六要鈔会本 第7巻の(5の内)
真仏土の巻
  標挙 光明無量之願 寿命無量之願
  真仏土釈
  引文 『大無量寿経』『如来会』『平等覚経』『大阿弥陀経』
    『不空羂索経』
  ◎=親鸞聖人『教行信証』の文。
  〇=存覚『六要抄』の文
『教行信証六要鈔会本』 巻七之一

 教行信証六要鈔会本第七 真

 ◎顕浄土真実真仏土文類 五
 ◎愚禿親鸞集

 〇当巻大門第五。明真仏並真土。於中有四。一者題目。二者標挙。三者正釈。四総結也。SYOZEN2-347/TAI8-1
 〇当巻大門第五に、真仏並びに真土を明かす。中に於いて四あり。一には題目、二には標挙、三には正釈、四には総結なり。SYOZEN2-347/TAI8-1

 〇初題目中。分二如前。上来四巻約能帰機。自教至証。然後宜知所帰身土。是故能所有由。四五成其次第。SYOZEN2-347/TAI8-1
 〇初に題目の中に、二を分かつこと前の如し。上来の四巻は能帰の機に約す。教より証に至る。然して後に宜しく所帰の身土を知るべし。この故に能所に由ありて、四五、その次第を成ず。SYOZEN2-347/TAI8-1


 ◎光明無量之願 寿命無量之願

 〇二標挙之中並標両願。光明無量是第十二。或云得勝光明。或云仏光無辺。寿命無量是第十三。或云得寿久往。或云仏寿無量。SYOZEN2-347/TAI8-7
 〇二に標挙の中に並べて両願を標す。光明無量はこれ第十二、或いは得勝光明といい、或いは仏光無辺という。寿命無量はこれ第十三、或いは得寿久往といい、或いは仏寿無量という。SYOZEN2-347/TAI8-7


 ◎謹按真仏土者。仏者則是不可思議光如来。土者亦是無量光明土也。然則酬報大悲誓願故。曰真報仏土。既而有願。即光明寿命之願是也。
 ◎(御自釈)謹〈謹 ウヤマウ〉んで真仏土を案ずれば、仏はすなわちこれ不可思議光如来なり。土はまたこれ無量光明土なり。しかればすなわち大悲の誓願に酬報〈報 ムクイ〉するがゆえに、真の報仏土と曰うなり。すでにして願います、すなわち光明・寿命の願これなり。SINBUTU:J:SYOZEN2-120/HON-300,HOU-410,411

 〇正釈之中。分而為二。先自文初至云是也。略標身土。次自大経正引諸文。SYOZEN2-347/TAI8-13
 〇正釈の中に、分ちて二と為す。まず文の初より、「是也」というに至るまでは、略して身土を標す。次に『大経』よりは、正しく諸文を引く。SYOZEN2-347/TAI8-13

 〇初略標中。問。不可思議光如来者。此名出在何経釈乎。答。文言雖隠義在大経。所謂十二光仏勝徳。皆是不可思議故也。明顕其名。出宝積経。因茲鸞師讃弥陀偈。載此尊号。如来会文並鸞師釈。如下所引。問。無量光明土之名目出何文耶。答。是又在下。所謂覚経六言四句之中。所云一句是也。当巻大意。以此光明寿命無量。成真報身常住義也。光明無量正約横義。兼亘竪義。此以衆生無辺之故。光明無辺摂化無辺諸有情類。是横義也。又兼竪者。遠亘三世無有断絶利益無尽。寿命無量是約竪辺。且依因願。雖為十劫成覚之身。諸仏寿命平等果海無有闕減。只是本覚弥陀寿也。約此義辺。酬因感果是始覚智。無為凝然是本覚理。理智不二始本是一。已至始覚必冥本覚。又釈迦仏久遠実寿。即阿弥陀之名義也。故法華云。慧光照無量。寿命無数劫。已上。無量光者。仏智観照之妙用也。無量寿者。法身常住之妙理也。体用不離理智冥合。釈尊功徳全阿弥陀。諸仏功徳。又以道同。是故今依光明寿命無量功徳。立真報身。其義可也。SYOZEN2-347,348/TAI8-13,14

 〇初に略標の中に、問う、不可思議光如来とは、この名出でて何の経釈にか在るや。答う、文言に隠れたりといえども、義は『大経』に在り。いわゆる十二光仏の勝徳は、皆これ不可思議なるが故なり。明かにその名を顕わすことは、『宝積経』に出でたり。ここに因りて鸞師の『讃弥陀の偈』にこの尊号を載す。『如来会』の文並びに鸞師の釈は下の所引の如し。問う、無量光明土の名目は何の文にか出でたるや。答う、これまた下に在り。謂う所の『覚経』六言四句の中にいう所の一句これなり。当巻の大意は、この光明・寿命の無量を以て真報身常住の義を成ずるなり。光明無量は正しく横の義に約して、兼て竪の義に亘る。これ衆生無辺なるを以ての故に、光明無辺にして無辺の諸の有情の類を摂化するは、これ横の義なり。また竪を兼ぬるとは、遠く三世に亘りて断絶することあることなくして、利益尽くることなし。寿命無量は、これ竪の辺に約す。且く因願に依れば、十劫成覚の身たりといえども、諸仏の寿命、平等の果海は闕減あることなし。ただこれ本覚弥陀の寿なり。この義辺に約すれば、酬因感果はこれ始覚の智、無為凝然はこれ本覚の理なり。理智不二にして始本これ一なり。已に始覚に至れば必ず本覚に冥ず。また釈迦仏の久遠の実寿は、即ち阿弥陀の名義なり。故に『法華』に云わく「慧光照して無量なり。寿命無数劫なり」已上。無量光とは、仏智観照の妙用なり。無量寿とは、法身常住の妙理なり。体用不離にして理智冥合す。釈尊の功徳は全く阿弥陀、諸仏の功徳はまた以て道同なり。この故に今は光明寿命の無量の功徳に依って、真報身を立つこと、その義、可なり。SYOZEN2-347,348/TAI8-13,14


 ◎大経言。設我得仏。光明有能限量下至不照百千億那由他諸仏国者。不取正覚。
 ◎『大経』に言わく、設い我仏を得たらんに、光明よく限量ありて、下百千億那由他の諸仏の国を照らさざるに至らば、正覚を取らじ、と。SINBUTU:SYOZEN2-120/HON-300,HOU-411

 〇初願之中。問。今此仏光是常光歟。現起光歟。答。是常光也。既酬本願感此勝光。何現起光。若非常光何超諸仏。是故楞厳略記釈云。常光一尋雖常非遍。別縁遍照雖遍非常。此仏光明即不如是。経無量劫遍照十方。已上。SYOZEN2-348/TAI8-30
 〇初の願の中に、問う、今この仏光はこれ常光なるか、現起光なるか。答う、これ常光なり。既に本願に酬いてこの勝光を感ず。何ぞ現起光ならん。もし常光にあらざれば何ぞ諸仏を超えん。この故に『楞厳の略記』に釈して云わく「常光は一尋、常なりといえども、遍にあらず。別縁は遍く照す、遍なりといえども常にあらず。この仏の光明は即ちかくの如きならず。無量劫を経て遍く十方を照らす」已上。SYOZEN2-348/TAI8-30


 ◎又願言。設我得仏。寿命有能限量下至百千億那由他劫者。不取正覚
 ◎(大経)また願に言わく、設い我仏を得たらんに、寿命よく限量〈限量 カギリ〉ありて、下百千億那由他の劫に至らば、正覚を取らじ、と。SINBUTU:SYOZEN2-120/HON-300,HOU-411

 〇次願之中。問。今無量者。有量無量。無量無量之中何耶。答。依以弥陀判応身之諸師義者。有量無量。依以彌陀為報身之大師義者。無量無量。随而集主約当願意判真仏土。真仏土者即是報也。可存無量無量義也。此是一得永不失也。此是無上涅槃常住寿也。問。下至百千億那由他劫者。所言劫者指所至歟。指所超歟。答。約所至者義当有量。若約所超意協無量。是故可云所超劫也。問。依何道理云所超耶。答。於余願中有所準知。謂五通願皆云不知不見不超。当願之中不云不至。既云不照。故非所至。是所超也。SYOZEN2-348/TAI8-30
 〇次の願の中に、問う、今の無量とは、有量の無量と、無量の無量との中には何れぞや。答う、弥陀を以て応身と判ずる諸師の義に依りては、有量の無量なり。彌陀を以て報身と為する大師の義に依らば、無量の無量なり。随いて集主は当願の意に約して真仏土を判ず。真仏土とは即ちこれ報なり。無量の無量の義を存ずべきなり。これはこれ一たび得れば永く失せざるなり。これはこれ無上涅槃常住の寿なり。問う、「下至百千億那由他劫」とは、言う所の劫とは所至を指すか、所超を指すか。答う、所至に約すれば義は有量に当る。もし所超に約せば意は無量に協〈かな〉う。この故に所超の劫というべきなり。問う、何の道理に依りてか所超というや。答う、余願の中に於いて準知する所あり。謂わく五通の願に皆、不知・不見・不超という。当願の中に不至といわず。既に不照という。故に所至にあらず。これ所超なり。SYOZEN2-348/TAI8-30


 ◎願成就文言。仏告阿難。無量寿仏威神光明。最尊第一。諸仏光明所不能及。乃至。是故無量寿仏号無量光仏・無辺光仏・無碍光仏・無対光仏・炎王光仏・清浄光仏・歓喜光仏・智慧光仏・不断光仏・難思光仏・無称光仏・超日月光仏。其有衆生遇斯光者。三垢消滅身意柔濡。歓喜踊躍善心生焉。若在三塗懃苦之処見此光明。皆得休息無復苦悩。寿終之後皆蒙解脱。無量寿仏光明顕赫。照耀十方諸仏国土。莫不聞焉。不但我今称其光明。一切諸仏声聞縁覚諸菩薩衆。咸共嘆誉亦復如是。若有衆生聞其光明威神功徳。日夜称説至心不断。随意所願得生其国。為諸菩薩声聞大衆所共嘆誉称其功徳。至其然後得仏道時。普為十方諸仏菩薩嘆其光明亦如今也。仏言。我説無量寿仏光明威神巍巍殊妙。昼夜一劫尚未能尽。
 ◎(大経)願成就の文に言わく、仏、阿難に告げたまわく、無量寿仏の威神光明、最尊第一にして、諸仏の光明の及ぶことあたわざるところなり。乃至。このゆえに無量寿仏は、無量光仏・無辺光仏・無碍光仏・無対光仏・炎王光仏・清浄光仏・歓喜光仏・智慧光仏・不断光仏・難思光仏・無称光仏・超日月光仏と号す。それ衆生ありて、この光に遇〈もうあ〉う者は、三垢消滅し、身意柔軟なり。歓喜踊躍し、善心生ず。もし三塗懃苦の処にありて、この光明を見ば、みな休息を得て、また苦悩なけん。寿終えての後、みな解脱を蒙る。無量寿仏の光明顕赫〈赫 カガヤク〉にして、十方諸仏の国土を照耀〈照耀 カガヤク〉して、聞こえざることなし。ただ我いまその光明を称するにあらず、一切諸仏・声聞・縁覚・もろもろの菩薩衆、ことごとく共に嘆誉〈嘆誉 ホメホム〉すること、またかくのごとし。もし衆生ありて、その光明威神功徳を聞きて、日夜に称説し、心を至して断えざれば、意の所願に随いて、その国に生まるることを得て、もろもろの菩薩・声聞大衆のために、共にその功徳を嘆誉し称せられん。それしこうして後に、仏道を得る時に至りて、普く十方の諸仏菩薩のために、その光明を嘆ぜられんこと、また今のごとくならん。仏の言わく、我、無量寿仏の光明威神、巍巍殊妙〈殊妙 ヨシ スグレ〉なるを説かんに、昼夜一劫すとも、尚未だ尽くすことあたわじと。SINBUTU:SYOZEN2-120,121/HON-300,301,HOU-411,412-

 〇次成就文。且依一師科釈之意。粗料簡之。仏告阿難無量寿下別明所成。於中有二。初明仏身。(今所引是也)。次声聞菩薩下。約身明徒衆。(非今所引)。初文亦二。初明仏光。(自所引文初。至尚未能尽)。次明仏寿。(自次下仏語至所引文終)。初中又四。一釈迦讃歎。(自文初至皆蒙解脱)。二諸聖讃歎。(自無量寿仏。至亦復如是)。三衆生讃歎。(自若有衆生。至亦如今也)。四如来結歎。(仏言我説已下)。是則初願成就文也。SYOZEN2-348,349/TAI8-36
 〇次に成就の文。且く一師の科釈の意に依りて、ほぼこれを料簡す。「仏告阿難無量寿」の下は別して所成を明かす。中に於いて二あり。初には仏身を明かす。(今の所引これなり)。次に「声聞菩薩」の下は身に約して徒衆を明かす。(今の所引にあらず)。初の文にまた二。初には仏光を明かす。(所引の文の初より、「尚未能尽」に至るまで)。次に仏寿を明かす。(次下の「仏語」より、所引の文の終に至るまで)。初の中にまた四。一には釈迦の讃歎。(文の初より、「皆蒙解脱」に至るまで)。二には諸聖の讃歎。(「無量寿仏」より、「亦復如是」に至るまで)。三には衆生の讃歎。(「若有衆生」より、「亦如今也」に至るまで)。四には如来の結歎。(「仏言我説」已下)。これ則ち初の願成就の文なり。SYOZEN2-348,349/TAI8-36

 〇初文之中。最尊第一諸仏等者。問。諸仏功徳実無差別。何於光明有勝劣耶。答。如彼礼讃前序問答。於其果位是雖平等。依因位願。非無差別。此仏既以光明名号摂化十方。阿弥陀者即無量光無量寿也。弥陀如来為其本故最尊第一。最尊第一余不及也。言乃至者。或有仏光照百仏世界。或千仏世界。取要言之。乃照東方恒沙仏刹。南西北方四惟上下亦復如是。或有仏光照于七尺。或照一由旬二三四五由旬。如是転倍乃至照於一仏刹土。已上。今此文者。為讃弥陀光明最尊。先挙諸仏光明不及。以非正讃弥陀光明。且除之也。十二光仏一一功能見下所引憬興師釈。故今不述。三垢等者。於第三巻末引第三十三触光柔軟願。粗解文意畢。若在等者。問。人天善趣猶不能見仏之境界。三塗衆生争見光乎。答。雖顕不見。冥蒙光照。故云見歟。或又現見。是機感也。或依娑婆追福之力。離其苦悩。心地観経云。以其男女追勝福。有大金光照地獄。光中演説深妙法。開悟父母令発意。已上。依追善力見彼仏光。依見仏光。其光施利。仏光功能莫敢疑慮。寿終等者。不限次上三塗苦機。総通上来所帰諸機。言解脱者。近指往生遠指成仏。次諸聖讃歎中。言称説者。問。称揚義歟。称名意歟。答。此含二意。如浄土論讃歎門中所言称彼如来名上句。有其称揚称名義耳。随意者明得生益。又明生後蒙諸歎誉。至其等者。明成道時蒙諸仏歎。SYOZEN2-349,350/TAI8-36,37
 〇初の文の中に、「最尊第一諸仏」等とは、問う、諸仏の功徳は実に差別なし。何ぞ光明に於いて勝劣あるや。答う、彼の『礼讃』の前序の問答の如し。その果位に於ては、これ平等なりといえども、因位の願に依れば差別なきにあらず。この仏は既に光明・名号を以て十方を摂化す。阿弥陀とは即ち無量光・無量寿なり。弥陀如来はその本たるが故に最尊第一なり。最尊第一なれば余は及ばざるなり。「乃至」というは、「或いは仏光の百仏世界を照すあり。あるいは千仏世界なり。要を取りてこれを言わば、乃し東方恒沙の仏刹を照らす。南西北方・四維・上下も、またまたかくのごとし。あるいは仏の光の七尺を照らすあり。あるいは一由旬・二・三・四・五由旬を照らす。かくのごとく転た倍して、乃至、一仏刹土を照らす」已上。今この文は、弥陀の光明の最尊なることを讃ぜんが為に、まず諸仏の光明の及ばざることを挙ぐ。正しく弥陀の光明を讃ずるにあらざるを以て、且くこれを除くなり。十二光仏の一一の功能は下に引く所の憬興師の釈に見えたり。故に今は述べず。「三垢」等とは、第三巻の末に第三十三の触光柔軟の願を引くに於いて、ほぼ文の意を解し畢りぬ。「若在」等とは、問う、人天の善趣もなお仏の境界を見ること能わず。三塗の衆生は争でか光を見んや。答う、顕に見ずといえども、冥に光照を蒙る。故に見というか。或いはまた現に見る。これ機感なり。或いは娑婆追福の力に依りて、その苦悩を離る。『心地観経』に云わく「その男女の追勝の福を以て、大金光ありて地獄を照らす。光の中に深妙の法を演説して、父母を開悟して意を発さしむ」已上。追善の力に依りて彼の仏光を見る。仏光を見るに依りて、その光は利を施す。仏光の功能は敢て疑慮することなかれ。「寿終」等とは、次上の三塗の苦機に限らず。総じて上来所帰の諸機に通ず。「解脱」というは、近くは往生を指し、遠くは成仏を指す。次に諸聖の讃歎の中に、「称説」というは、問う、称揚の義なるか、称名の意なるか。答う、これに二意を含す。『浄土論』の讃歎門の中に言う所の「称彼如来名」の上の句に、その称揚称名の義あるが如くならくのみ。「随意」とは、得生の益を明かす。また生後に諸の歎誉を蒙ることを明かす。「至其」等とは、成道の時に諸仏の歎を蒙むることを明かす。SYOZEN2-349,350/TAI8-36,37


 ◎仏語阿難。無量寿仏寿命長久不可勝計。汝寧知乎。仮使十方世界無量衆生皆得人身。悉令成就声聞縁覚。都共集会。禅思一心。竭其智力。於百千万劫悉共推算。計其寿命長遠之数。不能窮尽知其限極。抄出。
 ◎(大経)仏、阿難に語りたまわく、無量寿仏は、寿命長久にして勝計すべからず。汝むしろ知らんや。たとい十方世界の無量の衆生、みな人身を得て、ことごとく声聞・縁覚を成就せしめて、すべて共に集会して、思いを禅らにし、心を一つにして、その智力を竭して、百千万劫において、ことごとく共に推算して、その寿命の長遠の数を計んに、窮尽してその限極を知ることあたわじと。抄出。SINBUTU:SYOZEN2-121/-HON-301,HOU-412

 〇次明仏寿中。又分為二。初標長遠。(自無量寿仏。至汝寧知乎)。次寄事顕長。(自仮使十方。至所引文終)。是即次願成就文也。文意可見。不及委解。SYOZEN2-350/TAI8-37
 〇次に仏寿を明かす中に、また分ちて二と為す。初には長遠を標す。(「無量寿仏」より「汝寧知乎」に至るまで)。次に事に寄せて長を顕わす。(「仮使十方」より、所引の文の終りに至るまで)。これ即次の願成就の文なり。文の意は見つべし。委しく解するに及ばず。SYOZEN2-350/TAI8-37


 ◎無量寿如来会言。阿難以是義故。無量寿仏復有異名。謂無量光・無辺光・無著光・無碍光・光照王端厳光・愛光・喜光・可観光・不可思議光・無等不可称量光・暎蔽日光・暎蔽月光・掩奪日月光。彼之光明清浄広大。普令衆生身心悦楽。復令一切余仏刹中天龍夜叉阿修羅等。皆得歓悦。已上。
 ◎『無量寿如来会』に言わく、阿難、この義をもってのゆえに、無量寿仏また異名まします。謂わく、無量光・無辺光・無着光・無碍光・光照王・端厳光・愛光・喜光・可観光・不可思議光・無等光・不可称量光・暎蔽日光・暎蔽月光・掩奪日月光なり。かの光明、清浄広大にして、普く衆生をして身心悦楽せしむ。また一切余の仏刹の中の天・龍・夜叉・阿修羅等、みな歓悦を得しむと。已上。SINBUTU:SYOZEN2-121/HON-301,HOU-412

 〇次如来会文。SYOZEN2-350/TAI8-57
 〇次に『如来会』の文。SYOZEN2-350/TAI8-57


 ◎無量清浄平等覚経言(帛延訳)。速疾超便可到安楽国之世界。至無量光明土供養於無数仏。已上。
 ◎『無量清浄平等覚経』(帛延訳)に言わく、速疾に超えて、すなわち安楽国の世界に到るべし。無量光明土に至りて、無数の仏を供養すと。已上。SINBUTU:SYOZEN2-122/HON-301,302,HOU-412

 〇次平等覚経。各以可見。SYOZEN2-350/TAI8-60
 〇次に『平等覚経』。おのおの以て見つべし。SYOZEN2-350/TAI8-60


 ◎仏説諸仏阿弥陀三那三仏薩楼仏檀過度人道経(友謙訳)言。仏言。阿弥陀仏光明。最尊第一無比。諸仏光明皆所不及也。八方上下無央数諸仏中。有仏頂中光明照七丈。有仏頂中光明照一里。乃至。有仏頂中光明照二百万仏国。仏言。諸八方上下無央数仏頂中光明所炎照皆如是也。阿弥陀仏頂中光明所炎照千万仏国。所以諸仏光明所照有近遠者何。本其前世宿命求道為菩薩。照所願功徳各自有大小。至其然後作仏時。各自得之。是故令光明転不同等。諸仏威神同等耳。自在意所欲作為不予計。阿弥陀仏光明所照最大。諸仏光明皆所不能及也。仏称誉阿弥陀仏光明極善。阿弥陀仏光明極善。善中明好。其快無比。絶殊無極也。阿弥陀仏光明清潔。無瑕穢無欠減也。阿弥陀仏光明殊好。勝於日月之明百千億万倍。諸仏光明中之極明也。光明中之極好也。光明中之極雄傑也。光明中之快善也。諸仏中之王也。光明中之極尊也。光明中之最明無極也。炎照諸無数天下幽冥之処。皆常大明。諸有人民[ケン06]飛蠕動之類。莫不見阿弥陀仏光明也。見者莫不慈心歓喜者。世間諸有婬[イツ01]瞋怒愚癡者。見阿弥陀仏光明莫不作善也。諸在泥梨禽狩辟茘考掠勤苦之処。見阿弥陀仏光明。至皆休止不得復治。死後莫不得解脱憂苦者也。阿弥陀仏光明名。聞八方上下無窮無極無央数諸仏国。諸天人民莫不聞知。聞知者莫不度脱也。仏言。不独我称誉阿弥陀仏光明也。八方上下無央数仏辟支仏菩薩阿羅漢。所称誉皆如是。仏言。其有人民善男子善女人。聞阿弥陀仏声称誉光明。朝暮常称誉其光好。至心不断絶。在心所願。往生阿弥陀仏国。已上。
 ◎『仏説諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』(支謙訳)に言わく、仏の言わく、阿弥陀仏の光明は最尊第一にして比びなし。諸仏の光明みな及ばざるところなり。八方上下無央数〈央 おう・なかば〉の諸仏の中に、仏の頂中の光明の七丈を照らすあり。仏の頂中の光明の一里を照らすあり。乃至。仏の頂中の光明の二百万仏国を照らすあり。仏の言わく、もろもろの八方上下無央数の仏の頂中の光明の炎照するところ、みなかくのごとくなり。阿弥陀仏の頂中の炎照〈炎照 かがやかし〉するところ、千万仏国なり。諸仏の光明の照らすところに近遠ある所以は何となれば、本それ前世の宿命に、道を求めて菩薩たりしに、所願を照らすに、功徳おのおの自ずから大小あり。それ然して後に、仏に作る時に至りて、おのおの自らこれを得たり。このゆえに光明転た同等ならざらしむ。諸仏の威神同等なるならくのみと。自在の意の所欲、作為して予〈予 あらかじ・カネテ〉め計らず。阿弥陀仏の光明の照らすところ、最大なり。諸仏の光明みな及ぶことあたわざるところなり。仏、阿弥陀仏の光明の極善なることを称誉〈誉 ホム〉したもう。阿弥陀仏の光明は、極善にして善の中の明好なり。それ快きこと比びなし。絶殊〈タエ スグル〉無極なり。阿弥陀仏の光明は、清潔にして瑕穢なし、欠減なきなり。阿弥陀仏の光明は、殊好なること日月の明よりも勝れたること、百千億万倍なり。諸仏の光明の中の極明なり。光明の中の極好なり。光明の中の極雄傑〈雄 タケキナリ。傑 イサギヨシ〉なり。光明の中の快善なり。諸仏の中の王なり。光明の中の極尊なり。光明の中の最明無極なり。もろもろの無数天下の幽冥の処を炎照〈炎 ホノオ。照 カガヤキ〉するに、みな常に大明なり。諸有の人民、[ケン06]飛蠕動〈[ケン06] ムクメク。蠕 ムクメク〉の類、阿弥陀仏の光明を見ざることなきなり。見たてまつる者、慈心歓喜せざる者なけん。世間諸有の婬[イツ01]・瞋怒・愚痴の者、阿弥陀仏の光明を見たてまつりて、善を作さざるはなきなり。もろもろの泥梨〈カクイナリ〉・禽狩〈ケダモノナリ〉・辟茘・考掠・勤苦の処にありて、阿弥陀仏の光明を見たてまつれば、至りてみな休止して、また治することを得ざれども、死して後、憂苦を解脱することを得ざる者なきなり。阿弥陀仏の光明と名とは、八方上下無窮無極無央数の諸仏の国に聞かしめたまう。諸天人民、聞知せざるはなし。聞知せん者、度脱せざるはなきなり。仏の言わく、独り我、阿弥陀仏の光明を称誉せざるなり。八方上下無央数の仏・辟支仏・菩薩・阿羅漢、称誉するところみなかくのごとし。仏の言わく、それ人民、善男子・善女人ありて、阿弥陀仏の声〈ミナ〉を聞きて、光明を称誉して、朝暮に常にその光好を称誉して、心を至して断絶せざれば、心の所願にありて、阿弥陀仏国に往生すと。已上。SINBUTU:SYOZEN2-122,123/HON-302,303,HOU-413,414

 〇次大阿弥陀経。諸仏中有仏頂等者。問。大経之中。諸仏弥陀不説頂光。今何相違。若限頂者。此非具足挙身光乎。答。異訳相違。此非今始。不及和会。但雖云頂。不遮挙身。只挙身中且出頂歟。SYOZEN2-350/TAI8-63
 〇次に『大阿弥陀経』。「諸仏中有仏頂」とは、問う、『大経』の中に、諸仏弥陀、頂光を説かず。今何ぞ相違するや。もし頂に限らば、これ挙身の光を具足するにあらざるをや。答う、異訳の相違、これ今に始まりたるにあらず。和会するに及ばず。但し頂というといえども、挙身を遮せず。ただ挙身の中に且く頂を出だすか。SYOZEN2-350/TAI8-63


 ◎不空羂索神変真言経言。汝当生処。是阿弥陀仏清浄報土。蓮華化生。常見諸仏。証諸法忍。寿命無量百千劫数。直至阿耨多羅三藐三菩提。不復退転。我常祐護。已上。
 ◎『不空羂索神変真言経』に言わく、汝当生の処は、これ阿弥陀仏の清浄報土なり。蓮華より化生して、常に諸仏を見たてまつる。もろもろの法忍を証せん。寿命無量百千劫数ならん。直ちに阿耨多羅三藐三菩提に至る。また退転せず。我常に祐護〈祐 タスク。護 マモル〉すと。已上。SINBUTU:SYOZEN2-123/HON-303,HOU-414

 〇次不空羂索神変真言経。巻数三十巻。菩提流支三蔵訳。清浄報土其説分明。是故引之証真仏土。SYOZEN2-350/TAI8-68
 〇次に『不空羂索神変真言経』。巻数三十巻。菩提流支三蔵の訳。清浄の報土、その説分明なり。この故にこれを引きて真仏土を証す。SYOZEN2-350/TAI8-68