六要鈔会本 第5巻の9(9の内) 信の巻 重釈要義 抑止文釈 五逆謗法 引文 曇鸞『論註』・善導『観経疏』『法事讃』・ 永観『往生十因』 |
◎=親鸞聖人『教行信証』の文。 〇=存覚『六要抄』の文 |
『教行信証六要鈔会本』 巻五之九 |
◎夫拠諸大乗説難化機。今大経言唯除五逆誹謗正法。或言唯除造無間悪業誹謗正法及諸聖人。観経明五逆往生不説謗法。涅槃経説難治機与病。斯等真教云何思量耶。 ◎(御自釈)それ諸大乗に拠るに、難化の機を説けり。今の『大経』には「唯除五逆誹謗正法」と言い、あるいは「唯除造無間悪業誹謗正法及誹謗聖人」(如来会)と言えり。『観経』には五逆の往生を明かして謗法を説かず。『涅槃経』には、難治の機と病とを説けり。これらの真教、いかんが思量せんや。SIN:J:SYOZEN2-97/HON-272,HOU-385 〇夫拠以下至思量耶。私問詞也。SYOZEN2-317/TAI7-161 〇「夫拠」以下、「思量耶」に至るまでは、私の問の詞なり。SYOZEN2-317/TAI7-161 ◎報道。論註曰。問曰。無量寿経言。願往生者皆得往生唯除五逆誹謗正法。観無量寿経言五逆十悪具諸不善亦得往生。此二経云何会。答曰。一経以具二種重罪。一者五逆。二者誹謗正法。以此二種罪故。所以不得往生。一経但言作十悪五逆等罪。不言誹謗正法。以不謗正法故。是故得生。 ◎報えていわく、『論の註』に曰わく、問うて曰わく、『無量寿経』に言わく、往生を願ぜん者みな往生を得しむ。唯五逆と誹謗正法とを除くと。『観無量寿経』に、五逆・十悪もろもろの不善を具せるもの、また往生を得と言えり。この二経云何が会せんや。答えて曰わく、一経には二種の重罪を具するをもってなり。一には五逆、二には誹謗正法なり。この二種の罪をもってのゆえに、このゆえに往生を得ず。一経はただ、十悪・五逆等の罪を作ると言うて、正法を誹謗すと言わず。正法を謗せざるをもってのゆえに、このゆえに生を得せしむと。SIN:SYOZEN2-97,98/HON-272,HOU-385,386- 〇報道以下、答中所引論註文者。上巻釈也。総説竟後都有八重問答之中。第二以下七番問答至尽巻也。問。彼初重意。問答何事。答。就問念仏所被之機。答中意云。大経説云諸有衆生。而除五逆誹謗正法。観経具説九品之機。而摂五逆。猶除謗法故。述其余尽依信仏因縁皆生。第二問答就此義来。其意可見。一者五逆二者誹謗正法等者。問。鸞師之意。全不可許謗法之機往生益乎。答。如今文者不許之歟。但如下巻荘厳心業功徳成就之解釈者。許彼謗法尚得解脱。其解釈載当巻初解三十三願身心柔軟利益之段。故今略之。彼釈許生摂受門意。是約回心。今釈不許抑止門意。約未回心。SYOZEN2-317,318/TAI7-163,164 〇「報道」以下、答の中の所引『論註』の文は上巻の釈なり。総説竟の後、都て八重の問答ある中に、第二以下の七番の問答、巻を尽くすに至るまでなり。問う。彼の初重の意は何の事を問答するや。答う。念仏所被の之機を問うに就きて、答の中に意の云わく、『大経』には説きて「諸有衆生」といいて、而も五逆と誹謗正法とを除き、『観経』には具に九品の機を説きて、而も五逆を摂して、なお謗法を除く。故にその余は尽く信仏の因縁に依りてみな生ずることを述ぶ。第二の問答はこの義に就きて来る。その意見つべし。「一には五逆、二には誹謗正法」等とは、問う。鸞師の意は全く謗法の機に往生の益を許すべからざるや。答う。今の文の如きはこれを許さざるか。但し下巻の荘厳心業功徳成就の解釈の如きは、彼の謗法の、なお解脱を得ることを許す。その解釈は当巻の初に三十三の願の身心柔軟の利益を解する段に載す。故に今はこれを略す。彼の釈に生ずることを許すは摂受門の意、これ回心に約す。今の釈に許さざるは抑止門の意、未回心に約す。SYOZEN2-317,318/TAI7-163,164 ◎問曰。仮使一人具五逆罪而不誹謗正法。経許得生。復有一人但誹謗正法而無五逆諸罪願往生者。得生以不。答曰。但令誹謗正法雖更無余罪。必不得生。何以言之。経言。五逆罪人堕阿鼻大地獄中。具受一劫重罪。誹謗正法人堕阿鼻大地獄中。此劫若尽。復転至他方阿鼻大地獄中。如是展転逕百千阿鼻大地獄。仏不記得出時節。以誹謗正法罪極重故。又正法者即是仏法。此愚癡人既生誹謗。安有願生仏土之理。仮使但貪彼生安楽而願生者。亦如求非水之氷無烟之火。豈有得理。 ◎(論註)問うて曰わく、たとい一人は五逆罪を具して正法を誹謗せざれば、経に得生を許す。また一人ありて、ただ正法を誹謗して五逆もろもろの罪なきもの、往生を願ぜば、生を得るやいなや。答えて曰わく、ただ正法を誹謗せしめば、さらに余の罪なしといえども、必ず生を得じ。何をもってこれを言わば、経(大品般若経)に言わく、五逆の罪人、阿鼻大地獄の中に堕し、具に一劫重罪を受く。誹謗正法の人は、阿鼻大地獄の中に堕して、この劫もし尽くれば、また転じて他方の阿鼻大地獄の中に至る。かくのごとく展転して、百千の阿鼻大地獄を径。仏出ずることを得る時節を記したまわず。誹謗正法の罪極重なるをもってのゆえに。また正法はすなわちこれ仏法なり。この愚痴の人、すでに誹謗を生ず。いずくんぞ仏土に願生するの理あらんや。たといただかの安楽に生まるることを貪して生ずることを願ぜんは、また水にあらざるの氷、煙なきの火を求むるがごとし。あに得る理〈ことわり〉あらんや。SIN:SYOZEN2-98/-HON-272,273,HOU-386- ◎問曰。何等相是誹謗正法。答曰。若言無仏・無仏法・無菩薩・無菩薩法。如是等見。若心自解。若従他受其心決定。皆名誹謗正法。 ◎(論註)問うて曰わく、何等の相かこれ誹謗正法なるや。答えて曰わく、もし仏なく、仏の法もなし、菩薩なく、菩薩の法もなしと言わん、かくのごときらの見をもって、もしは心に自ら解り、もしは他に従いて、その心を受けて決定するを、みな誹謗正法と名づくと。SIN:SYOZEN2-98/-HON-273,HOU-386- ◎問曰。如是等計但是己事。於衆生有何苦悩踰於五逆重罪邪。答曰。若無諸仏菩薩説世間出世間善道教化衆生者。豈知有仁義礼智信邪。如是世間一切善法皆断。出世間一切賢聖皆滅。汝但知五逆罪為重。而不知五逆罪従無正法生。是故謗正法人其罪最重。 ◎(論註)問うて曰わく、かくのごときらの計は、ただこれ己が事なり。衆生において何の苦悩ありてか、五逆の重罪に踰えんや。答えて曰わく、もし諸仏菩薩、世間・出世間の善道を説きて、衆生を教化したまう者〈ひと〉ましまさずは、あに仁義礼智信あることを知らんや。かくのごとくならば世間の一切の善法みな断じ、出世間の一切賢聖みな滅しなん。汝ただ五逆罪の重たることのみ知りて、五逆罪の正法なきより生ずることを知らず。このゆえに謗正法の人はその罪もっとも重なりと。SIN:SYOZEN2-98,99/-HON-273,HOU-386- ◎問曰。業道経言。業道如秤。重者先牽。如観無量寿経言。有人造五逆十悪具諸不善。応堕悪道逕歴多劫受無量苦。臨命終時遇善知識教称南無無量寿仏。如是至心令声不絶具足十念。便得往生安楽浄土。即入大乗正定之聚畢竟不退。与三塗諸苦永隔。先牽之義於理如何。又曠劫已来備造諸行。有漏之法繋属三界。但以十念念阿弥陀仏。便出三界。繋業之義復欲云何。 ◎(論註)問うて曰わく、『業道経』に言わく、業道は秤のごとし、重き者先ず牽くと。『観無量寿経』に言うがごとし。人ありて五逆・十悪を造り、もろもろの不善を具せん。悪道に堕して多劫を径歴して無量の苦を受くべし。命終の時に臨みて、善知識教えて南無無量寿仏を称せしむるに遇わん。かくのごとく心を至して声をして絶えざらしめて、十念を具足すれば、すなわち安楽浄土に往生することを得て、すなわち大乗正定の聚に入りて、畢竟じて不退ならん、三塗のもろもろの苦と永く隔つ。先ず牽くの義、理においていかんぞ。また曠劫よりこのかた備にもろもろの行を造れり、有漏の法は三界に繋属す。ただし十念、阿弥陀仏を念ずるをもって、すなわち三界を出でては、繋業の義、また云何がせん。SIN:SYOZEN2-99/-HON-274,HOU-386,387- 〇第六重中。初在心者。即是約心。次在縁者。此是約境。後在決定是約時也。SYOZEN2-318,/TAI7-173 〇第六重の中に、初に「在心」とは、即ちこれ心に約す。次に「在縁」とは、これはこれ境に約す。後に「在決定」というは、これ時に約すなり。SYOZEN2-318,/TAI7-173 ◎答曰。汝謂五逆十悪繋業等為重。以下下品人十念為軽。応為罪所牽先堕地獄繋在三界者。今当以義校量軽重之義。在心在縁在決定。不在一時節久近多少也。云何在心。彼造罪人。自依止虚妄顛倒見生。此十念者依善知識方便安慰聞実相法生。一実一虚。豈得相比。譬如千歳闇室。光若暫至。即便明朗。闇豈得言在室千歳而不去邪。是名在心。云何在縁。彼造罪人。自依止妄想心依煩悩虚妄果報衆生生。此十念者依止無上信心依阿弥陀如来方便荘厳真実清浄無量功徳名号生。譬如有人被毒箭。所中截筋破骨。聞滅除薬鼓即箭出毒除。首楞厳経言。譬如有薬名曰滅除。若闘戦時用以塗鼓。聞鼓声者箭出毒除。菩薩摩訶薩亦復如是。住首楞厳三昧聞其名者。三毒之箭自然抜出。豈可得言彼箭深毒[レイ01]。聞鼓音声不能抜箭去毒邪。是名在縁。云何在決定。彼造罪人依止有後心有間心生。此十念者依止無後心無間心生。是名決定。校量三義。十念者重。重者先牽能出三有。両経一義耳。 ◎(論註)答えて曰わく、汝、五逆・十悪・繋業等を重とし、下下品の人の十念をもって軽とす。罪のために牽かれて先ず地獄に堕して、三界に繋在すべしと謂わば、今まさに義をもって軽重の義を校量すべし。心に在り、縁に在り、決定に在り。時節の久近・多少に在るにはあらざるなり。いかんが心に在る、かの罪を造る人は、自ら虚妄顛倒の見に依止して生ず。この十念は、善知識の方便安慰して実相の法を聞かしむるに依りて生ず。一は実、一は虚なり、あに相比〈たくら〉ぶることを得んや。たとえば千歳の闇室に、光もししばらく至ればすなわち明朗なるがごとし。闇あに室にあること千歳にして去らじと言うことを得んや。これを在心と名づく。いかんが縁に在る、かの罪を造る人は、自ら妄想の心に依止し、煩悩虚妄の果報の衆生に依りて生ず。この十念は、無上の信心に依止し、阿弥陀如来の方便荘厳・真実清浄・無量功徳の名号に依りて生ず。たとえば人ありて毒の箭を被りて中るところ筋を截り骨を破るに、滅除薬の鼓を聞けばすなわち箭出〈ぬ〉け毒除こるがごとし。『首楞厳経』に言わく、たとえば薬ありて、名づけて滅除と曰う。もし闘戦の時にもって鼓に塗るに、鼓の声を聞く者、箭出〈ぬ〉け毒除こるがごとし。菩薩摩訶薩もまたかくのごとし、首楞厳三昧に住してその名を聞く者、三毒の箭、自然に抜出すと。あに、かの箭深く毒[レイ01]〈はげ〉しからん、鼓の音声を聞くとも箭を抜き毒を去ることあたわじと言うことを得べけんや。これを在縁と名づく。いかんが決定に在る、かの罪を造る人は、有後心・有間心に依止して生ず。この十念は、無後心・無間心に依止して生ず。これを決定と名づく。三義を校量するに、十念は重なり。重き者先ず牽きて、よく三有を出ず。両経一義なるならくのみ。SIN:SYOZEN2-99,100/-HON-274,275,HOU-387,388- 〇無後心者。四修之中長時修意。無間心者。即無間修。問。無間心者。為約平生。為約臨終。答。如今釈者。以時分急依止此心。故約臨終。但総言之。不遮平生。機根区故。縦雖尋常。住此心類何無之哉。SYOZEN2-318/TAI7-183 〇「無後心」とは、四修の中に長時修の意。「無間心」とは、即ち無間修なり。問う。無間心とは、平生に約すとやせん、臨終に約すとやせん。答う。今の釈の如きは、時分の急なるを以てこの心に依止す。故に臨終に約す。但し総じてこれを言わば、平生を遮せず。機根区なるが故に。たとい尋常なりといえども、この心に住する類は何ぞこれなからんや。SYOZEN2-318/TAI7-183 ◎問曰。幾時名為一念。答曰。百一生滅名一刹那。六十刹那名為一念。此中云念者。不取此時節也。但言憶念阿弥陀仏。若総相若別相。随所観縁心無他想。十念相続。名為十念。但称名号亦復如是。 ◎(論註)問うて曰わく、幾ばくの時をか、名づけて一念とするや。答えて曰わく、百一の生滅を一刹那と名づく。六十の刹那を名づけて一念とす。この中に念と云うは、この時節を取らざるなり。ただ阿弥陀仏を憶念して、もしは総相、もしは別相、所観の縁に随いて、心に他想なくして十念相続するを、名づけて十念とすと言うなり。ただし名号を称することも、またかくのごとし。SIN:SYOZEN2-100/-HON-275,HOU-388- 〇此中等者。念有三義。所謂時節観念称念。今唯嫌時。観念称名無其用捨。鸞師之意存二義歟。若依導家。唯是称名。十八願文。下下十念。共無異論。SYOZEN2-318/TAI7-185 〇「此中」等とは、念に三義あり。所謂、時節と観念と称念となり。今はただ時を嫌う。観念と称名とはその用捨なし。鸞師の意は二義を存するか。もし導家に依らば、ただこれ称名なり。十八の願文、下下の十念、共に異論なし。SYOZEN2-318/TAI7-185 ◎問曰。心若他縁。摂之令還。可知念之多少。但知多少。復非無間。若凝心注想。復依何可得記念之多少。答曰。経言十念者。明業事成弁耳。不必須知頭数也。如言[ケイ06]蛄不識春秋。伊虫豈知朱陽之節乎。知者言之耳。十念業成者。是亦通神者言之耳。但積念相続不縁他事便罷。復何仮須知念之頭数也。若必須知亦有方便。必須口授。不得題之筆点。已上。 ◎(論註)問うて曰わく、心もし他縁せば、これを摂して還らしめて、念の多少を知るべし。ただ多少を知らば、また間なきにあらず。もし心を凝らし想を注〈とど〉めば、また何に依りてか念の多少を記することを得べきや。答えて曰わく、経に十念と言うは、業事成弁を明かすのみ。必ずしも須らく頭数を知るべからざるなり。[ケイ06]蛄、春秋を識らずと言うがごとし。伊の虫あに朱陽の節を知らんや。知れる者これを言うならくのみ。十念業成とは、これまた神に通ずる者、これを言うならくのみ。ただ念を積み相続して、他事を縁ぜざればすなわち罷みぬ。また何ぞ仮に念の頭数を知ることを須いんや。もし必ず知ることを須いんは、また方便あり。必ず口授を須いよ。これを筆点に題することを得ざれと。已上。SIN:SYOZEN2-100/-HON-275,276,HOU-388 〇第八問意。訝其観称互可有妨。答意已云業事成弁。言於約称而不可記其頭数歟。不縁等者。不伝口授。又無筆点。先徳歎之。誰不為恨。但其涯分推知領解。開発宜依人根性乎。SYOZEN2-318/TAI7-190 〇第八の問の意は、観と称と互に妨げあるべきことを訝る。答の意は已に業事成弁という。言うこころは、称に約するに於いて而もその頭数を記すべからざるか。「不縁」等とは、口授を伝えず、また筆点なし。先徳これを歎く。誰か恨とせざらん。但しその涯分推知の領解、開発、宜しく人の根性に依るべきか。SYOZEN2-318/TAI7-190 ◎光明寺和尚云。問曰。如四十八願中。唯除五逆誹謗正法不得往生。今此観経下品下生中。簡誹謗摂五逆者。有何意也。答曰。此義仰就抑止門中解。如四十八願中除謗法五逆者。然此之二業。其障極重。衆生若造直入阿鼻。歴劫周章無由可出。但如来恐其造斯二過。方便止言不得往生。亦不是不摂也。又下品下生中取五逆除謗法者。其五逆已作。不可捨令流転。還発大悲摂取往生。然謗法之罪未為。又止言若起謗法即不得生。此就未造業而解也。若造還摂得生。雖得生彼。華合逕於多劫。此等罪人在華内時有三種障。一者不得見仏及諸聖衆。二者不得聴聞正法。三者不得歴事供養。除此已外更無諸苦。経云。猶如比丘入三禅之楽也。応知。雖在華中多劫不開。可不勝阿鼻地獄之中長時永劫受諸苦痛也。此義就抑止門解竟。已上。 ◎(散善義)光明寺の和尚の云わく、問うて曰わく、四十八願の中のごとき、ただ五逆と誹謗正法とを除きて往生を得しめず。今この『観経』の下品下生の中には、誹謗を簡〈きら〉いて五逆を摂せるは、何の意かあるやと。答えて曰わく、この義仰いで抑止門の中につきて解す。四十八願の中のごとき、謗法・五逆を除くことは、しかるにこの二業、その障極重なり。衆生もし造れば、直ちに阿鼻に入りて、歴劫周章して出ずべきに由なし。ただ如来、それこの二の過を造らんことを恐れて、方便して止めて、往生を得ずと言えり。またこれ摂せざるにはあらざるなり。また下品下生の中に、五逆を取りて謗法を除くことは、その五逆は已に作れり、捨てて流転せしむべからず。還りて大悲を発して摂取して往生せしむ。しかるに謗法の罪は未だ為らざれば、また止めて、もし謗法を起こさばすなわち生ずることを得じと言う。これは未造業につきて、しかも解するなり。もし造らば還りて摂して生ずることを得しめん。彼に生ずることを得といえども、華合して多劫を径ん。これらの罪人、華の内にある時、三種の障あり。一には仏およびもろもろの聖衆を見ることを得じ。二には正法を聴聞することを得じ。三には歴事供養を得じと。これを除きて已外は、さらにもろもろの苦なけん。経に云わく、なお比丘の三禅の楽に入るがごときなりと。知るべし。華の中にありて、多劫開けずといえども、阿鼻地獄の中にして、長時永劫にもろもろの苦痛を受けんに勝れざるべけんや。この義、抑止門につきて解し竟りぬ。已上。SIN:SYOZEN2-100,101/-HON-276,HOU-389 〇次大師釈。所引有二。初散善義。下品下生二種重罪除取問答。問端可見。就答中意。問。約抑止門。有何証耶。答。諸願皆以不取正覚結当願意。而唯除句在其言外。以之為証。問。五逆已作。有何証耶。答。経序分中。闍世造之。調達作之。故云已作。此義等者。此釈之意。匪啻抑止二種重罪。又有抑止多劫之義。若只抑止其重罪者。此言可在上云若造還摂得生之句下歟。已挙彼土多劫華合三種障礙。其次結之。可知。上標罪業抑止。下結多劫障重抑止。純一報土一向化生。仮説華合。此即胎生。約化土相。宜思択之。SYOZEN2-318,319/TAI7-196 〇次に大師の釈、所引に二あり。初は『散善義』の下品下生二種の重罪除取の問答。問端は見つべし。答の中の意に就きて、問う、抑止門に約するは何の証あるや。答う。諸願みな不取正覚を以て当願の意を結す。而るに唯除の句はその言の外に在り。これを以て証と為す。問う。五逆已に作るは何の証かあるや。答う。経の序分の中に、闍世これを造り、調達これを作る。故に已作という。「此義」等とは、この釈の意は、ただ二種の重罪を抑止するのみにあらず。また多劫を抑止する義あり。もしただその重罪を抑止せば、この言は上に「もし造らば還りて摂して生を得しめん」という句の下に在るべきか。已に彼の土多劫華合三種の障礙を挙げて、その次にこれを結す。知りぬべし、上は罪業の抑止を標し、下は多劫障重の抑止を結するということを。純一の報土は一向の化生なり。仮に華合と説くは、これ即ち胎生なり。化土の相に約す。宜しくこれを思択すべし。SYOZEN2-318,319/TAI7-196 ◎又云。永絶譏嫌等無憂悩。人天善悪皆得往。到彼無殊斉同不退。何意然者。乃由弥陀因地。世饒王仏所。捨位出家。即起悲智之心。広弘四十八願。以仏願力五逆之与十悪罪滅得生。謗法闡提回心皆往。抄出。 ◎(法事讃)また云わく、永く譏嫌を絶ちて、等しくして憂悩なし。人天、善悪、みな往くことを得。彼に到りぬれば殊ることなし。斉同にして不退なり。何の意か然るとならば、いまし弥陀の因地に、世饒王仏の所にして、位を捨てて家を出ず、すなわち悲智の心を起こして、広く四十八願を弘めしめたまいしに由りてなり。仏の願力をもって、五逆と十悪と、罪滅し生を得しむ。謗法、闡提、回心すればみな往くと。抄出。SIN:SYOZEN2-101/HON-276,277,HOU-389,390 〇次法事讃序中文也。到彼等者。顕無華開華合之差。以仏等者。正顕逆謗闡提皆生。即示不生。為抑止意。故次上釈引此文也。SYOZEN2-319/TAI7-203 〇次は『法事讃』の序の中の文なり。「到彼」等とは、華開と華合との差なきことを顕わす。「以仏」等とは、正しく逆謗闡提皆生ずることを顕わす。即ち不生と示すは抑止の意たり。故に上の釈に次でこの文を引くなり。SYOZEN2-319/TAI7-203 ◎言五逆者。若依[シ01]州。五逆有二。一者三乗五逆。謂一者故思殺父。二者故思殺母。三者故思殺羅漢。四者倒見破和合僧。五者悪心出仏身血。以背恩田違福田故。名之為逆。執此逆者。身壊命終必定堕無間地獄。一大劫中受無間苦。名無間業。又倶舎論中有五無間同類業。彼頌云。汚母無学尼。殺母罪同類。殺住定菩薩。殺父罪同類。及有学無学殺羅漢同類。奪僧和合縁。破僧罪同類。破壊率都婆。出仏身血。 ◎(永観・往生十因)「五逆」と言うは、もし[シ01]州〈智周・最勝王経疏〉に依るに、五逆に二あり。一には三乗の五逆なり。いわく、一にはことさらに思いて父を殺す、二にはことさらに思いて母を殺す、三にはことさらに思いて羅漢を殺す、四には倒見して和合僧を破す、五には悪心をもって仏身より血を出だす。恩田に背き福田に違するをもってのゆえに、これを名づけて逆とす。この逆を執する者は、身壊れ命終えて、必定して無間地獄に堕して、一大劫の中に無間の苦を受けん、無間業と名づくと。また『倶舎論』の中に、五無間の同類の業あり。かの頌に云わく、母と無学尼を汚す(母を殺す罪の同類)、住定の菩薩(父を殺す罪の同類)、および有学・無学を殺す(羅漢を殺す同類)、僧の和合縁を奪う(破僧罪の同類)、卒都波を破壊する(仏身より血を出だす)」。SIN:SYOZEN2-101,102/HON-277,HOU-390- ◎二者大乗五逆。如薩遮尼乾子経説。一者破壊塔焚焼経蔵。及以盗用三宝財物。二者謗三乗法言非聖教。障破留難隠蔽落蔵。三者一切出家人若戒・無戒・破戒。打罵呵責。説過禁閉。還俗驅使。債調断命。四者殺父。害母。出仏身血。破和合僧。殺阿羅漢。五者謗無因果。長夜常行十不善業。已上。彼経云。一起不善心。殺害独覚。是殺生。二婬羅漢尼。是云邪行也。三侵損所施三宝物。是不与取。四倒見破和合僧衆。是虚誑語也。略出。 ◎(永観・往生十因)二には大乗の五逆なり。『薩遮尼乾子経』に説くがごとし。一には、塔を破壊し経蔵を焚焼する、および三宝の財物を盗用する。二には、三乗の法を謗りて聖教にあらずと言いて、障破留難し、隠蔽覆蔵するなり。三には、一切出家の人、もしは戒・無戒・破戒のものを打罵し呵責して、過〈とが〉を説き禁閉し、還俗せしめ、駆使し債調し断命せしむるなり。四には、殺父、害母、出仏身血、破和合僧、殺阿羅漢なり。五には、因果なしと謗じて、長夜に常に十不善業を行ずるなりと。已上。かの経(十輪経)に云わく、一には不善心を起こして独覚を殺害する、これ殺生なり。二には羅漢の尼を婬する、これを邪行と云うなり。三には施す所の三宝物を侵損する、これ不与取なり。四には倒見して和合僧衆を破する、これ虚誑語なり。略出。SIN:SYOZEN2-102/-HON-277,278,HOU-390,391 〇次所引文。言[シ01]州者。是居所名。名曰智周。法相祖師。今釈最勝王経疏文。問。今引文者如載十因第三章中。如何不云十因云耶。答。禅林先徳引[シ01]州釈。今此文類又引[シ01]州。彼此引用各依彼師。云依[シ01]州。既有本拠。直載其名無其科耶。今引用意。上所引之註家宗家二師之釈。既明五逆謗法往生。而謗法相論註釈之。五逆未解。是故為示其罪相也。就中若依小乗五逆。人皆以為。輙不犯之。若依大乗五逆之説。人人一一難遁此罪。常行十悪。即此摂故。仍且為生慚愧悔過之心。且為念報済度大悲深重仏恩。被引之歟。言薩遮尼乾子経者。訳者流支。此経十巻。或有八巻。又有七巻。彼経云者。如十因者。次上文云。若依十輪経。於此四重中。説近無間業故。已上。次有今文。然間彼者指十輪経。而如今者可混薩遮尼乾子経。是故彼字得意可見。今所出罪。彼経此四説云四近無間大罪悪業。正逆説云根本罪也。SYOZEN2-319/TAI7-208 〇次の所引の文、「[シ01]州」というは、これ居所の名、名を智周という。法相の祖師なり。今の釈は『最勝王経の疏』の文なり。問う。今の引文は『十因』の第三の章の中に載るが如し。如何ぞ「十因に云わく」といわざるや。答う。禅林の先徳は[シ01]州の釈を引く。今この『文類』また[シ01]州を引く。彼此の引用はおのおの彼の師に依る。[シ01]州に依るというは既に本拠あり。直にその名を載するにその科なきや。今の引用の意は、上に引く所の註家・宗家二師の釈は、既に五逆謗法の往生を明かす。而るに謗法の相は『論註』にこれを釈す。五逆は未だ解せず。この故にその罪相を示さんが為なり。中に就きて、もし小乗の五逆に依らば、人皆おもえらく、輙くこれを犯さずと。もし大乗五逆の説に依らば、人人一一にこの罪を遁れ難し。常に十悪を行ずる、即ちこの摂なるが故に、仍て且は慚愧悔過の心を生しがため、且は済度の大悲・深重の仏恩を念報せしめんが為に、これを引かるるか。「薩遮尼乾子経」というは、訳者は流支、この経は十巻、或いは八巻あり、また七巻あり。「彼の経に云わく」とは、『十因』の如きは、次上の文に云わく「もし十輪経に依らば、この四重の中に於いて、近無間業を説くが故に」已上。次に今の文あり。然る間、彼とは『十輪経』を指す。而るに今の如きは『薩遮尼乾子経』を混ずべし。この故に彼の字、意を得て見つべし。今出だす所の罪は、彼の経にこの四を説きて「四近無間大罪悪業」という。正しく逆をば説きて根本罪というなり。SYOZEN2-319/TAI7-208 ◎顕浄土真実信文類三末 教行信証六要鈔会本 第五 |