浄土論註翼解 第5巻の3(9の内)
総説分(願生偈)
観察衆生世間荘厳功徳成就
菩薩四種荘厳功徳
 第三 一切世界讃嘆諸仏章(諸刹讃仏徳)
 第四 無三宝処住持荘厳章(持厳三宝徳)


無量寿経論註翼解 巻五之三
〈菩薩荘厳第三 一切世界讃嘆諸仏章〉

【論】雨天楽華衣 妙香等供養 讃諸仏功徳 無有分別心。SSZ01-306
【論】 (天楽華衣妙香等を雨らして〈天楽華衣妙香を雨らして等しく〉供養し、諸仏の功徳を讃ずれども、分別の心あることなし。)SSZ01-306

 上より下るを「雨」という。「天」は自然と最勝と光明の義なり。諸天の音楽最勝にして比なし。これを以て供養す。「天」の一字は「華」「衣」「香」を貫ず。「妙」の一字も上の三を貫ず。『経〈無量寿経〉』に云わく「心の所念に随いて、華香・伎楽・[ゾウ02]蓋・幢幡、無数無量の供養の具、自然に化生して、念に応じてすなわち至らん。珍妙・殊特にして、世の所有にあらず。すなわち以て普く諸仏〈菩薩・声聞大衆〉に散す」等と。「楽」とは音楽、鐘鼓、管磬、羽籥、于戚、楽の器なり。屈伸、俯仰、綴兆、舒疾は楽の文〈あや〉なり。彼の土の音楽は穢土の囂浮〈ごうふ〉の声にあらず。調和して克〈よ〉く諧〈かな〉いて悖〈みだ〉れず。融液して一味、乖くことなく[カン13]鳴、[チ04]奏、玉振、金声、哀にして傷まず、楽にして[イツ01]せず。天に響き、地を震わせ、善を尽くし、美を尽くす。『経』に云わく「そのもろもろの菩薩、僉然として欣悦す。虚空の中に於いて共に天の楽を奏す。微妙の音を以て仏徳を歌歎す」と。「華」とは草木の葩なり。彼の国の華に二種あり。一には天華、二には樹華なり。天華は天より下る。『小経』に云わく「天の曼陀羅華を雨ふらす。」『大本』に云わく「みな天上の百千の華香をもって、来たりて彼の仏を供す」と。樹華とは七宝諸樹の所生。金の樹には銀の華等。具には経説の如し。「衣」は依なり。身の所依なり。また上を衣といい、下を裳という。『白虎通』に「隠なり。形を隠す所以なり。」「妙」は不測に名づく。「香」は、音は郷、気の芬芳なり。「等」に両句あり。一には上の句に属す。無量の供具を等取するが故に。二には下の句に属す。無差の義。謂く、優劣の心なく平等に供養するが故に。彼の土の菩薩は仏の心業に同じ故に分別なし。RY05-10R

【註】仏本何故起此荘厳。SSZ01-306
【註】 (仏もと何が故ぞこの荘厳を起こしたまえる。)SSZ01-306

【註】見有仏土菩薩人天。志趣不広、不能遍至十方無窮世界、供養諸仏如来大衆。或以己土穢濁不敢向詣浄郷。或以所居清浄鄙薄穢土。以如此等種種局分、於諸仏如来所、不能周遍供養発起広大善根。SSZ01-306
【註】 (ある仏土の菩薩人天を見たまうに、志趣広からず、遍く十方無窮の世界に至りて諸仏如来大衆を供養すること能わず。あるいは己が土の穢濁なるを以て、敢て浄郷に向詣せず。あるいは所居の清浄なるを以て穢土を鄙薄す。かくの如き等の種種の局分を以て、諸仏如来の所に於いて周遍供養して広大の善根を発起すること能わず。)SSZ01-306

 「志趣」等とはこれ、初心の菩薩は志願狭局にして他方の諸仏を供養すること能わず、彼の土の菩薩はこれに反することを明かすなり。「不能」等とは、地前の菩薩は百仏刹等の功能なきが故に。「如来大衆」とは、如来とおよび海会の大衆となり。王臣、主伴、一つ欠くれば不可なり。翼賛の道に於いて備足せざるが故に。『経〈無量寿経抄出〉』に云わく「供養の具、輙ち以て諸佛菩薩声聞大衆を奉散す」と、これなり。「或以」の下は不能供養の相を示す。初は則ち穢土の菩薩、自ら絶分して浄土に到らず。後は則ち浄土の菩薩、鄙薄の心を以て穢土に来たらず。「向詣」は趣到なり。「鄙薄」は軽易なり。『法華』の七の浄華宿王、『維摩』の「香積仏品」の如き、この国を軽んじ下劣の想を生ずるを誡むるの類なり。「広大善根」とは、諸仏を供養し、衆生を利楽す。これ二利の行なり。焉〈これ〉より大なるはなし。RY05-10L,11R

【註】是故願言。我成仏時、願我国土一切菩薩声聞天人大衆、遍至十方一切諸仏大会処所、雨天楽天華天衣天香、以巧妙弁辞供養讃嘆諸仏功徳。SSZ01-306
【註】 (この故に願じて言わく。我成仏せん時、願わくは我が国土の一切の菩薩・声聞・天人大衆、遍く十方の一切の諸仏の大会の処所に至りて、天楽・天華・天衣・天香を雨ふらし、巧妙の弁辞を以て諸仏の功徳を供養し讃嘆せんと。)SSZ01-306

 声聞人天に「不動而至」の徳なしといえども、然も仏の願力、摂持して然らしむ。「雨天」等とは、『経〈無量寿経〉』に云わく「一切の諸菩薩、おのおの天の妙華、宝香・無価衣を齎(も)って、無量覚を供養したてまつる。咸然として天楽を奏し、和雅の音を暢発して、最勝尊を歌歎し、無量覚を供養したてまつる。」これ他方菩薩、弥陀を往覲するの相を明かす。これに准じて彼を思うに、一切の大衆遍く十方に至り他方の諸仏を供讃すること必せり。『十地論』に三種の供養を説く。一には利養供養。謂く、衣服・臥具等。二には恭敬供養。謂く、香華・幡蓋等。三には修行供養。謂く、信戒を修行する等。また云わく、恭敬供養とは、謂く、讃嘆等をもって仏の功徳を顕すが故に。今正しく初の二にして、後の一を兼ぬるなり。RY05-11R,11L-
 「巧妙」等とは、言わく、疎拙なき曲に万徳を成じて遺失なきが故に名づけて巧とす。巧に巧相なく、言議を以て思度すべからざるが故に名づけて妙とす。この巧妙、内にあるを智といい、外にあるを弁という。この智、口に騰がるを、これを「弁辞」という。「供養」等とは、『大論』の三十に云わく「供養とは、諸仏の功徳を、もしは見、もしは聞き、心敬、尊重、迎逆、侍送、旋繞、礼拝し、躬を曲げて手を合して住し、坐を避けて安処す。飲食華香珍宝等を勧進し、種種に持戒、禅定、智恵、諸の功徳を称讃し、所説の法あるを信受教誨する、かくの如きの善身口意業、これを供養とす。(乃至)讃歎とは、その功徳を美むるを讃とし、これを讃ずるに足らず、またこれを称揚するが故に歎というなり。」-RY05-11L

【註】雖嘆穢土如来大慈謙忍、不見仏土有雑穢相。雖嘆浄土如来無量荘厳、不見仏土有清浄相。何以故、以諸法等故諸如来等。是故諸仏如来名為等覚。若於仏土起優劣心、仮使供養如来、非法供養也。SSZ01-306
【註】 (穢土の如来の大慈謙忍を嘆ずといえども、仏土に雑穢の相あることを見ず。浄土の如来の無量の荘厳を嘆ずといえども、仏土に清浄の相あることを見ず。何を以ての故に。諸法等しきを以ての故に諸の如来等し。この故に諸仏如来を名づけて等覚とす。もし仏土に於いて優劣の心を起こさば、たとい如来を供養すとも、法の供養にあらざるなり。)SSZ01-306

 この一段の文は、偈の「無有分別心」の句を釈す。「謙忍」とは、徳ありて居さず、これを謂いて謙とす。有情の悩みを忍ぶを生忍という。無情の悩みを忍ぶ、これを法忍という。如来の大悲、無悩の身を謙〈つつし〉み、雑穢の国に忍ぶが故に「謙忍」という。これ則ち大悲の云為なり。『文珠仏土荘厳経〈文殊師利仏土厳浄経〉』に云わく「世尊及び諸の正士。乃し能く労謙し群生を忍誨す。」『思益経〈思益梵天所問経〉』の讃仏偈に云わく「仏智に減少なく、諸の如来と等し。大慈本願を以てこの穢悪の土に処す。」また『法華経』に妙音菩薩の仏に問訊して云わく「世事、忍ぶべきや否や。」『維摩』の「菩薩行品」に云わく「菩薩この門に入るとは、(入一切諸仏法門なり。曰く、七住已上、予めこの門に入る。)もし一切浄好仏土を見るも、以て喜とせず。貪せず、高せず。もし一切不浄仏土を見るも、以て憂とせず。[ガイ03]せず、没せず。ただ諸仏に於いて清浄の心を生じ、歓喜恭敬すること未曾有なり。諸仏如来の功徳は平等にして衆生を教化せんが為の故に、而も仏土を現ずること同じからず。(乃至)悉くみな同等なり。この故に名づけて三藐三仏陀となし、名づけて多陀阿伽度となし、名づけて仏陀となす。」また『六十華厳』の十二に無著行の菩薩を説きて云わく「不浄刹を見るも心に憎悪せず。何を以ての故に。菩薩摩訶薩、寂滅平等にして諸法を観るが故に諸法は垢なく浄なく、闇なく明なく、分別なく、虚妄なく、真実なく、安穏なく、危険なく、正道なし。菩薩はかくの如く真実法性を観て、衆生の性に入る」といえり。RY05-12R,12L-
 「諸法等」とは、『如来荘厳経』に云わく「菩提は名づけて平等となす。平等は名づけて真如となす。」『大論』に云わく「もし有性無性を離れるを仮に名づけて平等となす。この平等は諸の善法を行ずるを妨げず。これを諸法平等と名づく。平等は即ちこれ諸の法実相にして、名異にして義同じなり。」『仏地論』に云わく「一切の如来形相は平等なり。かくの如き平等は即ちこれ法性なり」といえり。これ即ち諸仏平等は所証の境、諸仏如来はこれ能証の智、能所二ならず、境智冥合するが故に等覚と名づく。『楞伽経』に四等を説く。字と語と身と法と、諸仏同等なるが故に。『仁王経』に云わく「体相平等なるを一切智智と名づく。」良賁の『疏〈仁王護国般若波羅蜜多経疏〉』に云わく「一には体平等。一切諸仏の所証等しきが故に。二には相平等。一切諸仏恒沙の功徳またみな等しきなり。」-RY05-12L,13R-
 「優劣心」とは、問う。法蔵の発願、劣を捨て、勝を取る、あに背かざるや。答う。菩薩無相の取捨は、終に取捨なし。照霊芝〈元照 仏説阿弥陀経義疏〉の云わく「無相の大願を発し、無住の妙行を修し、無得妙果を感ず」といえり。あに実の情あらんや。「法供養」とは、法は謂く如法。諸法の等しきが如く、仏土の等しきが如く、平等に供養する、これを如法となす。『宝雨経』に云わく「理の如く思惟するは、即ちこれ一切の如来を供養するなり。」これなり。-RY05-13R

【註】是故言雨天楽華衣 妙香等供養 讃諸仏功徳 無有分別心。SSZ01-306
【註】 (この故に雨天楽花衣 妙香等供養 讃諸仏功徳 無有分別心といえり。)SSZ01-306


〈菩薩荘厳第四 無三宝処住持荘厳章〉

【論】何等世界無 仏法功徳宝 我願皆往生 示仏法如仏。SSZ01-306
【論】 (何等の世界なりとも、仏法功徳の宝なくんば、我願わくは、皆往生して仏法を示すこと仏のごとくならんと。)SSZ01-306

 初めの四字は化境を揀ばざることを明かす。「功」等の三字は仏と法とに亘る。また僧宝を兼ぬ。文に僧宝なきことは、菩薩は即ち僧なるが故に。通じて宝というは、『宝性論』に六義を説き、『心地観経』に十徳を説く。ここに煩わしくせず。仏は謂く覚者、能く開発するが故に。法は謂く教等、正解を生ずるが故に。僧は謂く和合、三乗賢聖福田の故に。初に三宝に因り無上の心を発し、究竟の位に至りて常に現前するが故に。故に三宝を以て発心の縁となす。然るに三種あり。『三宝章行願の疏記』の如し。『八十華厳』の十四に云わく「あるいは刹土あり、仏あることなし。彼に於いて示現して正覚を成る。あるいは国土あり、法を知らず。彼に於いてために妙法蔵を説く。分別あることなく、功用なし。一念の頃に於いて十方に遍ず」と。今の偈と同じ。RY05-13L-
 (天台の『金剛疏』に云わく「柔忍の故に和す。義譲の故に合す。」)RY05-13L
 「我」等の二句は往生の願を挙ぐ。意生身の故に、意の如く速やかに去る。石壁も障げることなし。「示」は謂く顕示。『華厳の疏』に云わく。顕は即ち顕露、示は即ち暁示。一には言説顕示。二には修行顕示。また示は即ち示現。現じて正覚を成じ、三宝を示現す。また解すらく。法を顕示し、仏を示現するなり。「仏法」とは二解あり。一には謂く仏と法となり。上の『華厳経』の文の如し。二には謂く成仏の法なり。初の解は二に分かつ。次の解はただ法なり。実には三宝を兼ぬ。三宝を紹隆して、常に断絶せしめざるが故に。-RY05-13L,14R

【註】仏本何故起此願。SSZ01-307
【註】 (仏もと何が故ぞこの願を起こしたまえる。)SSZ01-307

【註】見有[ナン01]心菩薩、但楽有仏国土修行無慈悲堅牢心。SSZ01-307
【註】 (ある[ナン01]心の菩薩を見たまうに、ただ有仏の国土の修行を楽〈ねが〉って慈悲堅牢の心なし。)SSZ01-307

 『大論』の九十六に云わく「新学の菩薩に二種あり。一には深く心に世間の楽に著し、軟心に意を発す。二には深く心に意を発し、世間の楽に著せざるなり。軟心発意の者は、仏は以て発心とせず。深心発意の者は乃ち名づけて発心となす。」『起信論』に云わく「また次に衆生は初めてこの法を学び、正信を求めんと欲するも、その心怯弱にして以てこの娑婆世界に住し、自ら常に諸仏に値いて親承し供養すること能わざることを畏る。懼れて信心は成就すべきこと難しといい、意に退せんと欲する者は、まさに知るべし如来に勝方便ありて信心を摂護す。謂わく意を専らにし仏の因縁を念ずるを以て、願に随いて他方仏土に生ずることを得、常に仏を見るが故に永く悪道を離る」といえり。ここに知りぬ。初心始学の菩薩は慈悲の行なく、堅牢の心なきが故に、仏に親[サク03]し、威神力を藉りて修習して忍を成ず。これを弱羽の枝を伝い、嬰児の母に倚るに喩う。また軽毛の風に随い東西するが如きなるが故に「軟心」という。RY05-14R,14L

【註】是故興願。願我成仏時、我土菩薩皆慈悲勇猛堅固志願、能捨清浄土、至他方無仏法僧処、住持荘厳仏法僧宝、示如有仏使仏種処処不断。SSZ01-307
【註】 (この故に願を興こしたまう。願わくは我成仏せん時、我が土の菩薩、みな慈悲・勇猛・堅固の志願をもって、能く清浄の土を捨て、他方の仏法僧なからん処に至りて、仏法僧宝を住持し荘厳して、示すこと仏のいますが如く、仏種をして処処に断ぜざらしめんと。)SSZ01-307

 『大論』の三十八に云わく「菩薩に二種あり。一には慈悲心ありて多く衆生のためにす。二には多く諸仏の功徳を集む。楽多く諸仏の功徳を集むる者は、一乗清浄無量寿世界に至る。好多く衆生のためにする者は仏法衆なき処に至りて三宝の音を讃歎す」といえり。苦を抜きて厭わず、楽を与えて倦まざるが故に「勇猛」という。利生の志堅く、弘法の願固く、根深く蔕〈ねもと〉固くして、確乎として抜かざるが故に「堅固」という。「清浄土」とは彼の安楽を指す。『観経』に「清浄国土」といい、『大論』には「一乗清浄無量寿世界」という。「仏種」とは、三宝は即ち成仏の種子なるが故に。また諸法実相これを仏種という。実相は三世諸仏の依なるが故に、これを除きては魔事なるが故に、住持し荘厳すれば、在在処処も仏種を断たず。RY05-14L,15R

【註】是故言何等世界無 仏法功徳宝 我願皆往生 示仏法如仏。SSZ01-307
【註】 (この故に何等世界無 仏法功徳宝 我願皆往生 示仏法如仏といえり。)SSZ01-307

【註】観菩薩四種荘厳功徳成就訖之于上。SSZ01-307
【註】 (菩薩の四種の荘厳功徳成就を観ずること、これ上に訖りぬ。)SSZ01-307