『正信偈』三
法蔵菩薩の本願建立
法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所
覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪
建立無上殊勝願 超発希有大弘誓
五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方
法蔵菩薩の因位のとき、世自在王仏の所にましまして、
諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、
無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞えんと。
法蔵菩薩その昔 師仏につかえまししとき
人の心とその業を きよめん道をみそなわし
ここにこよなき願を立て 世を済わんと誓いたり
ふかき思いを弥陀の名に おさめて四方に聞こえしむ
(金子大栄先生訳)
「法蔵菩薩の因位のとき」
阿弥陀仏が、まだ菩薩の位で、法蔵菩薩と名のられておられたとき。
菩薩は修行をおさめて仏になることから、菩薩を因位、仏を果位といいます。
「世自在王仏の所にましまして」
法蔵菩薩は、世自在王仏のもとで修行して阿弥陀仏となられました。
世自在王仏は法蔵菩薩を導いた仏です。国王であった法蔵菩薩は、世自在王仏がはなっ
ておられる光につつまれて、大きく深い世界に出会われました。それは、ただ明るく輝く
世界というだけではありません。いきとしいけるもの、すべてが持っている心の闇を照ら
し、心の闇の底から現れてくる願いをくみとり、すくいあげる光でした。
この光に出会われた法蔵菩薩は、王位をすて、国をすてて、世自在王仏の弟子になられ
たのです。
「諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して」
法蔵菩薩は、世自在王仏の力にみちびかれて、二百十億もの多くの諸仏の浄土と、そこ
に住んでいる人々を観察し、優れている点を選び取られました。
あらゆる仏(諸仏)は、それぞれの仏国(浄土)を完成(建立)して、その国に住み、
人々を導いています。浄土の因とは、仏が何によって仏国(浄土)をつくったか、どのよ
うに作ったかということです。
法蔵菩薩が世自在王仏のみちびきのもとで、諸仏の浄土の根源まで深く見つめられたこ
とを、覩見といいます。
「無上殊勝の願を建立し」
法蔵菩薩は、ならぶものがない、たいへん優れた本願を立てられました。
法蔵菩薩は、多くの諸仏の浄土を観察して、優れた点を選び取り、そこから、あらゆる
人々をつつみとり、あらゆる人々をすくい上げることができる本願を立てられました。
「希有の大弘誓を超発せり」
大弘誓とは、大きく広い誓い。阿弥陀仏(法蔵菩薩)の本願のこと。
希有とは、めったにないこと、まれなこと。
超発とは、今までのだれをも超えた本願を立てること。
「五劫これを思惟して摂受す」
一劫とは、たいへん長い年月を指します。
高さ四十里、広さ四十里の石がありました。天人が三年に一度、天から降りてきて、羽
衣でさっとなでたところ、長い年月の間に、ついに大きな岩がすり減ってなくなってしま
ったといいます。これほどの長い年月を一劫といいいます。
法蔵菩薩は、五劫という長い期間、深く思惟して、どのような罪人でも導きすくい取る
ような四十八の本願を立てられました。
親鸞聖人は「弥陀の五劫思惟の願は親鸞一人がため」(歎異鈔)といわれました。法蔵
菩薩が五劫をかけて立てられた本願は、人ごととして聞いていれば、ただのお話です。わ
たしが阿弥陀仏の願いを聞き、本願によって道を進んでこそ、本願は生き生きとはたらき
かけてきます。
「重ねて誓うらくは、名声十方に聞えんと」
法蔵菩薩は、四十八願を立てられたあと、本願を詩(重誓偈)にして歌われました。そ
のはじめに、次のような三つの願いがうたわれています。
@わたしは、世に超えた願を立てて、必ず無上の道をきわめよう。もしこの願を果たし
とげぬようならば、誓って仏にはなるまい
Aわたしは、計ることのできないほどの長い年月をきわめて、大きな恵みの主となり、
あまねく、もろもろの貧しい者や苦しんでいる者を救おう。もしこの願を果たしとげ
ぬようならば、誓って仏にはなるまい
Bわたしは、仏の道を完成したとき、わたしの名を呼び、わたしの名を讃える声が、十
方のあらゆる世界から響きわたるであろう。もし、その声が聞えないところが、ひと
つでもあれば、誓って仏にはなるまい
親鸞聖人は、この三つの願いの中で、三番目の願いを大切にされました。
『大無量寿経』には「十方の世界におられる諸仏如来は、みなともに無量寿仏(阿弥陀
仏)の不可思議なる功徳を讃嘆しておられる」といわれています。あらゆる世界から響き
わたってくる、阿弥陀仏を讃える声こそが、わたしたちを正しい道に導いてくれると、親
鸞聖人は感じとられたのしょう。
曽我量深先生のことばから
(法蔵菩薩はインド民族の魂からうまれた。)
現世の欲願の一切を挙げて、永遠の道に奉仕したるインド民族は生ながらにして、自然
の郷土・理想の大宇宙(浄土)に往生せんという大心願を抱き、その理想界を実現し、浄
土を荘厳すべき大使命を自覚していた。「浄土の荘厳(阿弥陀仏の世界をかたちづくるこ
と)」はインド民族の終始一貫した大行であった。・・・
「浄土荘厳」の文字、何たる麗わしき、崇高なる言語であろう。もっぱらこの一事のた
めに全民族の身命をささげ、久しく亡国の民となれる彼の民族にむかって、私どもは感謝
讃仰の辞がないのである。・・・
この菩薩行は単なる少数の賢善の人々の遊戯の仕事ではない。十方衆生の全体の事業で
ある。
善悪の一切の衆生が如来の本願力を憶念する時、彼等の一切の行業は自然に如来の願心
海に流入して、名号海の波となる。
(法蔵菩薩は、わたしたち衆生の無明の闇の中で五劫のあいだ思惟され、
そこから立ち上がられた)
私は『大無量寿経』を拝読するとき、十方衆生の無明の闇夜の奥に、全くその姿を隠し
て居られる所の法蔵菩薩が、救世の大使命を照しあらわすために、世自在王仏のみもとに
於て、五劫のあいだ、師弟あい対して沈思冥想せられし御姿を、いつもしのびまいらせる
のである。
まことに五劫の思惟、五劫の深い沈黙。無始の闇夜と、それを照し破るべく現れた世自
在王仏の光。
世自在王仏の光に照し現わされた法蔵菩薩。私は、この照されたる夜の世界の神秘幽玄
の光景を時にかすかに想念して、自己の精神世界の内面の不可思議に驚異し歓喜せずには
居られぬのである。
かくの如く、久しく一切衆生の無明の闇の内に、深い思惟に沈みつつありし菩薩は、忽
然として思惟の座から起って、永劫の旅に出でさせられた。
法蔵菩薩は、世自在王仏に遣わされて衆生の世界に影現したまいた。彼の本性内実はど
こまでも隠れたる深き思惟の願心であるけれども、その隠れたる願力はその自然の本性と
して近く現実の衆生の行の上に現われずにいられぬのであった。