六要鈔会本 第10巻の5(9の内) 化身土の巻 真偽決判 引文 『首楞厳経』『潅頂経』『十輪経』 『集一切福徳三昧経』『薬師経』『菩薩戒経』 『仏本行集経』『起信論』 |
◎=親鸞聖人『教行信証』の文。 〇=存覚『六要抄』の文 |
『教行信証六要鈔会本』 巻十之五 |
◎首楞厳経言。彼等諸魔。彼諸鬼神。彼等群邪亦有徒衆。各各自謂。成無上道。我滅度後。末法之中。多此魔民。多此鬼神。多此妖邪。熾盛世間。為善知識。令諸衆生落愛見坑。失菩提路。[ゲン03]惑無識。恐令失心。所過之処。其家耗散。成愛見魔。失如来種。已上。 ◎『首楞厳経』に言わく、彼等の諸魔、かのもろもろの鬼神、彼等の群邪、また徒衆ありて、おのおのに自ら謂わん。無上道を成りて、我が滅度の後、末法の中に、この魔民多からん、この鬼神多からん、この妖邪多からん。世間に熾盛にして、善知識となりて、もろもろの衆生をして愛見の坑に落とさしめん。菩提の路を失し、[ゲン03]惑無識にして、恐らくは心を失せしめん。所過の処に、その家耗散して、愛見の魔と成りて、如来の種を失せんと。已上。KESINDO:SYOZEN2-190,191/HON-385,386,HOU-494,495 〇次首楞厳文。今此経者禅門所依。竪超法門直達要路。然而依為自力修行進道難知。得悟[ハ01]測。解行若乖。工夫未熟魔障動侵退縁易競。且由根機利鈍差別。且就練行苦修厚薄。直悟成否定依人歟。魔境難伏在文炳然。修道之人誰以不恐。而我真宗雖為具縛造悪劣機。被仏加故。不恐魔悩。誠是他力不思議也。故引用意。為令識知他力一門。無魔[ジョウ02]也。SYOZEN2-423/TAI9-519 〇次に『首楞厳』の文。今この経は禅門の所依、竪超の法門、直達の要路なり。然して自力の修行たるに依りて、進道、知りがたく、得悟、測りがたし。解行、もし乖きて、工夫いまだ熟せざれば、魔障動侵退縁は競いやすからん。かつは根機利鈍の差別に由り、かつは練行苦修の厚薄に就きて、直悟の成否は定んで人に依らんか。魔境の伏しがたきこと、文に在りて炳然なり。修道の人、誰か以て恐れざらん。しかるに我が真宗は具縛造悪の劣機たりといえども、仏加を被るが故に魔悩を恐れず。誠にこれ他力の不思議なり。故に引用の意は他力の一門に魔[ジョウ02]なきことを識知せしめんためなり。SYOZEN2-423/TAI9-519 ◎潅頂経言。三十六部神王・万億恒沙鬼神為眷属。陰相番代護受三帰者。已上。 ◎『潅頂経』に言わく、三十六部の神王、万億恒沙の鬼神を眷属として、相を陰〈かく〉し、番に代わりて、三帰を受くる者〈ひと〉を護る。已上。KESINDO:SYOZEN2-191/HON-386,HOU-495 〇次灌頂経文。問。三十六部之神王者。指何等乎。答。雖有異説。依一義者。三十六禽是其体也。言其体者。止観八云。十二時即有三十六狩。寅有三。初是狸。次是豹。次是虎。卯有三。狐兎狢。辰有三。龍蛟魚。此九属東方木也。此九物依盂仲季伝作前後也。巳有三。蝉鯉蛇。午有三。鹿馬[ショウ18]。未有三。羊鴈鷹。此九属南方。火也。申有三。[ユウ03]猿猴。酉有三。鳥鶏雉。戌有三。狗狼豺。此九属西方。金也。亥有三。豕[ユ02]猪。子有三。猫鼠伏翼。丑有三。牛蟹鼈。此九属北方。水也。已上。若時媚鬼妨坐禅時。正知其時喚名消去。是故止観出此名也。雖為障法之魔眷属。明還守護三帰人也。問。今文全非守念仏人之誠証哉如何。答。既云三帰。帰仏其首。何言無之。六念所尅偏在専念阿弥陀仏。故観念法門証護念縁。引彼経説。彼所護人言持三帰五戒之人。此所守人唯言三帰。彼能護人六十一人。此能護人三十六王。広略雖異。彼此是同。SYOZEN2-423,424/TAI9-524,525 〇次に『灌頂経』の文。問う、三十六部の神王とは何等を指すや。答う、異説ありといえども、一義に依らば、三十六禽、これその体なり。その体というは、『止観』の八に云わく「十二時に即ち三十六狩あり。寅に三あり。初はこれ狸、次はこれ豹、次はこれ虎なり。卯に三あり。狐・兎・狢なり。辰に三あり、龍・蛟・魚なり。この九は東方に属す、木なり。この九物は盂と仲と季とに依りて伝えて前後を作すなり。巳に三あり、蝉・鯉・蛇なり。午に三あり、鹿・馬・[ショウ18]なり。未に三あり、羊・鴈・鷹なり。この九は南方に属す、火なり。申に三あり、[ユウ03]・猿・猴なり。酉に三あり、鳥・鶏・雉なり。戌に三あり、狗・狼・豺なり。この九は西方に属す、金なり。亥に三あり、豕・[ユ02]・猪なり。子に三あり、猫・鼠・伏翼なり。丑に三あり、牛・蟹・鼈なり。この九は北方に属す、水なり」已上。若時媚鬼は坐禅の時を妨ぐ。正くその時を知りて名を喚べば消え去る。この故に『止観』にこの名を出だすなり。法を障うる魔の眷属たりといえども、還りて三帰の人を守護することを明かすなり。問う、今の文は全く念仏の人を守る誠証にあらざるをや、いかん。答う、既に三帰という。帰仏はその首なり。何ぞこれなしといわん。六念の尅する所は偏に専念阿弥陀仏に在り。故に『観念法門』に護念縁を証すとして、彼の経の説を引く。彼の所護の人は三帰五戒を持てる人という。この所守の人を、ただ三帰という。彼の能護の人は六十一人、この能護の人は三十六王、広略異ありといえども、彼此これ同じ。SYOZEN2-423,424/TAI9-524,525 ◎地蔵十輪経言。具正帰依遠離一切妄執吉凶。終不帰依邪神外道。已上。 ◎『地蔵十輪経』に言わく、正帰依を具して、一切の妄執吉凶を遠離せんものは、終に邪神外道に帰依せざれと。KESINDO:SYOZEN2-191/HON-386,HOU-495 ◎又言。或執種種若少若多古凶之相祭鬼神。乃至。而生極重大罪悪業近無間罪。如是之人。若未懺悔除滅如是大罪悪業。不令出家及受具戒。若令出家或受具戒即便得罪。已上。 ◎(十輪経)また言わく、あるいは種種に、もしは少、もしは多、吉凶の相を執して、鬼神を祭りて、乃至。極重大罪の悪業を生じ、無間罪に近づく。かくの如きの人、もし未だかくの如きの大罪悪業を懺悔し除滅せずは、出家しておよび具戒を受けしめざらんと。もしは出家してあるいは具戒を受けしめんも、すなわち罪を得んと。已上。KESINDO:SYOZEN2-191/HON-386,HOU-495 〇次十輪経所引二段。SYOZEN2-424/TAI9-528 〇次に『十輪経』所引の二段。SYOZEN2-424/TAI9-528 ◎集一切福徳三昧経中言。不向余乗。不礼余天。已上。 ◎『集一切福徳三昧経』の中に言わく、余乗に向かわざれ、余天を礼せざれと。已上。KESINDO:SYOZEN2-191/HON-386,HOU-495 〇次集一切福徳三昧経。所説義趣其意大同。SYOZEN2-424/TAI9-530 〇次に『集一切福徳三昧経』。所説の義趣、その意は大いに同じ。SYOZEN2-424/TAI9-530 ◎本願薬師経言。若有浄信善男子善女人等。乃至尽形不事余天。 ◎『本願薬師経』に言わく、もし浄信の善男子・善女人等ありて、乃至、尽形までに、余天に事えざれと。KESINDO:SYOZEN2-191/HON-386,HOU-495 ◎又言。又信世間邪魔外道妖[ゲツ01]之師妄説。禍福便生。恐動心不自正。卜問覓禍。殺種種衆生。解奏神明。呼諸魍魎。請乞福祐。欲冀延年。終不能得。愚癡迷惑。信邪倒見。遂令横死。入於地獄。無有出期。乃至。八者横為毒薬厭祷呪咀起屍鬼等之所中害。已上抄出。 ◎(本願薬師経)また言わく、また世間の邪魔・外道・妖[ゲツ01]の師、妄りに禍福を説くを信じて、すなわち恐動を生じ、心自ずから正しからず。卜問して禍を覓〈もと〉め、種種の衆生を殺し、神明に解奏し、もろもろの魍魎を呼ばいて、福祐を請乞し、延年を冀〈こいねが〉わんと欲するに、終に得ることあたわず。愚痴迷惑して邪を信じ、倒見す。遂に横死せしめ、地獄に入りて出期あることなけん。乃至。八には、横に毒薬・厭祷・呪咀・起屍鬼等のために中害せらると。已上抄出。KESINDO:SYOZEN2-191/HON-386,387,HOU-495,496 〇次薬師経。所用両段初文是明偏帰三宝不事其外之余天等。故次下云。唯当一心帰仏法僧。已上。後文是明若信世間妄説邪教。現世当来有損無益。所言損者九横難也。今文不具。宜引前後示其説相。所謂彼経説有九横。其初横中説為二重。今所引者第二重也。其初重云。有諸有情得病雖軽然無医薬及看病者。設復遇医授以非薬。実不応死而便横死。已上。今之所引又信等者。即同次下第二重也。言乃至者。是除初横結文以来其下七横。彼具文云。是名初横。二者横被王法之所誅戮。三者畋猟嬉戯耽淫嗜酒放逸無度。横為非人奪其精気。四者横為火焚。五者横為水溺。六者横為種種悪獣所[タン03]。七者横堕山崖。已上。八横次下所引文也。又中害下有第九横。即其文云。九者飢渇所困不得飲食。而便横死。是為如来略説横死有此九種。已上。SYOZEN2-424,425/TAI9-532 〇次に『薬師経』。用うる所の両段の初文は、これ偏に三宝に帰してその外の余天等に事えざることを明かす。故に次下に云わく「ただまさに一心に仏法僧に帰すべし」已上。後の文はこれ、もし世間の妄説邪教を信ずれば、現世・当来に損ありて益なきことを明かす。言う所の損とは九横の難なり。今の文は具ならず。宜しく前後を引きてその説相を示すべし。いわゆる彼の経に九横ありと説く、その初横の中に説きて二重とす。今の所引は第二重なり。その初重に云わく「諸の有情ありて病を得。軽なりといえども、然るに医薬及び看病の者なし。たといまた医に遇うとも授くに非薬を以てす。実に死すべからざれども、しかもすなわち横に死す」已上。今の所引に「又信」等とは、即ち同じき次下の第二重なり。「乃至」というは、これ初横の結文以来、その下の七横を除く。彼の具なる文に云わく「これ初横と名づく。二には横に王法に誅戮せらるることを被る。三には畋猟〈でんりょう〉嬉戯、淫に耽り酒を嗜んで放逸にして度〈のり〉なし。横に非人の為にその精気を奪わる。四には横に火の為に焚かる。五には横に水の為に溺る。六には横に種種の悪獣の為に[タン03]せらる。七には横に山崖に堕つ」已上。八の横は次下の所引の文なり。また中害の下に第九の横あり。即ちその文に云わく「九には飢渇に困らしめられて飲食を得ず。しかもすなわち横に死す。これを如来略して横に死す、この九種あることを説きたまうとす」已上。SYOZEN2-424,425/TAI9-532 ◎菩薩戒経言。出家人法。不向国王礼拝。不向父母礼拝。六親不務。鬼神不礼。已上。 ◎『菩薩戒経』に言わく、出家の人の法は、国王に向かいて礼拝せず、父母に向かいて礼拝せず、六親に務えず、鬼神を礼せずと。已上。KESINDO:SYOZEN2-191,192/HON-387,HOU-496 〇次菩薩戒経。文意易見。SYOZEN2-425/TAI9-536 〇次に『菩薩戒経』。文の意は見やすし。SYOZEN2-425/TAI9-536 ◎仏本行集経第四十二巻優婆斯那品言(闍那堀多訳)。爾時彼三迦葉兄弟。有一外甥螺髻梵志。其梵志名優婆斯那。乃至。恒共二百五十螺髻梵志弟子修学仙道。彼聞其舅迦葉三人。諸弟子往詣於彼大沙門辺。阿舅剃除鬚髮著袈裟衣。見已向舅而説偈言。舅等虚祀火。百年亦復空。修彼苦行。今日同捨於此法。猶如蛇脱於故皮。爾時彼舅迦葉三人。同共以偈報其外甥優波斯那作如是言。我等昔空祀火神。亦復徒修於苦行。我等今日捨此法。実如蛇脱於故皮。抄出。 ◎『仏本行集経』第四十二巻「優婆斯那品」に言わく(闍那堀多訳)、その時にかの三迦葉兄弟に一の外甥、螺髻梵志あり。その梵志を優婆斯那と名づく。乃至。恒に二百五十の螺髻梵志弟子と共に仙道を修学す。彼、その舅迦葉三人、もろもろの弟子、かの大沙門の辺に往詣して聞く。阿舅、鬚髪を剃除し袈裟衣を著ると。見已りて、舅に向かいて、しかして偈を説きて言わく。舅等、虚しく火を祀ると。百年また空しくかの苦行を修しき。今日同じくこの法を捨つること、なお蛇の故〈ふる〉き皮を脱ぐがごとくするをや。その時にかの舅迦葉三人、同じく共に偈を以て、その外甥、優婆斯那に報じて、かくの如きの言を作さく。我等、昔空しく火神を祀りて、また徒に苦行を修しき。我等、今日この法を捨つること、実に蛇の故き皮を脱ぐがごとくすと。抄出。KESINDO:SYOZEN2-192/HON-387,HOU-496 〇次仏本行集経之文。問。今引此文有何由耶。答。今引用意。挙本外道声聞衆等。帰仏法時捨彼邪教。為例真宗念仏行人勿依外法被引之也。三迦葉者是兄弟也。一云優楼頻螺迦葉。二云那提。三云伽耶。天台釈云。三迦葉兄弟有千弟子共起刹。今連枝也。已上。本是祀火婆羅門也。後棄邪法帰仏正法。釈尊成道第一年時先度五人。*(アツ 安+頁)[ビ01]跋提十力迦葉狗梨太子釈摩男也。第二年時度三迦葉。今兄弟也。第三年時度舎利弗目[ケン01]連也。SYOZEN2-425/TAI9-539 〇次に『仏本行集経』の文。問う、今この文を引くは何の由かあるや。答う、今引用の意は、本外道の声聞衆等は仏法に帰する時、彼の邪教を捨つることを挙げて、真宗念仏の行人、外法に依ることなかれということを例さんが為に、これを引かるるなり。「三迦葉」とはこれ兄弟なり。一をば優楼頻螺迦葉といい、二をば那提といい、三をば伽耶という。天台の釈に云わく「三迦葉兄弟に千の弟子あり、共に刹を起つ。今は連枝なり」已上。本はこれ祀火の婆羅門なり。後に邪法を棄てて仏の正法に帰す。釈尊成道第一年の時、まず五人を度す。[アツ01][ビ01]・跋提・十力迦葉・狗梨太子・釈摩男なり。第二年の時、三迦葉を度す。今の兄弟なり。第三年の時、舎利弗・目[ケン01]連を度すなり。SYOZEN2-425/TAI9-539 ◎起信論曰。或有衆生無善根力。則為諸魔外道鬼神所誑惑。若於座中現形恐怖。或現端正男女等相。当念唯心境界。則滅終不為悩。或現天像菩薩像。亦作如来像相好具足。若説陀羅尼。若説布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧。或説平等・空・無相・無願・無怨・無親・無因・無果・畢竟空寂是真涅槃。或令人知宿命過去之事。亦知未来之事。得他心智弁才無碍。能令衆生貪著世間名利之事。又令使人数瞋数喜性無常准。或多慈愛多睡多宿多病。其心懈怠。或卒起精進。後便休廃。生於不信。多疑多慮。或捨本勝行更修雑業。若著世事種種牽纒。亦能使人得諸三昧少分相似。皆是外道所得。非真三昧。或復令人若一日若二日若三日乃至七日。住於定中得自然香美飲食。身心適悦。不飢不渇。使人愛著。或亦令人食無分斉。乍多乍少。顔色変異。以是義故。行者常応智慧観察。勿令此心随於邪網。当勤正念不取不著。則能遠離是諸業障。応知。外道所有三昧皆不離見愛我慢之心。貪著世間名利恭敬故。已上。 ◎『起信論』に曰わく、あるいは衆生ありて、善根力なければ、すなわち諸魔・外道・鬼神のために誑惑せらる。もしは座中にして形を現じて恐怖せしめ、あるいは端正の男女等の相を現ず。当に唯心を念ずべし、境界すなわち滅して終に悩をなさず。あるいは天像・菩薩像を現じ、また如来の像を作して相好具足し、もしは陀羅尼を説き、もしは布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧を説き、あるいは平等・空・無相・無願・無怨・無親・無因・無果・畢竟空寂なる、これ真の涅槃なりと説き、あるいは人をして宿命過去の事を知り、また未来の事を知り、他心智弁才無碍を得せしめ、よく衆生をして世間の名利の事に貪着せしむ。また人をして、しばしば瞋り、しばしば喜びて、性常准なからしめ、あるいは多く慈愛し、多く睡り、多く宿し、多く病む、その心懈怠ならしむ。あるいは、卒〈にわか〉に精進を起こして、後にはすなわち休廃す。不信を生じて、疑多く、慮多く、あるいは本の勝行を捨て、更に雑業を修せしめ、もしは世事に著して、種種に牽纏す。またよく人をしてもろもろの三昧の少分の相似を得せしむ。みなこれ外道の所得にして、真の三昧にあらず。あるいはまた、人をしてもしは一日、もしは二日、もしは三日、乃至、七日、定中に住して、自然の香美飲食を得て、身心適悦して、飢えず渇かざらしめ、人をして愛着せしむ。あるいはまた、人をして食に分斉く、たちまちに多く、たちまちに少なくして、顔色変異せしむ。この義を以ての故に、行者常に、智慧観察して、この心をして邪網に堕せしむることなかるべし。当に勤めて正念にして、取らず着せざれば、すなわちよくこのもろもろの業障を遠離すべし。まさに知るべし、外道の所有の三昧は、みな見愛我慢の心を離れず、世間の名利恭敬に貪着するが故なりと。已上。KESINDO:SYOZEN2-192,193/HON-387,388,HOU-496,497 〇次起信論文。是示衆生無善根者。為諸魔等所狂惑相。末代行者不謂顕密教内教外。自力修行未達浅機不免此障。依之聖道諸経論等教示仏法修習方軌。先誨降魔之用心等。而浄土教曾不言魔。蓋以此法無魔障也。故元照師観経疏中。引山陰釈解説此事。彼釈被引第二巻中。仍鈔新末粗記注訖。此論説意与上所引首楞厳同。他力行人雖為障重根鈍之機。得仏加故自脱魔網。仏恩之至深可貴之。SYOZEN2-425/TAI9-542,543 〇次に『起信論』の文。これ衆生の善根なきは、諸魔等のために狂惑せらるる相を示す。末代の行者、顕密、教内、教外をいわず、自力修行未達の浅機はこの障を免れず。これに依りて聖道の諸経論等は、仏法修習の方軌を教示するに、まず降魔の用心等を誨う。しかるに浄土の教にかつて魔をいわず。蓋しこの法に魔障なきを以てなり。故に元照師の『観経疏』の中に山陰の釈を引きてこの事を解説す。彼の釈は第二巻の中に引かる。よって鈔の新末に、ほぼ記注し訖りぬ。この論説の意は上の所引の『首楞厳』と同じ。他力の行人は障重根鈍の機たりといえども、仏加を得るが故に自ずから魔網を脱る。仏恩の至り、深くこれを貴むべし。SYOZEN2-425/TAI9-542,543 |