香月院 浄土文類聚鈔講義 第4巻の2(5の内の2) 正説分の行釈 引用文 龍樹菩薩「易行品」 不退転、信疑の得失 |
浄土文類聚鈔講義 第四巻之二 |
香月院深励講師述 宮地義天嗣講師閲 松内上衍校訂 ◎龍樹菩薩十住毘婆娑論云。若人欲疾得不退転地者、応以恭敬心執持称名号。 ◎(龍樹菩薩の十住毘婆娑論に云く。もし人疾く不退転地を得んと欲わば、応に恭敬の心を以て執持して名号を称すべし。) 「龍樹菩薩十住」等と。二引論説二、初龍樹論二、初明得不退因〈二に論説を引くに二、初に龍樹の論に二、初に不退を得る因を明かす〉。KG_MRJ04-02L これより上は仏経を引き、これより下は論を引きたまう。その中にて初めに龍樹の論、次に天親の論。この仏教の次に論を引くは、嘉祥の『三論玄義』(四十四左)「諸仏為衆生失道。故説経。菩薩為衆生迷経。是故造論〈諸仏は衆生の道を失うが為の故に経を説き、菩薩は衆生の経に迷うが為の故に論を造る〉」とあり。仏は迷いの衆生を済度する為に経を説きたまう。爾るに仏の教行は甚深にして、衆生直ちに伺い難きゆえに、これが為に菩薩、論を造る。今もこれより上に真実教の『大経』の文を引きたまえども、菩薩の論の指南なければ仏教は伺われぬ。そこで次に菩薩の論を引き、下の結文にも聖言論説とある。KG_MRJ04-02L,03R 今我祖仏教と論説と并べたまう意は右の通りなり。去り乍ら我祖の御本意は『大無量寿経』真実教を伝えるものは三国の七祖じゃに依って、上の序文に「印度西番の論説」「華漢日域」とのたまう。それじゃに依って、実は今仏経の次に具に七祖の論釈師釈を引き并べる思し召しなり。『広文』「行巻」には真実行の証文、七祖の御釈次第を乱さずに列ねてある。爾るにこの『略文類』は略文故に、七祖を残さず引く事ならぬゆえ、そこで初めに龍・天の二論を挙げ、その余の五祖の釈を略したまう。これ初めを挙げて后を略するの御引文なり。それ故爰に引くも龍樹菩薩の『十住論』と天親菩薩の『浄土論』と引きたもうて、結句『広文類』には菩薩の名は出してはない。今この『略文類』では御丁寧に菩薩の名を出したまう。これ七祖の中の初めの龍・天の二菩薩を出して、曇鸞已下は略するぞとある事を顕したまう思し召しとみえる。KG_MRJ04-03R,03L 『十住論』は『華厳経』の「十地品」を釈する論なり。「十住」と云うは、常に覚えておる十信・十行の十住ではない。今は十地の事を十住と云う。そこであの「十地品」の異訳は十住と云う。なぜ十地を十住と云うなれば、これは『十住論』一(十一左)釈あり。地居住所の義なり。世間の大地は人の住する所地には住処の義あり。菩薩の十地の位も菩薩が段々修行して進み住したまう処なり。そこで十地の事を十住と云う。「毘婆沙」は梵語なり爰等は矢張り旧訳の釈を用いるがよい。『三論玄義』(十四右)「毘婆沙者。此云広解〈毘婆沙とは、此に広解と云う〉」とあり。「十地品」を広く解するの論と云う事にて『十住毘婆沙論』と云う。KG_MRJ04-03L 「云く」とは上の仏教の処には「言」と云う字にして「のたまわく」と誦せてあり。今、菩薩の論を引くには「云」の字を用いて「いわく」と誦せてあり。『広文類』の格とは違う。『広文類』では言・曰・云を差別して経・論・釈を引きたまう。爾るに今『略本』では、仏教では言の字、論と釈とにはみな云の字なり。この分かちは云何と云うに、これは『広文類』に言・云・曰の遣い分けあると云う事の暫く近来申す事なり。それ故と云うわけじゃと云う事考えたものなし。先ず『広本』の言・曰・云の遣い分けの事、私共これまで存じたのは、仏教は大聖の真言と云う事で、言と云い、曰・云の二字は、文章家に承るに、外典でも曰の字は重き所に使う、云の字は軽い所に使うてあると承った故、それで済ましておいて、菩薩の論には曰の字、人師の釈には軽い云の字を使わせられたと申す計りにて、篤と合点の行かなんだ事なり。KG_MRJ04-03L,04R 爾るに当春この『略本』の下見を致す次いでに、つい見出した事ありて、それから段々考えてみるに大方考え当たったと存ずるに依って、今その義を弁ずる。先ず仏教に言の字を使うは、『論註』が拠とみえる。『論註』に仏教を引くに皆言の字あり。何故に仏教に言の字を用いたまうぞと云うに、仏教を引くは常の書物を引くとは違う。常の書物を引くは、書物の中にある事を、こうゆうてあるに依ってこうじゃと証にする。仏教を引くには、先ずそれ迄行かずに、これが如来の金言じゃ、これが仏の仰せられた御言じゃがどうじゃと云う事で言の字を使う。故に我祖、仏教を引きて言の字を使うには、いつでものたまわくと云うかなを付けたまう。只『大経』なら『大経』にいわくと文を引いたのではない。これが仏ののたまう御言じゃと云う事にて、のたまわくと云うなり。KG_MRJ04-04R,04L 仏教を引く時は、先ず仏の御言じゃと云う事にて明証にする。我祖、仏教を「大聖の真言」「如来如実の言」とのたまう。仏教はみな如語者不離語者〈?〉の真実言故、これに間違うた事はないと云う意にて、言の字を使うなり。菩薩の論、人師の釈は、その仏教を釈する故に、論釈を引く下には一等を下りて云の字を使うは、只作らせられたその文を引くという事なり。今爰に「十住毘婆沙論云く」とあるのなれば、龍樹の造らせられた『十住論』という論に云わくと云う事なり。『浄土論に云く』と云うもそれなり。KG_MRJ04-04L 時それなれば『広本』の方に、論には曰の字、人師の釈には云くと云う字を分けてあるは何故ぞと云うに、この曰・云の二字の分かれが六カ敷なり。『正字通』に「云は曰の字註也。与曰音別義同。凡経史曰通作云」。十三経二十一史みな曰を云に作り、曰は云に通ずると云う事なり。『康煕字典』でも「曰云義同」という。爾らば曰の字、云の字、分かれぬ事じゃとせねばならぬ。KG_MRJ04-04L,05R 爾るに我祖『広本』には曰云を使い分けたまう。実に只人に在さんや。祖師聖人は『正字通』や『字典』あたりで知れぬ事じゃに、我祖は曰云の二字分かち知りたまいて使いたまう。爾ればその分はどうじゃと云うに、仏書でも外典でも古い書には多くは曰云の二字を使い分けてある。『正字通』『字典』はその通用の処計りを定規にして、「曰云同義」と云う。古書には多く使い分けてある事を知らぬは『正字通』の甚だの不吟味なり。KG_MRJ04-05R 時に爾らばどう使い分けてあるぞというに、先ず曰の字は人の言を挙げる時に使う。云の字は外の書物を引く所に使う。これ曰・云の二字を分ける時の使い分けなり。先ず外典で云えば『論語』の「子の曰く」みな曰の字なり。これは孔子の言を引くゆえに曰の字なり。又云の字は書物を引く時に使う。『論語』の「学而篇」に「子貢曰、詩云、如切如磋〈子貢が曰く、詩に云う、切するが如く磋するが如く〉」等とあり。これ「子貢曰」は子貢が言〈ことば〉故に曰の字なり。「詩云」は書物の中の言を引く故に云の字使うてあり。又『孟子』の初めにある曰・云これがよく分かれたり。『孟子』の言の内に詩を引く所には「詩云」と云の字を使うなり。『大学』『中庸』でも詩を引くはみな云の字なり。処に依って曰の字を使うたはかの通用なり。さて『書経』の帝曰く曰くと、みな曰の字なり。あれはその筈にて『書経』は尭帝なれば、尭帝の言を引き、舜帝なれば舜帝の言を引く故に曰の字なり。外典はこれで置くべし。KG_MRJ04-05R,05L 仏書では論の中でも、釈の中でも、古い書には問曰・答曰と、皆曰の字なり。これはその筈で、問答は古い書物を引いたではない。直ちに今問いつ答えつするゆえ曰の字なり。『智論』百巻の中には問曰・答曰が千六百七十字ありと云う。未だ数えはせぬ。皆曰の字なり。懐感『群疑論』は全篇問答計りなり。その『群疑論』七巻の全ての問答が百七十二あり。これは数えさせたり。皆曰の字なり。一つ紛らわしき事あるは『止観補行』三の二(十四右)「大論三十三問云。云何六道復云五道〈大論三十三に問て云く。云何が六道を復、五道と云うや〉」とあり。そこで『大論』に入りてみれば『大論』三十三(十五)には「問曰。経説有五道。何云六道〈問いて曰く。経説に五道とあり。何ぞ六道と云うや〉」とあり。爾れば荊渓の云の字を使うは何故ぞと云うに、これは『補行』の点の付けようが悪い。これは「大論三十三の問いに云く」と読むべし。問の文を引くのじゃに依って云くと読むはよきなり。これは具には『大論』三十三に云く問いて曰くと引くべきを略して引きたるなり。上来弁ずるが如く、人の言を引く時は曰の字、書物の文を引く時は云の字と云うが古書の使い分けなり。KG_MRJ04-05L,06R 今家の吾祖、この使い分けをなしたまうと云うは、「作正信偈曰〈作正信念仏偈曰・作念仏正信偈曰〉」と、曰の字あり。只曰の字を重い処に使いたまうと云わば、御自作の「正信偈」の処には曰の字はなき筈なり。これは今「正信偈」と云う書物が外にあるではない。今御自身が「正信偈」を作りて仰せらるる故、曰の字を用いたまう。KG_MRJ04-06R さて『広本』に菩薩の論に曰くとのたまうは、仏教に言の字を使うと、大底同格になさるる思し召しなり。菩薩は仏につぐものにして、儒書で云わば亜聖と云うが如く、菩薩は仏に并ぶものなり。故に仏教に言の字を使うゆえ、菩薩の論には曰の字を使うは、菩薩の言にのたまわく、常のものの云うた事ではない。十劫満位の天親菩薩ののたもうた事じゃ、どうじゃ、初歓喜地の龍樹菩薩ののたもうた事がどうじゃと云う心なり。人師の釈はそれより一等下りて、道綽禅師の作らせられた『安楽集』と云う書物に云わく、善導大師の御撰述の書に云わくと云う事故、云の字なり。これが『広文類』言・曰・云の御使い分けと存ぜらるる。KG_MRJ04-06R,06L 爾るに『略本』に菩薩の論に云の字を使うは何故ぞと云うに、これは言・曰・云を分かつのは経論釈を引き并べる時の事なり。『広文類』は経論釈を引き并べる故に、仏と菩薩と人師との三位を分けた言・曰・云なり。又この『略文類』は略して文を引きたまう故に、経論釈を揃えた所は一所もない。仏経の次に、或いは菩薩の論計りを引く所もあり。或いは人師の釈計りを引く所もあり。これ仏菩薩人師の三位を分かつ事能わず。依ってこの『略本』は仏経と七祖の釈とを二等に分けたものなり。これは「行巻」(四十五)の偈前に「帰大聖真言。閲大祖解釈〈聖の真言に帰し、大祖の解釈に閲して〉」とのたまう。七祖をみな仏経に対して御釈としたまう。『高僧和讃』にもこの例あり。今この『略本』、仏経と七祖の釈とは二等に分かつ意で、今菩薩の論を引く所なれども云の字を用いたまうのなり。KG_MRJ04-06L 「若人欲疾」等と。この偈文は「易行品」の十方十仏の章の偈文なり。時にこの偈文の中の「得不退転」の「得」の字、只今現行する論、并びに「行巻」(『会本』二 十九左)に御引用は「至」に造る。爾るに今この『略本』に御引用なさるのは真本并びに御延書の諸本皆「得」の字に造る。爾れば本論にもと異本ありとみえる。上に出る『大経』の「為衆開法蔵」の「法」の字と「宝」の字と、両方乍ら用いたまうを、『六要』に経文に異本ありと申してあり。今もその例なり。『高僧讃』のこの論文に依りたまう讃に「不退の位速やかに」等と。この「えん」とあるからは、「得」の字の本に依りたまうとみえる。KG_MRJ04-06L,07R 先ず文を解するに、「若人」と云うは、「易行品」には「若人」の語処々にあり。第十八願を挙げる処に「若人念我称名〈もし人、我を念じ名を称して〉」とあるは本願の「十方衆生」なり。爾れば今爰も「若人」は「諸有衆生」を指す言なり。「不退転地」と云うは、『十住論』には或いは梵語を挙げて阿惟越致地とも申してあり。『論註』の最初には梵語を挙げて阿毘跋致と申してある。どちらも同じ事なり。『悉曇の要決』に、あゆいとよむはわるい、あいおちと誦むがよきと申してあり。阿惟越致・阿毘跋致、共に梵語の訛略にして、此に翻じて不退転と云う。KG_MRJ04-07R この不退転の位の事、諸経論に異説あり。或いは菩薩の初住地を不退転と説いてあり。或いは初地・八地の位等を不退転と説くもあり。今この『十住論』の不退は初地不退なり。歓喜地の位を不退転地と名づく。この事は『十住論』の文に明らかなり。論一(十二左)「為得十力故 入於必定聚 則生如来家(乃至)是以得初地 此地名歓喜〈十力を得んが為の故に、必ず定聚に入り、則ち如来の家に生る[乃至]これを以て初地を得。この地を歓喜と名づく〉」とあり。「十力」は仏果なり。仏果に至りたいと思うて修行する菩薩が初地の位に於いて必ず定聚に入る、その時、如来の家に生じて、この位を歓喜地と名づくるとあり。「必定聚」とあるは不退転の事なり。これがこの論の一つの言使いなり。「易行品」の「即時入必定」抔も『大経』の文には「住不退転」とあるを、「易行品」には「入必定」とあり。「生如来家」とは下の論文に釈ありて、転輪聖王の太子は転輪聖王の家に生ず。故に必ず転輪聖王になるに定まってある。今もその如く、初地の菩薩は必ず仏になるべき不退の位じゃによって、如来の家に生じた御身分じゃと云う事にて「生如来家」と云う。この位を歓喜地と名づく。爾れば『十住論』に不退の位と云うは初歓喜地の事なり。KG_MRJ04-07R,07L 時に今家の我祖はこの『十住論』の歓喜地不退の位を直ちに他力行者の正定聚不退転の事にして仰せらるる。一寸思うてみる時は、歓喜地と云うは聖道門の菩薩の初地なり。他力の行者の正定聚を聖道門の菩薩の初地に擬するように思わるれども、吾祖の思し召しは爾らず。先達ても引く「行巻」に「獲真実信心者。心多歓喜故。是名歓喜地〈真実の信心を獲れば心に歓喜多きが故に、これを歓喜地と名づく〉〈行巻原文=獲真実行信者。心多歓喜故。是名歓喜地〉」とありて、『十地論』の歓喜地と云うが他力の行者の正定聚の事なり。そこで龍樹の懸記の文に龍樹の位を「証歓喜地」と説いてあるを、我祖では信の一念に正定聚不退に至らせらるる事じゃ。それを釈尊懸記したまいたのじゃと御覧なされる。いかさま次に「生安楽国」とあるからは「証歓喜地」は正定聚不退なり。KG_MRJ04-07L,08R 大坂へ行く拵えをし乍ら、江戸へ行くと云うてはすまぬ。また聖道門にて仏果に至らんとして修行して初歓喜地に至って、そうして安楽国へ生じては拵えしたのがつまらぬ。そこで我祖では龍樹の歓喜地も正定聚不退なり。そこで難行道から至るものは、一大阿僧祇劫を歴て漸々転進して、この不退の位に至る。易行道から至るものは薄地の凡夫速疾にこの歓喜地不退に至る。そこで今この論文はその易行道不退を明かすので「欲疾得不退転地〈疾く不退転地を得んと欲わば〉」と云うなり。「疾」と云うは、とく速やかにと云う事なり。難行道からは「行諸難行久乃可得〈諸の難行を行じて久しくして乃ち得べし〉」でなければ、この不退には至られぬ。それゆえとく速やかにえんと思わば易行道から至れと云う事にて「欲疾得」等と云うなり。「久乃可得〈久しくして乃ち得べし〉」の「久」の字に対して「疾」の字を使いたまう。KG_MRJ04-08R,08L 「以恭敬心」とは。「以恭敬心」と云うは『十住論』の中に身業の敬いの事を恭敬と説いた処もあれども、今爰は恭敬の心とあるに依って意業の恭敬なる事は治定なり。爰に恭敬の心を出したに付いて古来色々に義を付ける処なり。『和讃』に「恭敬心」とあるのをば只仏に香華でも捧げる敬いの事のように思うものあれども、さようではない。これは『蹄[シン09]記』のなかに、恭敬者即正信の義と云うてあり。これは拠ありて申された事とみえる。『信力入印法門経』一(三左)「言恭敬心者。所謂正信。言正信者。謂信般若根本業故〈恭敬心と言うは、所謂正信なり。正信とは、謂く般若根本業を信ずるが故なり〉」とあり。この経説に依るとみえる。何分この経説からみれば、恭敬心と云うは信心の事に違いない。KG_MRJ04-08L 信心の事を何故、恭敬心と名づくると云うに、これを心得ねばならぬ。『六十華厳』六(二十一右)に「浄信離垢心堅固滅除[キョウ02]慢恭敬本〈浄信は垢を離れ心堅固にして[キョウ02]慢を滅除す。恭敬の本なり〉」と云う文あり。この心は今迄仏を信ぜなんだ間は敬う心がなかりしなり。それが今仏の尊いと云う事を信ずる心にて仏を敬う。儒者抔は仏の尊いと云う事をしらぬ。故に仏を敬う心なし。爾れば信ずる故に敬うのじゃに依って、恭敬の心のその体は信心なり。KG_MRJ04-08L,09R これを『大経』にて申す時は「[キョウ02]慢弊懈怠、難以信此法〈[キョウ02]慢と弊と懈怠とは、以てこの法を信ずること難し〉」とあり。我が身を高ぶりて居る間は、法は信ぜられぬ。そこで「謙敬聞奉行〈謙敬して聞て奉行し〉」とも説き、「見敬得大慶〈見て敬い得て大きに慶ぶ〉」とも説きて、吾が身を謙下〈へりくだ〉りて仏を敬う所が即ち法を信ずるのなり。KG_MRJ04-09R 爾れば恭敬の心は、今家の心で云う時は機法二種の深心なり。『智論』三十(二左)「恭敬者。謙遜畏難故言恭。推其智徳故言敬〈恭敬とは、謙遜して難を畏るるが故に恭と言う。その智徳を推するが故に敬と言う〉」この恭敬の二字を判釈して、我が身を謙退して謙下りたるが恭の字の心。向の人の智徳を尊んで敬うのが敬の字の心なり。爾らば今家の意から云えば、我が身は浅間布きものなりと謙下〈へりくだ〉るが「恭」の字、かかるものを阿弥陀如来なればこそ助けたまうと信ずるが「敬」の字の意なり。その意が移らず替わらず相続して名号を称える事をば、今「以恭敬心執持称名号〈恭敬の心を以て執持して名号を称す〉」とのたまう。そこで今「執持」とはその恭敬のこころがいつ迄も移り替わらぬ事なり。「執持」の言、余るようにあるとも、これは恭敬の心が相続する事なり。これを我祖の御釈にて申すときは、「化巻」御自釈(四十九左)に「執言(乃至)不散不失〈執の言は心堅牢にして移転せざることを彰すなり、持の言は不散不失に名づくるなり〉」とあり。堅牢にして移らぬが執の字。いつまでも余へ心を散らさず、外に思いを掛けぬが持の字の意。そこを今この論文では余の思いの雑じらぬが執持の心なり。いついつ迄も余念雑ざらぬ、相続する相〈すがた〉をを執持と云う。その相続心から常に名号を称えるなり。KG_MRJ04-09R,09L 時にこの偈文は「易行品」の中では十方十仏章の偈文なり。「善徳仏」等の易行を説きたる偈文なり。それを我祖は常にこの偈文を弥陀の易行を説く文にする。これは云何なる訳ぞと云うに、「易行品」には、先ず最初に十方十仏の易行を明かし、次に一切諸仏の易行を明かし、その次に弥陀一仏の易行を明かす。爾るに論主の本意は最初から弥陀の易行を説く思し召しなり。それ故第二段の一切諸仏の易行を説く所に早〈はや〉弥陀を諸仏の冠頭に置いて「阿弥陀等の諸仏」とのたまう。この「阿弥陀等の諸仏」と説くが早華開蓮現の所なり。「十仏章」から含んであった所を、第二の「諸仏章」にて冠頭に出し、それから正しく第三章に至った所で、正しく廃権顕実なり。諸仏の易行を残さず廃して、只弥陀一仏の易行を明かす。百二十八句の偈頌を造りて弥陀を讃嘆す。『楞伽経』の「証歓喜地生安楽〈歓喜地を証して安楽に生ず〉」の懸記に応じて論主自ら弥陀の浄土を願生する。爰で論主の本意顕わるる。KG_MRJ04-09L,10R 論主の本意から易行の一品を開会して見れば、初めからが残さず弥陀の易行になる。例せば法華の絶待妙の如し。法華の一仏乗にて開会する時は爾前の法門迄悉く法華の妙不可思議になりて仕舞う。今も是の如し。「弥陀章」の論主の本意より開会して見れば、易行の一品は尽く弥陀の易行なり。そこで十方十仏の易行迄弥陀を易行としたまう。それ故「行巻」(九左)「易行品」に引きて曰く「西方善世界仏号無碍光仏〈西方善世界の仏を無碍光仏と号す〉〈西方善世界 仏号無量明か?〉」云々。「十方十仏の章」の文を引く所に十仏の中の西方の「無量明仏」計りが出してある。これは我祖の思し召しは西方の無量明仏を即ち西方の阿弥陀仏の事になさるる御料簡なり。論の現文にてみれば、無量明仏と阿弥陀仏とは全体別仏なり。それをば間違わせたまう我祖ではない。それじゃによって無量明仏と云うもので最初から阿弥陀仏とはなされぬ。下の「弥陀章」より振り返りて論主の本意を以て開会する時は「無量明」と云い「無量光明」と云うことにて、阿弥陀を爰に無量光と翻ずる故に「無量明仏」は元来阿弥陀仏なり。そこで「行巻」にこの無量明仏計りを挙げて、外の九仏を略したのは、外の九仏をみな無量明仏に収めて仕舞うて「十仏章」尽く阿弥陀仏の易行を明かすとのたまう。そこで今「十仏章」の偈文を引きて弥陀念仏の易行を明かす文となさるなり。KG_MRJ04-10R,10L ◎若人種善根、疑則華不開。信心清浄者、華開即見仏。 ◎(もし人善根を種えて疑えば則ち華開けず。信心清浄なれば華開て即ち仏を見たてまつると。) 「若人種善根」等。二示信疑得失〈二に信疑の得失を示す〉。KG_MRJ04-10L これは「易行品」の「弥陀章」の偈文三十二行ある中の第二十八行の偈文なり。即ちこれは『大経』の智慧段の胎生化生を説いた経文に依りたもうて、信疑の得失を判ずる偈文なり。この文抔が常に出る能人の覚えて居る偈文なれども『大経』から「易行品」と移る味わいを委しく考えて扱うものがない。それで底澄みがせぬなり。聖教を伺うは、まめな人の衣裳を奇麗に畳んだ如くすべし。麁相な人はへちゃくちゃにして押し込んで置く。今経釈を伺うも大方が皆へちゃくちゃにして撫で置くなり。それでは仏意も顕れず、祖師方の思し召しも隠れて仕舞うなり。KG_MRJ04-10L,11R 「若人」と云うは願生の衆生を指す言なり。『大経』の文では「若有衆生」とあり。「種善根」と云うは、『大経』には「修習善本」とあり。『如来会』には「積集善根」とあり。これを能く覚えておるべし。翻訳が違えば言も違う故に紛れてならぬ。今この論文では「種善根」とある。「善根」は『如来会』と同じ事なり。全体この一偈の説相、『如来会』の訳にはよく合うなり。時に僧鎧の本に「善本」と訳し、『如来会』やこの論には「善根」と訳す。この両訳対映してみる時は、爰は「善根」というも「善本」と云うも同じ事なり。根は根本の善なる故なり。KG_MRJ04-11R 時に我祖はこの智恵段の善本を名号の事になさる。二十願の「植諸徳本」の徳本と智恵段の「修習善本」の善本とを『阿弥陀経』の「多善根多福徳」〈『襄陽石碑経』〉と説いたのに会合されたものなり。『阿弥陀経』に二十願の名号を「多善根多福徳」と説く。多善根の名号故善根と説く。多福徳多功徳の名号故に徳本と説く。善本徳本というは名号の事なり。同じで「化巻」御自釈(五十丁)にこの善本の名を釈して「善本とは如来の嘉名なり。この嘉名は万善円備せり」等とあり。弥陀の名号は万善円備の嘉号故に所有〈あらゆる〉善法の本なり。故に善本と名づくと釈したまう。爾れば今爰に「善根」と云うは、『大経』の「善本」と同じこと故に名号の事なり。KG_MRJ04-11R,11L 「善根を種えて」と云うは名号を称える事なり。称える事をなぜ種えると云うに、これ二十願に「植諸徳本」と説くと同じ事なり。これ都て經論の言使いにして、菩提の因というて諸の善根を修するのは、丁度大地に木の苗を植えるようなもの。それが段々生長して大木になる。仏果菩提に至らんとて善根を修するは、木を植える如し。今は往生浄土の業に念仏を修する故に善根を植えると云う。爾らば善根を植えると云うは名号を称える事なり。同様に名号を称え乍ら疑うものは「華不開〈華開けず〉」。「信心清浄」なるものは華開きて仏を見たてまつると云う事で、下三句に述べたまいたものなり。KG_MRJ04-11R,11L 時にこの「種善根」の言は今申す如く二十願の「植諸徳本」と同じ言じゃに依って、これは二十願の機が疑い乍ら善本徳本の名号を称える事を「種善根」と仰せられたであろうかと云うに爾らず。この論文は自力の行者の念仏を称えると、他力の行者の念仏を称えるとを一所に挙げて「種善根」とのたまう。その証は『如来会』を見るべし。「積集善根」と説きてあり。その『如来会』下(十五)、自力の行者の疑い乍らの念仏の事を「若有衆生。墮於疑悔積集善根〈もし衆生ありて、疑悔に墮して善根を積集して〉」とあり。(十五左)に至りて、他力の行者の疑い晴れて念仏を称えるを「若有衆生。断除疑悔積集善根〈もし衆生ありて、疑悔を断除し善根を積集し〉」とあり。それを今の偈文では一所に挙げて「種善根」とのたまう。爰らでは物の得失を判ずる時に同事に出して置かねば得失が判ぜられぬ。KG_MRJ04-11L,12R 喩えば同じように講堂に集まり乍ら眠って居る人もあり。講釈を精出して聞く人もあり。学問に登り候とて、講釈に出る所は同じ事なれども、その内に衣に札を張り、色々遊ぶ人もあり。又出精の人もある。得失を判ずる時は同じ事を出さねばならぬ。KG_MRJ04-12R 今もその如く万善円備の名号を称える所は同じ事なり。名号を称え乍ら、自力の行者は華不開、他力の行者は華開けて仏を見奉ると明かす偈文なり。「疑則華不開〈疑えば則ち華開けず〉」とは真門自力の行者は浄土に往生しても疑いの罪に依って、生まれた所の蓮華が開かぬ。華に含まれて居る故に「華不開〈華開けず〉」という。KG_MRJ04-12R 時に爰に不審あり。僧鎧所訳の『大経』は、疑う人の往生した疑城胎宮は「或百由旬、或五百由旬〈あるいは百由旬、あるいは五百由旬〉」の七宝の宮殿に生じて楽を受けると説いてある。爾るに今この論文は花に含まれて出でずと説く。これは何れも『如来会』を見れば合点行くなり。智恵段は僧鎧の訳計りでは仏意の顕れぬ所多し。『如来会』では能く翻訳してあり。下(十六左)「雖生彼国於蓮花中不得出現〈彼の国に生ずといえども蓮花の中より出現すること得ず〉」と在りて、爰の論文と同じ事なり。爾れば七宝の宮殿に所すと云う説は云何と云うに、それを『如来会』の次の文に「彼等衆生処華胎中。猶如園苑宮殿之想〈彼等の衆生、華胎の中に処すること、猶し園苑・宮殿の想の如し〉」とあり。化土の生まれたものの心は華の中に含まれて居るとは思わぬ。百由旬・五百由旬の七宝の宮殿に所して、園もあり、林もあり、[トウ01]利天の如く快楽を受けて居ると思うて居る。これは内からみると外からみるとの違いなり。化土往生のものの内からみれば七宝の宮殿に所して楽を受けて居る。それを真実報土からみれば一含華なり。十方世界を尽くした真実報土なれば脇に片寄った化土のあるべき筈なし。京都の脇の嶋原をみるような所はなき筈なり。真実報土は周辺法界〈周遍法界か?〉の蓮華世界なり。それが真実報土よりみれば七宝地中の蓮華の未だ華の非開の所が化土の往生人の居り所なり。そこで『如来会』やこの論文に疑則不開華〈疑えば則ち華開けず〉と説くなり。KG_MRJ04-12R,12L,13R 「信心清浄者、華開即見仏〈信心清浄なれば、華開きて即ち仏を見たてまつる〉」というは、「信心清浄」と云うは、この上の句の疑いに対して「信心清浄」と云う。これは倶舎・唯識の性相でも疑いを濁水に喩え、その濁水中へ水晶の珠を入れれば、その濁水頓に清浄水になる。衆生の疑いの濁水の中へ信心の珠を置かば心が清浄になると喩う。今もその意なり。疑いの濁水が尽きて信心の水の清浄になりた所を信心清浄とのたまう。即ち『八十華厳』十四(五十六)「信無垢濁心清浄〈信は垢濁なく、心清浄なり〉」とあるが疑いの濁りのない信心清浄なる事なり。今と同じ事なり。KG_MRJ04-13R 時にこれを今宗の意にて申す時は「信巻」御自釈(二十二左)に「一切群生海。自従無始已来。乃至今日至今時。穢悪汚染無清浄心〈一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして、清浄の心なし〉」等とあり。凡夫の心は「穢悪汚染」「貪瞋邪偽奸詐百端」、朝から夕まで三毒の煩悩が起きて心を汚す。偶清浄心起きると雖も、水に画くが如し。昼夜十二時貪瞋煩悩に穢されて居る穢悪汚染なれども、今他力の信心は蓮華の泥にまします如く、「衆生貪瞋煩悩中、能生清浄願往生心〈衆生の貪瞋煩悩の中に能く清浄の願往生心を生ず〉」。いつもかわらぬ清浄心じゃと云う事にて「信心清浄者」とのたまう。KG_MRJ04-13R,13L 「華開即見仏〈華開て即ち仏を見たてまつる〉」とは、『大経』には「七宝華中自然化生」と説きてあり。真実報土に往生したものは含華はない。初めから華が開けてある。座るや否や七宝華中に結跏趺坐してある。「見仏」というは真実報土の大利益を挙げたまう。かの疑う人の華に含まれたものは仏を見ず、法を聞かず、菩薩声聞聖衆を見ず、三宝を見聞する事ならず。浄土に生まれたもの〈胎生の者か?〉のいっち難儀は不見三法〈不見三宝か?〉なり。故に受諸難と説きてあり。今真実報土に生ずるものは直ちに弥陀の真仏を見たて奉る。そこで「開華見仏」と説く。『大経』智恵段の胎生化生の経文甚だ長けれども、たった一行の偈文に述べさせられたものなり。KG_MRJ04-13L 時に『十住論』の中から僅かにこの偈文を引きたまう。『広』『略』の文類は文類故に御引文大切なり。動もすれば御引文の文字を改めて点を付け替えたりする。甚だの大罪なり。それ故『広文類』抔は末学の講釈を禁じたまうはその訳なり。兎角『広』『略』の文類では御引文の祖意を伺うが肝要なり。KG_MRJ04-13L この行を明かす章、『広文類』「行巻」には、別してこの『十住論』は長く引きてあり。先ず最初「入初地品」の文から「易行品」まで四品の論文を抄略して引きたまう。さてそれから「易行品」でも十仏章・諸仏章・弥陀章・共に抄略して引きたまいてある。その多くの論文の中から、今『略文類』ではわずかに二行の偈を引きたまう。これ思し召しなくては叶わぬ。つい思い出し次第にこれでも引いておこうかと云う我祖ではない。『広』『略』の御撰述計りは、たった一字を下すにも御意を用いたまう。況んやこの御引文をや。KG_MRJ04-13L,14R 今乍ら恐れ奉りてこれを伺わば、真実行と真実信との二章の証文になる文をば選んで引きたまう。それは何故ぞというに前来弁ずる如く、この『略文類』は行に信を摂して明かしたまう。それ故に御引文も皆真実行の証文の中に真実信の証文迄を収めて引きたまう。これが『略文類』の伺いようなり。KG_MRJ04-14R そこで今爰に引く所の『十住論』の偈文、先ずこの章の正所明の真実行の証文兼ねては真実信の証文になる。今その義を弁ずるに、初めの偈文は易行にして、「疾く不退転地」に至らんとするものは「恭敬の心を以て執持して名号を称す応し」と易行不退を説く文なり。この易行の行体は念仏なり。難行道とは三学六度の難行を修せねばならぬ。それに対して易行易修の念仏の行にて不退に至る。由って今易行道から不退に至る事を明かすに念仏を出す。むずかしき三学六度の難行道より不退に至るよりも易称易修易行念仏の行にて不退に至れと。これ易行念仏を明かす文にして、真実行の証文なり。さてこの二文乍ら「易行品」の偈文なり。この偈文を引くに意あり。偈頌は讃嘆の義にして、讃嘆する時には偈頌でなければならぬ。これは龍樹菩薩、易行の念仏を讃嘆したまう文なり。今上に引く所の仏経は釈迦や諸仏の弥陀の第十七願に答えて弥陀の名号を讃嘆する名号讃嘆なり。KG_MRJ04-14R,14L 兎角「行巻」一部が名号讃嘆という事を忘れてはならぬ。そこで最初に名号讃嘆という事を標したはこの訳なり。そこで七祖もその諸仏讃嘆を伝えて、又名号を讃じたものなり。今龍樹菩薩の不退の位を速やかに得んと思わんひとは三学六度の行を止めて、この修し易い名号を称えよ、これで速やかに不退に至ると、それを偈頌を以て述べたまうは龍樹の名号讃嘆なり。そこでこれが真実行の証文なり。KG_MRJ04-14L さてこの初めの偈文は下の信を明かす章にもって行は真実信の証文となるなり。それは云何ぞというに、今この偈文は成る程易行念仏を明かした偈文に違いはなけれども、只称うる念仏では不退には至られぬ。信心を得ねば不退には至られぬと説きたる偈文なり。そこで「以恭敬心執持称名号〈恭敬の心を以て執持して名号を称す〉」と説く。恭敬心を以て執持する。信なくば何ほど称えても不退に至られぬなり。「疾得不退」の因は唯信心なりと明かすなり。依って「易行品」(二左)に「以信方便易行疾至阿惟越地〈信方便易行を以て疾く阿惟越地に至る〉」と説く。そこで『論註』上初めに『十住論』を引きて「以信仏因縁(乃至)即入大乗正定之聚〈信仏の因縁を以て浄土に生ぜんと願ずれば。仏の願力に乗じて、すなわち彼の清浄の土に住生することを得。仏力住持して、即ち大乗正定の聚に入る〉」と釈す。信が因となりて大乗正定聚に入るとのたまう。それを我祖は「正定之因唯信心〈正定の因はただ信心なり〉」とのたまう。今この偈文も「疾得不退」の因は唯信心なりと明かしたまう。偈文故これが下の真実信の証文になるなり。それを今引き挙げて真実行の証文の中に収めて引きたまう。これが『略文』の巧妙なる所なり。KG_MRJ04-14L,15R さて次の偈文は、これは信疑の得失を示す偈文ゆえ初めから真実信の証文のようなれども、爾らず。これが恐れ乍ら吾祖の御意を用いたまう所なり。「行巻」の多くの『十住論』の文の中から選び出して、この『略本』に引きたまうこの偈文は即ち「行巻」にも御引用にして、先ずこの正所用を云う時は真実行の証文なり。それはなぜと云うに、この偈文は真門自力の念仏に対して弘願他力の念仏を讃嘆したる偈文なり。先ず偈頌故に讃嘆は離れぬ。別してこの弥陀章の偈文は解を挙げるの最初に「以偈称讃」と云う御断りあり。論主の偈頌を造りて弥陀を讃嘆したまう。KG_MRJ04-15R,15L 今爰に引く所では、論主が釈迦諸仏の讃嘆を伝えて弘願他力の念仏を讃嘆したまうなり。そこで「若人種善根〈もし人善根を種えて〉」とは念仏を称うる事なり。同じ念仏を称えても疑うものは「華不開〈華開けず〉」。信ずるものは「華開きて見仏」。これは彼の同じくは弥陀の誓いを知らせばやとても称うる人の心にと云う歌と同じ心で、同じ念仏を称えても真門自力の念仏は疑いの罪によって華に含まれる。第十八願の他力の念仏は信心を得て称える故に「華開きて仏を見奉る」。実に同じ念仏でも違うたものじゃ。弘願の念仏は違うたものじゃと名号を讃嘆したまう名号讃嘆の偈文なり。そこで真実行の証文になる。又この偈文を唯信疑の得失を判ずるとみる時は丸乍らに真実信の証文なり。名号には必ずしも願力の信心を具せず。爾らば名号を称えた計りでは報土往生は叶わぬ。他力信心を得れば報土に往生して仏を見奉る。これ真実信の利益を明かした文故に下の真実信の証文なり。それで行を明かす証文の中に収め引きたまう吾祖の微意なり。KG_MRJ04-15L,16R |