六要鈔会本 第5巻の(9の内)
 信の巻
重釈要義
抑止文釈
  難治機
    引文 『涅槃経』「梵行品」
◎=親鸞聖人『教行信証』の文。
〇=存覚『六要抄』の文
『教行信証六要鈔会本』 巻五之七

 ◎又言。善男子。如我所言。為阿闍世王不入涅槃。如是蜜義。汝未能解。何以故。我言為者。一切凡夫。阿闍世王者。普及一切造五逆者。又復為者。即是一切有為衆生。我終不為無為衆生而住於世。何以故。夫無為者非衆生也。阿闍世者即是具足煩悩等者。又復為者。即是不見仏性衆生。若見仏性。我終不為久住於世。何以故。見仏性者非衆生也。阿闍世者即是一切未発阿耨多羅三藐三菩提心者。乃至。又復為者。名為仏性。阿闍者名為不生。世者名怨。以不生仏性故則煩悩怨生。煩悩怨生故不見仏性。以不生煩悩故則見仏性。以見仏性故則得安住大般涅槃。是名不生。是故名為阿闍世。善男子。阿闍者名不生。不生者名涅槃。世名世法。為者名不汚。以世八法所不汚故。無量無辺阿僧祇劫不入涅槃。是故我言為阿闍世無量億劫不入涅槃。善男子。如来蜜語不可思議。仏・法・衆僧亦不可思議。菩薩摩訶薩亦不可思議。大涅槃経亦不可思議。
 ◎(涅槃経・梵行品)また言わく、善男子、我が言うところのごとし、阿闍世王の為に涅槃に入らず。かくのごときの密義は、汝未だ解することあたわず。何をもってのゆえに、我、為と言うは一切凡夫なり。阿闍世は普く一切の五逆を造る者に及ぶ。また為とは、すなわちこれ一切有為の衆生なり。我ついに無為の衆生のためにして世に住せず。何をもってのゆえに。それ無為とは衆生にあらざるなり。阿闍世は、すなわちこれ煩悩等を具足せる者なり。また為とは、すなわちこれ仏性を見ざる衆生なり。もし仏性を見んものには、我ついにために久しく世に住せず。何をもってのゆえに、仏性を見る者は衆生にあらざるなり。阿闍世とは、すなわちこれ一切、未だ阿耨多羅三藐三菩提心を発せざる者なり。乃至。また為とは、名づけて仏性とす。阿闍は、名づけて不生とす。世は、怨に名づく。仏性を生ぜざるをもってのゆえに、すなわち煩悩の怨生ず。煩悩の怨生ずるがゆえに、仏性を見ざるなり。煩悩を生ぜざるをもってのゆえに、すなわち仏性を見る。仏性を見るをもってのゆえに、すなわち大般涅槃に安住することを得。これを不生と名づく。このゆえに名づけて阿闍世とす。善男子、阿闍とは不生に名づく。不生とは涅槃と名づく。世をは世法に名づく。為は不汚に名づく。世の八法をもって汚さざるところなるがゆえに、無量・無辺・阿僧祇劫に涅槃に入らずと。このゆえに我、阿闍世の為に無量億劫に涅槃に入らずと言えり。善男子、如来の密語、不可思議なり。仏・法・衆僧、また不可思議なり。菩薩摩訶薩もまた不可思議なり。『大涅槃経』もまた不可思議なり。SIN:SYOZEN2-87,88/HON-259,260,HOU-372,373-

 ◎爾時世尊大悲導師。為阿闍世王入月愛三昧。入三昧已放大光明。其光清涼。往照王身。身瘡即愈。乃至。王言耆婆〈白王言耆婆〉。彼天中天。以何因縁放斯光明。耆婆答言。大王。今是瑞相相似為及。以王先言世無良医療治身心故。放此光先治王身。然後及心。王言耆婆〈白王言耆婆〉。如来世尊亦見念邪。耆婆答言。譬如一人而有七子。是七子中遇病。火母之心非不平等。然於病子心則偏重。大王。如来亦爾。於諸衆生非不平等。然於罪者心則偏重。於放逸者仏則慈念。不放逸者心則放捨。何等名為不放逸者。謂六住菩薩。大王。諸仏世尊於諸衆生不観種姓老少中年貧富時節日月星宿工巧下賎僮僕婢使。唯観衆生有善心者。若有善心則便慈念。大王当知。如是瑞相即是如来入月愛三昧所放光明。王即問言。何等名為月愛三昧。耆婆答言。譬如月光能令一切優鉢羅華開敷鮮明。月愛三昧亦復如是能令衆生善心開敷。是故名為月愛三昧。大王。譬如月光能令一切行路之人心生歓喜。月愛三昧亦復如是。能令修習涅槃道者心生歓喜。是故復名月愛三昧。乃至。諸善中王。為甘露味。一切衆生之所愛楽。是故復名月愛三味。乃至。
 ◎(涅槃経・梵行品)その時に、世尊大悲導師、阿闍世王のために月愛三昧に入りたまう。三昧に入り已りて大光明を放つ。その光清涼にして、往きて王身を照らしたまうに、身の瘡すなわち癒えぬ。乃至。王言さく〈王に白して言さく〉、耆婆、彼は天中の天なり。何の因縁をもってこの光明を放ちたまうや。耆婆答えて言わく、大王、今この瑞相は為に及ぼすにあい似たり。王、先に、世に良医の身心を療治するものなしと言うをもっての故に、この光を放ちて先ず王の身を治す。しかして後に心に及ぼす。王の耆婆に言わまく、如来世尊もまた見たてまつらんと念うをやと。耆婆答えて言わく、たとえば一人にしかも七子あらん。この七子の中に、病に遇えば、父母の心平等ならざるにあらざれども、しかも病子において心すなわち偏に重からんがごとし。大王、如来もまた爾なり。もろもろの衆生において平等ならざるにあらざれども、しかるに罪ある者において心すなわち偏に重し。放逸の者において仏すなわち慈悲の念を生ず。不放逸の者は心すなわち放捨す。何等をか名づけて不放逸の者とすると。謂わく六住の菩薩なりと。大王、諸仏世尊は、もろもろの衆生において、種姓、老、少、中年、貧富、時節、日月、星宿、工巧、下賎、僮僕、婢使を観そなわさず。ただ衆生の善心ある者を観そなわしたまう。もし善心あれば、すなわち慈念したまう。大王、当に知るべし、かくのごときの瑞相は、すなわちこれ如来、月愛三昧に入りて放ちたまうところの光明なり。王すなわち問うて言わまく、何等をか名づけて月愛三昧とすると。耆婆答えて言さく、たとえば月光よく一切の優鉢羅華をして開敷し鮮明ならしむるがごとし。月愛三昧もまたかくのごとし、よく衆生をして善心開敷せしむ。このゆえに名づけて月愛三昧とす。大王、たとえば月の光よく一切の路を行く人の心に歓喜を生ぜしむるがごとし。月愛三昧もまたかくのごとし。よく涅槃道を修習せん者をして心に歓喜を生ぜしむ。このゆえにまた月愛三昧と名づくと。乃至。諸善の中の王なり。甘露味とす。一切衆生の愛楽するところなり。このゆえにまた月愛三昧と名づくと。乃至。SIN:SYOZEN2-88/-HON-260,261,HOU-373,374-

 ◎爾時仏告諸大衆言。一切衆生為阿耨多羅三藐三菩提近因縁者。無先善友。何以故。阿闍世王若不随順耆婆語者。来月七日必定命終堕阿鼻獄。是故近日〈因〉。莫若善友。
 ◎(涅槃経・梵行品)その時に、仏、もろもろの大衆に告げて言わく、一切衆生、阿耨多羅三藐三菩提のために近き因縁とは、善友より先なるはなし。何をもってのゆえに。阿闍世王、もし耆婆の語に随順せずは、来月の七日に必定して命終して阿鼻獄に堕せん。このゆえに日に近づかんこと〈この故に近き因は〉、善友にしくはなし。SIN:SYOZEN2-88,89/-HON-261,HOU-374-

 ◎阿闍世王復於前路聞。舎婆提毘瑠璃王。乗船入海辺。遇火而死。瞿伽離比丘。生身入地至阿鼻獄。須那刹多作種種悪。到於仏所衆罪消滅。聞是語已。語耆婆言。吾今雖聞如是二語。猶未審。定汝来。耆婆。吾欲与汝同載一象。設我当入阿鼻地獄。冀汝投持不令我堕。何以故。吾昔曽聞得道之人不入地獄。乃至。
 ◎(涅槃経・梵行品)阿闍世王また前路において舎婆提に聞く、毘瑠璃王〈聞く、舎婆提の毘瑠璃王〉、船に乗じて海辺に入るに、災して死ぬ。瞿伽離比丘、生身に、地に入りて阿鼻獄に至れり。須那刹多は、種種の悪を作りしかども、仏所に到りて衆罪消滅しぬと。この語を聞き已りて、耆婆に語りて言わく、吾今かくのごときのふたりの語を聞くといえども、なお未だ審かならず。定んで汝来れり、耆婆、吾、汝と同じく一象に載らんと欲う。たとい我まさに阿鼻地獄に入るとも、冀〈ねが〉わくは汝捉持〈投持〉して、我をして堕さしめざれと。何をもってのゆえに。吾昔かつて、得道の人は地獄に入らずと聞きき。乃至。SIN:SYOZEN2-89/-HON-261,HOU-374-

 ◎云何説言定入地獄。仏告大王。一切衆生所作罪業凡有二種。一者軽。二者重。若心口作則名為軽。身口心作則名為重。大王。心念口説身不作者。所得報軽。大王。昔日口不勅殺。但言削足。大王若勅侍臣。立斬王首。坐時乃斬。猶不得罪。況王不勅。云何得罪。王若得罪。諸仏世尊亦応得罪。何以故。汝父先王頻婆沙羅。常於諸仏種諸善根。是故今日得居王位。諸仏若不受其供養。則不為王。若不為王。汝則不得為国生害。若汝殺父当有罪者。我等諸仏亦応有罪。若諸仏世尊無得罪者。汝独云何而得罪邪。
 ◎(涅槃経・梵行品)云何ぞ説きて定んで地獄に入ると言わん。仏、大王に告げたまわく、一切衆生の所作の罪業におよそ二種あり。一には軽、二には重なり。もし心と口とに作るは、すなわち名づけて軽とす。身と口と心とに作るは、すなわち名づけて重とすと。大王、心に念い口に説きて身に作さざれば、得るところの報、軽なり。大王、むかし口に殺せよと勅せず、ただ足を削れと言えりと。大王、もし侍臣に勅せましかば、立ちどころに王の首を斬らまし。坐〈つみ〉の時にすなわち斬るとも、なお罪を得じ。いわんや王勅せず、云何ぞ罪を得ん。王もし罪を得ば、諸仏世尊もまた罪を得たまうべし。何をもってのゆえに。汝が父、先王頻婆沙羅、常に諸仏においてもろもろの善根を種えたりき。このゆえに今日王位に居することを得たり。諸仏もしその供養を受けたまわずは、すなわち王とならざらまし。もし王とならざらましかば、汝すなわち国のために害を生ずることを得ざらまし。もし汝父を殺して当に罪あるべくは、我等諸仏もまた罪あるべし。もし諸仏世尊、罪を得たまうことなくんば、汝独り云何ぞ罪を得んや。SIN:SYOZEN2-89/-HON-261,262,HOU-374,375-

 ◎大王。頻婆沙羅往有悪心。於毘富羅山遊行。射猟鹿周遍曠野。悉無所得。唯見一仙五通具足。見已即生瞋恚悪心。我今遊猟。所以不得正坐。此人駈逐令去。即勅左右而令殺之。其人臨終生瞋。悪心退失神通。而作誓言。我実無辜。汝以心口横加戮害。我於来世亦当如是還以心口而害於汝命。時王聞已。即生悔心供養死屍。先王如是尚得軽受不堕地獄。況王不爾而当地獄受果報邪。先王自作還自受之。云何令王而得殺罪。如王所言父王無辜者。大王云何言無失。有罪者則有罪報。無悪業者則無罪報。汝父先王若無辜罪。云何有報。頻婆沙羅於現世中亦得善果及以悪果。是故先王亦復不定。以不定故殺亦不定。殺不定云何而言定入地獄。
 ◎(涅槃経・梵行品)大王、頻婆沙羅むかし悪心ありて、毘富羅山にして遊行し、鹿を射猟して曠野に周遍せしに、ことごとく得るところなし。ただひとりの仙、五通具足せるを見る。見已りてすなわち瞋恚悪心を生じて、我今遊猟す、このゆえにまさしく坐〈つみ〉を得ず、この人、駆〈か〉りて逐に去らしむ〈得ざるゆえんは、まさしくこの人、駆〈か〉り逐〈お〉うて去らしむるに坐〈ざ〉す〉。すなわち左右に勅してこれを殺さしむ。その人、臨終に瞋〈いか〉りて悪心を生ず。神通を退失して、しかして誓言を作さく、我実に辜なし。汝、心口をもって横に戮害を加す。我来世において、また当にかくのごとく還りて心口をもってして汝命を害すべしと。時に王聞き已りて、すなわち悔心を生じて、死屍を供養しき。先王かくのごとく、なお軽く受くることを得て、地獄に堕ちず。いわんや王はしからずして当に地獄の果報を受くべけんや。先王自ら作りて還りて自らこれを受く。いかんぞ王をして殺罪を得しめんや。王の言うところのごとし。父の王辜なくは、大王いかんぞ失なきに罪ありと言わば、すなわち罪報あらん。悪業なくは、すなわち罪報なけん。汝が父先王、もし辜罪なくは、いかんぞ報あらん。頻婆沙羅、現世の中において、また善果および悪果を得たり。このゆえに先王もまた不定なり。不定をもってのゆえに、殺もまた不定なり。殺不定ならば、云何して定んで地獄に入ると言わん。SIN:SYOZEN2-89,90/-HON-262,263,HOU-375-

 ◎大王。衆生狂惑凡有四種。一者貪狂。二者薬狂。三者呪狂。四者本業縁狂。大王。我弟子中有是四狂。雖多作悪。我終不記是人犯戒。是人所作不至三悪。若還得心亦不言犯。王本貪国。此逆害父王貪狂心与作。云何得罪。大王。如人耽酔逆害其母。既醒悟已心生悔恨。当知是業亦不得報。王今貪酔。非本心作。若非本心。云何得罪。
 ◎(涅槃経・梵行品)大王、衆生の狂惑におよそ四種あり。一には貪狂、二には薬狂、三には呪狂、四には本業縁狂なり。大王、我が弟子の中にこの四狂あり。多く悪を作るといえども、我ついにこの人犯戒なりと記せず。この人の所作、三悪に至らず。もし還りて心を得ば、また犯と言わず。王、もと、国を貪してこれ父の王を逆害す。貪狂の心をもって与に作せり。いかんぞ罪を得ん。大王、人の耽酔してその母を逆害せん、すでに醒悟し已りて心に悔恨を生ずるがごとし。当に知るべし。この業もまた報を得じ。王今貪酔せり。本心の作せるにあらず。もし本心にあらずは、いかんぞ罪を得んや。SIN:SYOZEN2-90/-HON-263,HOU-375,376-

 ◎大王。譬如幻師於四衢道頭。幻作種種男女象馬瓔珞衣服。愚癡之人謂為真実。有智之人知非真。殺亦如是。凡夫謂実諸仏世尊知其非真。大王。譬如山谷響声。愚癡之人謂之実声。有智之人知其非真〈真有〉殺亦如是。凡夫謂実。諸仏世尊知其非真。大王。如人有怨詐来親附。愚癡之人謂為真実〈実親〉。智者了達乃知其虚詐。殺亦如是。凡夫謂実。諸仏世尊知其非真。大王。如人執鏡自見面像。愚癡之人謂為真面。智者了達知其非真。殺亦如是。凡夫謂実。諸仏世尊知其非真。大王。如熱時炎。愚癡之人謂之是水。智者了達知其非水。殺亦如是。凡夫謂実。諸仏世尊知其非真。大王。如乾闥婆城。愚癡之人謂為真実。智者了達知其非真。殺亦如是。凡夫為〈謂〉実。諸仏世尊了知其非真。大王。如人夢中受五欲楽。愚癡之人謂之為実。智者了達知其非真。殺亦如是。凡夫謂実。諸仏世尊知其非真。大王。殺法・殺業・殺者・殺果。及以解脱。我皆了之。則無有罪。王雖知殺。云何有罪。大王。譬如有人主知典酒。如其不飲則亦不酔。雖復知火不焼燃。王亦如是。雖復知殺。云何有罪。大王。有諸衆生。於日出時作種種罪。於月出時復行劫盗。日月不出則不作罪。雖因日月令其作罪。然此日月実不得罪。殺亦如是。乃至。
 ◎(涅槃経・梵行品)大王、たとえば幻師の、四衢道の頭にして種種の男女・象馬・瓔珞・衣服を幻作するがごとし。愚痴の人は謂〈おも〉って真実とす。有智の人は真有〈真〉にあらずと知れり。殺〈有殺〉もまたかくのごとし。凡夫は実と謂〈おも〉えり、諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、たとえば山谷の響の声のごとし。愚痴の人はこれを実の声と謂えり、有智の人はそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂えり、諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、人の怨あるが詐り来りて親附するごとし。愚痴の人は謂うて真実〈実に親しむ〉とす。智者は了達すなわちその虚詐なりと知る。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂わん。諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、人の、鏡を執りて自ら面像を見るがごとし。愚痴の人は謂うて真の面とす。智者は了達してそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実と謂わん。諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、熱の時の炎のごとし。愚痴の人はこれをこれ水なりと謂わん。智者は了達してそれ水にあらずと知る。殺もまたかくのごとし。凡夫は実なりと謂わん。諸仏世尊はそれ真にあらずと知ろしめせり。大王、乾闥婆城のごとし。愚痴の人は謂うて真実とす。智者は了達してそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実とす〈謂えり〉。諸仏世尊はそれ真にあらずと了知せしめたまえり。大王、人の夢中に五欲の楽を受くるがごとし。愚痴の人はこれを謂うて実とす。智者は了達してそれ真にあらずと知れり。殺もまたかくのごとし。凡夫は実なりと謂えり、諸仏世尊はそれ真にあらずと知れり。大王、殺の法、殺の業、殺の者、殺の果、および解脱、我みなこれを了れり、すなわち罪あることなし。王、殺を知るといえども、いかんぞ罪あらんや。大王、たとえば人主ありて酒を典〈つかさど〉れりと知れども、もしそれ飲まざればすなわちまた酔わざるがごとし。また火と知るといえども焼燃せず。王もまたかくのごとし。また殺を知るといえども云何ぞ罪あらん。大王、もろもろの衆生ありて、日の出ずる時において種種の罪を作る。月の出ずる時においてまた劫盗を行ぜん。日月出でざるに、すなわち罪を作らず。日月に因りてそれ罪を作らしむるといえども、しかもこの日月は実に罪を得ず。殺もまたかくのごとし。乃至。SIN:SYOZEN2-90,91/-HON-263,264,HOU-376,377-

 ◎大王。譬如涅槃非有非無而亦是有。殺亦如是。雖非有非無而亦是有。慚愧之人則為非有。無慚愧者則為非無。受果報者名之為有。空見之人則為非有。有見之人則為非無。有有見者亦名為有。何以故。有有見者得果報故。無有見者則無果報。常見之人則為非有。無常見者則為非無。常常見者不得為無。何以故。常常見者有悪業果故。是故常常見者不得為無。以是義故。雖非有非無而亦是有。大王。夫衆生者名出入息。断出入息故名為殺。諸仏随俗亦説為殺。乃至。
 ◎(涅槃経・梵行品)大王、たとえば涅槃は有にあらず、無にあらずして、またこれ有なるがごとし。殺もまたかくのごとし。非有・非無にしてまたこれ有なりといえども、慙愧の人はすなわちすなわち非有とす。無慙愧の者〈ひと〉はすなわち非無とす。果報を受くる者、これを名づけて有とす。空見の人は、すなわち非有とす。有見の人は、すなわち非無とす。有有見の者は、また名づけて有とす。何をもってのゆえに、有有見の者は果報を得るがゆえに、無有見の者はすなわち果報なし。常見の人はすなわち非有とす。無常見の者はすなわち非無とす。常常見の者は無とすることを得ず。何をもってのゆえに、常常見の者は悪業の果あるがゆえに、このゆえに常常見の者は無とすることを得ず。この義をもってのゆえに、非有非無んりといえども、しかもまたこれ有なりと。大王、それ衆生は出入の息に名づく。出入の息を断つがゆえに、名づけて殺とす。諸仏、俗に随いて、また説きて殺とす。乃至。SIN:SYOZEN2-91,92/-HON-264,265,HOU-377,378-

 ◎世尊。我見世間。従伊蘭子生伊蘭樹。不見伊蘭生栴檀樹者。我今始見従伊蘭子生栴檀樹。伊蘭子者。我身是也。栴檀樹者。即是我心無根信也。無根者。我初不知恭敬如来。不信法僧。是名無根。世尊。我若不遇如来世尊。当於無量阿僧祇劫在大地獄受無量苦。我今見仏。以是見仏所得功徳破壊衆生煩悩悪心。仏言。大王。善哉善哉。我今知汝必能破壊衆生悪心。世尊。若我審能破壊衆生諸悪心者。使我常在阿鼻地獄。無量劫中為諸衆生受苦悩。不以為苦。爾時摩伽陀国無量人民。悉発阿耨多羅三藐三菩提心。以如是等無量人民発大心故。阿闍世王所有重罪即得微薄。王及夫人・後宮・釆女。悉皆同発阿耨多羅三藐三菩提心。爾時阿闍世王語耆婆言。耆婆。我今未死已得天身。捨於短命而得長命。捨無常身而得常身。令諸衆生発阿耨多羅三藐三菩提心。乃至。諸仏弟子説是語已。即以種種宝幢。乃至。復以偈頌而讃嘆言。
 ◎(涅槃経・梵行品)世尊、我世間を見るに、伊蘭の子より伊蘭樹を生ず。伊蘭より栴檀樹を生ずるものを見ず。我今始めて伊蘭の子より栴檀樹を生ずるを見る。伊蘭子は、我が身これなり。栴檀樹とは、すなわちこれ我が心、無根の信なり。無根とは、我初めより如来を恭敬せんことを知らず。法・僧を信ぜず。これを無根と名づく。世尊、我もし如来世尊に遇わずは、まさに無量阿僧祇劫において、大地獄に在りて無量の苦を受くべし。我今仏を見たてまつる。この見仏所得の功徳をもって、衆生の煩悩悪心を破壊せしむ。仏の言わく、大王、善いかな、善いかな、我いま、汝必ずよく衆生の悪心を破壊することを知れり。世尊、もし我審かによく衆生のもろもろの悪心を破壊せば、我常に阿鼻地獄に在りて、無量劫の中にもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もって苦とせじ。その時に摩伽陀国の無量の人民、ことごとく阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。かくのごときらの無量の人民、大心を発するをもってのゆえに、阿闍世王の所有の重罪、すなわち微薄なることを得たり。王および夫人、後宮、采女、ことごとくみな同じく阿耨多羅三藐三菩提心を発しき。その時に阿闍世王、耆婆に語りて言わく、耆婆、我いま未だ死せずしてすでに天身を得たり。短命を捨てて、しかも長命を得たり。無常の身を捨てて、しかして常身を得たり。もろもろの衆生をして阿耨多羅三藐三菩提心を発せしむ。乃至。諸仏の弟子、この語を説き已りて、すなわち種種の宝幢をもって、乃至。また偈頌をもって讃嘆して言さく、SIN:SYOZEN2-92,93/-HON-265,266,HOU-378-

 ◎実語甚微妙善巧於句義 甚深祕蜜蔵為衆故顕示 所有広博言為衆故略説 具足如是語善能療衆生 若有諸衆生得聞是語者 若信及不信定知是仏説 諸仏常軟語為衆故説麁 麁語及軟語皆帰第一義 是故我今者帰依於世尊 如来語一味猶如大海水 是名第一諦故無無義語 如来今所説種種無量法 男女大小聞同獲第一義 無因亦無果無生亦無滅 是名大涅槃聞者破諸結 如来為一切常作慈父母 当知諸衆生皆是如来子 世尊大慈悲為衆修苦行 如人著鬼魅狂乱多所為 我今得見仏所得三業善 願以此功徳回向無上道 我今所供養仏法及衆僧 願以此功徳三宝常在世 我今所当獲種種諸功徳 願以此破壊衆生四種魔 我遇悪知識造作三世罪 今於仏前悔願後更莫造 願諸衆生等悉発菩提心 繋心常思念十方一切仏 復願諸衆生永破諸煩悩 了了見仏性猶如妙徳等
 ◎(涅槃経・梵行品)実語はなはだ微妙なり、善く句義に巧みなり、甚深秘密の蔵なり、衆のためのゆえに、あらゆる広博の言を顕示す。衆のためのゆえに略して説かく、かくのごときの語を具足して、よく衆生を療す。もしもろもろの衆生ありて、この語を聞くことを得る者は、もしは信および不信、定んでこの仏説を知らん。諸仏は常に軟語をもって、衆のためのゆえに麁を説きたまう。麁語および軟語、みな第一義に帰せん。このゆえに我いま、世尊に帰依したてまつる。如来の語は一味なること、なお大海の水のごとし。これを第一諦と名づく。故に無無義の語をもって、如来いま種種の無量の法を説きたまうところなり。男女・大小、聞きて、同じく第一義を獲しめん。無因また無果なり、無生また無滅なり、これを大涅槃と名づく。聞く者、諸結を破す。如来、一切のために、常に慈父母と作りたまえり。当に知るべし、もろもろの衆生は、みなこれ如来の子なり。世尊大慈悲は、衆のために苦行を修したまう。人の鬼魅に著〈くる〉わされて、狂乱して所為多きがごとし。我いま仏を見たてまつることを得たり。得るところの三業の善、願わくはこの功徳をもって、無上道に回向せん。我いま供養するところの仏・法および衆僧、願わくはこの功徳をもって、三宝常に世にましまさん。我いま当に獲べきところの種種のもろもろの功徳、願わくはこれをもって、衆生の四種の魔を破壊せん。我、悪知識に遇うて、三世の罪を造作せり。いま仏前にして悔ゆ、願わくは後にまた造ることなからん。願わくはもろもろの衆生をして等しくことごとく菩提心を発さしめん。心を繋けて常に、十方一切仏を思念したてまつる。また願わくはもろもろの衆生、永くもろもろの煩悩を破し、了了に仏性を見ること、なお妙徳のごとくして等しからん。SIN:SYOZEN2-93,94/-HON-266,267,HOU-378,379,380-

 ◎爾時世尊讃阿闍世王。善哉善哉。若有人能発菩提心。当知是人則為荘厳諸仏大衆。大王。汝昔已於毘婆尸仏。初発阿耨多羅三藐三菩提心。従是已来至我出世。於其中間。未曽復堕於地獄受苦。大王。当知菩提之心乃有如是無量果報。大王。従今已往。常当懃修菩提之心。何以故。従是因縁当得消滅無量悪故。爾時阿闍世王及摩伽陀国挙人民。従座而起。遶仏三匝。辞退還宮。已上。抄出。
 ◎(涅槃経・梵行品)その時に、世尊、阿闍世王を讃めたまう。善いかな、善いかな、もし人ありてよく菩提心を発さん。当に知るべし、この人はすなわち諸仏大衆を荘厳すとす。大王、汝昔すでに毘婆尸仏のみもとにして、初めて阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。これよりこのかた、我が出世に至るまで、その中間において、未だかつてまた地獄に堕して苦を受けず。大王、当に知るべし、菩提の心はいましかくのごとき無量の果報あり。大王、今より已往に、常に当に懃〈ねんごろ〉に菩提の心を修すべし。何をもってのゆえに、この因縁に従って、当に無量の悪を消滅することを得べきがゆえなり。その時に阿闍世王および摩伽陀国の人民挙って座よりして起ちて仏を遶ること三匝して、辞退して宮に還りにきと。已上抄出。SIN:SYOZEN2-94/-HON-268,HOU-381