凡 例

   下記の版を底本にしてテキストファイルを作りました。

     山邊習學 赤沼智善 共著
      教行信証講義
        発行所 無我山房 平楽寺書店
        昭和6年5月1日発行 第13版
 
 テキストファイルを作成するにあたり、下記のように変更しました。
  底本 テキストファイル
 漢字  旧漢字  常用漢字
 仮名づかい  旧仮名づかい  新仮名づかい
 漢文  返り点  白文
 サンスクリット表記   など  A U など
  底本の誤植は、気づいた範囲で訂正しました。
  読みやすくするために、漢字から ひらがなに変更した部分があります。




 
見 本

(総序の一部)

(1-157)
 第二章 弥陀教の利益

【大意】『大無量寿経』に依って、弥陀教の大利益を挙げ給うのである。浄土教の法の真実を挙げ給うのであるともいえる。この章が三段に分れて、初めは、弘誓の大益をたたえ、次には光明の偉力〈はたらき〉をたたえ給うのである。

 竊以難思弘誓度難度海大船無碍光明破無明闇慧日

【読方】竊におもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり。
【字解】
 一。難思の弘誓 思いはかることの出来ない広大な誓願
 二。難度海  生死流転の迷の世界のこと。われらの深く沈みて出ずることの出来ないこの迷の世界を度り難い海に喩えていうのである。蓮如上人の御延書には度し難き衆生というてある。仏の方よりいうて、済度し難い衆生を海に喩え給うたのである。
 三。無碍の光明 阿弥陀仏の光明は、衆生の所有〈あらゆる〉の煩悩にさえぎられないで、一切衆生をおさめとり給うからいうのである。
 四。無明 梵語阿毘陀耶(Avidya)の訳で事理に闇いことをいう。この事理に闇いという無明が一切煩悩の根本となるものである。今は特に、仏智の不思議を疑うて、弥陀の救済〈おすくい〉を信ぜない自力の疑心をさしていう。
(1-158)
 五。慧日 無碍の光明が疑の闇を晴し給うを日にたとえた語。光明の体は智慧であるから慧の語が用いてあるのである。
【文科】 二段に分れて居るのであるが、今は一段にして解釈する。難恩の弘誓と、無碍の光明と対になって居って二段に分れるのである。
【講義】 心を沈めてよくよく考えて見ると、凡夫の浅墓な思慮の及ばぬ弥陀如来の本願は、まことに度〈わた〉り難い生死の海を渡して下さる大船である。また煩悩の障壁にも障えぎられずして、私共の胸の奥底までも照し徹して下さる光明は、あらゆる煩悩の源である自力疑心の闇を破り、そして弧独な淋しい冷い心を温めて下さる太陽であります。『大無量寿経』はこの旨趣を説かれた経典である。

(1-159)
第三章 教興の縁由と諸聖の大悲

【大意】『観無量寿経』に依って、浄土教のこの世に初めて、顕われて下された縁由を示し、諸の大聖の私共のために、いろいろ御方便下された大慈悲を嘆〈たた〉え給うのである。浄土教の機の真実を挙げ給うものともいえる。これも二段に分れて、初めは浄土教の興る縁由を示し、次に諸聖の大慈悲をたたえ給うのである。

 然則浄邦縁熟調達闍世興逆害浄業機彰釈迦韋提選安養

【読方】しかればすなわち浄邦縁熟して、調達闍世をして逆害を興ぜしむ、浄業、機あらわれて釈迦、韋提をして安養をえらばしめたまえり。
【字解】
 一。釈邦 きよきみくに。阿弥陀仏の西方極楽。
 二。縁熟 機縁の淳熟したこと。
 三。調達 提婆達多(Devadatta)のことで、天授、天熱、天与など訳する。釈尊の叔父ドローノーダナ・ラーヂャ(Dronodaua-raja)即ち斛飯王〈こくぼんおう〉の子であるから、釈尊の従兄弟であり、阿難尊者の兄である。釈尊成道ののち出家して弟子となったけれども、仏の威勢を嫉んで五百の仏弟子を率いて別立した。そして阿闍世王と結託して釈尊を亡ぼし、摩伽陀国の宗教上の権利を握ろうとした。けれども失敗に帰した。そののち阿闇世王が後悔してその党をはなれたため、事ますます非となって、遂に病死した。『法華経』の提婆品には、提婆は未来に
(1-160)
天王如来となるという釈尊の予言が載せてある。また一説には仏にてむこうた逆罪のために、生きながら地獄におちたともいい伝えられておる。
 四。闍世 阿闍世王のこと。発音アジャータシャトル(Ajatasatru)、来生怨と訳する。頻婆娑羅王の子で、提婆に咳かされて父を弑〈ころ〉し、自から王位にのぽって勢を中印度に振った。都は王舎城、のち華氏城を開いた。自分の子を愛すろところから父母の慈悲に目が醒め、のち、旧悪を懺悔して仏教に入り、釈尊教団の外護の大施〈まもり〉主となった。第一結集のときは大檀越となって僧を供養し、仏教上に大いに力をつくした人である。釈尊御入滅ののち二十四年にして崩じた。
 五。浄業機彰  浄業は浄土参りの行業、即ち念仏のこと。この念仏を修する機類(衆生)のあらわれたこと。
 六。釈迦 釈迦牟尼(Sakyamuni)の略語。釈迦族の聖人の意で、古来能仁寂黙と訳する。印度迦毘羅城(Kapilavastu)の主、浄飯王(Suddhodana)の御子。御母は摩耶(Maya)である。西暦紀元前五六五年四月一日嵐毘尼園(Lumbini)の樹下に生れ給い、四方に七歩づつ歩んで「天上天下唯我独尊」と唱え給うた。喬答摩(Gautama)悉蓮多(Siddartha)と称し奉った。長じて親族の拘利城(Koli)の善覚(Suprabuddha)の姫耶輸陀羅(Yasodhara)を娶り、一子羅喉羅(Rahula)の父とならせられた。二十九歳出家し、六年苦行、三十五歳の時、道を覚らせられて、それから四十五年の間、印度の中部地方に道を伝え給うて、御歳八十にして、倶尸邦伽羅〈くしながら〉の外の沙羅樹林に於て涅槃に入らせられた。
 七。韋提 韋提希、本名はチェーラナー。頻婆娑羅王の妃で、毘舎離のチェータカ
(1-161)
王の娘である。その本国の名に依って韋提希、即ち毘舎離女と呼ばれたのである。古来、思惟、勝身、勝妙身などと訳せられて居る。頻婆娑羅王が幽閉せられてから、深く厭世の念を起し、釈尊に説法を請うたので、釈尊は夫人のために『観無量寿経』を説き給うたのである。
 八。安養 安楽世界のこと。安らかに身を養うことが出来るところであるからいうのである。
【文科】浄土教教興の縁由をしめす一段。
【講義】さて阿弥陀如来の方には、既にかような広大な救済の方法が成就〈できあが〉っていることであるから、この恵みを戴く機縁さえあれば、水に宿る月影のように、何時も映って下さることであるが、丁度この機縁が釈尊の御晩年に漸く熟して来た。かの提婆達多が名利の為めに御教に背き、摩掲陀国の阿闍世太子を誑かして、父の頻婆娑羅王を殺さしめたことから浄土教の発端が開け、釈尊は幽閉中の韋提希夫人の請に応じて、王宮に降臨せられ、諸仏浄土の中から、夫人をして選んで弥陀の浄土へ往生したいと願しめ給うに至った。茲に至って始めて浄土往生の行業を修する機類が彰れ凡夫救済の正意が実行されたのである。