『正信偈』二十四 道綽禅師 三
 外見と内心

 三不三信誨慇懃 像末法滅同悲引
 一生造悪値弘誓 至安養界証妙果

 三不三信の誨、慇懃にして、像・末・法滅、同じく悲引す。
 一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむ。

 信疑の教えねんごろに 末の世に泣く罪人も
 弥陀の誓いに値いぬれば 彼岸にいたるとさとしけり
                (金子大栄先生訳)

 語句
 誨=おしえ。
 慇懃=ていねい、ねんごろ。
 像末法滅=像法・末法・法滅の時代。釈尊が亡くなってから五百年は「正法」。その後、
     五百年(千年)の「像法」、一万年の「末法」と、仏法を伝え、実践する人が
     少なくなり、ついには仏法が消滅する「法滅」の時代になる。
 弘誓=阿弥陀仏の本願。
 安養界=阿弥陀仏の浄土。
 妙果を証す=さとりを開くこと。


 三不三信の教えをねんごろに説いてくださり、像法・末法から法滅の時代に生きる人々
を、慈悲の心によって導いてくださる。
 たとえ一生にわたって悪を作りつづけてきた人でも、ほんとうに阿弥陀仏の弘誓にあう
ことができたら、安養界に生まれて、さとりを開くことができるといわれた。


 三不三信
 迷うことなく信心をたもつことがたいへん困難であることは、道綽禅師やその時代の人
々にとっても大きな課題であったことが、三不三信の教えによって知らされます。道綽禅
師から千四百年あまりすぎた現代に生きている私たちも同じ問題にぶつかって迷っていま
す。

 三不は不純な信心の三つのすがた、三信はたしかな信心のすがたといえるでしょうが、
それは、念仏することと、念仏している人の心との問題です。南無阿弥陀仏と称えていて
も、なかなか南無阿弥陀仏の心にならないからです。
 道綽禅師は『安楽集』につぎのように説かれています。

 問い。南無阿弥陀仏と称え念ずれば、あらゆる人々の無明の黒闇を除き、浄土に往生で
きると教えられる。ところが、南無阿弥陀仏を称えつづけても、無明はなくならず、迷い
つづけて願いが満たされないのは、どうしてなのだろうか。

 答え。南無阿弥陀仏を称えていても、南無阿弥陀仏のいわれと願いにかなっていないか
らである。一つには信心が淳くない(信心不淳)。信心があるような、ないような、不確
かだということ(信心不決定)。二つには信心が一つに定まっていない。あれやこれやと
迷って決定していないこと。三つには信心が持続しない(信心不相続)。信心はあっても、
いつの間にか忘れてしまって煩悩いっぱいになっている。はっと気がついて、また信心が
もどってくる。
 持続する信心(相続心)は一心である。一心であれば淳い信心(淳心)になる。この三
つの信心があれば、かならず浄土に生まれることができる。

 道綽禅師の答えの前にある「信心不淳」「信心不決定」「信心不相続」が三不です。答
えの後半にある「相続心」「一心」「淳心」が三信です。三不は私の心を言い当てている
ようです。道綽禅師も自分自身が迷っていた時は三不であったと感じておられたのではな
いでしょうか。

 道綽禅師は、三不の心から三信の心に変えなければならないと教えてくださるのですが、
どうすれば変わることができるのでしょうか。三不の心と三信の心との間には簡単に越え
られない大きな断絶があるように思います。この断絶は自力と他力の違い、私の心と仏の
心の違いです。

 親鸞聖人は、相続心・一心・淳心の三信は私の心ではなく仏の心であり、私の心はどこ
までも三不であるといわれました。その三不の私の心に、仏が働きかけてくださるの心が
三信です。

 一切の群生海(人びと)は、無始よりこのかた今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清
浄の心なし、虚仮諂偽にして真実の心なし。
 ここをもって如来(阿弥陀仏)は一切苦悩の衆生海を悲憫して、不可思議兆載永劫にお
いて、菩薩の行を行じたまいしとき、三業(身・口・意。全人格)の所修は一念一刹那も
清浄ならざることなし、真心ならざることなし。如来、清浄の真心をもって、円融無碍・
不可思議・不可称・不可説の至徳を成就したまえり。
 如来の至心(阿弥陀仏のまことの心)をもって、諸有の一切煩悩悪業邪智の群生海に回
施したまえり。すなわちこれ利他の真心を彰す。ゆえに疑蓋(疑心・疑惑)まじわること
なし。この至心(まことの心)はすなわちこれ至徳の尊号(南無阿弥陀仏)を体とせるな
り。       (『教行信証』「信の巻」聖典 東二二五頁一行 明二四六頁六行)

 相続心・一心・淳心の三信は南無阿弥陀仏の心であり、南無阿弥陀仏の呼びかけから生
まれる心です。蓮如上人は「南無阿弥陀仏の主になる」(『蓮如上人御一代記聞書』聖典
 東九〇〇頁二行 明七五三頁六行)といわれました。


 自力の智恵と他力の智恵
 親鸞聖人の師である法然上人は、人々から「智恵第一」とたたえられるほどに非凡な学
問の才能を持っておられた方でしたが、ご自身は「としごろ習いたる智恵は、往生のため
には要にもあらず」といわれ、「愚痴の法然坊」と自称しておられたとのことです。

 親鸞聖人は「賢者の信を聞きて、愚禿が心を顕す。賢者の信は、内は賢にして外は愚な
り。愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり」「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、
内に虚仮を懐ければなり」(『愚禿鈔』聖典 東四三五頁・四二四頁三行 明四三六頁・
四三七頁六行)といわれました。

 法然上人がいわれた「としごろ習いたる智恵」や、親鸞聖人の「賢善精進の相」は自力
の智恵です。他力の智恵は「賢者の信を聞く」ことです。

 親鸞聖人にとって「賢者」は法然上人を指します。法然上人は「愚痴の法然坊」と自称
しておられるように、ご自身を賢者とは思ってもおられません。「ひとえに善導大師に依
る」と善導大師の教えを聞いておられます。このように、親鸞聖人は法然上人の信心から
生まれる教えを聞き、法然上人は善導大師の教えに従っておられます。善導大師から法然
上人へ、そして親鸞聖人へと他力の智恵が伝えられているのです。


 親鸞を法然に導いたもの
 親鸞聖人は法然上人に出会われるまで結婚問題に苦しんでおられました。相手は玉日姫
であったとも、恵信尼公あったとも伝えられています。元来、僧侶は出家していますから、
家庭ももつことは禁止されていました。親鸞聖人は僧侶として仏道を進みたいという願い
をもちながら、一方では結婚したい女性がおられたわけです。仏道を歩むことと結婚する
ことは両立できない道でした。どちらかを選ばなくてはならないのですが、親鸞聖人は決
断できずに苦しんでおられました。自分の進むべき道をまじめであったからこそ出てきた
苦しみです。

 当時の比叡山は、表向きは出家者の修行の場でしたが、僧侶の中には山の麓の坂本に家
をもって家庭生活を営み、山の上では出家者のような顔をしていた者が多かったといわれ
ます。家庭生活も修行も中途半端であったにちがいありません。親鸞聖人もそのような生
活を送ることもできたでしょうが、自分自身をごまかすような生活ができなかったのでし
ょう。僧侶の道を選ぶかぎり家庭をもつことは罪になります。親鸞聖人は罪悪感に苦しん
でおられたわけです。

 法然上人は「結婚したら仏道を歩むことができない人は出家して仏道を求めなさい。結
婚しなければおられない人は家庭ももって仏道を歩みなさい」といわれました。家庭と仏
道とは両立しないと思っておられた親鸞聖人にとってたいへんな救いであったといえまし
ょう。しかし、ここで考えなければならないことがあります。結婚しても結婚しなくても
かまわないということではありません。自分の生活を定め、自分の歩む道を定めるること
が重要なことです。出家者であっても在家者であっても、自分の生活の場が定まってこそ
仏道がはじまるのです。

 道綽禅師は「たとえ一生にわたって悪を作りつづけてきた人でも、ほんとうに阿弥陀仏
の弘誓にあうことができたら」といわれましたが、悪を作りつづける一生とは私たちの生
活そのものではないでしょうか。罪を作りつづけていても、阿弥陀仏の願いを聞きとるこ
とができたら浄土に生まれることが出きると説かれているのですが、たとえ善行を積むこ
とはできなくても、生活が定まったら阿弥陀仏の教えが聞こえ、本願を受けとめることが
できるということでしょう。


 一生造悪値弘誓
 ふるさとの訛なつかし
  停車場の人ごみの中に
  そを聴きにゆく
 ふるさとの山に向いて
  言うことなし
  ふるさとの山はありがたきかな

 石川啄木の歌集「一握の砂」にある詩です。故郷の思い出によって東京の貧乏生活にた
えながら詩や和歌の道を進んでいる啄木の心があらわれています。この歌を読むと、啄木
は東京の貧乏生活の中でも素朴さ真摯さを失っていないように感じられます。しかし、現
実の啄木の生活は素朴でも真摯でもありませんでした。友人から借金しては踏み倒し、知
人の家に押しかけて居候するというひどい生活だったそうです。それでは「一握の砂」の
素朴な歌はいつわりだったのでしょうか。啄木の詩は魂の叫びであったのではないでしょ
うか。魂の叫びがすばらしい詩を生み出したのでしょう。啄木は貧乏のどん底で、人間的
にはまったく未完成ではあったでしょうが、そこから「一握の砂」が生まれてきたのです
。生活がどうであれ、人間性がどうであれ、「一握の砂」を生みだした啄木にはすばらし
さがあります。魂の叫びを詩にあらわすことが啄木が生きていた意義ではないでしょうか
。啄木には歩むべき一筋の道があったのです。

 「一生造悪値弘誓(一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば)」といわれた道綽禅師と石
川啄木とに共通性が感じられます。

 私にとって歩むべき道は何か、中心課題は何か、私の居り場所はどこか。それが決まら
ないと仏の声は聞こえてこないのではないでしょうか。仏はいつもどこでも語りかけてく
ださいますが、私の姿勢が定まらないと聞こえてきません。外見をかざるのではなく、心
の道を求めなくてはならないのではないでしょうか。