親鸞聖人 正 信 偈 意訳 (16) 曇鸞大師 1 |
本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼 三蔵流支授浄教 梵焼仙経帰楽邦 |
意訳 梁の皇帝は、つねに曇鸞大師のおられる方向に向かって、曇鸞大師を菩薩と礼拝しておられた。 菩提流支三蔵は曇鸞大師に浄土教を授けられた。 そのご縁によって曇鸞大師は仙経(道教の経典)を焼き捨てて、阿弥陀仏の浄土に帰依されることになったのである。 |
書き下し文 本師曇鸞は、梁の天子、 つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。 三蔵流支、浄教を授けしかば、 仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。 |
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語句 曇鸞=七高僧の第三祖。西暦467〜542年。当時、中国は南北朝時代で、北と南に分かれていた。 曇鸞大師は北朝に住んでおられた。 梁天子=中国南朝の梁国の皇帝であった蕭王。 菩薩礼=梁の皇帝蕭王は、中国北朝におられた曇鸞大師を、単に高僧としてではなく、曇鸞菩薩と あがめ、北方を向いて礼拝していた。 三蔵流支=菩提流支三蔵。 浄教=浄土教。阿弥陀仏の教え。 仙経=仙人になる教え。道教の経典。曇鸞大師は仏教を学ぶためには長い年月がかかると考え、 長生きするために仙教を学んだ。ところが菩提流支はその心得違いを批判して、曇鸞大師に 『観無量寿経』を授けた。これによって曇鸞大師は浄土教に帰依することになった。 帰楽邦=楽邦は浄土。阿弥陀仏の教えに帰依すること。 |