正信偈十四 龍樹菩薩二
道が開かれた
宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽
顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽
大乗無上の法を宣説し、歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
邪見を破り 大乗の こよなき法を説きひろめ
歓喜の知恵地さとらんと 宣りたまいしに応えてぞ
陸路の難き行かんより 易き船路によれよかし
(金子大栄先生訳)
語句
歓喜地=菩薩の位
難行=きびしく困難な菩薩の修行の道
易行=やさしく早い凡夫の求道
安楽=安楽国、阿弥陀仏の浄土
如来の号=南無阿弥陀仏、名号
弘誓=本願
不退転=真実の信心を得て、ふたたび退くことがない位
真実信心うるひとは すなわち定聚のかずにいる 不退のくらいにいりぬれば
かならず滅度にいたらしむ(浄土和讃五九)
怯弱下劣=龍樹菩薩が、菩薩の道から逃げだそうとする人に向かって、卑怯で弱く劣っ
た人だと叱られたことば
大人志幹=菩薩道を歩む人は、志が木の幹のように立ち上がった大人でなければならな
いといわれた。
易行道と難行道
龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』の中に『易行品』という一章があります。ここで易行道、
つまり、凡夫でも歩むことができるような仏道を説き明かしてくださいました。
仏法には数えられないほど多くの門がある。世間の道にもいろいろあって、進むに
困難な道があり、また一方に進みやすい道がある。たとえば、陸の道を歩いて行く
のは苦しく、船に乗って海や川を行くのはたやすく楽しいようなものである。
菩薩の道もまた同じである。精進して苦しく長い修行にはげむ人があれば、信心の
易行によって早く不退転に至る人もある。
こうして、龍樹菩薩は念仏の易行道を説きはじめられます。
菩薩の道
『十住毘婆沙論』は『華厳経 十地品』によって菩薩道を説きあらわされた『論』です。
「十住」や「十地」とは、菩薩が修行を積んで、ついには仏になるまでの十段階の位を
さします。
菩薩といえば、凡夫と呼ばれる私たちとはかけ離れた存在であるように思われます。し
かし「菩薩」は正しくは「菩提薩多(ボディー・サットバ)」といいますが、「菩提(ボ
ディー)」は「仏の智恵」、「薩多(サットバ)」は「衆生・生きとし生けるもの」とい
う意味ですから、菩薩とは仏智の完成をめざして求道する人をさします。菩薩になった第
一段は「十進位」とよばれますが、初めて仏教に出会い仏道を歩みはじめようと決意した
凡夫のことです。
龍樹菩薩は、少しでも仏道を志した人であれば、どのような困難に出会おうとも、くじ
けることなく菩薩の道を歩んでほしいという願いをもって、菩薩道とは何か、どのように
仏道を歩めばいいかを明らかにしようとされました。
けわしく恐ろしい六道の衆生が、生死の海原におし流されている。
涙や汗や膿血に痛められ、熱病などもろもろの悪病に苦しみうれい、悲しみに泣き
叫び、死の断崖にゆきづまって、越えられず、いつわりにまどわされ、愚痴の無明
の大黒闇に沈んでいる。
愛欲のままに動かされて無始よりこのかた、この大海をわたったものがない。
もしもこの大海をわたるものがあったなら、この人は、自分のみならず、無量の衆
生をすくうことになる。この因縁のために、十地の義を説きたい。
もし仏語を聞いてみずからさとることができる人は、にがい薬をすぐに飲む大人の
ようなものである。自分はいま、小児の薬に甘い蜜をまぜるように、経文をよみこ
なすことができない鈍根無智のもののために、この論をつくりたい。
難行道
しかし、菩薩の道はけっして安楽な道ではありません。
不退転の菩薩となるには、もろもろの難行を行じつづけて、久しくして得るであろ
う。もし耐えることなく小乗に落ちることがあれば、これは大衰患であり、菩薩の
死といわなければならない。もし地獄に落ちたとしても、このような恐れは生まれ
ないであろう。
釈尊もいわれた。寿命を貪る者が首を斬られそうになれば恐れおののくように、菩
薩は小乗に落ちんとすれば大怖畏を生ずるにちがいない。
もし人が願を発して菩提を求めたいと決心すれば、不退転の位に到達するまでは、
身命を惜しむことなく、昼夜たえず頭上から降り注ぐ炎をはらうように精進しつづ
けなければならない。
釈尊は大乗の菩薩行にはげむ者にむかって、願を発して仏道を求めることは、たい
へんな重荷を背負っているようなものであって、三千大千世界を持ち上げるよりも
重いと語られた。
今、わたしたちは仏教の会座にすわっていますが、龍樹菩薩が説かれるような道を歩む
ことができるでしょうか。とても耐えることはできそうにもありません。龍樹菩薩が語り
かけられた人々の中にも「とてもこんな難行道には耐えられない」と悲鳴を上げた人があ
りました。「しかし、仏道をあきらめることはできない。わたしはどうしたらよいのか」
と龍樹菩薩に泣きついた人がありました。
龍樹菩薩はその人に向かって「これ怯弱下劣の言なり。これ大人志幹の説にあらず」と
叱られましたが、たび重なる請願に、ついに「仏法に無量の門あり。信方便易行によって
、早く不退転に至る者あり」と易行道を説きはじめられたのです。
易行道を求める人
悲鳴を上げた人は、はたしてなまけものだったのでしょうか。たしかに、こんな苦しい
ことはできないとあきらめ投げ出してしまう人もいるでしょう。しかし、この人は「教え
のように実行しようとしたけれども全うすることができない、私の器はあまりにも小さす
ぎる、私のための道があるにちがいない、どうかその道を教えていただきたい」と、心の
底から叫んだのでしょう。その真摯な願いが龍樹菩薩の心に届いたのではないでしょうか。
「能力のないものが、能力がないというだけで捨てられてはならない。能力がないという
ことは、けっして本当の願いを持っていないということではない。その願いに答えてこそ、
菩薩の道ではないか。その願いを持つ者が歩みをはじめるとき、ともに歩もうとする人々
の大きな流れがうまれるにちがいない。」このように感じとられた龍樹菩薩は、これまで
とは一変して、凡夫のための易行道を説きはじめられました。
『十住毘婆沙論』は『易行品』までしかありません。龍樹菩薩が『易行品』まで書かれ
たとき、何らかの事情があって、その先を書きつづけられなかったのか、あるいは、中国
でここまでしか翻訳されなかったのか、古来からいろいろのな説がありますが、龍樹菩薩
が『易行品』まで書きつづけてこられたとき、仏道の正道は易行にあったと感得され、こ
こからこそほんとうの道がはじまると気づかれたからにちがいないと思われるのです。
釈尊から龍樹菩薩まで、龍樹菩薩から親鸞聖人まで、『易行品』を支点として、大きな
仏道が開かれたように感じます。