香月院 浄土文類聚鈔講義
  第7巻の3(4の内の3)
正説分を総結して信を勧む
時衆に対して勧誡を示す


浄土文類聚鈔講義 第七巻之三
  香月院深励講師述
  宮地義天嗣講師閲
  松内上衍校訂

◎今庶道俗等、大悲願船清浄信心而為順風、無明闇夜功徳宝珠而為大炬。心昏識寡敬勉斯道。悪重障多深崇斯信。
◎(今庶〈ねが〉わくは道俗等、大悲の願船には清浄の信心をして順風と為し、無明の闇夜には功徳の宝珠をして大炬と為す。心昏く識寡くなきものは敬いてこの道を勉めよ。悪重く障り多きものは深く斯の信を崇めよ。)

 「今庶道俗」等と。二対時衆示勧誡二、初嘆益勧信心〈二に時衆に対して勧誡を示すに二。初めに益を嘆じて信心を勧む〉。これより上は浄土真宗の教えには已に仏在世に興り、それを漢土の祖、相次いで相承せる事を述べ、そこでこの一段をば我祖御在世の道俗に対して、この法を信ぜずんばあるべからずと、信心を初め疑うを誡めたまう処なり。故に科云々。その内、初めに信を勧める一段なり。KG_MRJ07-28R,28L
 全体この『略本』の総結の文已下は信心を勧むるばかりなり。上の序分に吾祖自ら真宗の教行証を敬信して仏恩報謝の為にこの文類聚を造るとのたまう。それよりこの方、広く明かす処の二回向四法の諸引は所謂真宗の教行証、今それを総結して、我もこの教行証を敬信する間、庶〈ねが〉わくは時の道俗も我と同じく、只この法を信ぜよと信を勧むるに付いて勧信誡疑の御教化あり。KG_MRJ07-28L
 先ず文を解するに、今「庶」とは、庶の字、庶幾と熟して意に請い願う事なり。上の段には天竺漢土の相承を述べ、それに対して我祖の今願う処にして述ぶるのじゃに依りて、そこで「今」と云う字を置きて「今庶」と云う。弘法の『文鏡秘符論』六(七右)、庶と云うは「勢有可然,期於終也〈勢、然るべきことありて,終を期するなり〉」とあり。面白き釈なり。字書の中にこのようなる字詮はない。庶の言のつかい塩梅、弘法大師釈せり。「勢有可然,期於終也〈勢、然るべきことありて,終を期するなり〉」とは、これはおうでなけねばならぬ勢いじゃに由りて、後はこうせよと后の事を請い願う時の言じゃと云う事なり。これを今この文に当たりて弁ずるに、上来述ぶる通りに仏在世に於いて大聖権化が寄り集まりて、末代今日の凡夫の為にこの教えを興したまう。それをば相承の祖師方、末代に伝えて下さるる。爾らば今時末代に於いてはこの教をを信ぜねばならぬ勢いじゃによって「庶」とのたまう。KG_MRJ07-28L,29R
 「道俗等」とは。末代に於いては無戒名字の比丘ばかり。それ故形について道俗を分かつ。『銘文』(十二右)「道に二つあり」等とのたまう。時にこれらの字は向内か向外かと云うに、末[X45]の内『直解』には、これらには天竜夜叉等の八部衆を等するといえり。これは余り仰山なり。仏教の文なればこう云わりょうけれども、爰での「等」は爾らず。我祖の御言にはみな拠あり。「玄義分」の「道俗時衆等」の言に依る。それで「等」と云うは「道俗時衆」の事なり。我祖の御在世の道俗なり。それで下の偈文には「道俗時衆皆悉共」とあり。そこでこれらの字は御滅后のあらゆる御門葉を収める思し召しあり。我祖御在世の道俗、そればかりでなしに遠く末代の我々迄に告げたまう思し召しなり。KG_MRJ07-29R
 「大悲願船」等。常に出る言なれども、文の解し難き処なり。先ず「大悲願船」とは、弥陀大悲の誓願を船に喩えたまうは龍樹の「易行品」が本なり。弥陀の本願を船に喩える事は常に出る事なり。次に信心を風に喩える事は常になき事なり。「清浄信心」と云う御言つかいは、これは『略文類』の格言なり。他力の信心の事をば「浄信」とのたまう。この信心、順風に喩えたは、総て疑いは向こうの云う事をそうではあるまいと背く事を疑うと云うなり。又信ずるは向こうの云う通りに随う事なり。そこで二河の喩えにも「信順二尊意」とあり。爾れば仏の方より渡してやろうとある本願の船を疑わず危ぶまず、その通りに信順するのじゃに依りて、疑わず信ずるのは順風の如く、由りて「清浄信心而為順風〈清浄の信心をして順風と為し〉」とのたまう。KG_MRJ07-29R,29L
 時に我祖に拠なき事をのたまわらぬが、信を順風に喩えるは何に依るぞと云うに、『[シン09]記』には『花厳経』の「方便風」と云う文を引く。これは他経他論を尋ねたならば、信を風に喩える事も随分あるべし。今吾祖の正しき拠は『論注』の上の初めの「不退の風航なり」とのたまうが拠なり。「易行品」には「水道の乗船」と云う。弥陀の弘誓を船に喩えてあり。それに曇鸞の風を加えて「風航」とのたまう。順風に走る舟を風航という。『論注』の意は「易行品」に「水道乗船」等とあれば、弥陀の本願に乗じて不退に至るに違いない。去り乍ら弥陀の本願在すとも、行者が信心を得ねば不退には至られぬ。それゆえ「易行品」の文に、以信方便疾至不退〈信方便を以て疾く不退に至る〉とあり。至不退の因は信心なり。それを『論注』に「信仏因縁」と云う。KG_MRJ07-29L,30R
 時にそれでは不退に至る因は信心じゃによって、弥陀の本願は入用にありそうもないものじゃかと云うに爾らず。水道の乗船と喩えてあるからは、弥陀の本願は船の如く、本願の船がなければ不退には至られぬけれども、行者その本願を信ぜねば、また不退には至られぬ。そこで弥陀の本願を船に喩えた上で、信心を順風に喩えて「不退の風航」とのたまうが『論注』の意なり。今その『論注』の意に依りて「大悲願船」等とのたまう。KG_MRJ07-30R
 吾祖「行巻」に「乗大悲願船浮光明広海〈大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば〉」等とのたまう。爰と同じようなれども、仰せられ方違う。「行巻」には「乗大悲願船〈大悲の願船に乗じて〉」とあり。「乗ずる」とは「煩悩具足と信知して 本願力に乗ず」るじゃに依りて、乗ずると云うが即ち信心の事なり。今この『略本』は信心を別に出して風に喩えたまう。故に乗ずるとはのたまわぬ筈なり。今この総結の文は全体が信心を勧める教え故、こう仰せられたものなり。願船ありとも信心の順風なければ大涅槃彼岸には至られぬ。爾れば逢うこと難き願船に逢い乍ら、信心の風なしに空しく船待ちをしては済まぬ事ゆえ、「道俗時衆等」早く信心を得よと信を勧めたまうなり。KG_MRJ07-30R,30L
 恐れ乍ら委しく伺えば甚だ味のある処なり。「無明闇夜」とは『心地観経』四(十七左)「無明闇障如長夜〈無明の闇障は長夜の如し〉」とある。「功徳宝珠」とは、『論』の「功徳大宝」の言と『註』の「清浄宝珠の名号」とのたまうに依る。「功徳」とは、『論』の「功徳」と云うは『一多証文』(十九左)に「功徳と申すは名号なり」と御釈あり。今名号の功徳を摩尼宝珠に喩えたまう。『智論』九十九の(十四左)摩尼宝珠の事を説く処に「宝珠能除黒闇〈宝珠、能く黒闇を除く〉」とあり。況んやこの名号、無明長夜の黒闇を除きたまう。聖覚の言に「無明長夜の大灯炬なり」とあるを取り合わしてのたまう。この聖覚の言は『銘文』末(十三右)に引きて御釈あり。KG_MRJ07-30L
 時にこの文は全体信心を勧める処じゃ。由りて信心の徳益を述ぶる。そこで先ず最初に「大悲願船には清浄信心」等とあり。「大悲願船」は処信の本願なり。それを信ずる信心を清浄の信心と云う。由りて次に「無明闇夜」とはその信心の徳益を述べて、『浄土論』にて云うば「能令速満足 功徳大宝海〈能く速やかに功徳の大宝海を満足せしむ〉」の意なり。そこで「無明闇夜」と云うは凡夫の意を喩う。凡夫の意は無始已来無明煩悩充ち充ちて無明の闇の晴れる事のない長夜の闇なりしに、今選択本願すれば不可称の功徳は行者の身にみてり。本願力を信ずる処に名号の功徳が行者の身に充つる。その名号は摩尼宝珠の如く光り輝く大灯炬なれば、明来闇去にして千歳の闇室も一灯を照ずれば明らかになる。況んや無上宝珠の名号の大灯炬の功徳、我が身に充満つる、無明長夜の闇晴れ明らかになると云う事で「無明闇夜」等とのたまう。KG_MRJ07-30L,31R
 「今庶道俗等」、それ「道俗時衆等」に告げたまう。次に「大悲大船〈大悲願船か?〉」より爰迄は信心の徳益を讃歎して、この次の文、正しく信心を勧めたまうなり。「心昏」等とこう云う訳じゃに依りて信心を得ねばならぬ事じゃと、正しく信を勧めるなり。「心昏識寡」の言は『広本』「総序」にもこれと同じ言なり。これより下は『広本』の「総序」と同じ。少しずつ違った処もあり、照らし合わせて弁ぜねばならぬ。又「心昏」等の言の拠は元照の『弥陀経疏』の(初左)「嗟乎。識昏障厚信寡疑多〈嗟乎。識昏く、障厚く、信寡く、疑多し〉」等とあり。心と識との別は『二十唯識論』(初左)「心意識了は名の差別」とありて、皆意の事なり。又『唯識論』にて第八識を心と名づけ、前七識を識と名づくる事もあり。KG_MRJ07-31R,31L
 今はそれとは違うて、先ず上の「心」の字はこころの事なり。「昏くして」とは昏昧と熟して、心が闇鈍で昏き事なり。「識」は知なり。智恵ありて能くものを知る事なり。故に広くものを知りて居るものを博識と云う。智恵の浅きものの事を浅識という。その識と同じ。そこで「総序」には「識寡く」と云うを、さとりすくなくと読ませてある。智恵の少なき事を云うなり。「敬勉斯道〈敬て斯の道を勉めよ〉」とは、元照の疏には「敬勉同舟深崇此道〈敬いて同舟を勉め、深くこの道を崇ぶ〉」とあり。今「斯道」と云う言を上に挙げて、下をば「崇斯信」と替えたまう。又「勉」の字も元照の疏には、すすめると云う義につかうてあり。爰では「つとめよ」とよみたまう。「斯道」とあるを戒度の『聞持記』上(六左)に釈して、この『弥陀経』に説く処の念仏三昧を指すとあり。「朝聞道夕死可也〈朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり〉」。「聞道」とは仁義の道、即ち聖人の教えなり。教えを聞く事を道を聞くと云う。そこで元照の説では念仏三昧の教えを「斯道」と云う。今我祖もその思し召しなれども、我祖ではいつも道と云うは本願一道なり。それゆえ「総序」の次の文には「最勝直道」とあり。「信巻」に謂ゆる「本願一実の直道なり」と。KG_MRJ07-31L
 爾らばこの『略文類』では上の「大悲の願船」を指して「斯道」「大悲の願船」と云うが即ち「本願一実の直道」。『法花経』では一乗法を大白牛車に喩えたれども、今浄土真宗では本願一乗を大船に喩えて「大悲願船」と云う。これ大般涅槃の大道なり。末代の凡夫の出離の道はこれより外はなき故に「心昏く識寡きものは」敬いつつしんでこれを勉むるなり。「悪重」等とは極悪深重の事なり。「障多」とは、元照の疏では「障厚」とあるを『聞持記』に釈して、煩悩業苦の三障と釈してあり。今は「悪重」の言を添えたまう。極悪深重にして、その上に三障を残さず具えて出離解脱の障り多き故に、「悪重障多」と云う。「斯心〈斯信か?〉」とは、上の「清浄の信心」なり。「崇」は崇重の義で、崇め尊ぶ事なり。外に出離の縁はなきゆえ、深くこの信を崇め尊んで奉得れ〈?〉とある事なり。この一段は信心の得益を嘆じて信心を勧めたまいたるものなり。KG_MRJ07-31L,32R

◎噫弘誓強縁多生難値、真実浄信億劫[ハ01]獲。遇獲信心遠慶宿縁。
◎(噫、 弘誓の強縁多生にも値い難く、真実の浄信、億劫にも獲がたし。遇 (たまたま) 信心を獲ば遠く宿縁を慶べ。)

 「噫弘誓」等。二嘆難誡疑慮二。初挙難示慶獲〈二に難を嘆じて疑慮を誡むに二。初めに難を挙げ慶獲を示す〉。この上の段は嘆益勧信心〈益を嘆じて信心を勧む〉。そこでこれより下は難値と云う。難を嘆じて疑を誡めたまう。我祖一代の勧信戒疑の御教化は爰に顕れてあり。KG_MRJ07-32R
 先ず「噫」と云うは歎ずる言なり。この歎ずるにも歎息と歎美との二種あり。歎息と云うときは、噫は痛傷の声と注す。病人抔が難儀に成りた時、歎くにああと云う声を出す。梁伯鸞〈梁鴻〉が五噫の歌を造り、一句一句の間にこの噫の字を置き、歎く歌を作れり。即ち『蒙求』の梁鳴五噫〈梁鴻五噫か?〉の下に出たり。二には歎美の言にする事もあり。『詩経』の「周頌」の章に「噫[キ05]成王既昭仮爾〈噫[キ05][ああ]成王、既に爾に昭仮す〉」等と。「周頌」とは天子の宗廟に於いて先王の徳を歎美して祠る歌なり。今は周の文王等の徳を歎美する頌なり。則ち『詩経』の注に、噫は嘆なりとあり。歎美の事なり。KG_MRJ07-32R,32L
 今爰に「噫」とのたまうは、正しく歎息の言にして、兼ねては嘆美の義を含んであるとみる。正しくは歎息とするは左訓に「なげく」とあり。何を歎きたまうぞといえば、次の文に「多生難値〈多生にも値い難く〉」等とのたまうが我祖の嘆きなり。曠劫多生の間にも出離の強縁しらざりきで、今迄、多生劫この勝れた法りに値わなんだは更々嘆かわしきなり。又無量億劫この取り易い信心を得なんだは、誠に嘆かわしき事じゃと嘆きたまう。その次に「遇獲信心〈遇[たまたま]信心を獲ば〉」等と、今得たる事を喜べとのたまう。爾らば今迄値わず獲ざる事を歎く故に、歎息の言を置きて「噫」とのたまう。KG_MRJ07-32L
 又この「噫」の言、兼ねて嘆美の義を具すると云うは、今爰は上の段に信心の徳益を嘆ずるを受けて、先ず法の勝れたるを嘆美する意がある。それは云何と云うに、先ず「弘誓の強縁は」等と多生にも値われなんだは、難得難聞猶霊瑞花の法り故に値われなんだ。又「真実の浄信」等と、信心の難得は何故なれば、具縛の凡夫、とこの下類、刹那に超越する法り、極難信の勝れたる法り故に、信心難得。爾れば「多生難値〈多生にも値い難く〉」「億劫難獲〈億劫にも獲がたし〉」と云う処に法の勝れたる事を嘆美する意あるゆえに、最初にも嘆美の義を含んであると伺わるる。KG_MRJ07-32L,33R
 「弘誓の強縁」とは、「玄義分」の「正由託仏願〈正しく仏願に託して以て強縁と作すに由りて〉」等の言による。「強縁」とは増上縁のことなり。『大乗義章』などに増上縁を釈して法を興す縁強きが故に「曰増上縁」と釈してあり。今「弘誓の強縁」と云うは阿弥陀仏の本弘誓願を増上縁と名づけたりの意なり。衆生が浄土に往生する因も果も本願力回向の故、衆生の力と云うは少しもないなり。悉く弥陀の本願弘誓を増上縁とする故に、弘誓の強縁と云うなり。KG_MRJ07-33R
 「多生難値」とは『大経』の序分の「難値難見、猶霊瑞花」の文による。「多生」とは元照の疏(三十八)に文あり。これは『禿鈔』上(十三左)にも引いてあり。千生にも万生にも、もう逢い難きみのり故、「多生難値〈多生にも値い難く〉」とのたまう。「真実浄信」は論主による。上に引弁するが如し。「億劫難獲」とは『大経』流通の意なり。この二句『大経』序分と流通との意にて[X45]したまう。「一代諸教の信よりも 弘願の信楽なおかたし」。無量億劫にも難得信心なり。KG_MRJ07-33R,33L
 爰に「難値」の処には難の字、「[ハ01]獲」のところには[ハ01]の字を[X45]てあり。これは先達て弁ずる如し。我祖いつでも「散善義」の「真宗[ハ01]遇」等の文に依りて、難と[ハ01]とを綺在してつかいたまう。時に「総序」の文には皆[ハ01]の字をつかう。今爰に又綺在してつかうは云何と云々。「総序」の文は下に「[ハ01]値」「[ハ01]獲」とある故に、それに対して「難遇」「難聞」とのたまう。今『略本』は下に対する文なきゆえ一文の内にて綺在して用いたまう一々対の文字迄も吟味したまう。誠に御精密なる事なり。爾れば「散善義」に「真宗[ハ01]値〈真宗[ハ01]遇か?〉」とあるゆえ、爰にも「多生難値」の処に[ハ01]をつかいたまうべしと云うに、これは『大経』の「難値難見」の文に依りたまう。爰に法を嘆ずる意ある故、『大経』の「難値」の字を出したまう。そこでそれに綺えて、次には「[ハ01]獲」とのたまう。KG_MRJ07-33L
 「遇」とは不斯而逢曰遇と。大名参をした処で奥州の人にひろりと逢うた、これが不斯して逢うのなり。それでこの遇の字を、たまたまと訓ずる。稀に逢う事なり。今は上に「多生難値」等の言を受けたる文字にして、千生にも万生にも逢い難き本願に値いたてまつり、万劫にも億劫にも得難い信心をうるは、実に逢われぬ事に逢いて、得難き信心を得るのじゃに依りて「遇獲信心〈遇 [たまたま] 信心を獲ば〉」とのたまう。それじゃに依りて、今得たてまつりたる事を格別に喜べと云う事にて「遠慶宿縁〈遠く宿縁を慶べ〉」とのたまう。KG_MRJ07-33L,34R
 時に「総序」に「行信」とあるを、爰には「信心」とあるは云何と云うに、これは「総序」を見るべし。最初から行信の二法にてのたまう。そこで爰も行信とのたまう。又『略本』は全体この総結の文は信心を勧めたまう。そこで「信心」とのたまう。「遠慶宿縁」とは『五会讃』末(二十六右)「自慶往昔」等とあり。この言を取りたまう。この「慶」の字は已にありた事を喜ぶ。今過去の宿縁を喜ぶ。故に慶の字を書くなり。「宿縁」とは宿世の縁と云う事なり。今遠く過去久遠劫来の宿縁を喜ぶ事を「遠慶宿縁」と云うなり。KG_MRJ07-34R
 ときに宿善・宿因・宿縁の三つ一処につかう処もあり。又分かれる処もあり。『御文』抔にのたまうは、多く同じ事につかいたまう。別して四(十五)の宿善・宿因・宿縁の言まぜて同じようにつかうてあり。これを分けて弁ずる時はいかんと云うに、先輩の弁もあり。又『樹心録』の弁もあり。それを取り合わせて云うときは、宿善・宿因は衆生に付きて名づく。又宿縁は仏に付きて名づく。かくの如く分かれる。宿善・宿因は衆生に付きて名づくと云うは、今日の衆生、過去世に於いて見仏聞仏等の善根をなしたのを宿善と云い、宿因と云うなり。「三恒河沙の諸仏の 出世のみもと」にて大菩提心を起こしたを宿善と云うは、自らの大菩提心の善根を起こしたを云う。その宿善を又は宿因と云う。故にこれ衆生に付けて名づくるのなり。又宿善と宿因との名を上を分かつに、宿因は広く善悪に通ずる。「宿因その期をまたずして」の「宿因」は悪なり。今は善宿因故、宿善と同じ。KG_MRJ07-34R,34L
 又宿縁は仏に付きて名づくると云うは、『仏地論』七(十八右)「然諸有情於無縁仏不肯受化〈然るに諸の有情は無縁仏に於いて肯えて化を受けず〉」とあり。宿縁の縁は有縁無縁の縁なり。都て仏に繋属結縁と云う事ありて、無縁の仏の化を受くる事はならぬ。釈尊の在世に生まれて舎利弗の化を受くるが如し。過去に於いてその仏に繋属縁なければ化には遇われぬなり。KG_MRJ07-34L
 ときにその縁に順縁逆縁あり。『法華経』に説いてあるにて申せば、大道智勝如来〈大通智勝如来か?〉の中の十六王子四部の弟子の為に『法華』を復講したまう。そのとき当来の縁を結ばせられた宿縁顕れて、今『法華』の会座にて開会せらるるは順縁なり。又「常不軽品」に説くが如く、常不軽菩薩が人に悪口せられたり。又瓦石等の打擲に逢い、時に汝も当来の仏になるべしと記別を授け縁を結ぶ。これは悪口打擲が縁となるゆえ逆縁なり。爾ればその宿縁には順縁逆縁ある。KG_MRJ07-34L,35R
 今爰に宿縁とあるは、我等衆生、阿弥陀如来に於いて過去世の大結縁があればこそ、今その法に値いたてまつる。その結縁種々様々にして法蔵因位の永劫の御修行の中にて申さば、その時我は鳥ならん、虫ならん。知らぬ事じゃが、法蔵菩薩の御説法の御声にても聞いた御縁ならば順縁なるべし。又法蔵菩薩の為に怨となり敵となり、蚊や虻に生まれて、菩薩に仇をなした宿縁なれば逆縁なり。これ迄に生々世々阿弥陀如来にこの順縁逆縁数々ありたのが、今顕れて信心を得たてまつるようになりたり。爾れば得難き信心を得たるようになりたからは、一世や二世の宿縁ではない。遠く久遠劫よりの宿縁を喜べと云う事にて「遇獲信心〈遇[たまたま]信心を獲ば〉」等とのたまう。この一段、挙難示慶獲〈難を挙げ慶獲を示す〉とのたまうなり。KG_MRJ07-35R

◎若也此回覆蔽疑網、更必逕歴曠劫多生。摂取不捨真理、超捷易往之教勅、聞思莫遅慮。
◎(もしまたこの回〈たび〉疑網に覆蔽せられば、更って必ず曠劫多生を逕歴せん。摂取不捨の真理、超捷易往の教勅、聞思して遅慮すること莫れ。)

 「若也此回」等。二対機誡疑情二、初示疑網失〈二に対機、疑情を誡むるに二、初に疑網の失を示す〉。KG_MRJ07-35L
 これより下は「道俗時衆」を対して疑いを戒めたまう処なり。上の段に「多生難値〈多生にも値い難く〉」等と嘆じたまう。「生死之家以疑為所止〈生死の家には疑いを以て所止とし〉」多生曠劫疑うたゆえに信を得られなんだのなり。今それを承けて「若也此回〈もしまたこのたび〉」等とのたまう。もしこの度疑うたならば、二度曠劫多生、生死に流転して浮かぶ期はあるまい程にと疑いを誡めたまう。KG_MRJ07-35L
 「若也」とは、この也の字を「また」とよむは詩の詞なり。中華の俗語にまたとつかう字なり。この度と云う処に「回」の字をつこうて「この度」と読ませてあり。この例は『楽邦文類』五(三十二)[シャ03]菴法師の「懐安養故郷詩〈安養故郷を懐く詩〉」を挙げて、その詩に「此回若不懐帰計」等。その次に「本也無心」にしてあり。爾らば爰の結語に「若也此回」と云うはこの[シャ03]菴法師に依りたまう。『愚禿鈔』上(四左)の「難疑情〈難は疑情なり〉」「易信心〈易は信心なり〉」の言は全くこの[シャ03]菴に依る。爾らば爰も爾り。KG_MRJ07-35L
 時に「回」の字を「たび」と訓ずるは、これは輪回の回の字にして、またはかえりかえり、幾度か立ち回りという文字にして、それより義転じて、幾度と云う処にこの回の字をつかう。それでこの度と云う処にもこの回の字をつかうなり。これが[シャ03]菴の詩の意なり。今この『略本』もその意で、多生曠劫幾度も幾度も疑いた故に生死を離れなんだ。もしこの回〈たび〉も又疑うたならば輪回止まる時はあるまいと云う意で「此回」とのたまう。KG_MRJ07-35L,36R
 「疑網」とは上に弁ずる如し。「覆蔽」とは「信巻」本終『楽邦文類』を引きて「自蔽無若疑〈自蔽莫若疑か?〉〈自蔽は疑にしくなし〉」とあり。疑の処にこの蔽の字を使うてあり。「覆蔽」はおおいかくす。鳥などの迯〈に〉げんとする処を上から網を打ちかぶせる事なり。この度たまたま本願に値いたてまつりて、疑いの網を離れて信を得る筈じゃのに「若也〈もしまた〉」疑いの網を打ちかぶせられて信を得まいならば、もう再び出る事はなるまいと云う事なり。KG_MRJ07-36R
 「更」字、『[シン09]記』には「さらに」と読ませてあり。『広』『略』二本ともに「かえりて」と読むが我祖の御点なり。これを「かえりて」と読むは、かえると云う字なり。四十八願の中「不更悪趣」の「更」の字なり。更替の義にして本の処に帰る事なり。今疑いが起きたならば本の古巣に立ち還りて、又迷わねばならぬと云う事なり。「曠劫」は遠劫と同じ。「逕」は経と通づる字なり。『観経』に「経歴多劫」とあると同じ。久遠劫来生死をへめぐりて迷うた者が「若也此回〈もしまたこのたび〉」疑うたならば、再び曠劫多生をへめぐりて迷わんと云うこと、今疑いを誡むる処に生死流転を出でずば『選択集』の「生家之家以疑為所止〈生死の家には疑いを以て所止とし〉」とあるを相承したまう黒谷門下三百余人の中、元祖の勧信誡疑を伝えた者は吾祖ばかり。多くは「定散の自心に迷うて金剛の真信に昏し」。それ故今我祖格別に「道俗時衆」と告げたまいて、慇懃に疑いを誡め信心を勧めたまう。我祖一代の勧信誡疑を本とするはこの分なり。KG_MRJ07-36R,36L
 「摂取不捨」等。諭莫遅慮〈遅慮すること莫れと諭[あか]して〉、『広文』「総序」には「摂取不捨真言」等とあり。同じようなれども仰せられ方が違う。『広文類』は光明と本願とを出す。摂取不捨は無碍の光明にして衆生を摂取して捨てたまわぬ。これ光明の利益なり。「超世希有」とは超世の本願、希有の大弘誓なるゆえ本願を挙げたまう事、治定なり。これはどう云う事ぞと云うに、「総序」には最初に発端の詞に「難思弘誓」等と、本願と名号とにて端を発す。そこでその「総序」の終わる処にて初めの発端に立ち戻りて、又光明と本願とを出して結びたまう。これは古人の序の文に常にこの格あり。一篇の序を書くに最初発端の処に立ち戻ると云うが序の提撕〈ていせい〉なり。そこで畢わりに光明と本願とにて結びたまう。KG_MRJ07-37L
 今『略本』は総結の文にして「総序」とは違う。そこで同じようなる御言なれども違うなり。今は初めに「摂取不捨の真理」とは弥陀の勅命なり。これは弥陀釈迦二尊の勅命を出したまう。これ何故ぞなれば、総結の文は最初に序分に応ずる筈なり。序文に「最勝直道〈最勝弘誓か?〉」「如来教勅」と二尊の勅命を出す。そこで今総結の文をそれに応じて二尊の勅命にて結びたまうとみえる。かくの如く『広』『略』文類、同じ事をのたまうようにあれども、皆その趣を替わらずば、我祖の、意を用いたまう処にて、書く時の意に任せたり、筆に任せたり、遊した事ではない。実に御心を用いたもうた『広』『略』の文類の御撰述なり。KG_MRJ07-36L,37R
 時に「摂取不捨の真理」とは、弥陀の勅命じゃと云う事は云何と云うに、「摂取して捨てざれば 阿弥陀と名づけたてまつる」は名号の謂われなり。弥陀の勅命と云うは、因位でいえば十八願。果上でいえば名号の謂われなり。近く『御文』で申すときは「一心に頼まん衆生をば必ず救うべしと仰せられたり」とあるが本願の勅命なり。それが即ち南無阿弥陀仏と頼むものを阿弥陀仏と助くるとある名号の謂われなり。爾らば今「摂取不捨故名阿弥陀〈摂取して捨てざるがゆえに、阿弥陀と名づく〉」。一心帰命の行者を必ず摂取して捨てぬほどにと呼び掛けたまう弥陀の勅命なり。その弥陀の勅命を挙げて「摂取不捨の真理」とのたまう。KG_MRJ07-37R
 この「真理」と云うは、この詞にて人が誤りてならぬ。真理とあると皆法性の真理にしてしまえども、爰らの御言つかいにてよく知るべし。「総序」には「真言」とあり。今は「真理」とあり。真の字、真実教の真の字なり。「総序」には能詮の言の方から「真言」とのたまう。それを今『略文類』では能詮の理の方から「真理」とのたまう。『広』『略』照らして見るべし。能詮にて云えば真言。処詮にて云えば義理なり。今『略本』にて「真理」とかえたまうわけあり。それは云何と云うに、序文の下の宗体の処で弁ずる如く、『大経』の真実教は弥陀の勅命と釈迦の勅命と二つはない。能説の法にていえば釈迦の勅命なり。処説の法にていえば弥陀の勅命なり。そこで今二尊の勅命を出す処ゆえに、釈尊には能詮の教を出して「教勅」と云い、弥陀の勅命の方には処詮の義理を出して「真理」と云う。二尊の勅命二つあるではない。弥陀の本願の儘を釈尊伝えたまう。これが真実教の二尊の勅命じゃと云う意なり。KG_MRJ07-37R,37L
 「超捷」とは、超は横超、捷は「捷径」なり。時にこの句は釈迦の勅命を出したまうゆえに、上に引く『大経』の非化段の「必得超絶去〈必ず超絶して去[すつ]ることを得て〉」の文にてのたまう。「超捷」と云うは「必得超絶去、往生安養国〈必ず超絶して去[すつ]ることを得て、安養国に往生せよ〉」と命じたまう釈迦の勅命なり。脇道をせずに横超直道より速やかに疾く往生せよと命じたまう発遣の教勅なり。「易往」とは、上に弁ずる如く、十方に浄土は多けれども、これ程行じ易き浄土はない程にと勧めたまう発遣の教勅なり。爾ればこの二句は二尊の勅命なり。KG_MRJ07-37L,38R
 「聞思莫」等。この言、この一段の処正明〈正しく明かす処〉なり。初めに二尊の教勅を挙げて置きて、この教勅通りを「聞思して遅慮すること莫れ」と誡めたまう。爰には「聞思」とある。「信巻」に『涅槃経』の三十五を引きて、信心に二つありて、聞より生ずる信心と、思より生ずる信心とがある、その聞より生ずる信心は信不具足と説きてある。この意は耳に聞きたばかりにして、意に思惟せぬのは、それはただ大様に聞きたのじゃに由りて信心具足せぬと云う事なり。今爰に「聞思」とのたまうがその意なり。只耳に聞きたばかりにあらず。意に思いて信心具足する事を顕して「聞思」と云う。KG_MRJ07-38R
 爾らば『大経』の「聞其名号」を我祖、「聞くと云うは信心を顕す」なりと釈したまうは云何と云うに、「聞其名号」の「聞」は只大様に聞きたるに非ず。無名無実に聞くに非ず。本願名号の謂われを能く聞き開きたのじゃによって、聞即聞思なり。故に「聞と云うは信心を顕す」なりと釈したまう。今『涅槃経』の「聞」と云うは、ただ大様に耳の役のように聞きたる事なり。そこでそれではすまぬ。聞きて心に思えと説くが『涅槃経』なり。今「聞思」と云うは『涅槃経』の意なり。KG_MRJ07-38R,38L
 「遅慮」とは、元照の『弥陀経疏』(三十三)。遅は遅滞で、おそなわり、とどこうること。慮は思慮心の内に、どうであろうやと思い計りてみる事なり。爾れば疑いはせぬようにあれども、またどうであろうやと、二の足をふむが遅慮なり。ゆえにこの「遅慮」はやはり疑の内なり。依りて『選択集』末(九左)「念仏付属章」に「敢莫疑慮〈敢えて疑慮すること莫かれ〉」とのたまう。それを今我祖は疑慮を二つに分けて、疑は疑惑、慮は遅慮と分かつなり。「若也」等の一段は疑惑を誡め、この一段は遅慮を誡めたまう。これは「散善義」の「無疑無慮」の言によりたまいたるものなり。KG_MRJ07-38L
 弥陀の本願にて助かろうか助かるまいかと危ぶむ間は疑惑の心なり。それから段々聴聞して弥陀の本願は慥かなる事にて、疑いはせねども、未だこのような悪人では云何とうきうき二の足ふむは疑慮なり。これを離れねばならぬに依りて、善導は言を重ねて「無疑無慮、乗彼願力〈疑いなく慮りなく彼の願力に乗じて〉」と云う。今我祖もその轍を践みて、上の段とこの断とに疑と慮とを誡めたまうなり。誠に慇懃なる誡疑の御勧化なり。KG_MRJ07-38L,39R