浄土論註翼解 第2巻の(9の内)
観察門
器世間荘厳成就
 第6 妙色功徳


無量寿経論註翼解 巻二之七  

【論】無垢光炎熾 明浄曜世間。SSZ01-289
【論】 (無垢の光炎熾、明浄にして世間を曜かす。)SSZ01-289

 「光」は体なり。「曜世間」は用なり。「無垢光炎熾明浄」は相なり。体相用の三、殊妙奇絶なるが故に「妙色」という。垢業の生にあらざるが故に「無垢」という。無垢の光、暉炎・熾盛・霊明、清浄第一にして比なし。これ光の相なり。問う。前の「形相〈形相功徳成就〉」と何の別ありや。答う。一義に云わく、前はこれ形色、これは即ち顕色なり。問う。前後の光明、何ぞ顕・形を分かたんや。答う。前の文に「日行四域光不周〈日の四域を行くを見たまうに、光三方に周からず〉」等といい、また「光輪満足自体〈日月光輪の自体を満足するがごとく〉」というは、既に分限を論ず。知りぬ、これ形色なり。謂く長短方円高下正不正は並びに形色なるが故に。今の「妙色〈妙色功徳成就〉」は即ちこれ顕色、「熾盛」「光炎」は自ずから青黄赤白等に属するが故に金色相対の釈あり。龍興の『疏』に云わく。問う。往生論の十七徳の中に形相と妙色と光明の三徳、何の差別あるや。答う。形相は土形に光を具足することを表し、妙色は土の光浄らかにして世を曜〈て〉らすことを表し、光明は光の痴を除く冥用を表す。RY02-34R-
 また一義に云わく。形相というは、これ一一の荘厳は自体に光明を具足することを明かす。妙色というは仏所照の光、二世間を曜〈て〉らし、所照の世間は明浄熾然にしてよく妙色あるが故に「妙色」という。下巻に釈して云わく「その光、事を曜らす則んば表裏を映徹し、その光、心を曜らす則んば無明を終尽す。」故に知りぬ。別に所照の光ありて二色を分かつにあらず。後の義に依れば則ち前の形相の中に顕形の二を含むなり。RY02-34R,34L

【註】此二句名荘厳妙色功徳成就。SSZ01-289
【註】 (この二句を荘厳妙色功徳成就と名づく。)SSZ01-289

【註】仏本何故起此荘厳。SSZ01-289
【註】 (仏本何が故ぞこの荘厳を起こしたまう。)SSZ01-289

【註】見有国土優劣不同、以不同故高下以形、高下既形是非以起、是非既起長淪(没倫音)三有。SSZ01-289
【註】 (ある国土を見たまうに、優劣同じからず。同じからざるを以ての故に高下以て形〈あらわ〉る。高下既に形るれば、是非以て起こる。是非既に起これば、長く三有に淪〈しず〉む。)SSZ01-289
【註 割注】 淪(没なり、倫の音。)

 「優」は勝なり。三途の劣、人天の優なり。また一趣においてまた優劣あり。「高」は崇なり、上なり。「下」は猶し賤なり。「形」は顕なり。「三有」は三途を指すなり。あるいは生中死の三有なり。「有」は因果亡ぜざるを義とす。これみな不妙色の相なり。RY02-34L,35R

【註】是故興大悲心起平等願。願我国土光炎熾盛第一無比。SSZ01-289
【註】 (この故に大悲心を興し平等の願を起こしたまう。願わくは我が国土、光炎熾盛にして第一無比ならんと。)SSZ01-289

 高下・是非・不平等の相を離れんと願楽す。故に「平等」という。「比」は倫なり、類なり。RY02-35R

【註】不如人天金色能有奪者。若為相奪、如明鏡在金辺則不現、今日時中金比仏在時金則不現、仏在時金比閻浮那金則不現、閻浮那金比大海中転輪王道中金沙則不現、転輪王道中金沙比金山則不現、金山比須弥山金則不現、須弥山金比三十三諸天瓔珞金則不現、三十三天瓔珞金比炎摩天金則不現、炎摩天金比兜率陀天金則不現、兜率陀天金比化自在天金則不現、化自在天金比他化自在天金則不現、他化自在天金比安楽国中光明則不現。SSZ01-289,290
【註】(人天の金色能く奪う者あるがごとくなるにはあらず。いかんが相奪う。明鏡のごときは金辺に在〈お〉くときは則ち現ぜず。今日時中の金を仏の在ます時の金に比するときは則ち現ぜず。仏在時の金を閻浮那金に比すれば則ち現ぜず。閻浮那金を大海の中の転輪王の道中の金沙に比すれば則ち現ぜず。転輪王の道中の金沙を金山に比すれば則ち現ぜず。金山を須弥山の金に比すれば則ち現ぜず。須弥山の金を三十三天の諸の瓔珞の金に比すれば則ち現ぜず。三十三天の瓔珞の金を炎摩天の金に比すれば則ち現ぜず。炎摩天の金を兜率陀天の金に比すれば則ち現ぜず。兜率陀天の金を化自在天の金に比すれば則ち現ぜず。化自在天の金を他化自在天の金に比すれば則ち現ぜず。他化自在天の金を安楽国中の光明に比すれば則ち現ぜず。)SSZ01-289,290

 金の比況の文は『大論』の四に出づ。「閻浮那」此には勝金という。『大論』に云わく「閻浮は樹の名、その林は茂盛なり。この樹は林中に於いて最も大なり。提を名づけて洲とす。この洲の上にこの樹林あり。林の中に河ありて底に金沙ありて、閻浮那金と名づく。」長水〈子[セン14]〉の云わく「閻浮果の汁は物に点じて金を成ず。流に因りて河に入り、石を染めて金となす。その色は赤黄にして兼て紫焔を帯ぶ」〈cf.翻訳名義集 法雲編〉といえり。転輪王は即ち四洲の主なり。『法華の疏記』に云わく「金輪王の出づるとき大海減少して金輪の路現る」と。「金山」とは妙高を囲遶するの七金山なり。『法界図』の如し。(『法界安立図』燕山沙門仁潮集。)「須弥」とは此に妙高という。四宝の所成なれば妙といい、水出づること八万なれば高という。「三十三天」とは、即ち妙高山頂に住する天なり。須弥山の頂は縦広八万四千由旬、その中平にして居すべきものは、ただ四万由旬なり。三十三天ここに住処す。「炎摩」ここに喜足という。五欲の楽に於いて喜足の心を生ずればなり。「化自在天」五欲の境自ら変化するが故に。「他化自在天」とは他化の中に於いて自在を得るが故に。RY02-36R

【註】所以者何。彼土金光絶従垢業生故、清浄無不成就故。安楽浄土是無生忍菩薩浄業所起、SSZ01-290
【註】 (所以は何ん。彼の土の金光は垢業より生ずることを絶つるが故に。清浄、成就せずということなきが故に。安楽浄土はこれ無生忍の菩薩の浄業の所起なればなり。)SSZ01-290

 文に三段あり。先ず、因位に就きて勝の所由を明かす。浄土の金光は何に由りてか余に勝るや。一には垢業より生ずることを絶離するが故に。二には菩薩清浄の功徳を成就満足したまう故に。また解すらく、彼の土には二種清浄成就するが故に。これは果位に約していう。三には得忍菩薩の清浄の業に依りて建立する所なるが故に。「無生忍」とは上に已に解するが如し。RY02-36L

【註】阿弥陀如来法王所領。阿弥陀如来為増上縁故。SSZ01-290
【註】 (阿弥陀如来法王の所領なり。阿弥陀如来を増上縁とするが故なり。)SSZ01-290

 文に両科あり。これ果上に約し勝たる所以を明かす。一には法王の善く住持したまうが故に。下の主功徳中に注解したまうが如し。二には仏を増上縁となすが故に。『大乗義章』の三に云わく「起法の功強し。故に増上という。この増上を以て法の縁となす。故に増上縁と名づく。」今またかくの如し。委しく下に解するがごとし。RY02-36L,37R

【註】是故言無垢光炎熾 明浄曜世間。SSZ01-290
【註】 (この故に無垢光炎熾 明浄曜世間と言えり。)SSZ01-290

【註】曜世間者曜二種世間也。SSZ01-290
【註】 (曜世間とは二種の世間を曜かすなり。)SSZ01-290

 一には器世間、二には衆生世間なり。衆生の中に智正覚あり。また『智論』の中に五薀世間を説く。『法数』に出でたり。RY02-37R