歎異抄 第2章
 T 往生極楽の道

当時の関東門徒の事情
 京都におられる親鸞聖人を訪ねて、各地から門徒が来ることはしばしばあったようですが、今回は、のっぴきならない問題をかかえて、関東からおおぜいの人たちが訪ねてきたようです。自分たちが称えている念仏に自信がなくなったようです。具体的にどのような問題が起きたのかは書いてありませんが、真宗史の研究によると「善鸞事件」のようです。

 「善鸞事件」とは、関東で親鸞聖人の長男・善鸞が親鸞聖人の教えからはずれた教義を主張したために関東の門徒が動揺し、分裂状態になった事件です。

 なぜ、善鸞が親鸞聖人に背くようなことをしたのか、ふつうには考えられないことです。
 善鸞は親鸞聖人に派遣されて関東にでかけました。それは、親鸞聖人が京都に帰ってしまわれたために、親鸞聖人に尋ねたいことがあってもすぐに会うことができず、手紙を送るか、遠く京都まで出かけるよりないという事情から、親鸞聖人の代理を関東に派遣してほしいという要請があったからだそうです。

 関東へきた善鸞が人々に説きはじめた教義は、関東の門徒衆が親鸞聖人から聞いていた教えとは大きく異なり、しかも、善鸞は親鸞聖人から直接受けた秘伝の教えであると主張したということです。善鸞に従う人々も現れるようになって、関東の門徒衆が動揺するのも当然でしょう。しかし、善鸞がそのような行動をとったのは、関東まで行ったけれども、親鸞聖人の弟子たちの勢力が強く、関東の門徒衆の中にはいることができなかったからだともいわれます。善鸞は悩み苦しみ、ついに道を外れてしまったようです。

 親鸞聖人の答えを直接聞くために、はるばる京都までやってきた関東の門徒衆に対面し、親鸞聖人が語りかけられたことばが『歎異鈔』第二章です。

 根本に帰る
 親鸞聖人は最初に「たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり」と答えておられます。門徒衆は、善鸞事件が起きた理由や、どう対応したらよいのかと、事件の解決方法を親鸞聖人に尋ねたのでしょう。しかし、親鸞聖人は門徒としての根本問題「往生極楽のみち」、つまり、善鸞によって関東の門徒衆の信心が動揺させられたことがもっとも重大な問題であるといわれるのです。念仏の心を取りもどすことができなかったら、たとえ事件が解決して門徒衆の分裂が回避されたとしても、真宗門徒とはいえないと、親鸞聖人はいわれるのです。また、ほんとうに念仏の心を回復したとき、真実の問題解決の道が開かれるという考え方が、親鸞聖人の信心の基本姿勢です。
 『歎異鈔』第四・五章では慈悲と供養をとりあげて、問題解決のためには根源に帰らなくてはならないと語っておられます。

 往生極楽
 親鸞聖人は「往生極楽のみち」をたずねてゆくことが門徒として最重要課題であるといわれますが、「往生極楽」とはどのようなことでしょうか。「往生極楽」は「極楽に往生する」と読みますが、阿弥陀仏の浄土に生まれることです。「一生懸命に念仏すれば死んだ後に浄土に生まれることができる」という教えは浄土宗です。親鸞聖人は、念仏者としてもっとも大切なことは、死んだ後に浄土に生まれることより、今、阿弥陀仏の世界が私まで届いていることが実感され、阿弥陀仏の願いによって生活してゆくことであると説かれました。念仏は往生極楽のための手段ではなく、念仏することによって新たな世界が私たちの前に開かれることに気づかれたのです。親鸞聖人は「自然法爾」(末灯鈔五 聖典 東六〇二頁 明五一九頁)といわれ、曾我量深先生は「感応道交」といわれました。念仏は人や物事と深く通いあう心、深い意欲ということができるでしょう。

 妙好人 浅原才市
 浅原才市という妙好人がおられました。江戸時代末期、島根県に生まれ、昭和七年になくなった方です。
 十一歳の時、両親が離婚し、才市は船大工に丁稚奉公に出されました。寂しさと丁稚奉公のきびしさからでしょう、才市は両親にたいへん恨みを感じていたようです。そのころの気持ちを晩年になって次のように書いておられます。

 いうもいわんもなく
 おやが死ぬればよいと おもいました
 なしてわしがおやは
 死なんであろうかと おもいました
 この悪業 大罪人が
 いままで ようこれで 今日まで
 大地がさけんこに おりましたこと

 親に恨みつらみを感じていたころの才市は、生活も心も闇に閉ざされたようだったでしょう。親の死を願うことに罪悪感など感じていなかったことでしょう。自分を捨てた親が生きていることさえ腹立たしかったのでしょう。
 しかし、念仏の教えに会って逆転しました。親の死を願っていた自分は、地獄に堕ちてもしかたがない大罪人であったと慙愧するように心が変わりました。それだけではなく、生活が明るくなりました。

〇娑婆で楽しむ極楽世界
 ここが浄土になるぞ
 うれしや なむあみだぶつ

〇なむあみだぶつ なむあみだぶつ
 娑婆の世界も極楽のうちぞときけよ
 なむあみだぶつ なむあみだぶつ

〇ありがたいな
 娑婆ですること
 家業の営みすることが
 浄土の荘厳にこれが変わるぞよ
 ふしぎなことだな
 ふしぎでありますな
 なむあみだぶはどうゆうええくすりであろうかいな
 なむあみだぶはどうゆうええくすりであろうかいな

〇わたしゃ 臨終すんで 葬式すんで
 みやこ(浄土)に心住ませてもろうて
 なむあみだぶと浮世におるよ

〇ありがたや
 死んでまいる浄土じゃないよ
 生きてまいるお浄土さまよ
 なむあみだぶつにつれられて
 ごおんうれしや なむあみだぶつ

〇目が変わる 世が変わる
 ここが極楽に変わる
 うれしや なむあみだぶつ

〇わたしゃ大きな目をもろうて
 浄土のような目をもろうて
 なむあみだぶつ なむあみだぶつ

〇この才市はまことに悪人でありまして
 口の幅が二寸の幅で嘘を言うて
 人をだますと思うていましたが
 そうではのうて
 わたしはまことに悪人でありまして
 世界のような大きな口をもって
 世界の人をだましております
 わたしゃ 世界にあまった悪人であります
 あさまし あさまし あさまし あさまし

 浅原才市は凡夫のままで「自然法爾」「感応道交」の世界に生活していたことが感じられます。