蓮如上人 帖外御文 第1冊(5の内の1) |
帖外御文 第一冊 |
蓮如上人帖外御文章 一 (第1)chougai01-01R,01L 当流上人の御勧化の信心の一途は、つみの軽重をいわず、また妄念妄執のこころのやまぬなんどいう機のあつかいをさしおき、ただ在家止住のやからは、一向にもろもろの雑行雑修のわろき執心をすてて、弥陀如来の悲願に帰し、一心にうたがいなくたのむこころの一念おこるとき、すみやかに弥陀如来光明をはなち、そのひとを摂取したまうなり。これすなわち仏のかたよりたすけましますこころなり。またこれ信心を如来よりあたえたまうというも、このこころなり。さればこのうえには、たとい名号をとなうるとも、仏たすけたまえとはおもうべからず。ただ弥陀をたのむこころの一念の信心によりて、やすく御たすけあることのかたじけなさのあまり、弥陀如来の御たすけありたる御恩を報じたてまつる念仏なりとこころうべきなり。これまことの専修専念の行者なり。これまた当流にたつるところの一念発起平生業成ともうすも、このこころなり。あなかしこ、あなかしこ。 寛正二年 (第2)chougai01-01L_03R 凡そ親鸞聖人の御勧化の一義のこころは、一念発起平生業成とたてて、もろもろの雑行をも雑修のこころをもなげすてて、一心一向に弥陀如来をたのみたてまつるこころの余念なきかたを信心発得の行者といえり。さればこのくらいの人を龍樹菩薩は即時入必定といい、曇鸞和尚は一念発起入正定之聚と釈したまえり。これによりて南無阿弥陀仏といえる行体は、まず南無の二字は帰命なり。帰命のこころは往生のためなれば、またこれ発願なり。されば南無とたのめば阿弥陀仏の御かたより光明をはなちて行者を摂取しましますがゆえに、われらが往生は治定なりけりとおもうべきなり。このこころを観経には光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨とときたまうなり。このくらいを一念帰命の信心さだまる行者とはいうなり。それにつきて、ただし信心をおこすというも、これあながちにわがかしこくておこすにはあらず。そのゆえは宿善のある機を弥陀の大慈大悲によりて、かたじけなくもよくしろしめして、無礙の光明をもって十方世界をてらしたまうとき、われらが煩悩悪業のつみ、光明の縁にあうによりて、すなわち罪障消滅して、たちまちに信心決定する因はおこさしむるものなり。さればこれをなづけて仏智他力のかたよりさずけたまう利他の三信ともうすなり。この他力の信心をひとたび決定してのちは弥陀如来のわれらごときの愚鈍の機をたやすくたすけまします御恩のかたじけなしとおもいとりて念仏をもうし、その御恩を報ずべきものなり。このうえなにを自身往生極楽のためなんどおもいて、すこしきの念仏をもうさば、それはなお自力をはなれぬこころなりとおもうべし。ただ仏恩のふかきことをおもいて、つねに名号をとなうべきなり。さればこのこころを善導大師の釈には、自信教人信、難中転更難、大悲伝普化、真成報仏恩ともいえり。また親鸞聖人は真実信心必具名号、名号必不具願力信心也とおおせられたり。あなかしこ。あなかしこ。 文正元年 (第3)chougai01-03R,03L おおよそ当流の勧化のおもむきは、あながちに出家発心のすがたを表せず、捨家棄欲のかたちを本とせず、一念発起の信心のさだまるとき往生は決定なり。さればかものはぎのみじかきをも、つるのはぎのながきをも、いろわずおのれおのれのすがたにて、あきないをするものはあきないしながら、奉公をするものは奉公しながら、さらにそのすがたをあらためずして、不思議の願力を信ずべし。これ当流の勧化、一念発起平生業成の儀なりと云々。 かきおきし文の詞にのこりけり むかしがたりは昨日今日にて。 応仁二年四月仲旬 蓮如御判 (第4)chougai01-3L,4R 夢中文 このころの信心がおの行者たち、あらあさましや真宗の法をえたるしるしには、学匠沙汰のえせ法文わが身のほかは信心のくらいをしりたるものなしとおもうこころは[キョウ02]慢のすがたにてはなきかと、よそのこころむきはよきとおもう安心がこれよく、経釈をしりたるふたつの勧文かや。 応仁貳年四月二十二夜、予がゆめにみるよう。たとえばある俗人の二人ありつるが、そのすがたはきわめていやしげなりけるが、その一人の俗に対して、この文を二三返ばかり誦しければ、かの俗人、この文のこころをうちききていうよう。あさましや。さてはとしごろわれらがこころえつるおもむきはあしかりけりとおもうなりと、いいはんべるとおぼえて、ゆめさめおわりぬ。さてこの文をたしかにおぼえけるほどにかきつけぬ。不思議なりし文なりと云々。 かきとむるふでのあとこそあわれなれ なからんのちのかたみともなれ (第5)chougai01-04R_07R 文明第三炎天のころ、賀州加卜郡〈かぼくのこおり〉五ヶ庄の内かとよ或行山辺〈あるかたやまほとり〉に人十口ばかりあつまりいて申しけるは、このころ仏法の次第以外わろき由を讃嘆しあえり。そのなかに勢いたかく色くろき俗人ありけるがかたりけるは、一所の大坊主分たる人に対して仏法の次第を問答しける由を申して、かくぞかたり侍りけりと云々。件〈くだん〉の俗人、問いていわく。当流の大坊主達はいかようにこころねをもちて、その門徒中の面々をば御勧化候やらん。御心もとなく候。くわしく存知仕り候て聴聞すべく候。大坊主答えていわく。仏法の御ゆうをもって朝夕をまかりすぎ候えども、一流の御勧化のようをもさらに存知せず候。ただ手つぎの坊主へ礼儀をも申し、又弟子の方より志をもいたし候て、念仏だに申し候えば肝要とこころえたるまでにてこそ候え。さ候間、一巻の聖教をも所持候分も候わず、あさましき身にて候。委細〈くわしく〉かたり給うべく候。俗のいわく。その信心と申すすがたをばさらさら御存知なく候やらん。答えていわく。我等が心得おき候分は、弥陀の願力に帰したてまつりて、朝夕念仏を申し、仏〈ほとけ〉御たすけ候えとだにも申し候えば往生するぞと心得てこそ候え。そのほかは信心とやらんも、安心とやらんも存ぜず候。これがわろく候わば御教化候え。可聴聞〈聴聞すべく〉候。俗いわく。さては大坊主分にて御座候えども、さらに聖人一流の御安心の次第をば御存知なく候。我等は俗体の身にて大坊主分の人に一流の信心のよう申し入れ候わば、斟酌のいたりに候えども、四海みな兄弟なりと御沙汰候えば、かたのごとく申し入るべく候。坊主答えていわく。誠に以て貴方は俗人の身ながら、かかる殊勝の事を申され候ものかな。いよいよ我等は大坊主にては候えども、いまさらあさましくこそ存じ候え。早々〈はやはや〉うけ給わり候べし。答えていわく。かくのごとく御定に候あいだ、如法〈もとより〉出物に存じ候えども、聴聞仕り置き候おもむき、大概申し入るべく候。御心をしずめられ候いてきこしめさるべく候。まず聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候。そのゆえはもろもろの雑行をなげすてて一心に弥陀に帰命すれば不可思議の願力として仏のかたより往生を治定せしめ給うなり。このくらいを一念発起入正定之聚とも釈したまえり。このうえには行住座臥の称名念仏は如来我が往生をさだめ給う御恩報尽の念仏と心得べきなり。これを信心決定の人とは申すなり。次坊主様の信心の人と御沙汰の候は、ただ弟子のかたより細々に音信をも申し、又なにやらんをもまいらせ候を信心の人と仰せられ候。これは大いなる相違とぞ存じ候。よくよく此の次第を御こころえ候いて真実の信心を決定あるべきものなり。当時は大略かようの人を信心のものと仰せられ候。あさましき事にはあらず候哉。此の次第をよくよく御分別候て御門徒の面々をも御勧化候わば、いよいよ仏法御繁昌あるべく候あいだ、御身も往生は一定、又御門徒中もみな往生決定せられ候べきことうたがいなく候。これすなわち自信教人信、難中転更難、大悲伝普化、真成報仏恩の釈文に符合候べき由し申し候処に、大いに坊主悦びて殊勝のおもいをなし、まことに仏在世にあいたてまつりたるこころして、解脱の法衣をしぼり歓喜のなみだをながし、改悔懺悔のこころいよいよふかくして申されけるは、向後我等が少門徒をも貴方へ進じおくべく候。つねには御勧化候て信心決定させ給うべく候。我等も自今已後は細々に参会をいたし聴聞申して仏法讃嘆仕るべく候。誠に同一念仏無別道故の釈文、いまにおもいあわせられて、ありがたく候とて、此の炎天のあつさにや扇うちつかいて、ほねおりそうにみえて、この山中をぞかえるとて、またたちかえり、ふるき事なれども、かくぞ口ずさみける。 うれしさをむかしは袖につつみけり こよいは身にもあまりぬる哉と 申しすててかえりけり。まことにこの坊主も宿善の時いたるかとおぼえて仏法不思議の道理なり。 (第6)chougai01-07R_10R 文明第三初秋仲旬之比〈ころ〉、加州、或山中辺〈あるさんちゅうへん〉において人あまた会合して申すよう。近此〈ちかごろ〉仏法讃嘆ことのほかわろきよしをもうしあえり。そのなかに俗の一人ありけるが申すよう。去比南北の念仏の大坊主もちたる人に対して法文問答したるよしもうして、かくこそかたりはんべりけり。俗人いわく。当流の大坊主達はいかようにこころねを御もちありて、その門徒中の面々をば御勧化候哉らん。御こころもとなく候。委細〈くわしく〉仰せこうむりたく存じ候。答えて云く。当流上人の御勧化の次第は我等も大坊主一分にては候えども、巨細はよくも存知せず候。さりながらおおよそ先師なんどの申しおき候おもむきは、ただ念仏だにも申せばたすかり候とばかりうけたまわりおき候が、近比〈ちかごろ〉はようがましく信心とやらんを具せずば往生は不可と若輩の申され候が、不審にこそ候え。俗、問いていわく。その信心とはいかようなる事を申し候哉。答えていわく。まず我等がこころえおき候分は弥陀如来に帰したてまつりて、朝夕念仏し、仏〈ほとけ〉御たすけ候えとだにも申しそううらえば往生は一定とこころえてこそ候え、そのほかは大坊主をばもちて我等も候えども、委細〈くわしく〉は存知せず候。俗、問いていわく。さては已前仰せかぶり候分はもってのほか此の間、我等聴聞つかまつり候には、おおきに相違して候。まず大坊主分にて御わたり候えども、更に聖人一流の安心の次第は御存知なく候。我等が事はまことに俗体のみにて候えども、申し候ことばをも、げにもとおぼしめしより候わば、聴聞つかまつり候分はもうしいるべきにて候。坊主、答えて云く。まことにもって貴方は俗体の身ながら、かかる殊勝の事を申され候ものかな。委細〈くわしく〉御かたり候え。聴聞すべく候。俗、答えていわく。如法出物なるように存じさぶらえども、かくのごとく仰せこうぶり候間、聴聞つかまつり候おもむき大概もうしいれべく候。我等が事は奉公の身にて候間、つねに在京などもつかまつり候間、東山殿へも細々まいり候て聴聞つかまつる分をば心底をのこさずかたり申すべく候。御心をしずめられきこしめさるべく候。まず当流御勧化のおもむきは信心をもちて本とせられ候。そのゆえはもろもろの雑行をすてて一心に弥陀如来の本願はかかるあさましき我等をたすけまします不思議の願力なりと、一向にふたごころなきかたを信心決定の行者とは申し候なり。さ候ときは行住坐臥の称名も自身の往生の業とはおもうまじき事にて候。弥陀他力の御恩を報じ申す念仏なりと心得べきにて候。次に坊主様の仰せこうぶり候。信心の人と御沙汰候わば、ただ弟子の方より坊主へ細々に音信を申し、又物をまいらせ候を信心の人と仰せられ候。おおきなる相違にて候。よくよく此の次第を御心得あるべく候。されば当世はみなみなかようの事を信心の人と御沙汰候。もってのほかあやまりにて候。此の子細を御分別候て、御門徒の面々をも御勧化候わば御身も往生は一定にて候。又御門徒中もみな往生せられ候べき事うたがいもなく候。これ則ちまことに自信教人信、乃至、大悲伝普化の釈文にも符合せりと申し侍りしほどに、大坊主も殊勝のおもいをなし解脱の衣をしぼり、歓喜のなみだをながし、改悔のいろふかくして申す様。向後は我等が散在の小門徒の候をも、貴方へ進じおくべきよし申し侍りけり。又なにとおもいいでられけるやらん、申さるるようはあらありがたや。弥陀の大悲はあまねけれども、信ずる機を摂取しましますものなりとおもいて、かくこそ一首は申されけり。 月かげのいたらぬところはなけれども ながむる人のこころにぞすむと いえる心もいまこそおもいあわせられて、ありがたくおぼえはんべれとて、此の山中をかえらんとせしが、おりふし日くれければ、またかようにこそくちずさみけり。 つくづくとおもいくらして入りあいの かねのひびきに弥陀ぞこいしきと うちながめ日くれぬれば足ばやにこそかえりにき。あなかしこ、あなかしこ。 文明三年七月十六日 (第7)chougai01-10R_11R 勢〈せい〉ひきき人のいわく。先年京都上洛のとき、高野へのぼるべき心中にて候ところに、乗専もうされけるは、御流の義はあながちに高野なんどへまいるは本義にあらず。当流安心決定せしめんときは、いかにも御本寺に堪忍つかまつりたらんが報恩謝徳の道理たり。しかればわれらもその義にて堪忍もうすなりと、こまごまと仏法の次第かたりたまうほどに、それより御流の安心にはもとづきたてまつるなり。さいわいに和田の御新発意その時分御在京候あいだ、随逐もうし候て、いよいよ仏法の次第聴聞つかまつりそうらいて、それよりこのかた御流の安心にはなおなおもとづきもうすなり。これしかしながら御新発意の御恩いまにあさからざるなり。さ候あいだ聴聞つかまつり候次第、すこしはわろくももうし候、またはあらくももうし候いわれにや、越前加州の不信心の面々には件〈くだん〉の心源ともうされ候て、かぜをひき候いき。しかれども正法の御威光によりて義理のちかいさぶろうところをもうけたまわりわけ候によりて、已前のごとくにはあいかわりて沙汰つかまつり候あいだ、すでにはやその名をあらためて蓮崇とこそもうし候なり。なおなおも相違の子細はあるべく候ほどに、だれのひともよくよく御教訓にあずかりさぶらわば、まことにもって同一念仏、無別道故のことわりにあいかない候べきものなり。あなかしこ、あなかしこ。 文明三年九月十八日 (第8)chougai01-11R_13L 静かにおもんみれば、それ人の性は名によると申しはんべるも、まことにさぞとおもいしられたり。しかれば今度往生せん亡者の名を見玉〈けんぎょく〉といえるは、玉をみるとよむなり。さればいかなるたまぞといえば、真如法性の妙理、如意宝珠をみるといえるこころなり。これによりて彼の比丘尼見玉房は、もとは禅宗の喝食なりしが、中比は浄花院の門徒となるといえども、不思議の宿縁にひかれて近比は当流の信心のこころをえたり。そのいわれは、去〈さん〉ぬる文明第二、十二月五日に伯母にてありし者死去せしを、ふかくなげき、おもうところにうちつづき、またあくる同文明第三、二月六日に、あねにてありし者、同じく臨終す。一方ならぬなげきによりて、その身も病付きてやすからぬ体なり。ついにそのなげきのつもりにや、病となりけるか。それよりして違例の気なおりえずして、当年五月十日より病の床にふして、首尾九十四日にあたりて往生す。されば病中の間においてもうすことは、年来浄花院流の安心のかたをふりすてて、当流の安心を決定せしむるよしをもうしいだしてよろこぶ事かぎりなし。ことに臨終より一日ばかりさきには、猶々安心決定せしむねをもうし、また看病人の数日のほねおりなんどをねんごろにもうし、そのほか平生におもいしことどもを、ことごとくもうしいだして、ついに八月十四日の辰のおわりに頭北面西にふして往生をとげにけり。されば看病人もまた、誰やの人までも、さりともとおもいし、いろのみえつるにかぎりあるいのちなれば、ちからなく無常の風にさそわれて、かようにむなしくなりぬれば、いまさらのようにおもいて、いかなる人までも感涙をもよおさぬはなかりけり。まことにこの亡者は宿善開発の機ともいいつべし。かかる不思議の弥陀如来の願力の強縁にあいたてまつりしゆえにや。この北国の地にくだりて往生をとげしいわれによりて、数万人のとぶらいをえたるは、ただごとともおぼえはんべらざりしことなり。それについて、ここに或る人の不思議の夢想を八月十五日の荼毘の夜あかつきがたに感ぜしことあり。その夢にいわく。所詮葬送の庭においてむなしきけむりとなりし白骨の中より三本の青蓮華出生す。その花の中より一寸ばかりの金仏ひかりをはなちていでたまうとみる。さていくほどもなくして蝶となりてうせにけりとみるほどに、やがて夢さめおわりぬ。これすなわち見玉といえる名の真如法性の玉をあらわせるすがたなり。蝶となってうせぬとみゆるそのたましい、蝶となりて法性のそら、極楽世界涅槃のみやこへまいりぬるといえるこころなりと、不審もなくしられたり。これによりてこの当山に喪所をかの亡者往生せしによりて開けし事も不思議なり。ことに荼毘のまえに雨ふりつれども、その時は空はれて月もさやけくして、紫雲たなびき、月輪にうつりて五色なりと、人あまねくこれをみる。まことに此の亡者においては往生極楽をとげし一定の瑞相を人にしらしむるかとおぼえはんべるものなり。しかればこの比丘尼見玉このたびの往生をもって、みなみなまことに善知識とおもいて、一切の男女にいたるまで、一念帰命の信心を決定して、仏恩報尽のためには念仏もうしたまわば、かならずしも一仏浄土の来縁となるべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。 文明四年 (第9)chougai01-13L_14L 抑も昨日人の申され候いしは、誰人にてわたり候いつるやらん、かたり申されけるは、此のころなにとやらん坊主達のまことに仏法に心をいれたまい候か、又身にとりて仏法のかたにちときずもいたがも御わたり候か、さらに心中のとおりをもしかじかとも懺悔の義もなく、またとりわけ信心のいろのまさりたるかたをももうされ候分もみえず候て、うかうかとせられたるようにおぼえ候は、いかがはんべるべく候哉。ただ他屋役ばかり御のうらい候いて座敷すぎ候えば、やがて多屋多屋へかえらせたまい候えば、よき御ふるまいにて候か。よくよく御思案あるべく候。されば善導の御釈にも自信教人信、乃至、真成報仏恩と釈せられ候時は自身もこの法を信じ、人をしても信心なきものをすすめ候わんこそ、まことにもって仏恩報尽の道理にてもあるべくおぼえ候。又上尽一形下至一念と判ぜられ候時も一念の信心発得のすがたもみえず御わたり候。又一形憶念の義もさらに成就せられたるともみおよび申さず候。よくよく御[キョウ01]量あるべく候。あさまし、あさまし、こころうかむとおり申すなり。御免、御免。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。あなかしこ、あなかしこ。 文明五年九月九日 (第10)chougai01-14L_17R ある人いわく。昨日ははや一日雨中なれば、さみだれにもやなるかとおもいて、海上のなみのおとまでもたかく、ものさびしくおとずれければ、もとよりいとどこころのなぐさむこともなきままに、いよいよ睡眠はふかくなりぬれば、生死海にうかみいでたるその甲斐もなく、あさましくこそはおもいはんべれともうしたりしかば、ここにある若衆のわたり候けるがもうされけるは、われらはあながちにさように睡眠のおこりさぶらえばとて、いたくかなしくもおもわず候。そのゆえは安心のことはこころえさぶらいつ。また念仏はよくもうしさぶらいぬ。また雑行とてはさしてもちいなく候間つこうまつらず候。ことにわれらは京都の御一族分にて候あいだ、ただいつもものうちよくくいさぶらいて、そののちはねたくさぶらえば、いくたびもなんどきもふみそりふせり候。また仏法のかたはさのみこころにもかからず候。そのほかなにごとにつけても人のもうすことをばききならいて候あいだ、聖人の御恩にてもあるかなんど、ときどきはおもうこころも候ばかりにて候。ここにまたある人のもうしけるは、さてはあれらさまは京都の御一族にて御座候あいだ、さだめてなにごとも御存知あるべく候ほどに、われらがもうすことはおよばぬ御ことにてこそ候え。ある人また問いていわく。われらがようなる身にて、かようのもうしごと如法如法そのおそれすくなからぬことにて候えども、仏法のかたなればもうすにて候。あまりに御こころえのとどきさぶらわぬおもむきを、ひとはしもうしたく候。そのいわれは当流の次第は信心をもって先とせられ候あいだ、信心のことなんどは、そのさたにおよばず候いて、京都御一族を笠にめされ候こと、これひとつおおきなる御あやまりにてさぶろう。ことにねぶりなんどもいたくかなしくもおもわぬなんどおおせられ候こと、これひとつ勿体なく候。貴方は随分の仏法者にて御いり候えども、いまの子細を御一族におそれもうされ候いて、一端御もうしさぶらわぬこと、くれぐれ御あやまりとこそ存じ候え。答えていわく。われらももっともその心中にては候いつれども御存知のごとく不弁短才の身にて候えば、ふかく斟酌をなしてもうさず、貴方にゆずりもうし候なり。一端この子細を御もうしそうらわば興隆にてあるべく候。問いていわく。われらも斟酌にそうらえども御所望候うえは、これ聴聞つこうまつり候おもむきひとはしもうすべく候。そのゆえはわれらもすでに無明のやみにねぶりしずみいたる身にて候が、たまたま五戒の功力によりて、いま南浮の生をうけて、あいがたき仏法にあえり。さればこのたび信心決定するむねなくば、三途の旧里にかえらんことをかなしみおもわば、などかねぶりをこのみ候べきや。されば観経には唯除睡時恒憶此事ととき、善導は煩悩深無底生死海無辺とも、云何楽睡眠とも判ぜり。この文のこころは煩悩はふかくしてそこなし。生死の海はほとりなき身のいかんが睡眠をこのまんやといえり。また観経にも、ただねぶりをのぞきて、このことをおもえととかれたり。経釈ともにねぶりをこのむべからずときこえたり。このときは御一族にて御座候とも仏法の御こころえあしくそうらわば報土往生いかがとこそ存じそうらえ、ふかく御思案さぶらいて、仏法の方を御たしなみさぶらわば、まことにもって千秋万歳めでたく存ずべく候。かえすがえす御所望によりて、かくのごとくの次第もうしいれ候条、千万おそれいり候。あら勿体なや。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。 文明五年五月日 (第11)chougai01-17R_18R そもそもこの両三年のあいだにおいて、あるいは官方あるいは禅律の聖道等にいたるまでもうし沙汰する次第はなにごとぞといえば、所詮越前の国加賀ざかい、ながえせごえの近所に細呂宜の郷〈ほそろぎのごう〉の内、吉崎とやらんいいて、ひとつのそびえたる山あり。その頂上をひきくずして屋敷となして、一閣を建立すときこえしが、いくほどなくして、うちつづき加賀越中越前の三カ国のうちのかの門徒の面々よりあいて、他屋と号していらかをならべ、いえをつくりしほどに、いまははや一二百間のむねかずもありぬらんとぞおぼえけり。あるいは馬場大路をとおして、南大門、北大門とて南北のそのなあり。さればこの両三カ国のうちにおいて、おそらくはかかる要害もよく、おもしろき在所、よもあらじとぞおぼえはんべり。さるほどに、この山中に経回の道俗男女そのかずいく千万ということなし。しかればこれひとえに末代いまのときのつみふかき老少男女において、すすめきかしむるおもむきは、なにのわずらいもなく、ただ一心一向に弥陀如来をひしとたのみたてまつりて、念仏もうすべしとすすめしむるばかりなり。これさらに諸人の我慢偏執をなすべきようなし。あらあら殊勝の本願や、まことにいまのとき、機にかないたる弥陀の願力なれば、いよいよとうとむべし、信ずべし。あなかしこ、あなかしこ。 文明五年八月二日 (第12)chougai01-18R_19R 文明第四、十月四日、亡母十三回にあいあたり候。今日のことに候あいだ、ひとしおあわれにこそ候え。三月ひきあげ仏事をなされ候あいだ、さだめて亡者も仏果菩提にもいたりたまい候らん。さりながらかくのごとくおもいつづけ候。 十三年をおくる月日はいつのまに 今日めぐりあう身ぞあわれなる また愚老なにとなく当年さえこの国に居住せしめ、十三回の仏事にあい候も、真実の宿縁とこそおぼえ候え。さりながらこの亡者安心のかたもいかがとこころもとなく候あいだ、かくのごときのおもむきをなして、かようにつづけ候けり。 おぼつかなまことのこころよもあらん いかなるところの住家〈すみか〉なるらん さりながら他経によらば一子出家七世の父母往生とやらん。また当流のこころならば還来穢国土人天と。これはいまだしきことでや候べき。しかりといえども、まことに変成男子転女成男の道理はさらにうたがいあるべからざるものなり。 いまははや五障の雲もはれぬらん 極楽浄土はちかきかのきし かようにふでにまかせて、なにともなきことをもうし候なり。御違例も今日はよきよしもうすあいだ、目出度おぼしめし候ところに、はやこれへ御いで候。対面もうし候ほどに、なおなお殊勝に候。あなかしこ、あなかしこ。 文明五年(癸巳)八月二十八日 (第13)chougai01-19L,20R それ当流を一向宗とわがいえよりも、また他宗よりも、その名を一向宗といえること、さらにこころえがたき次第なり。祖師聖人はすでに浄土真宗とこそおおせさだめられたり。他宗の人の一向宗ということは是非なし。当流のなかにわれとなのりて一向宗ということはおおきなるあやまりなり。まず当流のこころは自余の浄土宗よりもすぐれたる一義あるによりて、わが聖人も別して真の字をおきて浄土真宗とさだめたまえり。つぶさにいえば浄土真宗という。略していえば真宗というべきなり。されば他宗には宗の字にごりてつかうなり。当流にはすみてつかうなりとこころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。 文明五年九月下旬 (第14)chougai01-20R,20L 端書に云わく。 右斯の文どもは文明第三之比より、同第五の秋の時分まで天性こころにうかむまま何の分別もなく、連々に筆をそめおきつる文どもなり。さだめて文体のおかしきこともありぬべし。またことばなんどのつづかぬこともあるべし。かたがたしかるべからざるあいだ、その斟酌をなすといえども、すでにこの一帖の料紙をこしらえて書写せしむるあいだ、ちからなく、まずしるしおくものなり。外見の義くれぐれあるべからず。ただ自然のとき自要ばかりにこれをそなえらるべきものなり。 于時文明第五、九月二十三日、藤嶋郷の内林之郷超勝寺においてこの端書を連宗所望のあいだ、同二十七日申の剋にいたりて筆をそめおわりぬ。 |