正信偈十三 龍樹菩薩一
 釈尊の後継者

釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺
龍樹大士出於世 悉能摧破有無見
宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽
顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽
憶念弥陀仏本願 自然即時入必定
唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩

 釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく、
 南天竺に龍樹大士、世に出でて、ことごとくよく有無の見を摧破せん。
 大乗無上の法を宣説し、歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
 難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
 弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即のとき必定に入る。
 ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。

 世尊はかねて後の世に 龍樹となのる聖いで
 邪見を破り 大乗の こよなき法を説きひろめ
 歓喜の知恵地さとらんと 宣りたまいしに応えてぞ
 陸路の難き行かんより 易き船路によれよかし
 弥陀の願いを念じなば おのずからなる道あらん
 慈悲憶いて常にただ 名号称えよと述べましぬ
              (金子大栄先生訳)

 語句
 楞伽山=伝説の山の名
 天竺=インド
 摧破=打ち破ること
 有無の見=かたよった考え方


 釈尊精神の復活
 龍樹菩薩は七高僧の第一番目の方で、西暦一世紀ごろ、南インドに生まれられました。

 当時、インドの仏教界では小乗仏教がさかんでしたが、庶民のあいだではいきいきとし
た大乗仏教の信仰運動が形作られていました。その庶民信仰であった大乗仏教を思想・教
学として最初にまとめられた方が龍樹菩薩です。
 大乗仏教は龍樹菩薩から大きな波となって、中国・韓国・日本へと伝えられるようにな
りました。釈尊の後継者、大乗仏教の祖師、八宗の祖とよばれ、今にいたるまで、多くの
宗派で祖師として崇敬されています。

『楞伽経』のなかに釈尊とある菩薩との会話が伝えられています。
 菩薩 釈尊のさとりの智恵は、凡夫の力では、とてもはかり知ることができません。も
    し釈尊が亡くなられたとしたら、その後には、どなたが仏道をたもって、教えみ
    ちびいてくださるのでしょうか。
 釈尊 私の亡き後も、かならず仏法を受けついでいく人はいる。そして、ある時、南の
    大国に龍樹という名の大徳の僧が生まれるであろう。その人は有無の邪見を破り、
    人々のために大乗の無上の法を説き開くであろう。その人は、菩薩の歓喜地に上
    り、安楽国に生まれるであろう。

 菩薩は心配だったわけです。釈尊の教えはまことにすばらしく、釈尊の人格に接してい
ると、心底からうなずくことができるが、もし釈尊がおられないとすると、はたして教え
を理解することができるだろうか、心からうなずくことができるだろうか。

 そんな悩みを持っている菩薩に対して、釈尊は、決して心配することはないと答えられ
たのです。仏教は必ず受け伝えられていく。たとえ細々とした流れのようになっても、こ
の時という時には、釈尊の精神を大きく受け止め、人々に向かって説き開いてくれる人が
生まれ出るにちがいない。そのとき、細い流れが広く深い大河に変わるだろう。
 親鸞聖人にとっても、釈尊のこの声は大きく響いたことでしょう。

 親鸞聖人は、真実の教えを求めて、二十九歳まで比叡山で悪戦苦闘されました。この期
間は親鸞聖人にとって心配と苦悩に満ちていたかも知れません。しかし、法然上人に出会
われたとき、目の前がパッと開かれたように、広い確かな道があらわれたのです。そこか
らふりかえると、仏教の歴史の流れの中に、龍樹菩薩、天親菩薩をはじめとして、七高僧
が要所要所に立ちあがっておられた姿が見えます。

 法然上人は中国の善導大師の教えによって道が開かれ、善導大師は道綽禅師の導きを受
け、道綽禅師は曇鸞大師の道に入り、曇鸞大師は天親菩薩の心をいただかれ、天親菩薩は
龍樹菩薩が開かれた菩薩道を歩みつづけられ、龍樹菩薩は釈尊の精神を受けつがれました。

 親鸞聖人は、このような仏教の歴史が自分自身まで流れ来ていることに感動されたにち
がいありません。その感動を『正信偈』に「釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命し
たまわく、南天竺に龍樹大士、世に出でて」とうたわれたのでしょう。


 有無の邪見
 『正信偈』に「悉能摧破有無見」(ことごとくよく有無の見を摧破せん)とあります。
「有無の見」とは両極にかたよった考え方のことです。

 私は仏教学の授業で、次のようなはなしを何度か聞いたことがあります。
 たとえば目の前に机があるとします。それは机だとふつう考えますが、その上に座れば
椅子になり、上に乗って作業をすれば踏み台になり、机は机ではないことになります。机
は机だと限定する考え方を「有見・常見」といい、机は机ではないという考え方を「無見
・断見」といいます。

 たわいない話だと思われるでしょうが、今の社会の中で起こっている、いろいろな事件
や問題に対して、いろいろな人がいろいろな意見をいいあって、自分こそが正しいと主張
しあっていることは、よく見られることです。
 念仏の心を忘れて、自分の考え方、自分の見方に固執しているすがたが「有無の邪見」
ではないでしょうか。

 龍樹菩薩は、当時のインドの宗教界のすがたをみて、「有無の邪見」を打ち破らないと
道は開かないと考えられたのでしょうが、それ以上に「有無の邪見」とは龍樹自身のすが
たであるという深い懺悔から求道しつづけられたのではないでしょうか。