『教行信証』行の巻の学び
  隠 の 教 学
〈おんのきょうがく〉


     第四章 大乗仏教とは何か
     三、自力・他力の相を明かす

 自力門を批判する
 『論註』は、三願的取の文を結び、さらに自力・他力の相を説いているのですが、まず、その自力の相について
    人、三塗(地獄・餓鬼・畜生)をおそるるが故に、禁戒(戒律)を受持す。
   禁戒を受持するが故に、よく禅定(座禅)を修す。禅定を以ての故に、神通
   (神通力)を修習す。神通を以ての故に、よく四天下に遊ぶが如し。是の如
   き等を名けて「自力」となす。
と説いています。

 すなわち、人間は三塗(三悪道)の苦しみをおそれて、戒律をたもち、禅定を得て、はじめて心のままに四天下に遊ぶことができる――この世を超えて、絶対自由の世界に生きることができる――というのです。

 しかし、これはまず戒律、ついで禅定を修し、神通力を得るというように、次第に順を追って修行を重ねていく道(次第転入の道)であるから、いうまでもなく、今まで学んできた、直ちに悟りを得、成仏する道(速得菩提の道)ではありません。
 これを「自力」と名づけるのであると説いています。

 この次第転入の道とは、三願的取の第二十二願において学んだところの、「常倫」の道であります。
 一般的な仏教の考え方に立つものであり、人間から仏への道、人間の理性(仏教で有作心という)を立場とする道ということになります。

 ふりかえって考えてみれば、三悪道、すなわち本願を見失って非人間的世界に転落している人間は、その世界の束縛・迷い・苦しみからぬけ出そうとする、いわゆる「解脱」を求める心を本能的にもっているものです。

 「解脱」は本能的欲求であります。このように「解脱」を求める心は本能的なものですが、一般的な仏教は理性(有作心)を立場としていることになり、そこに全くかみ合わないずれがあります。

 ここに、一般仏教は常人にとっては難行道自力門と批判されるところとなり、永遠に実現され得ない道であるということになります。易行道他力門が求められる所以があります。

 劣夫、空に遊ぶの譬え
 つづいて、譬えをもって「他力の相」を述べている文に
    また劣夫、驢に跨りて上らざれども、転輪王の行に従えば、すなわち、
   虚空に乗じて四天下に遊ぶに、障碍するところなきが如し。かくの如き等
   を名づけて、「他力」となす。
 これが、有名な劣夫遊空の譬えです。

 一人の劣夫(凡夫)が驢馬にまたがって、天空を駆け走ろうとするのですが、どうしても思うようになりません。
 その時たまたま、法輪を転じて全宇宙を飛行される転輪王――実は阿弥陀仏――の行幸に出会い、その王の後に従って、容易に虚空を飛ぶことができ、四天下をめぐっても、何一つ障害となるものがなかったという譬えをもって「他力の相」を説いているのですが、これより以下、例の如く『註論入科会解』の解説をとおして、この譬えの意味するところを学びとりたいと思います。

 まず、初めの「劣夫」とは「薄地の凡夫なり」と注釈していますが、いわゆる菩薩道(仏道)において位置のない凡夫ということです。
 このような凡夫が「驢に跨りて上らざれども」と、譬えの本文にあるを釈して、「驢」とは驢馬のことですが、この驢馬は「令諸衆生の大悲廻向なり」とあって、もろもろの衆生のために発された如来の大悲より賜ったものであるというのです。

 つぎに、その驢馬に「跨る」とは、「本願成就の果成の暁より、廻向せられてあるを云うなり」といい、つづいて「上らず」とは、
    廻向にあずかりながら、由なき自力の執心にほだされて、むなしく久遠劫
   より信ぜず、知らずに喩う。
と注釈しています。

 考えてみれば、驢馬とは本願の名号であり、如来の呼びかけです。近くいえば“よき人の仰せ”です。
 この本願の呼びかけは、私に先立って七高僧などの仏たち、すなわち“よき人”によって実証され、その体験(成就)をとおして、すでに私たちに呼びかけているものです。

 ただ私たちが「由なき」くだらない自力の執心に束縛されて、いいかえれば、自我的考えにとらわれて「信ぜず知らず」、心の底から「なるほど!」と頷くことがなく、賜った驢馬の前に手をこまねいて突っ立っているように、“よき人”を前に見ながら、その“仰せ”を耳にしながら、「これが私のための“仰せ”であったか」と心眼・心耳にうけとることなく、久遠劫の昔から空しく過ごしていると説かれているのです。

 阿弥陀仏と本願と凡夫
 さらに、『註論入科会解』には
  転輪王の行に従えば、すなわち、虚空に乗ず。
という譬えを注釈して、「転輪王の行とは、阿弥陀仏即是其行(阿弥陀仏とはすなわち是れ其の行)なり」と善導大師の六字釈の言葉を引いて説き、「すなわち虚空に乗ず」とは、「弥陀の本願に喩う」と注解しています。

 まず、「転輪王(阿弥陀仏)の行」とは、阿弥陀仏が驢馬にまたがって、虚空を自在に飛ばれているということですが、この阿弥陀仏の自在なる働き(阿弥陀仏即是其行)、すなわち南無阿弥陀仏こそ、「選択本願これなり」本願そのものである、凡夫のために誓われた本願そのものであるということであります。

 ここで注意しなければならないことは、阿弥陀仏と、本願と、凡夫の三つが、バラバラにあるのではなく、一体・一如になり、凡夫の上の事実となって働く関係を、このように云いあらわしているということです。

 たとえば、親鸞聖人にとってみれば師の法然上人は、そのまま阿弥陀仏であり、本願そのものであったわけです。
 しかも、地獄一定の我がために、わが眼の前に立ち給うていることに気づくことができたとき、阿弥陀仏もその本願も、いいかえれば法然上人の人格もその精神も、弟子親鸞聖人の身の上の事実となって生き、働いていたにちがいありません。それは感応道交の世界の事実であり、ありさまです。

 そして、天を駆け走らなかった驢馬の如く、今までみずから称えもしていたが、もう一つ身に実感として受けとれなかった南無阿弥陀仏が、師の法然上人をとおして聞くとき、みな生きかえって親鸞聖人の身を動かせ、生活となっていったということです。

 もう一度、譬えにかえって
    虚空に乗じて、四天下に遊ぶに障碍する所なきが如し。
    かくの如き等を名けて、他力となす。
とある中、『註論入科会解』によれば、
    「四天下」とは、六道・四生なり。「遊」とは、生死にありて此のままながら、
    住不退転の益をうれ ば、永く生死を捨てはてて、即生歓喜の姿なり。
と注釈しています。

 「四天下」とは、生死の世界のこと、「遊ぶ」とは、仏教ばかりでなく東洋においては大切にされてきたものですが、遊戯三昧のこと、自由な心の世界のことです。

 対象化され、固定化された世界、すなわち頭(理知)で考えた世界、これを生死の世界というのですが、この世界にありながら、無心に、素直に宇宙の森羅万象と心かよわせる世界のことです。

 つまり、念仏の世界に生きることです。しかも、禅のように直観的に、刹那的に、この世界に生きるのではなく、生死の世界の中にありながら、再び生死の世界にかえることのない不退転の利益として賜るのです。

  生死にありて、此のままながら……永く生死を捨てはてて、即生歓喜
と、直ちに歓喜の世界に生まれる利益を賜るのですから、理知・理性の立場からは考えることのできないものでありましょう。そして
  かくの如き等を名けて、他力となす。
と、『論註』の「自力他力の相」を説く文は結ばれています。

 この言葉をうけて『註論入科会解』は
  自力に作意することなきを、他力と云うなり。
と、他力とは、ひとえに“よき人の仰せ”、すなわち南無阿弥陀仏によって、少しも自力の作意を働かさないことであると、他力の意味を念を押して述べています。そして次の他力釈の結びの文に入っています。

 『浄土論註』の他力釈の結び
 『論註』は本願他力釈を結んで
    愚かなるかな、後の学者、他力の乗ずべきことを聞いて、まさに信心を生ずべし、
   みずから局分することなかれ。
といっていますが、この文をうけて『註論入科会解』には、
    愚かなるかなとは、鸞師(曇鸞)の自らを先として、末代の今に及ぼすなり。
と注釈しています。

 『論註』の文を表面的にとれば、「愚かな後の学者は自分たちの片よった考え(局分)によって本願他力の教えをうけとってはならない」と戒めている言葉のように考えられるのですが、それでは宗教的感情を失うために、『註論会解』の筆者である真覚師は、「愚かなるかな」を曇鸞大師の悲歎述懐、みずからの愚を深くなげかれている言葉とうけ、また、みずからも、ずっと大師の『浄土論註』を読んで来て、この結びの文に至って、心新しく愚の自覚を深く感じとられたのでありましょう。

 本願念仏の伝承には、「愚」の悲歎を、その根としていることを改めて思うのであります。

 つづいて『論註』の「他力の乗ずべきことを聞いて、まさに信心を生ずべし」をうけて、『註論入科会解』には、願力・他力の意味、すなわち南無阿弥陀仏のいわれを
    聞いて信を生ぜよとすすめたもう、本願の正意なり。
と注釈しています。

 いいかえれば本願の正意は、他力の信を勧めるところにあるので、人問の方から自力をもって計らう事がらではないと、他力釈を結ばれているのであると注釈しています。

 以上で、他力釈は結ばれるのですが、また『論註』の文も終るのであります。

 ふりかえってみれば、龍樹学派のうちにあっても、空思想を力説する三論学派とちがって、中道を説くところの四論学派の学匠として名を成されていた曇鸞大師は、学派を異にする、瑜伽学派の菩提流支によって『観無量寿経』を与えられ、本願の念仏に帰せられました。

 やがて、また菩提流支から天親菩薩の『浄土論』をあたえられることになって、その注釈に生涯をかけ、大成されたのが、私たちが学んできた『浄土論註』であります。

 しかも、この『浄土論註』のはじめに、龍樹菩薩の難行道・易行道を説くにあたり、自力(陸路の旅)他力(海路の船旅)をもってし、今、そのおわりにあたって「自力・他力の相」を明かして他力釈を結ばれていることを思うとき、大師の願いは、ただ本願他力の大道を明らかにすることにあったことを知らされます。

 さらにいえば、この大師の事業は成仏道である大乗仏教を――本願他力に乗ずるとき、直ちに凡夫をはじめとして、十方衆生ことごとく成仏するという――他力の理として示されることにあったのであります。