親鸞聖人 正 信 偈 意訳 (21) 源信僧都 1 |
源信広開一代教 偏帰安養勧一切 専雑執心判浅深 報化二土正弁立 |
意訳 源信僧都は釈尊の教えを広く学ばれ、 ひたすら阿弥陀仏の安養浄土に帰依された。そして仏道を歩むすべての人々に浄土の道を勧められた。 専修念仏者(一心に念仏する者)は深く浄土を願う心を持ち、雑修にはげむ者はその心が浅いと判定し、専修の者は阿弥陀仏の報土に生まれ、雑修の者は化土(懈慢界)に生まれると説き明かされた。 |
書き下し文 源信、広く一代の教を開きて、 ひとえに安養に帰して一切を勧む。 専雑の執心、浅深を判じて、 報化二土まさしく弁立せり。 |
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語句 源信=七高僧の第6祖。西暦942〜1017年。日本・平安時代中期。すぐれた天台宗の学僧と して有名であったが、30歳ごろ世俗を離れ、比叡山の横川に籠もって浄土教を研鑽した。4 4歳ごろ、同志とともに念仏結社を結んで念仏三昧の行をつとめた。76歳で没する。 一代教=釈尊が一生涯に説かれた教え。すべての経典。 安養=安養浄土。阿弥陀仏の浄土。 専雑=専修と雑修。ひたすら念仏することを専修という。念だけではなく、それ以外の修行も行う ことを雑修という。 執心=浄土を願う心の強さ。専修の人はこの心が深く、雑修の人は浅いと、源信僧都はいわれた。 報化二土=報土と化土。 報土は阿弥陀仏の浄土。化土は懈慢界。土とは、国・世界の意味。 懈慢界とは浄土の辺地にあって、自力の念仏者や雑修の人たちが生まれる世界といわれる。 快楽に満ちているが、この世界に生まれた人は怠け者になり、また高慢になるといわれる。 『無量寿経』には帝釈天の宮殿にある七宝の牢獄に入れられて金の鎖につながれているよう だと説かれている。 |