終戦後間もない東京のある日、怖ろしかった空襲の思い出を空高く運び挙げて、まるで戦争など何処にも無かったと錯覚させるような澄んだ、高い紺碧の丸天井の一角から、降って湧きだしたような赤とんぼの大群があたり一面に舞った。 頭の上を飛ぶ赤とんぼに気を取られて、一瞬姉が弟の手を離した。 弟は即死だった。 その日から姉は3日間高熱を出して夢と現の境を彷徨い、意識朦朧とひっきりなしのうわ言で両親を心配させた。
その赤とんぼの大群の下で、幼い姉に手を引かれた男の子が根津小学校前の電車通りを渡ろうとしていた。
「最近我が物顔で東京の道路を猛スピードで走り回る進駐軍のジープに気を付けなさい」
うるさい程注意されていた先生の言葉を、姉は思い出し、慎重に右を、左を見て、弟と手をしっかり繋いで、電車通りを慎重に渡って行った。
ハ弟は赤とんぼを追って走り出した。
電車通りの真ん中に急に走り出た弟を追って姉が一歩前に足を踏み出した時、先刻確認した方角とは反対側の不忍池方面から右側の車線を猛スピードで走って来た進駐軍のジープが、ブレーキも掛けずに弟を青空高く跳ね上げた。
姉の動きが凍りついて止まった。
ジープの運転席で横下を向いて隣席の黒髪の若い女と抱き合っている金髪の兵隊の青い目と高い鼻梁が、一瞬間姉の視覚の中で静止して、網膜にしっかり焼き付いて、ジーッと定着した。
何10メートルも先で急ブレーキを掛けて止まったジープから、何やら解らない英語をわめき散らしながら兵隊が降りて来た時には、女の姿は消えていた。
人溜まりが出来、MPが来て簡単な調べが始まった。
「運転していた兵隊さんは助手席の女の人と抱き合っていて、前を向いて運転していなかった」
泣きながらの姉はそう抗議した。
「ジープは左ではなく、右側車線を猛スピードで走って来た」
大勢の目撃者もそう証言した。
「急に車の前に男の子が飛び出して来て、急ブレーキを掛けたが間に合わなかった。」
しかし、結局、米兵のそう言う証言をMPは信じて、弟の前方不注意で引かれ損、米兵はお咎めなしに終わった。
4日目に嘘のように解熱するや再び元の快活な少女に戻って、両親を安心させた。
しかし、この時を境に、姉の網膜に焼き付いた米兵の顔は、事故の記憶と共に姉の頭の奥深い引き出しにピシッと仕舞われ、ぴったり封印されて姉の意識から消えた。
当時の根津は長屋が多く、一軒家の住人でも間取りが狭くて内風呂は持てなかった。 ぬる湯好きあつ湯好きにて風呂はもめ 藍染町の赤津湯にはふうちゃんと呼ばれるおしゃまな11才の女の子が居た。 男湯へ入る年かと母叱り
そのため、住民の殆どは銭湯に通った。
銭湯は沢山あって、根津藍染町の赤津湯、根津八重垣町の山の湯、根津宮永町の宮の湯、谷中(やなか)真島町の梅の湯、根津西須賀町の浜田湯、駒込千駄木町の松竹湯など、選り取りみどりだった。
風呂好きの下町っ子は向こう三軒両隣の近所同志誘い合わせて、銭湯に毎日通った。
銭湯には浅い子供湯と深い大人湯の二つの浴槽があり、子供湯は熱かったら埋めても良かった。
大人湯は一番湯に入った常連だけ埋めるのが許され、大抵は50度近くの高温で、爪の先が痛くなってもじっと我慢して入るのが、江戸っ子とされた。
銭湯が開くのを待ちかねて、大人も子供も、香具師(やし)も警官も、医師も具利加羅紋々(くりからもんもん)も、旦那も丁稚(でっち)も、お神さんも女中さんも、呉越同舟で、数年毎に変わる大壁画の油絵を楽しみながら、風呂に浸かった。
銭湯は下町の社交場であり、会議所であり、情報交換所でもあった。
(誹風種ふくべ十二)
京マチ子に似た母親譲りの京人形のようなふっくらした顔と、淡雪のようなしっとりした真白い肌で評判を取っていた。
ふうちゃんは細々(こまごま)っとした松島の風景壁画のある女湯より、富士と湖に浮かぶ逆さ富士の描かれた雄大な壁画のある男湯が好きで、学校が終わると一人で男湯に入った。
近所の悪餓鬼や具利加羅紋々(くりからもんもん)のお兄さんが自分の陽物を前に晒して、ふうちゃんの扁平な胸と無毛の股間をからかった。
「子供だもん。仕方ないでしょ。」
悪びれる事なく下から睨みながら、『今に見てろ』とばかりやり返して、その仕草がまた可愛いと、評判を上げた。
(川柳評万句合勝句刷)
昼間のふうちゃんははち切れるほど元気だった。 …ふうちゃんは弟と二人で根津権現の縁日に行って…赤とんぼがやたら飛んでいて… …次の光景では母親がふうちゃんをしっかり抱きながら、泣いていて… ー弟は車に跳ねられたの?ーだから死んだの?ー 翌日の陽が登って目覚めると、ふうちゃんは開放されて、昨夜の夢は跡形も無く消えて、叉元気なふうちゃんに戻った。
一方、赤津湯の窯の火が落ち、夜の帳が高い煙突の先からしんしんと辺り一面を覆う頃、ふうちゃんは目に見えて元気が無くなり、無口になった。
ふうちゃんは月が三日月から新月になる頃、決まって怖い夢を見た。
…縁日の露店は、大きく膨らんでいく綿菓子のように子供の夢が詰まっていて…
…いくら見て歩いても飽きなくて…
…カルメ焼きを買って二人で食べて…
…弟がふうちゃんを見てアッカンベェをして逃げて…
…ふうちゃんがコラッマテッて追っかけて…
…弟が急に止まったからぶつかりそうになって…
…捕まえてから、二人で笑って…お金が無くなったからもう帰ろう、と言って…
…二人で電車通りの所まで歩いて来て…
…それから急に視界に靄が掛かって中心からぼけていって…
…視界はどろどろした赤や黄色や青い絵の具が混ざって渦を巻いて中心に落ち込んで…
…赤とんぼが群れ飛ぶ空中高く弟が跳ね上がって…
…怒号やらサイレンやらが入り乱れて…
…ガンガンガンガン…(頭痛)…
…何でも弟がジープに跳ねられて死んで…
…父親や近所の人が、MPにしきりに抗議をしていて…
…ふうちゃんを抱いた母の手が痛くてふうちゃんも泣いて…
…そこでふうちゃんはじとっと目覚め、じとっと目覚めるとふうちゃんは必ず贔屓の読売巨人軍が9回の裏でサヨナラ負けをした時のように、あるいは大好きな横綱鏡里が土俵際でうっちゃり負けをした時のようにじっと塞ぎ込んで、妄想の世界に彷徨(さまよ)った。
ーそれじゃ弟は私の所為(せい)で死んだの?ー結局私が弟をコ・ロ・シ・タ・の?ー
ーだったら、ごめんねーお姉さんをゆるしてねー
ーそれにお父さん、お母さんー何で事故の事、弟の事を私に話してくれないの?ー
ー私が弟を殺したから?ーだから、何も話してくれないの?ー
ー私を許してくれないの?ーねぇ、お願い、誰か教えて!ー
ー弟はどうして死んだの?ー
ー私の所為(せい)なの?ー教えて!ー
ーそして、私を助けて!ー
ふうちゃんには沢山の友達が居たが、とりわけ窯焚きのゴンさんとは大の仲良しだった。 ふうちゃんは窯の炎を見るのが好きで、 ある日、ふうちゃんはゴンさんから窯の焚き方を習った。
以前、町工場で旋盤工をしていたゴンさんは器用にいろいろな道具を作った。
ゴンさんは周囲を自分の背より高い板で四角く囲った特大のリヤカーを毎朝早くから引いて出掛けて、
普請場やら木工所やら家の解体場やらを午前中に回って、
鉋屑やら木切れやら古材やらを積み込んで、
昼頃赤津湯に戻ると、午後3時からの開場に間に合わせるため、直ぐ窯を焚いた。
窯を焚くといっても、風呂桶の下から焚くのではなく、
銭湯客用の風呂に繋がった大きな湯槽があり、
そこから太いU字型をした鉄パイプが3本窯口に伸びて来ており
、U字管の中に入った水を窯で湯にして、湯槽に送り込んでいる訳だ。
ゴンさんと窯口前に並んで腰掛けて窯の炎を見つめ、
ゴウゴウ音を立てて燃える炎の照り返しに顔を赤く染めながら、
ゴンさんからいろんな話を聞いた。
「ふうちゃん、これだけ窯が大きいとね、何でも燃せるよ。」
「消しゴムも?」
「燃えるとも、やってごらん。」
消しゴムを窯口から放り込むと、パッと火を出して燃える。
「鼠も?」
「あぁ、燃える。」
例に、鼠取りに掛かった鼠を放り込むと、これまた、パッパッと燃える。
気を良くしたふうちゃんは、要らないものを窯で手当たり次第燃し始めた。
成績の悪い試験用紙も、
籾殻の入った林檎箱も、
古くなった学校の上靴も、
下手くそなお書き初めも、
蠅のいっぱい付いた蠅取り紙も、
煙草の吸殻も、
西瓜の食べかすも凡そ燃えるものは何でも、ふうちゃんの手で窯の中に入れられて、
ボウボウ燃された。
「とっ始めからでけぇ火になる訳じゃねえんだ。
一等最初によ、窯の焚き口の一番下には、鉋屑とか木端とかすぐ火が点きやすい物から置いてよ、
その上に小さな木切れ、大きな木切れの順で乗せていってよ、
長持ちする大きな材木は火がしっかり点いてから窯に放り込みゃいい。
火を点けるにはよ、マッチを投げ込んでもいいけんどよ、
確実に燃やすために俺はな、こういう発火装置を作ってみたんよ。」
発火装置もその一つで1メートル位の鉄パイプの先にアルコールの入った瓶とライターが取付けてあり、
手前のハンドルを引くと、カチッと音がしてライターの歯車が回って、
先端の瓶の口から炎が上がった。
これを窯口の一番下の鉋屑の所に差し込んで、一発で点火させるんだという。
ふうちゃんは、何回も炎を出しては感心した。
その日、実際に窯を発火装置で点火したふうちゃんは、自分が点けた火が最後には窯いっぱいの炎となって、ゴーと音を立てて燃え盛る様を見て、言い知れない感動を覚えた。
赤津湯と電車通りを挟んで、根津小学校寄りの空き地にトンテンカンと音がしてたと思ったら、あっと言う間にアパートが建った。 ふうちゃんの部屋は赤津湯の窯場の三階にあり、西の出窓からこのアパートが良く見えた。
当時には目新しい新建材のベニヤ板、らわん材を豊富に使った家で、
日本古来の土壁や桧、杉、けやきの柱などは見当たらず、
屋根も瓦屋根でなくてトタン屋根 だった。
ただ、部屋の形式は終戦後一般家庭にも流行し始めた洋室で、
大きなダブルベットが真ん中にある寝室と、居間には食卓と数脚の椅子があり、
更に隣接して根津には目新しい小さな風呂と、流し、様式トイレが付いていて、若い女性には垂涎の的だった。
口の悪いゴンさんが珍しくふうちゃんに忠告した。
「あんなバラックみてぇな家、この窯で焚いたらよ、1時間と持たねぇな。
何でもよ、昔岡場所の根津遊廓の一軒があった所で、持ち主が今度は外人相手のオンリーさんを住まわすアパートを作ったという話じゃねぇか。
近所迷惑な、罪な話よ。ふうちゃん、余り近寄らないほうがいいぜ。」
ふうちゃんには、岡場所だの遊廓だのオンリーさんだの解らない言葉が続いたが、ゴンさんの喋る様子から何か良くない物が出来たと察して、ゴンさんと一緒に大げさに眉を顰めて約束した。
「うん、行かない。」
根津神社の大祭のある秋の彼岸、
その日は大人の担ぐ大神輿はワッショイワッショイと、
町内の山車はピーヒャラピーヒャラと町内に引き回され、
ふうちゃんも浴衣に着替えて、根津権現の縁日を終日楽しんだ。
その夜、三階の出窓からコウコウとした満月の明かりの中の、
昼間のような町の景色を何となく見ていたふうちゃんは、新しく出来たアパートの前に止まった進駐軍のジープから降りてきた金髪の兵隊と連れの黒髪の若い女の顔をふっと見た。
瞬間、ふうちゃんは目を大きく見開き、
チカッ!、
電気が頭のてっぺんから足の爪先まで流れて、
ふうちゃんの頭の一番深い引き出しの封印が外れ、
カパッ!
引き出しが開いた。
ー彼奴らだわ!。弟を車で跳ねて殺したのは、彼奴らだわ!。
私ではない、私が弟を殺したのではなかったんだわ。
私と弟が電車通りを横断していたら、女と抱き合って前方を見ていなかった彼奴のジープが右側車線を速度違反で走って来て、弟を跳ねたのよ。
弟は、空高く舞い上がって地面に叩き付けられ、殺されたんだわ。
私ではなかった、私は関係なかったんだわ。
ーそれなのに、私は何年もの間苦しんで夢を見続けたのね。
私は自分の不注意で弟を死なせたと考えて悩んでいたのに、あんなに苦しんだのに!。
彼奴らの所為だわ。
彼奴らのために、弟は死に、私は苦しんだんだわ。
それなのに、彼奴らはあんな所でのうのうと暮らしている。
許せないわ、彼奴らは絶対に許せないわ!。
夢の中の靄がすっきり晴れて、事故の詳細を思い出したふうちゃんは、以後注意深く彼奴らの観察を始め、
女の部屋は一階の南の端にあること、
金髪の兵隊は毎週金曜日の夜に来て、アパートに泊まって、土曜日の朝帰ること、
女は普段は夕方まで寝ていて、夕方勤めに家を出て、帰りはいつも深夜である事などいくつかの事が解った。
ー女は毛を縮らせて、口に真っ赤な、ギラギラした紅を付けている。
ああいうのを、パンパンガールと言うのだろう。日本の女の恥だ。
金髪の兵隊はいつも大きなジェスチャーで、ガムをくちゃくちゃ噛みながら喋って、女と笑いこけている。態度がでかくて嫌いだ。
彼奴らは二人とも死ねばいい。
ふうちゃんの頭に風呂の窯で燃えた鼠の炎がパッと燃えた。
次の新月に近い金曜日、学校から帰ってからのふうちゃんは忙しかった。 夜になると、三階の窓からアパートを見張った。 アパートは短時間に全焼して、火事は消えた。 ふうちゃんは相変らず、男湯の人気者であったが、一頃ふうちゃんを悩ませた新月の頃の怖い夢は全然見なくなって、ふうちゃんはすっかり健康になった。
ゴンさんのリヤカーから鉋屑と木端、木切れ等を貰って女のアパートに行った。
南端の部屋の裏の羽目板の下に回って、ゴンさんに習ったように、鉋屑、木端、木切れを積んで、目立たないように上から黒い風呂敷を被せて、そっと帰った。
お目当てのジープが止まって、米兵と女がアパートに消えた。
1時間程経ってから、ふうちゃんはゴンさんの発火装置を胸に抱いて窯場から出、
忍び足でアパートの裏に回ると、
風呂敷を取り、鉋屑の下に発火装置の先端を当て、ハンドルを引いた。
カチッと乾いた音がして炎が出、鉋屑から木端、木切れと炎が大きくなって、ふうちゃんの白い顔を赤く染めた時点で回れ右をして、部屋に逃げ帰った。
まもなく消防車のサイレンが鳴り響いて、辺りは大騒ぎとなった。
南端部屋以外の住人は就寝前の時間帯だった事が幸いして、全員逃げ出して無事だった。唯、南端部屋の寝室の中のダブルベットから米兵と日本の女の焼死体が見つかった。
ベットの中での行為に夢中で、窓の外が赤い炎に包まれたのに気づくのが遅れたらしく、二人共全裸であった。
MPが来て色々調べて行ったが、結論は米兵の煙草の火の不始末とされ、米軍としても名誉な事ではないので、米兵は勤務中の心臓死とされて本国に報告された。
女は東北の貧しい農家の娘とやらで、母親が諦めた表情で上京し、遺骨を抱いて東北へ帰った。
こうして、この事件は新聞を飾る間もなく、闇から闇へ葬り去られた。
全焼したアパートにまだ燃える木材が残っているかも知れない、という希望からゴンさんが火事場の後片付けを手伝っていた。 ー自分は、戦争中東北の農家で母と二人で細々と田畑を守っていたが、終戦後、重労働に倒れた母の手助けをしようと、東京に出て来た。 ー幸い、私は現在米兵に囲われているので、米兵が身近に居る。 ー私は東京での生活にも疲れたので、かと言って今更東北の故郷にも帰れないので、死ぬ積もりである。 ゴンさんは、書いてあった宛名に早速遺書を送り、この事実はゴンさんの胸の内だけに仕舞われ、公表されることなく終わった。
寝室の床下からゴンさんは瓶に入った封筒を見つけた。
封筒の表書きは遺書とあって、日付は焼死した日で、宛名は母上へとあり、焼死した女の署名で、中の遺書には次のような内容の事が記されていた。
焼け跡を歩いている内にジープに乗った進駐軍の兵隊に呼び止められて身体を汚され、米兵の女になった。
しかし、そういう成り行き中に、一度も母を恨んだりした事はなかったから心配は無用である。
戦前に百姓をしていた父は、出征して、戦争末期に南洋の孤島で玉砕した。
一人居た兄も東京の大学まで進学しながら、学徒出陣で印度支那へ行って、戦死した。
父や兄が命を賭けて戦ったのに、日本はこの戦争に負けた。
父や兄は犬死に同様だった。
古い言葉だけれど、私は父や兄の敵討ちがしたい。
父や兄を戦争という大義名分で殺したのは、米兵である。
父や兄は何も悪い事していないのに、米兵に殺された。さぞ無念だったと思う。
本当は生きて帰りたかったんだと思う。
この米兵に父や兄の敵を打とうと思う。
この米兵に恨みはない。
しかし、父や兄も恨みもない、何の関係もない米兵に殺されたのだから、私がこの米兵を殺してもいいと思う。
自分が死ぬ時にこの米兵を道連れにしようと思う。
私は米軍から石油を手に入れた。
米兵が寝込んだ隙にこれを床とベニヤの壁に撒いて、煙草の火を落として、米兵と心中する積もりだ。
私が焼死体で見つかったら、父と兄の敵を討ったのだから、どうか悲しまないでくれ。
ーそして最後に今迄の養育の礼と親に先だって往く不孝を詫びて終わっていた。