正信偈 一
 は じ め に

 しかれば大聖の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、仏恩の深遠なるを信知して、「正信念仏偈」を作りていわく、(『教行信証』「行の巻」真宗聖典 本願寺本二〇三頁)
  大聖=釈尊
  大祖=七高僧

 親鸞聖人の喜びの歌
 親鸞聖人の中心的な著作は『教行信証』ですが、『正信偈』は、その『教行信証』の中におさめられている漢詩(偈=歌)です。

 『教行信証』は、「教の巻」「行の巻」「信の巻」「証の巻」「真仏土の巻」「化身土の巻」の六巻からなっていますが、その中で、『正信偈』は「行の巻」の末尾にあります。親鸞聖人は、『正信偈』を始めるにあたって、次のように述べておられます。

 「釈尊の真実のことばに信順し、インド・中国・日本の七高僧の教えに出会い、仏の恩徳の深さを心の底から知ることができた。そこで『正信念仏偈』を作る」
                        (真宗聖典 本願寺本二〇三頁)

 『教行信証』の序文(真宗聖典 本願寺本一四九頁)
 ひそかに思うに、阿弥陀仏の本願は生死の迷いの海を渡す船であり、さわりなき光明はこの世界と人の心の闇を破る智恵の太陽である。
 提婆達多にまどわされた阿闍世の罪(逆悪)を縁として、韋提希は釈尊のすすめによって阿弥陀仏の浄土を選び取られた。釈尊は、苦悩にしずむ人々だけではなく、罪深い者、心ない者をも救おうと願われたのである。
 まことに阿弥陀仏の名号・念仏は、悪を徳に転じる智恵であり、深い信心は、疑いを取りのぞき、さとりを得させる真理である。
 だからこそ、浄土の教えは、どのような凡夫であっても修めやすい真実の教えであり、愚かな者でも進むことができる道である。釈尊が生涯をかけて明らかにされたのは、この道である。
 ここに愚禿釋親鸞は、喜ばしいことに、インドから伝えられた聖典と、中国・日本の高僧の教えに、会いがたくして会うことができ、聞きがたくして聞くことができた。真宗の教行証(真実の教え・念仏・さとり)を敬い信じて、如来の恩徳の深さを知らされた。ここに、聞くことができたことを喜び、得ることができたことをたたえるのである。

 親鸞聖人は、大無量寿経の教えと、その教えを伝えてくださった釈尊と七高僧の伝統に出会うことができた喜びを、『正信偈』という「うた」に表しておられるのです。

 信心と念仏
 『正信偈』は、正しくは『正信念仏偈』といいます。
 蓮如上人『正信偈大意』
 問うていわく、「正信偈」というは、これはいずれの義ぞや。
 答えていわく、「正」というは、傍に対し、邪に対し、雑に対することばなり。「信」というは、疑に対し、また行に対することばなり。
    念仏=阿弥陀仏の名を聞く(聞其名号)
    信心=信心を喜ぶ(信心歓喜)


 『正信偈』の段落(科文)
 『正信偈』を大きく分けると次のようになります。

 @大無量寿経の教え(依経分)
  帰命無量寿如来から 難中之難無過斯まで
   T阿弥陀仏の悲願
   U釈尊の出世の意義
   V信心の徳益

 A七高僧の教え(依釈分)
  印度西天之論家から 唯可信斯高僧説まで
   T龍樹菩薩(インド)
   U天親菩薩(インド)
   V曇鸞大師(中国)
   W道綽禅師(中国)
   X善導大師(中国)
   Y源信僧都(日本)
   Z法然上人(源空)(日本)