六要鈔会本 第3巻の(6の内)
 行の巻
 重釈要義
  他力釈
    引文 曇鸞『浄土論註』・元照「観経義疏」
  一乗海釈
    引文 『涅槃経』『華厳経』『大無量寿経』『浄土論』
     『観経疏』『般舟讃』『楽邦文類』
◎=親鸞聖人『教行信証』の文。
〇=存覚『六要抄』の文
『教行信証六要鈔会本』 巻三之四

 ◎言他力者如来本願力也。
 ◎(御自釈)他力と言うは、如来の本願力なり。GYO:J:SYOZEN2-35/HON-193,HOU-308

 〇言他力下是重釈也。SYOZEN2-261/TAI3-415
 〇「言他力」の下はこれ重釈なり。SYOZEN2-261/TAI3-415


 ◎論曰。言本願力者。示大菩薩於法身中常在三昧。而現種種身種種神通種種説法。皆以本願力起。譬如阿修羅琴雖無鼓者。而音曲自然。是名教化地第五功徳相。乃至。
 ◎(論註)論に曰わく、本願力と言うは、大菩薩、法身の中にして常に三昧にありて、種種の身・種種の神通・種種の説法を現じたまうことを示す。みな本願力より起こるをもってなり。たとえば阿修羅の琴の鼓する者なしといえども、音曲自然なるがごとし。これを教化地の第五の功徳相と名づく。乃至。GYO:SYOZEN2-35/HON-193,HOU-308

 〇言論曰者浄土論也。但非論文是註釈也。問。何載註釈言論曰耶。答。若論若釈指之称経。大師解釈已有其例。所謂往生礼讃前序。指観経義云観経説。又玄義分道理破中。鵝鴨譬喩以智論説云如経説。今以註釈直云論曰無其過歟。彼論利行満足章中有五種門。其第五門之解釈也。本論文云。出第五門者。以大慈悲観察一切苦悩衆生。示応化身。回入生死園煩悩林中。遊戯神通。至教化地。以本願力回向故。是名出第五門。(已上論文)。示応化身者。如法華経普門示現之類也。遊戯有二義。一者自在義。菩薩度衆生。譬如獅子搏鹿。所為不難如似遊戯。二者度無所度義。菩薩観衆生畢竟無所有。雖度無量。衆生実無一衆生得滅度者。示度衆生如似遊戯。(已上註文。次下所引尽当章)。本願力者。問。是指如来本願力歟。将指行者本願力歟。答。顕説先指行者願力。雖然自利利他成就。偏依如来本願力故。推功帰本只是仏力。下文所判他利利他分別解釈。可思択之。以之言之。隠説可言仏本願力。如此義趣。第一巻解二種回向。委料簡畢。下解釈云。若因若果無有一事不能利他。而利他言約仏功徳。故所言之本願力者。其功偏為仏本願力。是以本文雖為行者願力。約其本意仏本願力。十八願之成就文。至心回向之料簡等皆此意也。今家解釈大得此意。宜仰信也。SYOZEN2-261,262/TAI3-418,419
 〇「論曰」というは『浄土論』なり。ただ論文にあらず、これ註釈なり。問う。何ぞ註釈を載せて「論曰」というや。答う。もしは論、もしは釈、これを指して経と称す。大師の解釈に已にその例あり。いわゆる『往生礼讃』の前序に『観経義』を指して「観経に説く」という。また『玄義分』の道理破の中に、鵝鴨の譬喩は『智論』の説を以て「経に説くが如し」という。今、註釈を以て直ちに「論曰」という、その過なきか。彼の論の利行満足章の中に五種の門あり。その第五門の解釈なり。本論の文に云わく「出第五門とは大慈悲を以て一切苦悩の衆生を観察す。応化の身を示して生死の園、煩悩の林の中に回入して、神通に遊戯し教化地に至る。本願力回向を以ての故に。これを出第五門と名づく」(已上論文)。「応化身を示す」とは、『法華経』の普門示現の類の如きなり。遊戯に二義あり。一には自在の義、菩薩の衆生を度するを、譬えば獅子の鹿を搏するが如し。所為難らざるがこと、遊戯するがごとし。二には度無所度の義。菩薩、衆生は畢竟じて所有なしと観ず。無量の衆生を度すといえども、実に一衆生として滅度を得る者なし。衆生を度すと示すこと、遊戯するがごとし」(已上註文。次下の所引、当章を尽す)。「本願力」とは、問う、これ如来の本願力を指すか、はた行者の本願力を指すか。答う。顕説には、まず行者の願力を指す。然りといえども、自利利他成就は偏に如来の本願力に依るが故に、功を推して本に帰すれば、ただこれ仏力なり。下の文に判ずる所は他利と利他と分別して解釈す。これを思択すべし。これを以てこれを言うに、隠説には仏の本願力というべし。かくの如き義趣は、第一巻に二種の回向を解すとして委しく料簡し畢わりぬ。下の解釈に「もしは因、もしは果、一事として利他に能わざることあることなし」という。而るに利他の言は仏の功徳に約す。故にいう所の本願力とは、その功は偏えに仏の本願力たり。これを以て本文は行者の願力たりといえども、その本意に約すれば仏の本願力なり。第十八願の成就の文、至心回向の料簡等は皆この意なり。今家の解釈は大いにこの意を得て、宜しく仰信すべきなり。SYOZEN2-261,262/TAI3-418,419


 ◎菩薩入四種門自利行成就。応知成就者謂自利満足也。応知者。謂応知由自利故則能利他。非是不能自利而能利他也。
 ◎(論註)菩薩は四種の門に入りて、自利の行成就したまえり、知るべしと。成就とは、いわく自利満足せるなり。応知というは、いわく自利に由るがゆえにすなわちよく利他す。これ自利にあたわずしてよく利他するにはあらざるなりと。GYO:SYOZEN2-36/-HON-193,HOU-308-

 ◎菩薩出第五門回向利益他行成就。応知成就者謂以回向因証教化地果。若因若果無有一事不能利他也。応知者。謂応知由利他故則能自利。非是不能利他而能自利也。
 ◎(論註)菩薩は第五門に出でて、回向利益他の行成就したまえり、知るべし。成就というは、いわく回向の因をもって教化地の果を証す。もしは因、もしは果、一事として利他にあたわざることあることなしと。応知というは、いわく利他に由るがゆえにすなわちよく自利す、これ利他することあたわずしてよく自利するにはあらざるなりと。GYO:SYOZEN2-36/-HON-193,HOU-308-

 ◎菩薩如是修五門行自利利他。速得成就阿耨多羅三藐三菩提。故仏所得法名為阿耨多羅三藐三菩提。以得此菩提故名為仏。今言速得阿耨多羅三藐三菩提。是得早作仏也。阿名無。耨多羅名上。三藐名正。三名遍。菩提名道。[ガイ01]〈統〉而訳之。名為無上正遍道。無上者。言此道窮理尽性更無過者。何以言之。以正故。正者聖智也。如法相而知故称為正智。法性無相故聖智無知也。遍有二種。一者聖心遍知一切法。二者法身遍満法界。若身若心無不遍也。道者無礙道也。経言。十方無礙人。一道出生死。一道者一無礙道也。無礙者謂知生死即是涅槃。如是等入不二法門無礙相也。
 ◎(論註)菩薩はかくのごとく五門の行を修して、自利利他して、速やかに阿耨多羅三藐三菩提を成就することを得たまえり。ゆえに、仏の得る所の法を名づけて阿耨多羅三藐三菩提とす。この菩提を得たまえるをもってのゆえに、名づけて仏とす。いま速得阿耨多羅三藐三菩提と言えるは、これ早く仏を作ることを得たまえるなり。阿をば無に名づく。耨多羅をば上に名づく。三藐をば正に名づく。三をば遍に名づく。菩提をば道に名づく。[ガイ01]ねてこれを訳して、名づけて無上正遍道とす。無上とは、言うこころは、この道は理を窮め性を尽くすこと、更に過ぎたる者なし。何をもってかこれを言わば、正をもってのゆえに。正とは聖智なり。法相のごとくして知るがゆえに、称して正智とす。法性は相なきゆえに、聖智は無知なり。遍に二種あり。一には、聖心遍、一切の法を知ろしめす。二には法身遍、法界に満てり。もしは身、もしは心、遍ぜざることなきなり。道とは無碍道なり。経(六十華厳経)に言わく、十方無碍人、一道より生死を出でたまえり。一道とは一無碍道なり。無碍とは、いわく生死すなわちこれ涅槃なりと知るなり。かくのごとき等の不二の法門に入るは無碍の相なり。GYO:SYOZEN2-36/-HON-194,HOU-308,309-

 〇経言十方無礙等者。云其経名。云其具文。如下所引。SYOZEN2-262/TAI3-424,425
 〇「経言十方無碍」等とは、その経名といい、その具なる文といい、下の所引の如し。SYOZEN2-262/TAI3-424,425


 ◎問曰。有何因縁言速得成就阿耨多羅三藐三菩提。答曰。論言修五門行以自利利他成就故。然覈求其本。阿弥陀如来為増上縁。他利之与利他。談有左右。若自仏而言。宜言利他。自衆生而言。宜言他利。今将談仏力。是故以利他言之。当知此意也。凡是生彼浄土。及彼菩薩人天所起諸行。皆縁阿弥陀如来本願力故。何以言之。若非仏力。四十八願便是徒設。今的取三願用証義意。
 ◎(論註)問うて曰わく、何の因縁ありてか速得成就阿耨多羅三藐三菩提と言えるや。答えて曰わく、論に、五門の行を修して、もって自利利他成就したまえるがゆえにと言えり。しかるに、覈〈あきらか・まこと〉にその本を求むれば、阿弥陀如来を増上縁とするなり。他利と利他と、談ずるに左右あり。仏よりして言わば、宜しく利他と言うべし。衆生よりして言わば、宜しく他利と言うべし。いま将に仏力を談ぜんとす、このゆえに利他をもってこれを言う。当に知るべし、この意なり。おおよそこれ、かの浄土に生まるると、およびかの菩薩・人・天の所起の諸行は、みな阿弥陀如来の本願力に縁るがゆえなり。何をもってこれを言うとならば、もし仏力にあらずは、四十八願すなわちこれ徒らに設けたまうらん。いま的〈ひと・あきらかに〉しく三願を取りて、用いて義の意を証せん。GYO:SYOZEN2-36,37/-HON-194,195,HOU-309-

 ◎願言。設我得仏。十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念。若不生者不取正覚。唯除五逆誹謗正法。縁仏願力故十念念仏便得往生。得往生故即勉三界輪転之事。無輪転故。所以得速。一証也。
 ◎(論註)願に言わく、設い我仏を得たらんに、十方の衆生、至心・信楽して我が国に生ぜんと欲うて、乃至十念せん。もし生ぜずは正覚を取らじと。ただ五逆と誹謗正法とをば除くと。仏願力に縁るがゆえに、十念念仏してすなわち往生を得。往生を得るがゆえに、すなわち三界輪転の事を勉る。輪転なきがゆえに、このゆえに速やかなることを得る、一の証なり。GYO:SYOZEN2-37/-HON-195,HOU-309,310-

 ◎願言。設我得仏。国中人天不住定聚必至滅度者不取正覚。縁仏願力故住正定聚。住正定聚故必至滅度。無諸回伏之難。所以得速。二証也。
 ◎(論註)願じて言わく、設い我、仏を得たらんに、国の中の人天、定聚に住し必ず滅度に至らずは、正覚を取らじ。仏願力に縁るがゆえに、正定聚に住せん。正定聚に住せるがゆえに、必ず滅度に至りて〈至る〉、もろもろの回伏〈回=かえる。伏=したがう〉の難なし、このゆえに速やかなることを得る、二の証なり。GYO:SYOZEN2-37/-HON-195,HOU-310-

 ◎願言。設我得仏。他方仏土諸菩薩衆。来生我国究竟必至一生補処。除其本願自在所化。為衆生故被弘誓鎧積累徳本。度脱一切遊諸仏国。修菩薩行供養十方諸仏如来。開化恒砂無量衆生。使立無上正真之道。超出常倫。諸地之行現前。修習普賢之徳。若不爾者不取正覚。縁仏願力故超出常倫。諸地之行現前。修習普賢之徳。以超出常倫諸地之行現前故。所以得速。三証也。以斯而推他力。為増上縁得不然乎。
 ◎(論註)願じて言わく、設い我、仏を得たらんに、他方仏土のもろもろの菩薩衆、我が国に来生して、究竟して必ず一生補処に至らしめん。その本願の自ら所化に在りて、衆生のためのゆえに、弘誓の鎧を被〈き〉て、徳本を積累し、一切を度脱して、諸仏の国に遊び、菩薩の行を修して、十方の諸仏如来を供養し、恒沙無量の衆生を開化して、無上正真の道を立せしめんを除く。常倫〈倫=ともがら〉に超出し、諸地の行を現前し、普賢の徳を修習せん。もししからずは正覚を取らじと。仏願力に縁るがゆえに、常倫に超出し、諸地の行現前し、普賢の徳を修習せん。常倫に超出し諸地の行現前するをもってのゆえに、このゆえに速やかなることを得る、三の証なり。これをもって他力を推〈おしておもう〉するに増上縁とす、しからざることを得んや。GYO:SYOZEN2-37/-HON-195,HOU-310-

 ◎当復引例示自力他力相。如人畏三塗故受持禁戒。受持禁戒故能修禅定。以修禅定故修習神通。以神通故能遊四天下。如是等名為自力。又如劣夫跨驢不上。従転輪王行便乗虚空遊四天下。無所障礙。如是等名為他力。愚哉後之学者聞他力可乗当生信心。勿自局分也〈局=古玉反)。已上。
 ◎(論註)当にまた例を引きて、自力・他力の相を示すべし。人、三塗を畏るるがゆえに、禁戒を受持す。禁戒を受持するがゆえに、よく禅定を修す。禅定を修するをもってのゆえに、神通を修習す。神通をもってのゆえに、よく四天下に遊ぶがごとし。かくのごとき等を名づけて自力とす。また、劣夫の、驢に跨〈またが〉りて上らざれども、転輪王の行〈みゆき〉に従えば、すなわち虚空に乗じて四天下に遊ぶに障碍するところなきがごとし。かくのごとき等を名づけて他力とす。愚かなるかな、後の学者、他力の乗ずべきを聞きて、当に信心を生ずべし。自ら局分することなかれとなり〈局=古玉の反。きょく・ちかし・かぎる・せばし〉。已上。GYO:SYOZEN2-37,38/-HON-196,HOU-310

 〇然覈等者。解釈之意如第一鈔。所引願文。初第十八。次第十一。後二十二。第十八願証往生事。是則往相回向之意。第十一願証生彼土於彼起行此二自利。二十二願証生彼土立利他行。是則還相回向之義。如是自利利他成就皆是如来本願力也。SYOZEN2-262/TAI3-436,438
 〇「然覈」等とは、解釈の意は第一の鈔の如し。所引の願文、初は第十八、次は第十一、後は二十二なり。第十八願は往生の事を証す。これ則ち往相回向の意なり。第十一願は彼の土に生ずると彼に於いて行を起こすと、この二の自利を証す。二十二願は彼の土に生じて利他の行を立することを証す。これ則ち還相回向の義なり。かくの如きの自利利他成就は皆これ如来の本願力なり。SYOZEN2-262/TAI3-436,438

 ◎元照律師云。或於此方破惑証真。則運自力故談大小諸経。或往他方聞法悟道須憑他力故説往生浄土。彼此雖異。莫非方便。令悟自心。已上。
 ◎(観経義疏)元照律師の云わく、あるいはこの方にして惑を破し真を証するには、すなわち自力を運ぶべし。ゆえに大小の諸経を談ず。あるいは他方に往〈ゆ・おもむく〉きて法を聞き道を悟るには、須らく他力を憑むべきがゆえに、往生浄土を説く。彼・此異なりといえども、方便して、自心を悟らしむるにあらざることなし。已上。GYO:SYOZEN2-38/HON-196,HOU-311

 〇次元照釈。観経義疏先列義門示総意中。初明教興又有其二。一総明一代教興。二別叙今経教興。今文其初。所引之文次下釈云。洞達諸法然後発大乗意。修菩提道上求下化究竟成仏。以智慧故不住生死。以慈悲故不住涅槃。歴微塵刹示生唱滅説法度生。衆生無尽行願身土亦無有尽。已上。SYOZEN2-262,263/TAI3-460
 〇次に元照の釈、『観経義疏』に、まず義門を列して総意を示す中に、初に教興を明かすに、またその二あり。一には総じて一代の教興を明かし、二には別して今経の教興を叙す。今の文はその初なり。所引の文の次下の釈に云わく「諸法に洞達して、然して後に大乗の意を発し、菩提の道を修して、上求下化し、究竟して成仏す。智慧を以ての故に生死に住せず、慈悲を以ての故に涅槃に住せず。微塵刹を歴りて、生を示し、滅を唱え、法を説き、生を度す。衆生は尽くることなければ、行願身土また尽くることあることなし」已上。SYOZEN2-262,263/TAI3-460


 ◎言一乗海者。一乗者大乗。大乗者仏乗。得一乗者得阿耨多羅三藐三菩提。阿耨菩提者即是涅槃界。涅槃界者即是究竟法身。得究竟法身者則究竟一乗。無異如来。無異法身。如来即法身。究竟一乗者即是無辺不断。大乗無有二乗三乗。二乗三乗者入於一乗。一乗者即第一義乗。唯是誓願一仏乗也。
 ◎(御自釈)一乗海と言うは、一乗は大乗なり。大乗は仏乗なり。一乗を得るとは、阿耨多羅三藐三菩提を得るなり。阿耨菩提とはすなわちこれ涅槃界なり。涅槃界とはすなわちこれ究竟法身なり。究竟法身を得る者は、すなわち一乗を究竟して、如来に異なることなく、法身に異なることなし。如来はすなわち法身なり。一乗を究竟する者は、すなわちこれ無辺不断なり。大乗は、二乗・三乗あることなし。二乗・三乗は、一乗に入らしめんとなり。一乗はすなわち第一義乗なり。ただこれ誓願一仏乗なり。GYO:J:SYOZEN2-38/HON-196,197,HOU-311

 〇次私御釈。是顕己心中領解深義。特応信受。SYOZEN2-263/TAI3-463
 〇次に私の御釈なり。これ己心中の領解の深義を顕わす。特に信受すべし。SYOZEN2-263/TAI3-463


 ◎涅槃経言。善男子。実諦者名曰大乗。非大乗者不名実諦。善男子。実諦者是仏所説。非魔所説。若是魔説非仏説。不名実諦。善男子。実諦者一道清浄無有二也。已上。
 ◎『涅槃経』(聖行品)に言わく、善男子、実諦は名づけて大乗と曰う。大乗にあらざるものは実諦と名づけず。善男子、実諦はこれ仏の所説なり、魔の所説にあらず。もしこれ魔説は仏説にあらざれば、実諦と名づけず。善男子、実諦は一道清浄にして、二あることなし。已上。GYO:SYOZEN2-38/HON-197,HOU-311

 ◎又言。云何菩薩信順一実。菩薩了知一切衆生皆帰一道。一道者謂大乗也。諸仏菩薩為衆生故分之為三。是故菩薩信順不逆。已上。
 ◎(涅槃経・徳王品)また言わく、いかんが菩薩、一実に信順する。菩薩は、一切衆生をしてみな一道に帰せしめんと了知するなり。一道はいわく大乗なり。諸仏菩薩は、衆生のためのゆえに、これを分かちて三とす。このゆえに菩薩、不逆に信順すと。已上。GYO:SYOZEN2-38/HON-197,HOU-311,312

 ◎又言。善男子。畢竟有二種。一者荘厳畢竟。二者究竟畢竟。一者世間畢竟。二者出世畢竟。荘厳畢竟者六波羅蜜。究竟畢竟者一切衆生所得一乗。一乗者名為仏性。以是義故我説一切衆生悉有仏性。一切衆生悉有一乗。以無明覆故不能得見。已上。
 ◎(涅槃経・師子吼品)また言わく、善男子、畢竟に二種あり。一には荘厳畢竟、二には究竟畢竟なり。一には世間畢竟、二には出世畢竟なり。荘厳畢竟というは六波羅蜜なり。究竟畢竟というは一切衆生の得るところの一乗なり。一乗は名づけて仏性とす。この義をもってのゆえに、我、一切衆生悉有仏性と説くなり。一切衆生ことごとく一乗あり。無明覆えるをもってのゆえに、見ることを得ることあたわず。已上。GYO:SYOZEN2-38,39/HON-197,HOU-312

 ◎又言。云何為一。一切衆生悉一乗故。云何非一。説三乗故。云何非一非非一。無数法故。已上。
 ◎(涅槃経・師子吼品)また言わく、いかんが一とする、一切衆生ことごとく一乗なるがゆえに。いかんが非一なる、三乗を説くがゆえに。いかんが非一・非非一なる、無数の法なるがゆえなり。已上。GYO:SYOZEN2-39/HON-197,HOU-312

 〇次涅槃経文。所引有四。問。此等経文不説弥陀如来功徳。何引之耶。答。一往誠然。但有深意。一代教文隠顕雖殊。併説弥陀済凡利生。得此意時諸文無違。以之言之。或云一道。或云一実。或云一乗。潜顕念仏一乗之理。粗明浄土一実之義。遙説清閑一道之利。弥陀妙果号曰無上涅槃。念仏即是涅槃門。涅槃誠説豈以不存弥陀利生。二教論云。諸経論中往往有斯義。雖然文随執見隠義逐機根現。已上。雖無念仏醍醐之文。選択集云。若非念仏三昧醍醐之薬者。五逆深重病甚為難治。已上。況於念仏正有一乗一道等釈。以此等説和会有由。引証智解仰可信受。SYOZEN2-263/TAI3-478,479
 〇次に『涅槃経』の文なり。所引に四あり。問う。これ等の経文は弥陀如来の功徳を説かず、何ぞこれを引くや。答う。一往は誠に然り。ただし深意あり。一代の教文、隠顕は殊なりといえども、しかしながら弥陀済凡の利生を説く。この意を得る時、諸文は違することなし。これを以てこれを言うに、或いは一道といい、或いは一実といい、或いは一乗という。潜かに念仏一乗の理を顕わし、ほぼ浄土一実の義を明かし、遙かに清閑一道の利を説く。弥陀の妙果を号して無上涅槃という。念仏は即ちこれ涅槃の門なり。涅槃の誠説、あに以て弥陀の利生を存せざらんや。『二教論』に云わく「諸経論の中に往往にこの義あり。然りといえども文は執見に随いて隠れ、義は機根を逐いて現ず」已上。念仏醍醐の文なしといえども、『選択集』に云わく「もし念仏三昧は醍醐の薬にあらず、五逆深重の病は甚だ治し難しと為す」已上。況んや念仏に於いて、正しく一乗一道等の釈あり。これ等の説を以て和会するに由あり。引証の智解、仰いで信受すべし。SYOZEN2-263/TAI3-478,479

 ◎華厳経言。文殊法常爾。法王唯一法。一切無礙人。一道出生死。一切諸仏身。唯是一法身。一心一智慧。力無畏亦然。已上。
 ◎『華厳経』に言わく、文珠の法は常にしかなり。法王はただ一法なり。一切無碍人は一道より生死を出でたまえり。一切諸仏の身、ただこれ一法身なり。一心・一智慧なり。力・無畏もまたしかなりと。已上。GYO:SYOZEN2-39/HON-197,HOU-312

 〇次華厳文。六十華厳難明品文。問。此文上引。何重引耶。答。上引論註。彼註引故依載註文不除此文。今故引之具出前後。故非繁重。所引下云。随衆生本行求無上菩提。仏刹及衆会説法悉不同。已上。SYOZEN2-263/TAI3-492
 〇次に『華厳』の文なり。『六十華厳』難明品の文なり。問う。この文は上に引く。何ぞ重ねて引くや。答う。上には『論註』を引く。彼の註に引くが故に、註文を載するに依りて、この文を除かず。今ことさらにこれを引きて、具に前後を出だす。故に繁重にあらず。所引の下に云わく「衆生の本行に随いて無上菩提を求む。仏刹及び衆会説法は悉く同じからず」已上。SYOZEN2-263/TAI3-492


 ◎爾者斯等覚悟。皆以安養浄刹之大利仏願難思之至徳也。
 ◎(御自釈)しかれば、これ等の覚悟は、みなもって安養浄刹の大利、仏願難思の至徳なり。GYO:J:SYOZEN2-39/HON-198,HOU-312

 〇次私御釈。爾者等者。結上文等標弥陀徳。領解意也。SYOZEN2-263/TAI3-496
 〇次に私の御釈なり。「爾者」等とは、上の文等を結して弥陀の徳を標す。領解の意なり。SYOZEN2-263/TAI3-496


 ◎言海者。従久遠已来。転凡聖所修雑修雑善川水。転逆謗闡提恒沙無明海水。成本願大悲智慧真実恒沙万徳大宝海水。喩之如海也。良知。如経説言煩悩氷解成功徳水。已上。
 ◎(御自釈)海と言うは、久遠よりこのかた、凡聖所修の雑修雑善の川水を転じ、逆謗闡提恒沙無明の海水を転じて、本願大悲智慧真実恒沙万徳の大宝海水と成す、これを海のごときに喩うるなり。良に知りぬ、経に説きて、煩悩の氷解けて功徳の水と成ると言えるがごとし。已上。GYO:J:SYOZEN2-39/HON-198,HOU-312,313

 ◎願海者。不宿二乗雑善中下屍骸。何況宿人天虚仮邪偽善業・雑毒雑心屍骸乎。
 ◎(御自釈)願海とは二乗雑善の中下の屍骸を宿さず。いかにいわんや、人天の虚仮邪偽の善業、雑毒雑心の屍骸を宿さんや。GYO:J:SYOZEN2-39/HON-198,HOU-313

 〇不宿二乗雑善等者。借論註言。粗述仏智純浄功徳。論註文言見下所引。SYOZEN2-263,264/TAI3-499
 〇「不宿二乗雑善」等とは、『論註』の言を借りて、ほぼ仏智純浄の功徳を述ぶ。『論註』の文言は下の所引に見えたり。SYOZEN2-263,264/TAI3-499


 ◎故大本言。声聞或菩薩。莫能究聖心。譬如従生盲。欲行開導人。如来智慧海。深広無涯底。二乗非所惻。唯仏独明了。已上。
 ◎故に『大本』(大経)に言わく、声聞あるいは菩薩、よく聖心を究むることなし。たとえば生まれてより盲たるものの、行て人を開導せんと欲うがごとし。如来の智慧海は深広にして涯底なし。二乗の測るところにあらず、ただ仏のみ、独り明らかに了りたまえりと。已上。GYO:SYOZEN2-39,40/HON-198,HOU-313

 〇次大経文三十偈説。釈迦讃嘆有三文段。其中第二仏智難思又有二文。是初二衆不測文也。声聞等者是則法説。譬如以下説喩弁之。二乗等者。問。上文説云菩薩莫窮。今云二乗。如此文者除菩薩歟。何相違耶。答。此有二義。一義云。指上声聞菩薩二衆謂之二乗。辟支仏者属声聞衆。三乗之衆皆不測故。一義云。上挙菩薩不挙縁覚。今出支仏。不挙菩薩影略互顕。所顕三乗不測之義趣也。浄影疏云。初有七句之文。明諸声聞菩薩不測。已上。是順初義。上言声聞菩薩二衆下結二乗。文言道理相叶者乎。SYOZEN2-263,264/TAI3-499、507,508
 〇次に『大経』の文は三十偈の説なり。釈迦の讃嘆に三の文段あり。その中の第二仏智難思にまた二文あり。これ初の二衆不測の文なり。「声聞」等とは、これ則ち法説なり。「譬如」以下は喩を説きてこれを弁ず。「二乗」等とは、問う、上の文には説きて「菩薩莫窮」という。今は「二乗」という。この文の如きは菩薩を除くか。何ぞ相違せるや。答う。これに二義あり。一義に云わく、上の声聞・菩薩の二衆を指して、これを二乗という。辟支仏は声聞衆に属す。三乗の衆は皆測らざるが故に。一義に云わく、上には菩薩を挙げて縁覚を挙げず。今は支仏を出だして、菩薩を挙げず、影略互顕して三乗不測の義趣を顕わす所なり。浄影の疏に云わく「初に七句の文あり。諸の声聞・菩薩の不測を明かす」已上。これは初の義に順ず。上に「声聞菩薩二衆」といいて、下に「二乗」と結す。文言道理あい叶うものか。SYOZEN2-263,264/TAI3-499、507,508


 ◎浄土論曰。何者荘厳不虚作住持功徳成就。偈言。観仏本願力。遇無空過者。能令速満足功徳大宝海故。不虚作住持功徳成就者。蓋是阿弥陀如来本願力也。今当略示虚空〈作〉之相不能住持。用顕彼不虚作住持之義。乃至。所言不虚作住持者。依本法蔵菩薩四十八願・今日阿弥陀如来自在神力。願以成力。力以就願。願不徒然。力不虚設。力願相府畢竟不差。故曰成就。
 ◎(論註)『浄土論』に曰わく、何者か荘厳不虚作住持功徳成就、偈に、仏の本願力を観ずるに、遇うてむなしく過ぐる者なし、よく速やかに功徳の大宝海を満足せしむがゆえにと言えり。不虚作住持功徳成就とは、けだしこれ阿弥陀如来の本願力なり。今まさに略して、虚空〈作〉の相にして住持にあたわざるを示して、用てかの不虚作住持の義を顕す。乃至。言うところの不虚作住持とは、本の法蔵菩薩の四十八願と、今日の阿弥陀如来の自在神力とに依る。願は以て力を成ず、力は以て願に就く。願、徒然ならず、力、虚設ならず。力・願あい符うて畢竟じて差わず。故に成就と曰う。GYO:SYOZEN2-40/HON-198,199,HOU-313

 〇次浄土論文。問。此文引上。何重出耶。答。如已前述。此書只是要文集也。不痛繁重。依要引之。其旨載上。其上上文偏載論文。今加註言。非無差別。SYOZEN2-264/TAI3-510,512
 〇次に『浄土論』の文なり。問う。この文は上に引く、何ぞ重ねて出だすや。答う。已に前に述ぶるが如し。この書はただこれ要文集なり。繁重を痛まず。要に依りてこれを引く。その旨は上に載せたり。その上、上の文は偏えに論の文を載せたり。今は註の言を加う。差別なきにあらず。SYOZEN2-264/TAI3-510,512


 ◎又曰。海者。言仏一切種智深広無涯。不宿二乗雑善中下屍骸。喩之如海。是故言天人不動衆清浄智海生。不動者。言彼天人成就大乗根不可傾動也。已上。
 ◎(論註)また曰わく、海とは、言うこころは、仏の一切種智は深広にして涯〈きし〉なし、二乗雑善の中下の屍骸を宿さず、これを海のごとしと喩う。このゆえに、天人不動衆 清浄智海生と言えり。不動とは、言うこころは、かの天人、大乗根を成就して傾動すべからざるなり。已上。GYO:SYOZEN2-40/HON-199,HOU-313,314

 〇又曰等者。荘厳衆功徳成就文也。不宿等者。如来清浄智海之中。不雑二乗雑善之意也。言中下者。三乗之中縁覚為中。声聞為下。言死骸者。本文用尸。今為骸字。有異本歟。智度論明海有八種不思議。中不宿死尸其一徳也。是故喩之。SYOZEN2-264/TAI3-515
 〇「又曰」等とは荘厳衆功徳成就の文なり。「不宿」等とは如来清浄智海の中に二乗の雑善を雑せずの意なり。「中下」というは、三乗の中に縁覚を中と為し、声聞を下と為す。「死骸」というは、本文には「尸」を用う。今は「骸」の字たり。異本あるか。『智度論』に海に八種の不思議あることを明かす中に、死尸を宿さざることは、その一の徳なり。この故にこれを喩う。SYOZEN2-264/TAI3-515


 ◎光明師云。我依菩薩蔵頓教一乗海。
 ◎(玄義分)光明師の云わく、我、菩薩蔵、頓教と一乗海とに依る。GYO:SYOZEN2-40/HON-199,HOU-314

 〇光明師者。京師大師。就寺立名。二文之中。初観経義玄義分初勧衆偈文。菩薩蔵者。二蔵教意対声聞蔵。言頓教者是対漸教。一乗海者是対三乗。是就観経且判此義。総而言之可亘三部。SYOZEN2-264/TAI3-518
 〇「光明師」とは京師大師、寺に就きて名を立つ。二文の中に、初は『観経義玄義分』の初の勧衆偈の文なり。「菩薩蔵」とは二蔵教の意、声聞蔵に対す。「頓教」というは、これ漸教に対す。「一乗海」とは、これ三乗に対す。これ『観経』に就きて、且くこの義を判ず。総じてこれを言わば、三部に亘るべし。SYOZEN2-264/TAI3-518


 ◎又云。瓔珞経中説漸教。万劫修功証不退。観経弥陀経等説。即是頓教菩提蔵。已上。
 ◎(般舟讃)また云わく、『瓔珞経』の中には漸教を説けり。万劫、功を修して不退を証す。『観経』『弥陀経』等の説は、すなわちこれ頓教なり、菩提蔵なりと。已上。SYOZEN2-40/GYO:HON-199,HOU-314

 〇次又云者。般舟讃文。瓔珞等者。此経二巻。菩薩修入五十二位歴却修行整足明之。天台云。瓔珞偏存別門。已上。彼経雖説頓漸二門。随其本意如此判之。証不退者。是処不退及三不退。是約始終。菩提蔵者。依四乗意指仏乗也。又有異本云菩薩蔵。各無違失。SYOZEN2-264,265/TAI3-518
 〇次に「又云」とは『般舟讃』の文なり。「瓔珞」等とは、この経は二巻なり。菩薩の修入、五十二位歴却の修行、整足してこれを明かす。天台の云わく「瓔珞は偏に別門を存す」已上。彼の経には頓漸の二門を説くといえども、その本意に随えて、かくの如くこれを判ず。「証不退」とは、これ処不退及び三不退なり。これ始終に約す。「菩提蔵」とは四乗の意に依りて仏乗を指すなり。また異本ありて「菩薩蔵」という。各違失なし。SYOZEN2-264,265/TAI3-518

 ◎楽邦文類云。宗釈禅師云。[カン08]丹一粒変鉄成金。真理一言転悪業成善業。已上。
 ◎『楽邦文類』に云わく、宗釈禅師(宗暁)の云わく、[カン08]丹の一粒は鉄を変じて金と成す。真理の一言は悪業を転じて善業と成すと。已上。GYO:SYOZEN2-40/HON-199,HOU-314

 〇次楽邦文類釈。第四巻文。言宗釈者釈字恐誤。此書作主宗暁詞也。真理等者。問。真理之言指理法歟。何嘆念仏引此文耶。答。今所引。依姑蘇法雲宝珠集意。載明命終請僧正得念仏感応篇章之後。宗暁所記十行余中最初詞也。嘆念仏徳有何疑耶。言[カン08]丹者。是薬名也。以弥陀法喩此良薬。即所引之次下釈云。弥陀教観真点鉄成金之妙薬也。彼仏自塵点劫来修行。成身成国発四十八願。終能克果。威徳光明不可思議。已上。所言真理文言無諍。是指弥陀如来功徳名号。則是三身三諦三徳秘蔵功徳故也。SYOZEN2-265/TAI3-521,522
 〇次に『楽邦文類』の釈。第四巻の文なり。「宗釈」というは「釈」の字は恐らくは誤りなり。この書の作主宗暁の詞なり。「真理」等とは、問う、真理の言は理法を指すか。何ぞ念仏を嘆じてこの文を引くや。答う。今の所引は姑蘇の法雲の『宝珠集』の意に依りて、命終に僧を請じて正しく念仏の感応を得ることを明かす篇章に載せて後、宗暁の記する所の十行余の中の最初の詞なり。念仏の徳を嘆ずること、何の疑いかあらんや。言[カン08]丹とはこれ薬の名なり。弥陀の法を以てこの良薬に喩う。即ち所引の次下の釈に云わく「弥陀の教観は真に鉄を点じて金を成すの妙薬なり。彼の仏は塵点劫よりこのかた修行して、身を成じ国を成じて、四十八願を発して終に能く克果す。威徳光明不可思議なり」已上。言う所の真理文言、諍うことなく、これ弥陀如来の功徳名号を指す。則ちこれ三身・三諦・三徳の秘蔵の功徳なるが故なり。SYOZEN2-265/TAI3-521,522