『トキ』から歴史の勲章を外し、幾重にも折り畳んだ記憶のベールを一枚一枚剥ぎ取って、中芯の時の裸身が露出した瞬間に、時の裸身の粒子はこの世の大気の中に昇華、分散、膨張してカオスとなる。
カオスの中から時の粒子を再び集合、凝集、結晶させて裸身を再生し、記憶のベールを着せ、歴史の勲章を付けて、あたかも『トキ』を再現させたと錯覚する者は、線香花火が燃え尽きる寸前に一瞬の輝きを見せるように、滅び行く暗い過去の一遇をほんの一時照らした灯かりに映し出された蜃気楼の残像を見たのに過ぎない。
やがて挽歌に挽かれて暗転し、消滅していくのだろう。急がなくてはならない。『トキ』はもうすぐそこまで追いかけて来ているのだから…。
鹿児島県、知覧町。
ここは旧くから薩摩半島南部の中心地で、島津荘の寄郡知覧院があった。
江戸時代には佐多(島津)氏の私領となった。
天下統一を果たした徳川幕府は一国一城を藩主に厳守させた薩摩藩では鶴丸城を内城とし、防衛の目的で領内に113の外城を作った。
その一つが知覧である。
明治以後は給黎(きいれ)、揖宿(いぶすき)、頴娃(えい)、川辺の4郡を管轄する郡役所が置かれた。
そのたたずまいは今から230年以上昔の18代知覧領主島津久峰公当時そのままの旧い武家屋敷群が今でも現存している。
地区内にある7庭園は国の名勝にも指定され、『薩南の小京都』と称せられる程美しい町である。
…太平洋戦争中の昭和17年、大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所がこの地に開校した。
以後この地で少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習士官らが操縦訓練を行う所となった。
戦況が緊迫した昭和20年の4月から、特攻隊『神風』が沖縄目指してこの地から終戦前日まで飛び立って、一躍『若き勇士が雲流るゝ果て、遥か逝いて帰らざる』壮途についた凄惨な地となった。
祖国のために尊い命を犠牲にしたのは、知覧だけで1,026 柱に及ぶ。…
現在この地には特攻平和観音堂が建てられて、沖縄特攻で散華された1,026柱の隊員の霊が永久に安らかであるよう祈願され、その沿道には、1,026の石燈篭が並んでいる。
観音堂の奥には、特攻隊員の銅像とゼロ戦を玄関前に飾った知覧特攻平和会館が建てられ、隊員の遺品や遺影、記録等、貴重な資料を収集・保存・展示して、世界恒久平和を願っている。
特にその遺書・絶筆は胸を打つものがあり、大部分は端麗な毛筆で、両親には今までの養育の礼を述べ、残る兄弟姉妹には両親の今後を頼み、大恩ある国を永久に護るため八重の潮路に果てる自分は幸福である、と結んで見る者の涙を誘った。
中には『お母さん、でっかいのをやります。』とか『一度死んでみるべぇ』だの失笑を誘うものもあったが、その中で一風変わった遺書があった。
「不動明王光背の火炎中の命。とき。いきたい。」
そう墨痕鮮やかに書かれ、特に最後は『行きたい』なのか『生きたい』なのか『往きたい』なのか、意味不明で、大半の見学者は『生きたい』、そう読んで、眉を顰めて足早に通り過ぎて行った。
「父さん、それじゃ、行ってきますね。」
奥の座敷で昼寝している父に声を掛けてから、鴇(とき)はいつもの通り、早朝に灯した仏壇の火を消し、線香灰を均し、母の位牌に並んだ小さな不動明王の絵と飛行帽を被り、白い歯を見せて笑っている少年特攻兵の写真に手を会わせると、引揚者と尋ね人の名前を引っ切りなしに読み続けるラヂオを消した。
奥をもう一度振り返って見てから、そのまま店との間の廊下を玄関に渡り、和服の膝を器用に折って、三和土(たたき)の駒下駄に真っ直ぐ伸びた白い足を通した。
店のガラス戸を開けて眩しい位の日差しの強い往来に出ると、もうそこは言問(こととい)通りの善光寺坂と言われる根津宮永町から谷中(やなか)桜木町に抜ける上野台地の入り口で、戦災に焼け残った寺や筆・画材を売る店が、坂の両側に並んでいる。
この谷中界隈は大小50余りの寺と日暮里墓地、寛永寺、上野の美大、音大のある静かな台地で、天王寺と寛永寺にある二つの五重の塔が台地上に高く突き出し、偉容を誇っていた。
鴇は晩夏の強い日差しの眩しさに怯みながらも、昔の事、平さんの事を回想しながら、ゆっくりと善光寺坂を蓮華寺に向かって上って行った。
…鴇の父、秀の介はこの坂の途中の、代々日本画の画材を商う銀開堂で、日本画の岩絵の具を売って、身を立てていた。
隣の上野の森に美大や都や国の美術館がある環境で育ったせいもあって、秀の介は若い頃から日本画に興味を持ち、一時画家を志して、主に鶴やら鷺やら、日本の鳥をテーマに日本画を描いて、大きな展覧会に出展して入選した事もあった。
程なく美大出の画家の日本画を見て、自分の才能の限界を悟り、家業を継いだ。
…大正から昭和と年号が変わって間もなく妻女アイとの間に女の子が生まれた。
秀の介が画家を目指していた頃描くのに苦労をした鴇(とき)の、岩絵の具にないその朱色に惹かれて、鴇と名付けた。
鴇を生んだ後アイは高熱が続いて亡くなり、鴇は父親一人の手で育てられた。
…昭和も10年が過ぎると、日本陸軍の大陸での不穏な動きから戦争は避けられない事態に陥った。
世間は軍事色が強くなって、日本画等を描く非生産的な生業は次第に疎んぜられた。
自然、家業も傾いてきた。
ところが、秀の介にはこの戦争が起これば日本は負ける、敗戦後軍人の天下は終り、日本は軍人に変わる勢力で再び画の描ける時代が来るとの醒めた予感があった。
その時代のためにも一人娘の鴇には学問が必要だと考えて、当時良家の子女の通う巣鴨の十文字学園に鴇を通わせた。
…それでも銀開堂は上野の美大の学生等で結構賑わっていた。
物事は万事のんびりした秀の介だったが、小柄な少年が頻繁に岩絵の具を買いに来るのに目を止めた。
ある日いつものように絵の具を買いに来た少年を奥の座敷に上げ、鴇にお茶を入れさせていろいろ話を聞いた。
少年の名は平八郎といい、父は陸軍の将官で、少年が生まれた時から長州藩以来の家業である軍人にしようと試み、名を元帥東郷平八郎から戴いて平八郎とし、陸軍士官学校に入れるべく英才教育を受けさせた。
しかしいかんせん本人は小柄な上、臆病で、繊細で、体育や兵法より画が好きで、特に仏像画に興味を持って、朝から晩まで仏像の画ばかり描いているので、父親からは半分諦められて、叱られてばかりいること等を、ぽつり、ぽつりと聞き出した。
…以後、鴇と平八郎は通い合うものがあったのか、奥の座敷で長時間話し込む日が続き、お互いに『鴇さん』『平さん』と呼び合うような仲になった。
…戦争が始まって慌ただしくなり、秀の介の案じた通り日本の敗戦色が強くなった頃、平八郎は上野の美大へ行きたいと言い出し、画家を尊敬していた鴇を喜ばせた。秀の介も二人の将来を見守るつもりになった。
しかしこれが平八郎の父の態度を硬化させ、代々の武人の先祖に申し開きが立たないという理由で、志願させた形で平八郎を特攻隊員として、知覧に送り込んだ。
「鴇さん、自分と思って下さい」
…いよいよ鹿児島に発つという前日、平八郎は小さな不動明王を描いた画を鴇に渡した。
「平さん、絶対生きて帰って!」
鴇は平八郎に町の守り神であるお諏訪様(諏訪神社)の武運長久のお守りと自分で徹夜して縫ったお守り袋を渡した。
…東京を襲った何回かの空襲で谷中界隈にも戦災に合う家々が増え、空襲警報のサイレンに追われて裏の寺の防空壕に何度も駆け込んでいた頃、平八郎の父から平八郎戦死の知らせが鴇の家に届けられた。
日本女子大に進学していた鴇は、もうその頃は授業どころでなく軍需工場での作業奉仕の毎日で、その日も現場でその知らせを受けた。
その晩から鴇は毎日泣いてばかりで、父をてこずらせた。
…鴇の頼みで平八郎の写真を貰いに秀の介は平八郎の家を訪れた。
「平八郎は沖縄特攻で戦死しました。」
平八郎の父の誇らしげに語る割には、特攻飛行兵姿の平八郎の遺影を投げ捨てるように渡した態度に、秀の介は平八郎のこの家での立場を垣間見た思いがした。
溢れ出る涙が止まらず、暗いこの時代に間違って生まれた平八郎の冥福を改めて祈った。
…終戦となって間もなく、鴇は40度を越す高熱を出して一晩うなされた後、憑き物が取れたように平静に戻った。
元気を取り戻した後は、裏の蓮華寺の尼を先生と頼んで、男手一つで不行き届きであった行儀作法とお茶、お花の嫁入り修業に、週一回通うようになった。
鴇はこれからその蓮華寺に行くべく、家を出た所であった。…
終戦直後の東京は進駐軍のジープばかり目立った。折しも善光寺坂を猛スピードで駆け上がってきたジープの風圧で、思わず着物の裾を抑さえた鴇に、ジープに乗った金髪の兵隊から下品た怒号が飛んだ。
鴇はすぐ脇の横丁に飛ぶように逃げ込んで、向こうから来た坊主頭の若い男と危うくぶつかりそうになった。
男の方で驚いて避けようと手を挙げて横へ飛んだ拍子に、男の着物の袂から二つに畳んだ和紙が飛び出した。
「ごめんなさい。」
謝りながら自然に開いた和紙を拾った鴇は、何げなく中に描かれたものを見て、顔色を変えて尋ねた。
「えっ、貴方、誰?」
浅草から地下鉄で上野広小路に出て、地下の駅から地上に昇る石の階段を良吉はゆっくりと昇った。
…良吉の母志乃は、赤坂の置き屋で芸者をしていたのを、日本橋の室町で江戸時代から商いをしている呉服問屋結城屋の主人伊平に身受けされた。
…志乃は自分がこれまでの人生で『良かった』と思った事が一度も無かったので、せめて子供は良いように、吉のようにと良吉と名付けた。 …良吉の仕事はまず朝一番に起きて、湯を沸かし、檀家や僧侶転ばないように、山門前の急坂に張った氷に湯を撒いて解かす役だった。 …ある日、良吉は門主の居間を片付けていて、机の裏から沢山の仏画を見つけた。
青い空が後ろめたい良吉の心には眩しかった。
松坂屋前にある電停から20番江戸川橋行きの都電に乗った良吉は、テントの闇市の並んだ広小路から上野駅に向かう道路に溢れる人の群れをしばらく眺めていた。
赤札堂の前で都電は上野駅方面へ行く線路から分かれ、左に曲がって上野公園不忍池の周囲を巡る都電の専用軌道に入った。
車内が欝蒼と繁る木々で暗くなると、良吉は暗い自分の過去を思い出していた。
伊平は根岸に粋な黒塀見越しの松の家を借りて志乃を住まわせた。
父親の伊平は、女を自分の性欲の排泄孔としか思っていない傲慢な男で、良吉が生まれると間もなく根岸にも殆ど来なくなった。
母親の志乃は耐え忍ぶためにこの世に生まれて来たような女で、伊平からの仕送りが途絶えると、根岸を出て、叉赤坂に、新橋に置き屋芸者として通った。
「これしか出来ないもの。」
再会した女将に淋しく笑ってみせた。
母の願いも空しく、良吉は子供の頃から『妾の子』といじめられてばかりいた。
置き屋から通った国民小学校で学んだ事は、孤独と忍耐で、級友、父兄、教師、皆から白い眼で見られ、『早く中学校へ行きたい。中学校へ行けば何か良い事があるだろう。』と考えてじっと堪えた。
中学校へ行くと、ひ弱で、のろま、劣等生の良吉は軍事教練の士官にも怒鳴られ通しで、級友には相変らず石をぶつけられ、結局良い事何一つ無いまま、中学校を2年で辞めた。
心配した志乃は遠縁の僧の居る谷中(やなか)瑞輪寺に良吉を見習僧として預けた。
その日の内に良吉は頭を丸めた。
雪のちらつく早朝一番に起きた良吉は火を熾そうと思って、マッチの無いのに気づき、門主の僧に貰いに行った。
「修業が足らんな。心に念ずれば、自ら火は点くもんじゃ。」
禅問答のような事を言われ、一生懸命心に念じたが火は点かなかった。
隣の蓮華寺の尼が見兼ねて火を分けてくれた。
「寺でもいじめられる」
そう思った良吉は益々心の扉を閉めた。
中でも不動明王はデッサンも含めて、100枚程あった。
「近所に平八郎という仏画のうまい少年が居てな、そ奴が描いたもんじゃが、父親が嫌って焼こうとしていたのを、供養のために、儂が貰ってきたもんじゃ。欲しかったらやるぞ。大切にするんじゃな、良吉」。
門主の話を背に、良吉は部屋に持ち帰り、いつも不動明王を睨んで、心に経を念じた。
いつか不動明王と一体となって光背に背負った火炎を本当に燃して門主を見返してやる、そう思うようになった。
それから良吉は不動の画を肌身離さずいつも持ち歩き、自分に自信が持てなくなった時、門主の僧に叱られた時に取り出しては不動明王を睨み付けた。
…戦争が厳しくなった。
「贅沢は敵だ!。」
そんな流行語の下、志乃の仕事は殆ど無くなり、その上無理が祟って志乃は何度も喀血した。
サナトリウムへ入院して療養する費用もないまま、終戦の声を聞くと待っていたように志乃は息を引き取った。
良吉にはもう失うものが無くなった変わりに、帰る所も無くなった。
…「良吉、女を泣かしちゃ、いけないよ。どんな偉い人でも女を泣かせる男は、人間の屑だよ。」
良吉は、志乃のいう愚痴を毎日耳に胼胝(たこ)が出来る程聞いていたせいか、子供時代、小学校、中学校を通して、女性を敬遠して、母の志乃以外まともに面と向かって話した事はなかった。
年頃になった今、良吉は女と話してみたい、女を触ってみたい、女の肌を見たい、という欲求に毎夜駆られるようになった。
でも、どうして良いか方法を知らない良吉はまず、評判の浅草六区の額縁ヌードショウというのを、見ようと考えた…。
何時の間にか、都電は池之端七軒町の電停を過ぎて、根津宮永町に向かっていた。
周囲は専用軌道から両側に店の並ぶ商店街になって再び明るさを取り戻した車内で、良吉は一人汗を掻いていた。
前の座席に座っている女の襟足の白さがさっき浅草で見た額縁ヌードの女の背中の白さに重なった。
それは全裸の女が大きな額縁の中で後ろ向きに立って居るだけのショウだったが、良吉は初めて見る女の肌であった。
女の襟足に見とれてうっかり根津宮永町で降りるのを忘れた良吉は、慌てて次の根津八重垣町で都電を飛び降りた。
谷中に向かう通りを歩きながら、『ちょっと、壇家の家に行ってきます』と言って寺を出てきた今日の経緯を、何と門主に言い訳しようかと考えて、現実に引き戻された。
袂にある不動明王の画を出すときっと睨み付けてから、二つに畳んで袂に要れた。
あかぢ坂を上ると、そこはもう寺街で、仏門各宗派の寺院が先を争って軒を連ねている中を、瑞輪寺に向かう細道を歩いて行った。
前から急に若い女が駆けて来てぶつかりそうになった。
思わず避けた袂から画が飛び出し、それを拾って詫びを言う若い女と目が合った。
『奇麗な女(ひと)だ。』そう直感した良吉の頭の中で、赤い絵の具と黄色い絵の具と青い絵の具が混ざって真白になった。
…何か話し掛けようと、つばを飲み込んだ。
「えっ、貴方、誰?」
途端に、不思議そうな顔で若い女の方から話しかけて来た。
…鴇は平三郎が戦死したと聞いて、自分も死のうと考えた。 「…鴇さん、不動明王はね。欲望の強い、煩悩に執着した大衆を、一瞬の内に有無を言わさず迷いを断ち切って悟りに引き入れる目的だけで、目を吊り上げ、口を歪めて、鋭い歯を出して怒っているんじゃないんだ。 …不動明王はね、粒々の塊りが膨張して宇宙の彼方まで行かないように、自分の光背に元に戻す人の粒々を閉じ込めているんだ。 …鹿児島へ行く前の日、鴇さんに不動明王の画をあげたろ。
しかし、平三郎戦死の知らせを聞いた後急に老いた父一人残すことを考えると、死ぬことも出来なかった。
毎日平さんとの楽しかった語らいを思い出しては泣いていた。
終戦の玉音放送がラヂオに流れて、暑かった夏も終り、お彼岸も過ぎた頃、鴇は高熱を出しながら、夢を見た。
銀開堂の奥の座敷で平さんが語っていた。
人はね、蛋白質から出来ていて、蛋白質は分子、分子は原子から出来ているから、結局仏様から見たら、人は原子の粒々の寄せ合わせに過ぎないんだ。
迷った人も、悟った人も皆最後は粒々が分散して宇宙に戻ってしまう。
不動明王はね、宇宙を司る大日如来の下で一度拡散した人の粒々を叉寄せ集めて元の人に戻そうとしているんだ。
これはね、すっごく大変な、苦しい仕事なんだよ。
だからあんなに怖い顔をして自分を責めているんだ…。
あれはね、戻そうとしても中々捗らない自分の仕事に怒っているんだよ。
だからね、光背の火炎はね、まさに分散した人の粒々の集合体なんだ。分散した粒々が火炎のように動いていて、火炎の中が人にとっての宇宙そのもの、大日如来の曼陀羅の世界なんだ。
あの不動さんの顔は実は怒っていないんだ、あの顔はね、鴇さんなんだ。
鴇さんの顔をした不動さんは僕だけの不動さんなんだ。
僕はね、戦争で死ぬかもしれない。
そしたらね、鴇さんの顔の、僕だけの不動さんは光背の中から僕の粒々を捜して、元通りに戻して、生き返らせてくれるんだ。
そしたら、すぐ鴇さんの所へ飛んで行く。
だから、何時までも僕を待っていてね。鴇さん…」
…続いて平さんはゼロ戦を操縦していた。
平さんは同僚4機と沖縄までの片道分の油と爆弾を積んで知覧を早朝に飛び立った。
「…敵艦のレーダー網に捕まらない為に、海面スレスレに飛べ。弾が一発位当たっても挫けるな。目標は…」
何回も訓練した教官の声が耳に響いた。
…一番最後に飛び立った平さんの頭の中に鴇の顔をした不動明王が現れた。
不動明王光背の火炎、宇宙に拡散していく粒々、鴇、会いたい、行きたい。
生きたい。
海上に出た平さんはゼロ戦の機首を南、沖縄から大きく左に旋回して、北東、東京に曲げた。
目標は…日暮里の…天王寺五重の塔…。
鴇さん、今、行くよ。待ってて…。
…うなされながら、全身汗びっしょりになって解熱し、鴇はそこで目覚めた。…
思わぬ所で平さんの描いた不動明王を見て驚いた鴇は、思わず初対面の相手の名前を聞き、同時に自分の名を告げた。
妙におどおどしている相手の若い男は、これから行く蓮華寺の隣の瑞輪寺の見習い僧良吉だと知って、鴇は二重の偶然に驚いた。
良吉が平三郎の書いた仏画、特に不動明王を沢山持っていると聞いて直ぐにも瑞輪寺へ見に行きたいと思ったが、自分には平さんの形見の、私の顔をした私達だけの不動明王がある、と思い直して自重した。
良吉から平さんとの係わりを聞かれた。
でもまさか初対面の人に『平三郎とは恋仲であった。』とは言えなかった。
「平三郎さんはね。店のお客さんだったのよ。」
当たり障りなく紹介した。
一時の興奮が醒めると鴇は、若い男に自分の方から声を掛けた軽率を恥じた。
「平さん、御免なさい。」
小声で詫びて、寺の前で良吉と別れた。
間もなく良吉から手紙が来た。
「また、会ってほしい」。
そう書いてある手紙がその後何回も、何年も、来た。
平さんが迎えに来るから…
心の中だけで詫びて、鴇はもう二度と会わなかった。
良吉はあの日から、鴇に夢中になった。
小学校でも、中学校でも相手にされなかった女から、しかもとびきりの美女から、声をかけられた。話もした。
鴇が声を掛けたのは良吉にではなく、良吉の持っていた平三郎の画のためだ、という事は良吉に理解出来なかった。
ひたすら鴇を思った。
そう言えば、不動明王の画の中にあの美女に似た顔をしたのがあった。
さっそくそれを持ち出して、眺めた。
もう、睨み付けなかった。その画を撫でた。抱いた。
その夜、良吉はその画を抱きながら、浅草の額縁ショウで見た女の白い背中に鴇の奇麗な顔を被せながら、初めて射精した。
手紙を何回も、何回も書いた。
返事は無かった。
でも、諦めなかった。<
何年掛かってもいい。きっと俺のものにしてみせる。
適わぬ恋なら、鴇を他人に渡す位なら、いっそ二人で死んでしまおうか。
そこまで良吉は考えて、幸福の余韻に浸った。
何年か後の平三郎の命日に、日暮里墓地の中にあった天王寺の五重の塔が燒失した。
中に心中と思われる男女の焼死体があった。
男は谷中瑞輪寺の見習い僧、良吉。女は善光寺坂の銀開堂の娘、鴇。
焼死体といっても、男の方はボクサースタイルの典型的な黒焦げの焼死体であったが、女の方は殆ど焼けておらず、煤を吸っての窒息死か、一酸化炭素中毒と思われた。
何れにせよ、重要文化財の燒失を嘆き、自分勝手な心中者に腹を立てた下谷(したや)警察署の刑事は早速聞き込みに回った。
鴇の父、秀の介の話。
「…鴇は特攻で亡くなった平三郎に操を立てて、良吉を相手にしませんでした。
毎日起きると直ぐ、『平さんは、きっと叉戻ってくるわ』と話しかけながら、仏壇の遺影に火を灯し、香を炊いて、祈っていました。
刑事さんも御存知の通り、戦後の東京の食料事情は惨めなもので、家でも水団、乾燥芋、雑炊などを食べていましたが、鴇は自分の分を残して、平八郎さんに蔭膳しておりました。
そんな鴇が良吉と心中する訳はありません。
心中とすれば、良吉がいやがる鴇を無理矢理塔の中に連れ込んで、火を放ったに違いありません…。」
涙ながらに訴える父親には、説得力があった。
しかし、現場での捜索では、肝心のマッチやライターなどは塔の中に見つからず終いで、代わりに不動明王の光背の火炎の部分が燃えた画が見つかった。
何で不動の画を燃したかは不明のままだった。
瑞輪時の門主の話。
「良吉は中々心を開かない、引込み思案の子じゃったが、女性に対しても控えめじゃったのう。
自分から女を誘うという事は出来なかったと思うんじゃ。
あ奴は大分前から、念力で不動明王の画を燃すんだ、とか妙な事を口走ってのう、平三郎さんの書いた画を毎日睨んでいたようじゃ。
そうじゃ、何年前じゃったか、壇家の家に行くと寺を出てのう、帰って来てから、妙にそわそわしていたんじゃが、その日に鴇さんに会ったのかもしれんのう。
塔の中にマッチやライターが見当たらないのなら、最近念力が通じたとか宣っていたから、良吉の念力で画が燃えて、塔が焼けたのかもしれんのう…。
心中だとしたら鴇さんが誘ったんじゃろ。
何れにしても近頃の若い者のやることは解らんのう。」
蓮華寺の尼の話。
「鴇さんは平三郎さんが戦死してからは、悟りの境地になったようです。
良吉さんからの手紙が数年間に100通以上来たが、返事は一回も書いていないと聞いていますので、良吉さんの熱意でも鴇さんの心を動かすには至らなかったようです。
でも亡くなる前に鴇さんがお花を習いに来た時、妙な話をしていました。
『良吉さんがね、最近変な事書いて来たのよ。
平さんの書いた不動明王の画を自分の念力で光背の火炎のように燃せるようになったと言うのよ。
夢に出てきた平さんの言った話と全然違うのだけど、光背の火炎を燃すというのが気になるの。
だから一度だけ会って見ようと思うの。
だけど、念力を発揮出来るのは、霊が多く集まる所なんですって。
お墓みたいな変な所だったら止めるから、心配は要らなくってよ。』
…ですから、鴇さんの方から心中を仕掛けた事はないと思いますし、鴇さんの方から塔の中に入る事もないと思います。」
現場検証した警官の話。
「本官としては、マッチ類の火熾(ひおこ)しが塔内に見つからないのも不審でありますが、もう一件、符に落ちない点があります。
男の方から心中を仕掛けたと仮定して、男が焼死したのは覚悟の上で、実際胡座(あぐら)を組んだ足を藁縄できつく縛った跡があって、理解出来るのであります。
しかし女の方は何処も拘束されておらず、塔が燃えてから死ぬまでの間に、十分逃げ出す機会はあったという点であります。
そう、塔内への出入り口の鍵は壊れていて、戸は中からでも簡単に開けられたんであります。
女の方も死ぬ事を希望していた、そんな風に考えると自然であります。」
塔の近くで遊んでいた腕白達の話。
「…うん、お兄ちゃんがね、怖がるお姉ちゃんを『見たいんだろ、そしたら入んなよ』と言って、無理に塔の中に入れたんだ。
中に入ってしばらく、お兄ちゃんがお経唱えていた。
ハーラーミツダーって聞こえたよ。
でも何にも起きなかったんだ。
10分位したらね、西の方からブーンというプロペラの音がして、ゼロ戦が飛んできて、五重の塔にぶつかって燃えたんだ。
そしたらね。塔の中からお姉ちゃんの声で『平さん!』って…。
本当だよ、嘘じゃないって!。」
この証言はゼロ戦の残骸も無い事だし、米軍占領下の日本でゼロ戦が飛ぶ筈が無いとすぐに退けられた。
しかし、警察はこの腕白が塔の前で鴇の縫ったお守り袋に入った諏訪神社の武運長久のお守りを拾ったのを知らない。
…一体真実は何処にあるのか、全ては焼けた不動明王の胸の内、いや、光背の火炎にあるのだろうか。
時を戻して、もう一度塔の焼ける前からの出来事を再現し、記録したい、そう作者は思った。…
偽りの蜃気楼を見て、『トキ』を再構築したと錯覚した人は、実は錯覚している、或いはさせられている事を知りながら、その人の心の琴線に共鳴する和音を奏でる事によって、喜怒哀楽の感覚を共有する事が出来る。
この特技は人の持つ最も優れた才能の一つかもしれない。
かく言う私も、本当はお釈迦様の手の内にある、と知りながら、自分の『トキ』を待っていた。
『トキ』を捕まえたと思った途端、『トキ』は私を追い越して、遥か向こうで叉新しい『トキ』を作り始めた。ほら…。
(火炎)2 著者:大津市医師会『トキ』
(『トキ』)2 から歴史の勲章を外し、幾重にも折り畳んだ記憶のベールを…