『教行信証』行の巻の学び
  隠 の 教 学
〈おんのきょうがく〉


     第七章 本願念仏の法門
     七、「一乗海釈」の結びにあたって

 絶対平等なるいのちの世界
 いよいよ結びの文に入ることになります。この結びは短い文ですが、直接には「弘誓一乗海」の利益を讃嘆する章を、また遠くは親鸞聖人の「一乗海釈」の全文をうけて結ぶという意味をもっています。

 すでに学んだごとく聖人は、『教行信証』を書き終ったあと書きくわえられたという特別の事情があるところの「一乗海釈」を結ぶにあたって、「一切の往生人」、すなわちあらゆる求道者に、一乗の法(絶対平等の原理)である本願の念仏をすすめて
  良に奉持すべし、特に頂戴す可きなり。
と結ばれているのですから、この結びのことばには、聖人の深い心のうちを感ぜしめられるものがあります。

 まず「まことに奉持すべし」とは、「教えのごとく敬い信じ、たもちつづけよ」ということ、つぎの「ことに頂戴すべし」とは、「とくに本願の世界に真実門と方便門を用意して、広くよびかけられていることを心して頂かねばならない」とすすめられていることになります。

 ここで考えられることは、本願念仏の世界は阿弥陀仏が願いかけ呼びかけたもう世界ですから、こちらから求める個人的なサトリや救いの世界とは、まったくその性格も、また、その広さ深さもくらべることができない、一乗・絶対平等の世界ですが、このような意味をもつ念仏の世界を、ここに聖人は、ひろく一乗の法(絶対平等の原理)である本願の念仏をすすめられているのであります。

 以上のごとく、曾我先生と「真宗相伝義書」の教えをとおして親鸞聖人の宗教をかえりみるとき、聖人の宗教は他の宗教と争うこともなく、またどのような宗教をも否定することなく、そのまま関わりあい、また呼応しあっていくことができることを学んできたのであります。

 なぜかといえば、「弘誓一乗海」の宗教だからです。すなわちひろく願いかけ(弘誓)、絶対平等の世界(一乗海)をひらく宗教だからです。みずからの宗教心には厳しい姿勢をくずさず、その時代の、あらゆる存在の課題を背おい本願念仏の世界をあきらかにされたのが、親鸞聖人の「誓願一仏乗海釈」であります。

 いかなる宗教であっても、本来的には、親鸞聖人のいわれる「弘誓一乗海」の世界をもっていると感じるのであります。そして現代、あらゆる宗教は出会い、対話をかさねようと努力している事実があります。いのちの絶対平等なる世界、一乗海をいよいよ願うばかりであります。