不安障害(あがり症)という症状を随伴して受診される方が少なくありません。当然ながら、吃音に悩んでうつ状態になられることもあれば、吃音以外のストレスによってうつ病にかかられることもあるでしょう。そして一般的な現象として、心がうつ的になると吃音の症状が悪化する傾向がみられるようです。また、吃音症には社交不安障害(あがり症)が合併しやすく、あがりやすい場面で吃音も当然ひどくなりがちです。
 いずれにしても、吃音の方が医療を求めて来院されることは、まだまだ稀なことであるように思います。その理由として、本人自身や社会における吃音への理解が不十分なことがあげられるでしょう。吃音症状が持続するのは、決してご本人の性格や気の持ち方だけの問題ではありません。まして吃音を、吃音者の「心の弱さ」などと自己卑下的に捉えることは大きな間違いであり、吃音の治療はその辺りの誤解の修正から行っていく必要があるでしょう。吃音という症状について周囲の人にきちんと理解しサポートしてもらうには、まず本人自身が吃音について充分理解しておかねばなりません。
 追加ですが、有名な心理学者、教育学者、哲学者、詩人、宗教家、自然科学者などでさえ自らの吃音をうまくコントロールできないのが現実です。このことからも吃音を自身の心の問題として考えて自責の念にかられたり努力不足と自己卑下しなくてよいのだ、ということを明記しておきたく思います。
もうひとつ追加です。ネット上で、吃音を簡単に治せる「ガイドブック」などと称して、手の込んだ商法が散見されます。多くは通販の形をとっており、それ故にその個性的な治療者は、個々の患者さんの顔も見ていないし声も聞いていないのであって、自分のガイドブックが役立っているか否かなど全く検証していないし出来ないのです。ちょっと考えれば、これらは誰でも解る詐欺的な商法ですよね。

【 当院の吃音治療について 】
 当院では現在、うつ病や社会不安障害の人達と同じ様に、吃音の方にも薬物療法を行うことにしています。これまでの数少ない報告では、SSRIなどの精神薬の効果について意見が一定しておらず、各薬剤についてのまとまった統計的なデータは存在していません。(たとえば、三環系抗うつ剤で吃音が悪化したという報告があり、SSRIに関しては軽快するという報告に対して稀に悪化という相反する報告も認められています)
 吃音症に対する薬物の効果は、吃音そのものの症状軽快の有無、吃音による社会生活の(行動上の)改善の有無の2面に分けて評価していく必要があると考えられます。今後、脳生理学がさらに発達し、脳の機能が一層明らかになり、吃音症に有効な薬剤が解明・開発されていくことも期待していくべきでしょう。

  当院では目下、吃音についての正当な理解をすすめて戴くような面談療法を行いながら、薬物療法(SSRIなど)を用いた治療をすすめています。その効果についてはまだ検討中ですが、効果の有無は、当人のおかれている環境、うつ状態やあがり症の合併の程度などによってさまざまに異なります。ただしこれまでの経験から、吃音が完治するということは期待できません。それでも吃音に深く悩まれ、薬物の効果を一度試したいと思われる方は、お住まいの近くの心療内科や精神科、メンタルクリニックにて、薬(SSRIなど)を処方して戴き試されればよいと思います。
  その他のリラクゼーション法(腹式呼吸や自律訓練法など)もありますが、患者さんの状態に応じて指導をいたします。 
  なお当院の受付窓口では問診表を手渡しますので、ご自分の名前を受付で発声される必要などはございません。吃音者は電話が苦手の方も多いので、電話予約も不要です。(当院では、他の疾患と同様に、吃音症も保険診療の対象にしておりますので、初診時には保険証をご持参ください)
【追記 1:吃音の周囲の人にも ぜひ読んでほしい本】
  「エビデンスに基づいた吃音支援入門」(菊池良和著、学苑社)