浄土論註翼解 第2巻の3(9の内) 観察門 器世間荘厳成就 第2 量功徳 |
無量寿経論註翼解 巻二之三 |
【論】究竟如虚空 広大無辺際。SSZ01-286 【論】 (究竟して虚空のごとく、広大にして辺際なし。)SSZ01-286 「究竟」は円満成就の義なり。「虚空」とは、虚は形質なし、空は碍あることなし。『涅槃』の三十一に云わく「虚空というは所有なし」と。今は無碍に喩う。『経』に云わく「荘厳妙土、所修の仏国、恢廓広大にして、超勝独妙なり。建立常然にして、衰なく変なし」と。然るに法位のこの文を釈して云わく「自受用土となす。」また玄一の云わく「応化土となす。」前は過、後は及ばず、ともに過失あり。今謂く、これ他受用の土なり。RY02-17R- 『大乗密厳経』に云わく「仏は已に彼を超過して密厳に依りて住す。極樂荘厳国の世尊は無量寿なり」〈抄出〉と。また云わく「密厳の浄土は諸仏の国に超え、無為性の如く微塵に同ぜず。この密厳の中の諸仏菩薩、并びに余の国土よりこの会に来る者はみな涅槃の如し」〈抄出〉と。法蔵の『疏』に云わく「如無為とは、密厳土は即ちこれ諸仏の他受用土、法性土に於いて悲願力を以て建立するが故に、この浄土は法性土の如く無常の過を離る。これを以ての故に如無為と説く。(乃至)今この密厳蔵はただ清浄如来蔵心より現るる所なるが故に微塵成にあらず」といえり。また『梁の摂論〈摂大乗論釈 真諦訳〉』に分量円満を明かして云わく「論じて曰く。大城辺際は度量すべからず。釈して曰く。径度を度となし、周囲を量となす。一一の仏浄土の辺際は凡夫の由旬等の数を以て能く度量するところにあらず。これは量円浄を明かす」といえり。実に際なしとせん、凡量にあらざるを無辺際というとやせんや。答う。他受用土は実に辺際あり。『仏地論』に他受用の土を述べて云わく「かくの如きの浄土は有辺なるを以ての故に、地上の菩薩及び諸の如来はみなその量を測る。ただ地前に就きては不能測という」といえり。故に知りぬ、無辺際にあらず。然るに彼の浄土広略相入、思議すべからず。あに辺際あらんや。-RY02-17R,17L 【註】此二句名荘厳量功徳成就。SSZ01-286 【註】 (この二句を荘厳量功徳成就と名づく。)SSZ01-286 【註】仏本所以起此荘厳量功徳者、SSZ01-286 【註】 (仏もとこの荘厳量功徳を起こしたまう所以は、)SSZ01-286 【註】見三界、陜(戸甲反)小堕(敗城阜或垂反)[ケイ03](山絶坎形音)陪(重土一曰備父才反)[ショ01](如渚者[ショ01]丘之与反)、宮観迫[サク02](子格反)、或土田逼隘(陋已売反)、或志求路促、或山河隔(塞公厄反)障、或国界分部。SSZ01-286 【註】 (三界を見たまうに、陜小にして堕[ケイ03]陪渚あり。宮観迫[サク02]し、或いは土田逼隘す。或いは志求するに路促〈せ〉ばく、或いは山河隔障し、或いは国界分部す。)SSZ01-286 【註 割注】陜(戸甲の反)。堕〈き〉(敗城の阜<おか>なり。或〈こく〉垂の反)。[ケイ03](山の絶坎なり。形の音)。陪(重土なり。一に曰く備なり。父才の反)。渚(渚〈みぎわ〉のごとくなる者、[ショ01]丘なり。之与の反)。[サク02](子格の反)。隘(陋なり。已売の反)。隔(塞なり。公厄の反)。 「見」は即ち菩薩能照の智なり。「三界」の下は所見の境。麁を捨て妙を取り、穢を選びて浄を摂す。『経〈無量寿経 抄出〉』に云わく「覩見二百一十億諸仏刹土、摂取清浄」等の見なり。「陜」は、音は洽、隘陜にして広からざるなり。一本に陝に作る、非なり。陝は、音は閃、地の名なり。今の所用にあらず。「堕」は、音は揮、壊なり。[X20][ヒ06]なり。「阜」は、音は浮、大陸の山の石なきなり。「[ケイ03]」は、音は刑なり。『広韻』に「連山の中絶」。「坎」は陥なり。「陪」は、音は裵、重なり、また益なり、満なり。「[ショ01]」は、音は諸。『韻会小補』の十二に云わく「[ショ01]は渚の如きもの。[ショ01]丘は水中の高きものなり。」『爾雅』に「[ショ01]は水中の居すべきの小さなもの。丘形にしてこれに似るが故に[ショ01]丘と名づく。通じて渚に作る。」『釈名』に「渚は遮なり。よく水を遮り回しむるなり。」〈cf.一切経音義〉RY02-17L,18R- 「宮」は謂く宮室。『釈名』に云わく「天子の所居を宮という。黄帝作り以て風雨を避く。古は貴賤の所居みな宮と称することを得。秦に至りて乃ち定めて至尊所居の称となす。」「観」は謂く楼観なり。『釈名』に云わく「賢を集むるを観という。」『三補黄図』に云わく「これを登り以て遠観すべきが故にこれを観という。」「迫」は逼なり、陜なり。「[サク02]」は迫なり。「逼」は迫なり。「隘」は、音は矮、陋なり、険なり、また塞なり。妄塵の色質は分量あるが故に。妄識志願は融通すること能わざるが故に「路促」という。「促」は、音は蔟、蹙〈せまる〉なり、迫なり。また局促は小なる貌。「山」は、音は刪、高大にして石あるを山という。『説文』に「山は宣なり。気を宣し、万物を散生するなり。」『広雅』に「山は産なり。よく万物を産するなり。」「部」は判なり。国に封彊ありて分判部隔す。これみな三界の穢相、有量の義を挙ぐ。-RY02-18R,18L 【註】有如此等種種挙急事。是故菩薩興此荘厳量功徳願。SSZ01-286 【註】 (かくの如き等の種種の挙急の事あり。この故に菩薩、この荘厳量功徳の願を興したまう。)SSZ01-286 「挙」は動なり。「挙急」は即ち「迫[サク02]」、艱難の義なり。この故は上を承くるの辞は、『大品経』に云わく「菩薩、六度を行ずる時、大地の株[ゴツ01]・荊棘・山陵・溝坑、穢悪の処を見て、この願を作す。我、その所行の六度に随いて仏国土を浄め衆生を成就し、我作仏の時、我が国土はかくの如き悪なく、地平かに掌の如くならしめん」と。一切の菩薩は通じてこの願を興す。況んや弥陀をや。RY02-18L 【註】願我国土如虚空広大無際。SSZ01-286 【註】 (願くは我が国土、虚空の如く広大無無際ならんと。)SSZ01-286 「願」は[ケ01]求を義とす。願の力たる、思議すべからず。天楽を受けんと願わば、則ち貧母上生し、冥主とならんと願ずれば、則ち獄神、鬼を治む。如来無尽の功徳はみな願より生ず。為すことなくして為す。あに測度すべけんや。文相解し易し。RY02-18L,19R 【註】如虚空者、言来生者雖衆猶若無也。広大無際者成上如虚空義。何故如虚空、以広大無際故。SSZ01-286,287 【註】 (如虚空というは、言うこころは来生の者、衆〈おお〉しといえども猶しなきがごとし。広大無際というは上の如虚空の義を成ず。何が故ぞ虚空の如くなる、広大にして際なきを以ての故に。)SSZ01-286,287 『涅槃経』に云わく「虚空に三義あり。一に無変易、二に無[ケイ17]碍、三に無辺際。」今は第三の義なり。また『釈論』に十種の義を説く。ここに繁録せず。問う。『経』に「ここより西方」と。また「十方衆生」という。これ有量に似る。何ぞ虚空に喩るや。答う。辺際ありといえども苞容の用に約すれば、乃ち辺際なし。また衆生の辺に約すれば、これ有量なり。仏辺に約すれば、則ち無量なり。善導〈往生礼讃〉の云わく「西に在りて小を示現するは、ただこれ暫く機に随うのみ」と、これなり。また、性相を以てこれをいわば、性を離れて相を存すれば、則ち有量なり。相全く性に即すれば則ち無量なり。故に知りぬ、汝は肉眼を以て看執して有量となす。我は仏眼を以て看る。広大無際なり。「何故」の下の五字は牒問す。「以広」の下の六字は答なり。RY02-19R,19L 【註】成就者、言十方衆生往生者、若已生若今生若当生、雖無量無辺畢竟常如虚空広大無際終無満時。SSZ01-287 【註】 (成就というは、言うこころは十方衆生の往生する者、もしは已生、もしは今生、もしは当生、無量無辺なりといえども畢竟じて常に虚空のごとく、広大無際にして、終に満つる時なし。)SSZ01-287 已今当、即ち三世なり。猶し昨今明の如し。「常」は不遷不変の義、[ザン01]時の広大にあらざる故に。「終無満時〈終に満つる時なし〉」とは、滄溟は百川を納めて溢れず、明鏡は万像を含んで余りあり。況んや実報無障碍の極楽世界をや。RY02-19L 【註】是故言究竟如虚空広大無辺際。SSZ01-287 【註】 (この故に究竟如虚空、広大無辺際といえり。)SSZ01-287 【註】問曰。如維摩方丈苞容有余。何必国界無貲(子支反)乃称広大。SSZ01-287 【註】 (問いて曰く、維摩が方丈の如きんば苞容するに余りあり。何ぞ必ずしも国界無貲〈はかる〉なるを乃し広大と称せんや。)SSZ01-287 【註 割注】貲(子支の反)。 梵語は維摩羅詰。〈注維摩〉「什公の曰く、秦には浄名という。」『垂裕記』に云わく「浄は即ち真身、名は即ち応身。真は即ち所証の理、応は即ち所現の身」と。生〈竺道生〉の曰く、〈注維摩〉「此には無垢称というなり。それ迹を五欲に晦〈くら〉まし、超然として染なく、清名を遐〈はるか〉に布く。故にこの号を致す。」「方丈は寺院の正寝なり。始め因、唐の顕慶年中に、衞尉寺承(丞イ)李義表・前の融州黄水の令王玄策に勅し差〈つか〉わし、西域に往き使に充〈あて〉らる。毘耶黎城に至る。東北四里許〈ばかり〉に維摩居士の宅あり。示疾の室あり。遺址は石を畳きてこれを為す。王策躬〈みずか〉ら手版を以て縦横にこれを量るに十笏を得たり。故に方丈と号す。」〈cf.釈氏要覧〉RY02-20R- 『維摩経』の「不思議品」に云わく「維摩詰、文珠師利に問いて言わく、仁者無量千万億阿僧祇の国に遊びて、何等の仏土にか好上妙功徳成就の師子の座あるや。文殊師利の言わく。居士。東方に三十六恒河沙国を度りて世界あり。須弥相と名づく。その仏を須弥灯王と号す。今現に彼に在します。仏身の長け八万四千由旬なり。その師子座の高さ八万四千由旬にして厳飾第一なり。ここに於いて長者維摩詰、神通力を現ず。即時に彼の仏、三万二千の師子座の高広厳浄なるを遣し、維摩詰の室に来入す。諸の菩薩大弟子釈梵四天王等、昔、未だ見ざる所なり。その室広博、悉くみな三万二千の師子座を包容して妨礙する所なし。毘耶離城と及び閻浮提四天下に於いて、また迫[サク02]せず、悉く見ること故の如し」と。「貲」は、音は此なり、計なり、尽なり、通じて[シ05]に作る、量なり。言うこころは、浄名が方丈は狭きにありて広く、八万四千由旬の高座三万二千数を包容して、なお迫[サク02]せず。最も奇妙たり。広大というべし。奚〈なん〉ぞただ国界無量なるを以て嘆じて広大となすは未だ奇とするに足らず。-RY02-20R,20L 【註】答曰。所言広大非必以畦(五十畝下圭反)[エン04](三十畝一遠一万反)為喩、但言如空亦何累方丈。SSZ01-287 【註】 (答えて曰く、いう所の広大は、必ずしも畦[エン04]〈けいえん〉を以て喩えをなすにあらず。ただ如空と言う、また何ぞ方丈を累〈かさ〉ねん。)SSZ01-287 【註 割注】畦(五十畝。下圭の反)。[エン04](三十畝。一遠と一万との反) 「畦」は音奚、「[エン04]」は音淵、「畝」は音謀。六尺を歩とし、歩百を畝とす。秦の孝公の制に二百四十歩を畝とす。程伊川が曰く、古の百畝は、ただ今の四十畝に当たる。今の百畝は古の二百五十畝に当たる。「累」は魯水の切し、重なり。「但」等とは、意のいわく、その里数を畳〈かさ〉ぬるに、その辺量を論ずるは、みなこれ偏計妄情の所執なり。既に「如空」という。包容して疆〈かぎ〉りなく、融通して碍りなし。何ぞ必ずしも無量の方丈を聚累して彼の土の量とせん。これ国界無貲なるを乃し広大を称する問を抑う。畦を積み、[エン04]を計りて広大とするにあらず。一微塵の裏に大千の刹を現じて、大千の国土は一塵の中にあり。大小無碍、広略相入は、猶し虚空の亦大亦小の如し。故に知りぬ、国界無貲なるを以て広大とするにはあらざるなり。RY02-20L,21R 【註】又方丈之所苞容在狭而広。覈(実下革反)論果報豈若在広而広耶。SSZ01-287 【註】 (また方丈の苞容する所は狭きにありて而も広し。覈〈まこと〉に果報を論ずるに、あに広きに在りて而も広きに如〈し〉かんや。)SSZ01-287 【註 割注】覈(実なり、下革の反し) 維摩の方丈は狭隘にして容〈い〉る。極楽浄土は広大にして空の如し。それ狭きにありて寛用を施さんよりは、広きにありて寛用を施さんには如〈し〉かじ。初めは実に約して説き、後は相に随いて説く。上は仏辺に約し、下は機辺に約す。初後、意異なるなり。故に「又」の字を置く。「覈」は、音格、実なり。徐が曰く、実はいわゆるこれを考えて実ならしむるなり。RY02-21R,21L |