六要鈔会本 第10巻の(9の内)
 化身土の巻
 真偽決判
   引文 法琳『弁正論』「十喩篇」
◎=親鸞聖人『教行信証』の文。
〇=存覚『六要抄』の文
『教行信証六要鈔会本』 巻十之六

 ◎弁正論(法琳撰)曰。十喩九箴篇。答。李道士。十異九述。
 ◎『弁正論』(法琳の撰)に曰わく、十喩九箴篇、答す、李道士、十異九述。KESINDO:SYOZEN2-193/HON-388,HOU-497-

 〇次所引文。弁正論者。撰者法琳。是唐沙門所造本意。老子学徒仏教為劣。道教為勝。故為破彼立釈教也。此書有序。東宮学士陳子良述。此人加註。十喩等者。十喩九箴共篇名也。巻有八巻篇有十二。十二篇者第一巻初挙目録云。三教治道篇第一(上下)。十代奉仏篇第二(上下)。仏道先後篇第三(巻第五)。釈李師資篇第四。十喩篇第五(巻第六)。九箴篇第六。気為道本篇第七。信毀交報篇第八巻(第七)。品藻衆書篇第九。出道偽謬篇第十(巻第八)。歴世相承篇第十一。帰心有道篇第十一。己上。十異九箴見此目録。李道士者李仲卿也。見第五巻。又決五云。如道士李仲卿著十異論。琳法師立十喩論以喩其異而異彼。喩猶暁暁彼迷故也。已上。十異等者。彼十異者李家所立以十喩暁。言九述者。又李家意。以九箴誡。但披唐本述字為迷。本有異歟。而於下挙九箴目録先叙云答外九迷論。是則外論毎段結云其迷一也乃至九也。是自李家以釈迦法所称迷也。対之内箴毎段結云其盲一也乃至九也。是自釈家呵李氏教所称盲也。又上所引荊渓解釈云暁彼迷。思此等義。九迷之本宜為正歟。SYOZEN2-426/TAI9-547,548
 〇次の所引の文、『弁正論』とは、撰者は法琳、これ唐の沙門なり。所造の本意は、老子の学徒の、仏教を劣なりとし、道教を勝れたりとす、故に彼を破して釈教を立せんがためなり。この書に序あり。東宮の学士、陳子良が述なり。この人は註を加う。「十喩」等とは、「十喩九箴」は共に篇の名なり。巻に八巻あり、篇に十二あり。十二篇とは、第一巻の初に目録を挙げて云わく「三教治道の篇、第一(上下)。十代奉仏の篇、第二(上下)。仏道先後の篇、第三(巻第五)。釈李師資の篇、第四。十喩の篇、第五(巻第六)。九箴の篇、第六。気為道本の篇、第七。信毀交報の篇、第八巻(第七)。品藻衆書の篇、第九。出道偽謬の篇、第十(巻第八)。歴世相承の篇、第十一。帰心有道の篇、第十一」己上。十異九箴はこの目録に見えたり。「李道士」とは李仲卿なり。第五巻に見えたり。また決の五に云わく「道士李仲卿が如きは『十異論』を著せり。琳法師は『十喩論』を立てて以てその異を喩〈さと〉して彼に異せり。喩はなお暁のごとし、彼の迷を暁〈さと〉すが故なり」已上。「十異」等とは、彼の十異とは李家の立つる所、十喩を以て暁す。「九述」というは、また李家の意、九箴を以て誡〈いま〉しむ。ただし唐本を披くに「述」の字を「迷」に為る。本に異あるか。しかるに下に九箴の目録を挙ぐるに於いて、まず叙して外の九迷論を答うという。これすなわち外論の段毎に結して、その迷の一なり、乃至、九なりという。これ李家より釈迦の法を以て迷と称する所なり。これに対して、内箴には段毎に結して、その盲一なり、乃至、九なりという。これ釈家より李氏の教を呵して盲と称する所なり。また上に引く所の荊渓の解釈に彼の迷を暁すという。これら等の義を思うに、九迷の本、宜しく正とすべきか。SYOZEN2-426/TAI9-547,548


 ◎外一異曰。太子老君託神玄妙玉女。割左腋而生。釈迦牟尼寄胎摩邪夫人。開右脇而出。乃至。内一喩曰。老君逆常。託牧女而左出。世尊順化。因聖母而右出。
 ◎(弁正論)外の一異に曰わく、太子老君は、神を玄妙玉女に託して、左腋を割きて生まれたり。釈迦牟尼は、胎を摩耶夫人に寄せて、右脇を開きて出でたりき。乃至。内の一喩に曰わく、老君は、常に逆〈たが〉い、牧女に託〈つ〉きて左より出ず。世尊は、化に随いて、聖母に因りて右より出でたまいき。KESINDO:SYOZEN2-193/-HON-388,HOU-497-

 〇外一異詞内一喩言所引在文。此一異意。李自左生。仏自右生。故以左右諍勝劣也。此一喩意述左劣義。検右勝礼相翻外異立優劣也。
 〇「外の一異」の詞、「内の一喩」の言、引く所、文に在り。この一異の意は、李は左より生じ、仏は右より生ず。故に左右を以て勝劣を諍すなり。この一喩の意は左の劣なる義を述べ、右の勝たる礼を検べて、外の異に相翻して優劣を立つるなり。SYOZEN2-426,427/TAI9-556


 ◎開士曰。案慮景裕・戴[シン04]・韋処玄等解五千文。及梁元帝・周弘政等老義類云。太上有四。謂三皇・及尭・舜是也。言上古有此大徳之君臨万民上。故云太上也。郭荘云。時之所賢者為君。材不称世者為臣。老子非帝非皇。不在四種之限。有何典拠輒称太上邪。検道家玄妙。及中胎・朱韜・王礼等経。并出塞記云。老是李母所生。不云有玄妙王女。既非正説。尤仮謬談也。仙人玉録云。仙人無妻。玉女無夫。雖受女形。畢竟不産。若有茲瑞。誠曰可嘉。何為史記無文。周書不載。求虚責実。信矯盲者之言耳。礼云。退官無位者左遷。論語云。左袵者非礼也。若以左勝右者。道上行道。何不左旋而還右転邪。国之詔書皆云如右。並順天之常也。乃至。
 ◎(弁正論)開士の曰わく、慮景裕・戴[シン04]・韋処玄等が解五千文、および梁の元帝・周弘政等が老義類を案ずるに云わく、太上に四あり。いわく、三皇および尭舜これなり。言うこころは、上古にこの大徳の君ありて、万民の上に臨めり。故に太上と云うなり。郭荘が云わく「時の賢とする所の者を君とす。材、世に称せられざる者は臣とす」。老子、帝にあらず、皇にあらず、四種の限にあらず、何の典拠ありてか、たやすく太上と称するや。道家『玄妙』および『中胎』『朱韜』『王礼』等の経、ならびに『出塞記』を検〈かんが〉うるに、云わく、老はこれ李母が生ずるところ、玄妙玉女ありと云わず。すでに正説にあらず。もっとも仮の謬談なり。『仙人玉録』に云わく、仙人は妻なし、玉女は夫なし。女形を受けたりといえども、畢竟産せず。もしこの瑞ある、誠に嘉とすべしと曰う。いかんすれぞ『史記』に文なし、『周書』に載せず。虚を求めて実を責めば、矯盲の者の言を信ずるのみと。『礼』に云わく「官を退いて位なきは左遷す」。『論語』に云わく「左袵は礼にあらざるなり」。もし左をもって右に勝るとせば、道士行道する、何ぞ左に旋らずして右に還りて転〈まぐ〉るや。国の詔書にみな、右のごとしという。並びに、天の常に順うなり。乃至。KESINDO:SYOZEN2-193,194/-HON-389,HOU-497,498-

 〇開士釈中。盧景裕等所述未勘。周弘政者作疏六巻。此釈之中。言太子者。是又唐本子字為上。上字宜歟。開士所破被太上故。此釈之終言乃至者。当段所引非有残文。是全文也。就除外内二異二喩三異三喩。故云爾耳。異喩所立為示条目。所除載之。即其文云。外二異云。老君垂訓開不生不滅之長生。釈迦説教示不滅不生之永滅。内二喩云。李[タン04]稟質有生有滅。畏患生之生。反招白首。釈迦垂象示滅。示生帰寂滅之滅。乃耀金躯。開士曰。老子云。貴大患。莫若有身使吾無身。吾有何患。患之所由莫若身矣。老子既患有身。欲求無悩未免頭白。与世不殊。若言長生何因早死。已上。此二異意。李氏雖談長生仙方遂不免死。仏雖示滅帰寂滅故非比論也。開士釈中。引老本文貴大患者。貴者畏也。見本経註。外三異曰。老君応生出茲東夏。釈迦降迹挺彼西戎。内三喩曰。李[タン04]誕形居東周之苦県。能仁降迹出中夏之新州。開士曰。智度論云。千千重数曰三千。二過復千故曰大千。迦羅衛居其中也。楼炭経云。葱河以東名為震旦。以日初出曜於東隅故称震旦。一本云故得名也。諸仏出世皆在其中。不生辺邑。若生辺地地為之傾。乃至。迦維未肯為西。其理験矣。已上。此三異意老出東夏仏出西戎。中夏辺邑以之為異。此三喩意汝解不爾。以彼天竺為地中心故仏勝也。SYOZEN2-427/TAI9-556,557
 〇開士の釈の中に、盧景裕等の述する所は未だ勘えず。「周弘政」とは、疏六巻を作る。この釈の中に「太子」というは、これまた唐本には「子」の字、「上」たり。上の字、宜しきか。開士の所破は太上に被るが故に。この釈の終に「乃至」というは、当段の所引に残文あるにあらず。これ全文なり。外内の二異・二喩・三異・三喩を除くに就くが故にしかいうのみ。異喩の所立、条目を示さんために、除く所、これを載す。即ちその文に云わく「外の二異に云わく、老君は訓を垂れて不生不滅の長生を開き、釈迦は教を説きて不滅不生の永滅を示す。内の二喩に云わく、李[タン04]は質を稟けて生あり滅あり。患生の生を畏れて、反りて白首を招く。釈迦は象を垂て滅を示し、生を示して寂滅の滅に帰して、すなわち金躯を耀かす。開士の曰わく、老子の云わく、大患を貴〈おそ〉るるに、身あるにしくはなし。吾をして身なからしめば、吾、何の患かあらん。患の由る所、身あるにしくはなし。老子は既に身あることを患う。悩なきことを求めんと欲すれども、未だ頭白を免れず。世と殊らず。もし長生をいわば、何に因ってか早く死せる」已上。この二異の意は、李氏の、長生の仙方を談ずるといえども、遂に死を免れず。仏は滅を示すといえども、寂滅に帰するが故に比論にあらざるなり。開士の釈の中に、老の本文を引くに、貴大患とは、貴は畏なり、本経の註に見えたり。外の三異に曰わく、老君の応生はこの東夏に出ず。釈迦の降迹は彼の西戎に挺〈ぬきん〉ず。内の三喩に曰わく、李[タン04]は形を誕じて東周の苦県に居り、。能仁は迹を降て中夏の新州に出ず。開士の曰わく、『智度論』に云わく、千千の重数を三千といい、二たび復千を過ぐるが故に大千という。迦羅衛はその中に居するなり。『楼炭経』に云わく、葱河以東を名づけて震旦とす。日の初めて出でて東隅に曜くを以ての故に震旦と称す。一本に云わく、故に名を得るなり。諸仏の出世はみなその中に在り。辺邑に生ぜず。もし辺地に生ずれば、地はこれがために傾く、乃至。迦維、未だ肯いて西たらず。その理、験せり」已上。この三異の意は、老は東夏に出で、仏は西戎に出ず。中夏辺邑、これを以て異とす。この三喩の意は、汝が解はしからず、彼の天竺を以て地の中心とするが故に、仏の勝れたりとなり。SYOZEN2-427/TAI9-556,557


 ◎外四異曰。老君文王之日。為隆周之宗師。釈迦荘王之時。為[ケイ02]賓之教主。内四喩曰。伯陽職処小臣。恭宛蔵吏。不在文王之日。亦非隆周之師。牟尼位居太子。身証特尊。当昭王之盛年。為閻浮教主。乃至。
 ◎(弁正論)外の四異に曰わく、老君は文王の日、隆周の宗師たり。釈迦は荘王の時、[ケイ02]賓の教主たり。内の四喩に曰わく、伯陽〈伯楊〉は、職、小臣に処り、恭〈忝〉〈かたじけ〉なく蔵吏に宛〈充〉〈あた〉れり。文王の日にあらず。また隆周の師にあらず。牟尼は、位、太子に居して、身、特尊を証したまえり。昭王の盛年に当れり。閻浮の教主たり。乃至。KESINDO:SYOZEN2-194/-HON-389,HOU-498-

 〇四異四喩所引在文。但今所除開士釈也。即其文云。開士曰。前漢書云孔子為上。上流是聖。老子為中。中流是賢。何晏王弼云老未及聖。二教論云。柱史在朝本非諧讃。出周入秦。為尹言道。無聞諸侯。不見天子。若為周師史無明証。不符正説。其可得乎。乃至。抱朴云。出文王世[ケイ12]康皇甫謐並生殷末者蓋指道之偽文。非国典所載也。已上。此四異意。老子総為隆周之師。釈尊僅一国之教主。故有勝劣。同四喩意。李為小臣。又非周師。仏初太子後証仏果。於閻浮提総為教主。故為勝也。言伯陽者是老子名。言蔵史者是官名也。謂之柱史。又云柱下。日本称之云大内記。是儒官也。外五異曰。老君降迹周王之代。三隠三顕五百余年。釈迦応生胡国之時。一滅一生寿唯八十。内五喩曰。李氏三隠三顕既無的拠。可依仮令五百許年。猶慚亀鶴之寿。法王一滅一生示見微塵之容。八十年間開誘恒沙之衆。開士曰。検諸史正典無三隠三顕出没之文。乃至。在周劣駕小車鬢垂糸髪。来漢即簫鼓雲萃羽従空。浮于宝捜神未聞其説。斉諧異記不載斯霊撫臆論心矯妄尤甚。已上。此五異意老子三隠三顕為奇。釈尊一滅一生是劣。寿命長短為之殊異。SYOZEN2-427,428/TAI9-563
 〇四異四喩、所引、文に在り。ただし今除く所は開士の釈なり。即ちその文に云わく「開士の曰く、『前漢書』に云わく、孔子を上とす。上流はこれ聖。老子を中とす。中流はこれ賢。何晏王弼が云く、老は未だ聖に及ばず。二教論に云わく、柱史、朝に在る本、諧讃にあらず。周を出でて秦に入る。尹がために道をいう。諸侯に聞ゆることなし。天子に見〈まみ〉えず。もし周の師たらば、史に明証なし。正説に符〈あ〉わず。それ得べけんや。乃至。抱朴に云わく、出文の王に世ず。[ケイ12]康皇甫謐、並びに殷の末に生まれたりとは、蓋し道を指すの偽文なり。国典の載する所にあらざるなり」已上。この四異の意は、老子は総て隆周の師たり、釈尊は僅かに一国の教主なり。故に勝劣あり。同じき四喩の意は、李は小臣たり、また周の師にあらず。仏は初には太子、後には仏果を証す。閻浮提に於いて総て教主たり。故に勝とするなり。「伯陽」というは、これ老子の名。「蔵史」というは、これ官名なり。これを柱史という。また柱下という。日本にはこれを称して大内記という。これ儒官なり。外の五異に曰わく「老君は迹を周王の代に降りて、三たび隠れ、三たび顕わること五百余年。釈迦の応生は胡国の時、一たび滅し、一たび生じて寿はただ八十なり。内の五喩に曰わく、李氏の三隠三顕は既に的拠なし。仮令五百許年に依るべきとも、なお亀鶴の寿に慚ず。法王の一滅一生は微塵の容を見るべきことを示す。八十年の間、恒沙の衆を開誘す。開士の曰わく、諸史正典を検るに、三隠三顕出没の文なし。乃至。周に在りては劣駕小車にして、鬢、糸髪を垂れ、漢に来ては、即ち、簫鼓、雲萃羽従して空く浮ぶ。于宝〈千宝〉が『捜神』、未だその説を聞かず。『斉諧異記』にこの霊を載せず。撫臆、論心、矯妄、もっとも甚し」已上。この五異の意は、老子の三隠三顕を奇とし、釈尊の一滅一生はこれ劣なり。寿命の長短、これを殊異とす。SYOZEN2-427,428/TAI9-563


 ◎外六異曰。老君降世。始自周文之日。訖于孔丘之時。釈迦下生肇於浄飯之家。当我荘王之世。内六喩曰。迦葉生桓王丁卯之歳。終景王壬午之年。雖訖孔丘之時。不出姫昌之世。調御誕昭王甲寅之年。終穆王壬申之歳。是為浄飯之胤。本出荘王之前開士曰。孔子至周見老[タン04]而問礼焉。史記具顕。為文王師則無典証。出於周末。其事可尋。周初史文不載。乃至。
 ◎(弁正論)外の六異に曰く、老君は世に降して、始め周文の日より、孔丘の時に訖れり。釈迦は肇めて浄飯の家に下生して、我が荘王の世に当れり。内の六喩に曰わく、迦葉は、桓王丁卯の歳に生まれて、景王壬午の年に終う。孔丘の時に訖るといえども、姫昌の世に出でず。調御は、昭王甲寅の年に誕じて、穆王壬申の歳に終う。これ浄飯の胤たり。本荘王の前に出でたまえり。開士曰わく、孔子、周に至りて老[タン04]を見て、礼を問う。『史記』に具に顕る。文王の師たること、すなわち典証なし。周の末に出でたり。その事、尋ぬべし、周の初めの史文に載せず。乃至。KESINDO:SYOZEN2-194/-HON-390,HOU-498,499-

 〇六異六喩在所引文。此六異意。老氏出世周文王時。釈尊下生同荘王時。言以前後為勝劣也。此六喩意。李老始。生周桓王歳。終景王年。不出文世。調御誕生昭王之年。出荘王前。終穆王年。若以前後論勝劣者。仏前老後何得比也。言迦葉者。蓋指老子。乃是本地菩薩名也。言姫昌者周文王也。文王雖為周之始祖。不即正位。武王以来。周継体主三十七也。言桓王者第十五代。言景王者第二十五代。言昭王者第四代主。言穆王者是第五代。言荘王者第十六代之王是也。前後応知。開士釈終。言乃至者於当文中有余言也。SYOZEN2428,429/TAI9-568
 〇六異六喩、所引の文に在り。この六異の意は、老氏の出世は周の文王の時、釈尊の下生は同じき荘王の時。言うこころは、前後を以て勝劣とするなり。この六喩の意は、李老の始は、周の桓王の歳に生まれて、景王の年に終う。文の世に出でず。調御は昭王の年に誕生して、荘王の前に出でて、穆王の年に終う。もし前後を以て勝劣を論ぜば、仏は前、老は後、何ぞ比することを得んやとなり。「迦葉」というは、蓋し老子を指す。すなわちこれ本地の菩薩の名なり。「姫昌」というは周の文王なり。文王は周の始祖たりといえども、正位に即かず。武王よりこのかた、周の継体の主は三十七なり。「桓王」というは第十五代、景王というは第二十五代、昭王というは第四代の主なり。穆王というはこれ第五代、荘王というは第十六代の王、これなり。前後、知るべし。開士の釈の終に、「乃至」というは当文の中に於いて余言あるなり。SYOZEN2428,429/TAI9-568

 ◎外七異曰。老君初生周代。晩適流沙。不測始終。莫知方所釈迦生於西国。終彼提河。弟子捉胸。群胡大叫内七喩曰。老子生於頼郷。葬於槐里。詳乎秦佚之弔。責在遁天之形。瞿曇出彼王宮。隠慈鵠樹。伝乎漢明之世。祕在蘭台之書開士曰。荘子内篇云。老[タン04]死秦佚弔焉。三号而出。弟子怪問。非夫子之徒歟。秦佚曰。向吾入見少者。哭之如哭其父。老者哭之如哭其子。古者謂之遁天之形。始以為其人也。而今非也。遁者隠也。天者免縛也。形者身也。言始以老子為免縛形之仙。今則非也。嗟其諂典。取人之情。故不免死。非我友。乃至。
 ◎(弁正論)外の七異に曰わく、老君、初めて周の代に生まれて、晩に流沙に適く。始終を測らず、方所を知ることなし。釈迦は西国に生まれて、かの提河に終わりぬ。弟子、胸を捉ち、群胡大きに叫ぶ。内の七喩に曰わく、老子は頼郷に生まれて、槐里に葬むる。秦佚の弔を詳らかにす。責め、遁天の形にあり。瞿曇はかの王宮に出でて、慈鵠樹に隠れたまう。漢明の世に伝わりて、祕かに蘭台の書にまします。開士の曰わく、『荘子』内篇に云わく、老[タン04]死して、秦佚弔う。ここに三たび号〈さけ〉んで出ず。弟子、怪しんで問う、夫子の徒にあらざるか。秦佚曰わく、さきに吾入りて少者を見るに、これを哭すること、その父を哭するがごとく、老者これを哭すること、その子を哭するがごとし。古はこれを遁天の形と謂う。始めはおもえらく、その人なり。しかるに今非なり。遁は隠なり、天は免縛なり、形は身なり。言うこころは、始め老子を以て免縛形の仙とす、今すなわち非なり。ああ、その諂れる典、人の情〈こころ〉を取る。故に死を免れず。我が友にあらず。乃至。KESINDO:SYOZEN2-194,195/-HON-390,391,HOU-499-

 〇七異七喩文在所引。此七異意。老適流沙不知所隠。言得仙也。仏終提河現唱涅槃。言有死也。同七喩意。老有生処又有葬処。不遁生死。仏隠鶴林雖示涅槃非滅現滅。是故其教自梵伝漢于今流布。法命長遠衆生蒙益。非対比也。開士釈終言乃至者。非於当段有余残文。(但也一字在最末矣)第八九十外異内論省略之故。対下十異十喩重説云乃至也。彼三段云。外八異曰。老君蹈五把十美眉方口双柱参漏日角月懸。此中国聖人之相。釈迦鼻如金挺。眼類井星。晴若青蓮。頭生螺髪。此西域仏陀之相。内八喩曰。李老美眉方口蓋是長者之徴。蹈五把十未為聖人之相。婆伽聚日融金之色。既彰希有之相。万字千輻之奇。誠標聖人之相。開士曰。老子中胎等経云。老[タン04]黄色広[ソウ09]長耳大目疎歯厚唇。手把十字之文。脚蹈二五之画。止是人間之異相。非聖者之奇姿也。乃至。如来身長丈六方正不傾。円光七尺照諸幽冥。項有肉髻其髪紺青。耳覆垂[トウ?02]目視開明。乃至。放一光而地獄休息。演一法使苦痛安寧。備列衆経。不煩委指。已上。此八異意。老備中華聖人之相。仏為西域仏陀之相。是分中辺貶異相也。外九異曰。老君説教敬譲威儀自依中夏。釈迦制法恭粛儀容還遵外国。内九喩曰。老是俗人官。居末品。衣冠拝伏自奉朝章。仏為聖主道与俗乖。服貌威儀不同凡制。開士曰。昔丹陽余玖興。撰明真論一十九篇以駭道士。出其偽妄詳彼論焉。取意。此異喩意。又依中辺就其威儀。争勝劣。外十異曰。老君之教以復孝慈為徳本。釈迦之法以捨親戚為行先。内十喩曰。老訓狂勃殺二親為行先。釈教仁慈済四生為徳本。開士曰。汝化胡経言。喜欲従。[タン04]曰。若有至心随我去者。当斬汝父母妻子七人頭者。乃可去耳。喜乃至心便自斬父母七人将頭到[タン04]前。便成七猪頭。夫順天地之道者行也。不傷和気者孝也。丁蘭感通於朽木。董永孝致於天女。禽獣猶有母子而知親。況[タン04]喜行道於天下。斬其父母。何名孝乎。戮其妻子豈謂慈乎。已上。此十異意。老教孝慈。仏捨親戚。勝劣在斯。同十喩意。老訓殺二親。是背孝行。仏済四生是叶仁慈。是勝劣也。開士釈中所言喜者。是尹喜也。老子序云。関令尹喜望見東方有来人。変化無常。乃謁請之。老子知喜入道。於是留与之言。喜曰子将隠矣。強為我著書。於是老子著上下二篇八十一章五千余言。故号曰老子経也。已上。異喩十双相対如斯。SYOZEN2-429,450/TAI9-573,574
 〇七異七喩の文は所引に在り。この七異の意は、老は流沙に適〈ゆ〉きて隠るる所を知らず。言うこころは仙を得たるなり。仏は提河に終りて現に涅槃を唱う。言うこころは死あるなり。同じき七喩の意は、老は生処あり、また葬処あり。生死を遁れず。仏は鶴林に隠れて涅槃を示すといえども、滅にらずして滅を現ず。この故にその教は梵より漢に伝いて今に流布し、法命長遠にして衆生は益を蒙る。対比にあらざるなり。開士の釈の終りに「乃至」というは、当段に於いて余残の文あるにあらず。(ただし「也」の一字、最末に在り。)第八・九・十の外異・内論は省略するが故に、下に十異十喩の重説に対して「乃至」というなり。彼の三段に云わく「外の八異に曰わく、老君は蹈五・把十・美眉・方口・双柱・参漏・日角・月懸、これ中国の聖人の相なり。釈迦は、鼻は金挺の如し、眼は井星に類す。晴は青蓮のごとし、頭は螺髪を生ず。これ西域の仏陀の相なり。内の八喩に曰わく、李老は美眉・方口、蓋しこれ長者の徴〈ち〉。蹈五・把十は未だ聖人の相とせず。婆伽は聚日融金の色、既に希有の相を彰わし、万字千輻の奇、誠に聖人の相を標す。開士の曰わく、老子は中胎等の経に云わく、老[タン04]、黄色広[ソウ09]にして、長耳・大目・疎歯・厚唇なり。手に十字の文を把り、脚に二五の画を蹈む。止〈た〉、これ人間の異相、聖者の奇姿にあらざるなり。乃至。如来は身の長丈六、方正にして傾かず。円光七尺、もろもろの幽冥を照らす。項に肉髻あり、その髪は紺青なり。耳覆の[トウ?02]を垂れ、目視ること開明なり。乃至。一光を放ちては地獄休息し、一法を安ずれば苦痛安寧ならしむ。備に衆経に列れり。煩しく委しく指さず。已上。これ八異の意は、老は中華聖人の相を備う。仏は西域の仏陀の相たり。これ中辺を分けて異相を貶むるなり。外の九異に曰わく、老君は教を説くこと、敬譲威儀、自ずから中夏に依る。釈迦は法を制すること恭粛儀容、また外国に遵う。内の九喩に曰わく、老はこれ俗人、官は末品に居して、衣冠拝伏、自ずから朝章に奉〈う〉く。仏は聖主として道、俗と乖けり。服貌威儀、凡制に同じからず。開士の曰わく「昔丹陽の余玖興、明真論一十九篇を撰びて以て道士を駭かす。その偽妄を出だすに、彼の論に詳らかなり」取意。この異喩の意、また中辺に依りてその威儀に就きて、勝劣を争う。外の十異に曰わく「老君の教は孝慈に復るを以て徳本と為す。釈迦の法は親戚を捨つるを以て行の先となす。内の十喩に曰わく、老訓は狂勃にして二親を殺すを行の先となす。釈教は仁慈にして四生を済うを徳の本となす。開士の曰わく「汝、化胡経に言わく、喜、従わんと欲す。[タン04]の曰わく、もし心を至して我に随いて去くことある者、まさに汝が父母妻子七人の頭を斬るべきは、すなわち去るべからくのみ。喜すなわち心を至してすなわち自ら父母七人を斬りて頭をもって[タン04]の前に到る、すなわち七の猪頭と成る。それ天地の道に順う者の行なり。和気を傷らざるは孝なり。丁蘭は感を朽木に通じ、董永は孝を天女に致す。禽獣は猶し母子として親を知ることあり。況んや[タン04]喜は道を天下に行ずるにその父母を斬る、何ぞ孝と名づけんや、その妻子を戮する、あに慈といわんや」已上。この十異の意は、老は孝慈を教え、仏は親戚を捨てしむ。勝劣ここにあり。同じき十喩の意は、老は訓えて二親を殺さしむ、これ孝行に背むく。仏は四生を済う、これ仁慈に叶う。これ勝劣なり。開士の釈の中に言う所の喜とは、これ尹喜なり。老子の序に云わく「関の令尹喜、東方を望見するに来る人あり。変化して常なし。すなわちこれに謁請す。老子、喜の道に入ることを知りて、ここに留まりてこれと言う。喜が曰わく、子、まさに隠れなんとす。強ちに我ために書を著わせ。ここに老子は上下二篇八十一章五千余言を著わす。故に号して老子経というなり」已上。異喩の十双相対してかくの如し。SYOZEN2-429,450/TAI9-573,574


 ◎内十喩答外十異。外従生左右異一。内従生有勝劣内喩曰。左袵則戎狄所尊。右命為中華所尚。故春秋云冢卿無命。介卿有之。不亦左乎。史記云。藺相如功大位在簾頗右恥之。又云。張儀相右秦而左魏。犀首相右緯而左魏。蓋云。不便也。礼云。左道乱群殺之。豈非右優而左劣也。皇哺謐高士伝云。老子楚之相人。家温水之陰。師〈押〉事常従子。及常子有疾。李耳往問疾焉。[ケイ12]康云。李耳従涓子学九仙之術。撥〈[ケン03]〉太史云等衆尽〈書・画〉。不云老子剖左腋生。既無正出。不可承信明矣。験知。揮戈操翰蓋文武之先。五気三光寔陰陽之首。是以釈門右転。且快人用。張陵左道。信逆天常。何者。釈迦超無縁之慈。応有機之召。語其迹也。乃至。
 ◎(弁正論)内の十喩、外の十異を答す。外は生より左右異なる一なり。内は生より勝劣あり。内に喩して曰わく、左袵はすなわち戎狄の尊ぶところ、右命は中華の尚ぶところとす。故に『春秋』に云わく、冢郷は命なし、介郷はこれあり、また左〈たが〉わずや」。『史記』に云わく、藺相如は、功大きにして、位、廉頗が右にあり、これを恥ず。また云わく、張儀相、秦を右にして魏を左にす。犀首相、韓を右にして魏を左にす。蓋し云わく、便ならず。『礼』に云わく、左道乱群をば、これを殺す。あに右は優りて左は劣れるにあらずや。皇甫謐が『高士伝』に云わく、老子は楚の相人、過水の陰に家す。常従子に師〈押〉とし事う。常子疾あるに及びて、李耳往きて疾を問う。[ケイ12]康の云わく、李耳、涓子に従いて九仙の術を学ぶ。太史公等の衆尽〈書・画〉を撥〈[ケン03]〉するに、老子、左腋を剖きて生まると云わず。すでに正しく出でたることなし。承信すべからざること明らけし。験らかに知りぬ。戈を揮い翰を操る、けだし文武の先、五気三光は、まことに陰陽の首なり。ここをもって釈門には、右に転ずること、また人用を快しくす。張陵左道にす、信に天の常に逆う。いかんとなれば、釈迦、無縁の慈を超えて、有機の召に応ず、その迹を語るなり。乃至。KESINDO:SYOZEN2-195/-HON-391,HOU-499,500-

 〇次内十喩答外等者。次下重明十異十喩之標章也。本書之中。標章之下載目録云。内従生有勝劣一。立教有浅深二。徳位有高卑三。化縁有広[キョウ01]四。寿夭有延促五。化迹有先後六。遷謝有顕晦七。相好有少多八。威儀有同異九。法門有漸頓十。此十双者於前十異重宣其意。於前十喩再明其義。只是広略之不同也。前重是略。今重広耳。但前十双異喩之上各有注字。以之思之。上陳子良予先正文且著述歟。今此十双是琳法師正製作也。言外従生左右等者。上目録中唯載十喩不出十異。各至釈章内喩之前置外異題挙外異言。次置内題出内喩言。即今所挙外一題也。但下諸段所除非一。縦又雖引異喩之言多略題目。仍先釈章出外異題。合上所挙内喩目録。可顕相対之大意也。其題目云。外従生左右異一。外教門生滅異二。外方位東西異三。外適化華夷異四。外稟生有夭寿異五。外従生前後異六。外遷神返寂異七。外聖賢相好異八。外中表威儀異九。外設規逆順異十。内従等者。目録所挙十喩之中一喩題也。問。目録之中有一二三乃至十数。今不載之。有何意耶。答。目録之中唯載内喩。故記其数。今於外異先記数故。譲上不録。内外相対一一不可相濫故也。問。今外一異雖挙題目不出文言。其文如何。答。彼本文云。外論曰。聖人応迹異彼凡夫。或乗龍象以処胎。乍開脇而出。雖復無開両気非仮二親。至於左右之殊其優劣之異一也。内喩等者。内一瑜也。今所挙之内従生等之題目者。略外論故。次外異題。如本書者在外論後内喩之前。次第応知。此内喩中。藺相等者。世謂廉藺。廉則廉頗。藺藺相如。一双武将。而廉為麁書生誤歟。加之此中唐本文字相違又多。一者右緯。緯字為韓。二者温水温字為渦。三者押事押字為師。四撥太史。撥字為検。五快人用。快字為扶。弗謂是非。只記異耳。其迹也下言乃至者。自此文残至三喩半省略故也。SYOZEN2-430,431,432/TAI9-581,582
 〇次に「内十喩答外」等とは、次下に重ねて十異十喩を明かす標章なり。本書の中、標章の下に目録を載せて云わく「内は生より勝劣ある一。教を立つるに浅深ある二。徳位に高卑ある三。化縁に広[キョウ01]ある四。寿夭に延促ある五。化迹に先後ある六。遷謝に顕晦ある七。相好に少多ある八。威儀に同異ある九。法門に漸頓ある十」と。この十双は前の十異に於いて重ねてその意を宣べ、前の十喩に於いて再びその義を明かす。ただこれ広略の不同なり。前の重はこれ略、今の重は広なるのみ。ただし前の十双異喩の上に、おのおの注の字あり。これを以て、これを思うに、上は陳子良が予め正文に先だって且つ著述するか。今この十双は、これ琳法師の正しき製作なり。「外従生左右」等というは、上の目録の中に、ただ十喩を載せて十異を出ださず。おのおの釈章に至りて内喩の前に外異の題を置きて外異の言を挙ぐ。次に内題を置きて内喩の言を出だす。即ち今挙ぐる所、外の一の題なり。ただし下の諸段に除く所は一にあらず。たといまた異喩の言を引くといえども、多く題目を略す。よって釈章の先だって外異の題を出だす。上に挙ぐる所の内喩の目録に合して、相対の大意を顕わすべきなり。その題目に云わく「外は生より左右異なる一。外は教門生滅異なる二。外は方位東西異なる三。外は適化華夷異なる四。外は生を稟くるに夭寿ある異五。外は生より前後異なる六。外は神を遷し寂に返る異なる七。外は聖賢相好異なる八。外は中表威儀異なる九。外は規を設くること逆順異なる十」と。「内従」等とは目録に挙ぐる所の十喩の中の一喩の題なり。問う、目録の中に一二三乃至十の数あり。今はこれを載せず。何の意かあるや。答う、目録の中には、ただ内喩を載す。故にその数を記す。今は外異に於いて、まず数を記するが故に、上に譲りて録せず。内外相対して一一に相濫すべからざるが故なり。問う、今、外の一異に題目を挙ぐるといえども、文言を出ださず。その文如何。答う、彼の本文に云わく「外論に曰わく、聖人の応迹は彼の凡夫に異なり、あるいは龍象に乗りて以て胎に処し、たちまち脇を開きて出ず。また両気に開〈あずか〉ることなく二親を仮ることなしといえども、左右の殊に至りては、その優劣の異一なり」。「内喩」等とは、内の一瑜なり。今挙ぐる所の「内従生」等の題目は、外論を略するが故に、外異の題に次ぐ。本書の如きは外論の後、内喩の前にあり。次第知るべし。この内喩の中に「藺相」等とは、世に廉藺という。廉は則廉頗、藺は藺相如、一双の武将なり。しかして廉を麁とす、書生の誤りか。しかのみならず、この中に唐本の文字相違また多し。一には「緯を右にす」の緯の字は韓たり。二には「温水」の温の字は渦たり。三には「押事」の押の字は師たり。四に「撥太史」の撥の字は検たり。五に「人用を快しくす」の快の字は扶たり。是非をいうにはあらず。ただ異を記するのみ。「其迹也」の下に「乃至」というは、この文の残より三喩の半に至るまで省略するが故なり。SYOZEN2-430,431,432/TAI9-581,582


 ◎夫釈氏者天上天下介然居其尊。三界六道卓爾推其妙。乃至。
 ◎(弁正論)それ釈氏は、天上天下に介然として、その尊に居す。三界六道、卓爾としてその妙を推す。乃至。KESINDO:SYOZEN2-195/-HON-391,HOU-500-

 〇夫釈氏者天上等者。三喩中文前後猶有数行文言。併以略之。推其妙下言乃至者。於当段中猶有残文。又除四異四喩也下乃至十異。故云爾也。SYOZEN2-432/TAI9-588
 〇「夫釈氏者天上」等とは、三喩の中の文、前後になお数行の文言あり。しかしながら以てこれを略す。「推其妙」の下に「乃至」というは、当段の中に於いて、なお残文あり。また四異四喩也の下、乃至十異を除く。故に爾〈しか〉いうなり。SYOZEN2-432/TAI9-588


 ◎外論曰。老君作範。唯孝唯忠。救世度人。極慈極愛。是以声教永伝。百王不改。玄風長被。万古無差。所以治国治家常然楷式。釈教棄義棄親。不仁不孝。闍王殺父翻説無愆。調達射兄無間得罪。以此導凡。更為長悪。用斯範世。何能生善。此逆順之異十也。
 ◎(弁正論)外論に曰わく、老君、範と作す。ただ孝、ただ忠、世を救い人を度す、慈を極め愛を極む。ここを以て声教永く伝えて、百王改まらず、玄風長く被らしめて、万古差うことなし。このゆえに国を治め家を治むるに、常然として楷式たり。釈教は、義を棄て親を棄てて、仁ならず孝ならず。闍王、父を殺し、翻じて愆〈とが〉なしと説く。調達、兄を射て、罪を得ることを間〈聞〉くことなし。これを以て凡を導く、更に悪を長〈ま〉すことをなす。これを用て世に範〈のり〉とする、何ぞよく善を生ぜんや。これ逆順の異十なり。KESINDO:SYOZEN2-195,196/-HON-391,392,HOU-500-

 〇次外論曰。老君等者第十異也。本書先安外設規云逆順異十之題一行。其次有云外論等之長行也。SYOZEN2-432/TAI9-589
 〇次に「外論曰。老君」等とは第十異なり。本書はまず外設規の逆順異十という題の一行を安じて、その次に「外論」等という長行あり。SYOZEN2-432/TAI9-589


 ◎内喩曰。義乃道徳所卑。礼生忠信之薄。瑣仁譏於匹婦。大孝存乎不匱。然対凶歌咲。乖中夏之容。臨喪扣盆。非華俗之訓。原壤母死。騎棺而弗譏。子桑死子貢弔。四子相視歌。而孔子時助祭而咲。荘子妻死扣盆而歌也。故教之以孝。所以敬天下之為人父也。教之以忠。敬天下之為人君也。化周万国。乃明辟之至。仁形于四海。実聖王之臣孝。仏経言。識体輪回六趣。無非父母。生死変易三界。孰弁怨親。又言。無明覆慧眼。未往生死中。往来所作。更互為父子。怨親数為知識。知識数為怨親。是以沙門捨俗趣真。均庶類於天属。遺榮即道。等含気於己親。行普正之心等普親之志。且道尚清虚。爾重恩愛。法貴平等。爾簡怨親。豈非惑也。勢競遺親。文史明事。斉桓楚穆。此其流也。欲以[シ05]聖。豈不謬哉。爾道之劣十也。乃至。
 ◎(弁正論)内喩に曰わく、義はすなわち道徳の卑しゅうする所、礼は忠信の薄きより生ず。瑣仁、匹婦を譏り、大孝は不匱を存す。然して凶に対するに歌い笑う、中夏の容〈かたち〉に乖く。喪に臨みて盆を扣く、華俗の訓〈おし〉えにあらず。原壌、母死して騎棺して譏らず。子桑死するとき子貢弔う。四子あい視て歌う。しかるに孔子、時に祭を助けて笑う。荘子が妻死す、盆を扣きて歌うなり。故にこれを教うるに孝を以てす、天下の人父たるを敬する所以なり。これを教うるに忠を以てす、天下の人君たるを敬するなり。化、万国に周し、いまし明辟の至なり。仁、四海に形〈あらわ〉る、実に聖王の巨孝なり。仏経に言わく、識体、六趣に輪回す、父母にあらざるなし。生死、三界に変易す、たれか怨親を弁えん。また言わく、無明、慧眼を覆いて、いまだ生死の中に往かず。往来して作す所、さらに互いに父子たり。怨親しばしば知識たり、知識しばしば怨親たり。ここを以て沙門は、俗を捨てて真に趣く、庶類を天属に均しゅうす。栄を遺てて道に即〈つ〉く、含気を己親に等しゅうす。行、普く正しきの心。等しく普き親の志なり。また道は清虚を尚ぶ、爾〈なんじ・それ〉は恩愛を重くす。法は平等を貴ぶ、爾は怨親を簡〈きら〉わんや。あに惑にあらずや。勢競の、親を遺〈わ〉する、文史の、事を明らかにす。斉桓・楚穆、これその流〈ともがら・たぐい〉なり。以て聖を[シ05]〈そし〉らんと欲う、あに謬れるにあらずや。なんじが道の劣十なり。乃至。KESINDO:SYOZEN2-196/-HON-392,HOU-500,501-

 〇次内喩曰義乃等者第十喩也。本書文前安題如前。其題目者云内法門有漸頓之六字是也。当段之中又与唐本参差多之。一非華俗之訓下註云。歌孔子助祭五字在騎棺而上弗機之下。孔子上下而時二字共以無之。二云実聖王之臣孝。臣字為巨。三覆慧眼下云未往生。未字為来。生字無之。四云怨親数為知識。知識数為怨親。上下二句共無親字。言爾道之劣十也者。当篇外内異喩之説十双悉訖。SYOZEN2-432/TAI9-593
 〇「次内喩曰義乃」等とは第十喩なり。本書の文の前に題を安ずること前の如し。その題目とは「内法門有漸頓」というの六字これなり。当段の中にまた唐本と参差これ多し。一には華俗の訓にあらずという下の註に云わく「歌孔子助祭の五字は騎棺而の上に、弗機の下にあり。孔子の上下に而・時の二字共に以てこれなし。二には云わく、実に聖王の臣孝なり、臣の字は巨たり。三には覆慧眼の下に未往生という、未字は来たり。生の字はこれなし。四には云わく、怨親しばしば知識たり、知識しばしば怨親たりという、上下の二句共に親の字なし。爾道之劣十也というは、当篇外内異喩の説、十双悉く訖りぬ。SYOZEN2-432/TAI9-593