浄土論註翼解 第5巻の6(9の内) 総説分(願生偈) 結総説分 八問答 第二問答〈大観二経の相違を問答す〉 第三問答〈謗法の人の往生の得否を問答す〉 |
無量寿経論註翼解 巻五之六 |
〈第二問答 大観二経の相違を問答す〉 【註】問曰。無量寿経言願往生者皆得往生、唯除五逆誹謗正法。観無量寿経言作五逆十悪具諸不善亦得往生。此二経云何会。SSZ01-308 【註】 (問いて曰く。無量寿経には、往生を願ずる者はみな往生することを得、ただ五逆と正法を誹謗するを除くといい、観無量寿経には、五逆・十悪を作り、諸の不善を具するも、また往生することを得といえり。この二経、云何が会せんや。)SSZ01-308 この一問答は『群疑論』の三に十五の説を出だす。漢和の諸師、尽く咀嚼あり。憬興『大経の疏』に云わく「昔より会釈して自ずから百家を成ず。」釈さんと欲せば往きて検るべし。今且く一・二家の説を挙示す。善導の『疏』に云わく「この義仰いで抑止門の中に就きて解す。四十八願の中の如き、謗法と五逆とを除けるは、然もこの二業、その障り極めて重し。衆生もし造れば直ちに阿鼻に入りて、劫を歴て周[ショウ08]して出づべきに由なし。ただし如来、それこの二過を造ることを恐れて、方便して止めて不得往生とのたまう。またこれ摂せざるにはあらず。また下品下生の中に、五逆を取りて謗法を除くは、その五逆は已に作る、捨てて流転せしむべからず。還りて大悲を発して摂取して往生せしむ。然るに謗法の罪は未だ為さず。また止めてもし謗法を起さば、即ち生ずることを得ずとのたまう。これ未造業に就きて解す。もし造らば、還りて摂して生ずることを得しむ」と。また元照の『疏〈観経義疏〉』に云わく「もし弥陀の願力に拠らば、あに造逆の徒を遮さん。方便して機に赴きて言乖き趣き合す。彼は則ち楽邦の殊妙を顕し、善人を進めんと欲す。これは浄業功深くして極悪を遺〈す〉てざることを明かす。ただ名を持し回願して罪を滅して往生せざることなからしむるが故に。観仏三昧経に云わく。四部の弟子に方等経を謗り、五逆罪を作り、四重禁等を犯す、かくの如き等の人、もし能く心を至し一日一夜念を繋ぎ仏の一の相好を観ずる者は、諸悪罪障みな尽く消滅すと。彼を引きこれを証す。罪滅何ぞ疑わん」と。余はここに繁くせず。RY05-26R,26L 【註】答曰。一経以具二種重罪。一者五逆、二者誹謗正法。以此二種罪故所以不得往生。SSZ01-308 【註】 (答えて曰く。一経には以て二種の重罪を具す。一には五逆、二には誹謗正法なり。この二種の罪を以ての故に、ゆえに往生することを得ず。)SSZ01-308 『六要抄』に云わく「問う。鸞師の意は全く謗法の機に往生の益を許すべからざるや。答う。今の文の如きはこれを許さざるか。ただし下巻の荘厳心業の解釈の如きは、彼の謗法、なお解脱を得ることを許す。(乃至)彼の釈に生ずることを許すは摂受門の意、これ回心に約す。今の釈に許さざるは抑止門の意、未回心に約す。」問う。謗法の人は得受の機にあらざるが故に、まさに除くというべし。『大経』の中に何ぞ五逆を除くや。答う。これ道器にあらざるが故に。然らば機を漏るべしや。謂く。回心すればみな往くが故に。RY05-27R 【註】一経但言作十悪五逆等罪不言誹謗正法。以不謗正法故。是故得生。SSZ01-308 【註】 (一経は、ただ十悪・五逆等の罪を作ると言いて、正法を誹謗すとは言わず。正法を謗せざるを以ての故に、この故に生ずることを得。)SSZ01-308 義寂の『大経の記』に云わく「五逆を造る者はその二種あり。一には逆事を造りて、而も信を壊せず、正法を謗せず。二には逆事を造り、また信を壊し、正法を誹謗す。後の者は加行と意楽と倶に壊す。前の者は、行は壊して意楽は壊せず。二つ倶に壊する者は転ずべからず。意壊せざる者は、業なお転ずべし。観経は信不壊の者に就きて説く」等といえり。実義を論ぜば「謗法闡提回心皆往」〈『法事讃』〉なり。問う。五逆は順生業報時倶に定まれり。云何ぞ滅することを得るや。答う。〈懐〉感師の『論〈群疑論〉』に云わく「九部不了教の中に諸の業果を信ぜざる凡夫のために、密意をもって説きて定報業ありという。諸の大乗了義教の中に於いて、一切の業は尽くみな不定と説く。涅槃経の第十八巻にいうが如し。耆婆は阿闍世王のために懺悔の法を説き、罪は滅することを得。(乃至)瑜伽論に説かく。未だ解脱を得ざるを決定業と名ずけ、已に解脱を得るを不定業と名づく。かくの如き等の諸の大乗経論に咸く五逆罪等を説き、みな不定業と名づけ、尽く消滅することを得と。」具には『群疑論』の五、『往生要集』の下の如し。RY05-27R,27L 〈第三問答 謗法の人の往生の得否を問答す〉 【註】問曰。仮使一人具五逆罪而不誹謗正法経許得生。復有一人但誹謗正法而無五逆諸罪、願往生者得生以不。SSZ01-308 【註】 (問いて曰く。たとい一人、五逆の罪を具すれども、而も正法を誹謗せざるをもって、経に生ずることを得と許す。また一人ありて、ただ正法を誹謗して而も五逆の諸罪なくして、往生を願ぜん者は生ずることを得んや、いなや。)SSZ01-308 意の謂く。一人は逆ありて謗なきは即生すといわば、もし一人は謗ありて逆なき者も生ずることを得べきやと。「以不」とは未定の辞なり。RY05-28R 【註】答曰。但令誹謗正法雖更無余罪必不得生。SSZ01-308 【註】 (答えて曰く。ただ正法を誹謗せしめて、更に余罪なしと雖も、必ず生ずることを得ず。)SSZ01-308 『大論』の六十二に云わく「舎利弗、仏に白して言わく。世尊。五逆罪と破法罪と相似するや。仏、舍利弗に告げたまわく。応に相似すというべからず。」〈cf.摩訶般若波羅蜜経〉といえり。RY05-28R 【註】何以言之。経言。五逆罪人堕阿鼻大地獄中具受一劫重罪。誹謗正法人堕阿鼻大地獄中。此劫若尽復転至他方阿鼻大地獄中。如是展転経百千阿鼻大地獄。仏不記得出時節。以誹謗正法罪極重故。SSZ01-308,309 【註】 (何を以てかこれをいうとならば、経に言わく。五逆の罪人、阿鼻大地獄の中に堕して具に一劫の重罪を受く。正法を誹謗せし人は阿鼻大地獄の中に堕して、この劫もし尽きぬれば、また転じて他方の阿鼻大地獄の中に至る。かくの如く展転して百千の阿鼻大地獄を経といえり。仏、出づることを得るの時節を記したまわず。正法を誹謗するの罪極めて重きを以ての故に。)SSZ01-308,309 (「勝天王会に云わく。大千塵数の仏を殺すも、その罪なお軽し。この経を毀謗する罪は彼より多く、永く地獄に入り出期あることなし。」〈cf.妙法蓮華経玄贊〉)RY05-28L 『観仏経』に云わく「この無間獄、寿〈いのち〉一中劫、五逆罪を造り、因果を撥無し、大乗を誹謗し、四重禁を犯し、虚く信施を食す者、この中に堕す。」『大品経』に云わく「破法業因縁集まる故に、無量百千万億歳、大地獄の中に堕す。この破法の人の輩、一大地獄より一大地獄に至る。もし火劫起こる時は他方大地獄の中に至る。彼の間に生在し、一大地獄より一大地獄に至る。彼の間、もし火劫起こる時は、また他方大地獄の中に至る。彼の間に生在し、一大地獄より一大地獄に至る。かくの如く十方に遍ず。彼の間、もし火劫起こるが故に彼死より、破法業の因縁、未だ尽きざるが故に、還りてこの間の大地獄の中に来りて生ず」等。『楞厳』の八に云わく「大乗を謗しることあらば(乃至)更に十方阿鼻地獄に生ず。」『大経』に云わく「その中に展転して出期あることなし。」『法華経』に云わく「経典を誹謗すれば、阿鼻獄に入りて一劫を具足す。劫尽きれば更に生ず。かくの如く展転して無数劫る。」阿鼻、此には無間という。広くは『倶舎』等の如し。RY05-28L,29R 【註】又正法者即是仏法。此愚痴人既生誹謗。安有願生仏土之理。SSZ01-309 【註】 (また正法というは、即ちこれ仏法なり。この愚痴の人既に誹謗を生ず。安んぞ仏土に生ぜんと願ずるの理あらん。)SSZ01-309 仏法の大海には信を能入となす。既に信願せずして、反りて誹謗を成ず。あに彼に生ずることを得んや。仏法というは仏果の万徳、依正行願、弥陀の法なり。もし昨の非を知り、信行嘆帰せば、[X26]昔の謗舌、即ち今の讃舌、論主の初め大乗経を謗り、後に舌を斬らんと欲して、無著の諫めに従いて、誹謗の舌を以て、反りて大乗を讃ずるが如し。古に謂わゆる苦海無数回頭すればこれ岸と。宜なるかな、言や。RY05-29R 【註】仮使但貪彼土安楽而願生者、亦如求非水之氷無烟之火、豈有得理。SSZ01-309 【註】 (たといただ彼の土の安楽を貪じて、而も生ぜんと願ずる者すら、また水に非ざるの氷、烟なき火を求むるが如し。あに得る理〈ことわり〉あらんや。)SSZ01-309 「仮使」の言の表す所、意の言わく。もし一人ありて楽を貪るすらなお生ずべからず。何に矧〈いわん〉や謗法無信の者をや。また一義に云わく。仏法を謗らずといえども、彼の楽を貪らんがために往生を願う者、また生ずることを許さず。況んや願楽せずして、しかも誹謗する者をや。問う。『涅槃経』に云わく「善欲は菩提の根本なり」と。善導〈『法事讃』〉の云わく「浄土を貪らず、無生解脱の障なり」と。何ぞ貪楽を嫌わん。答う。三種の順菩提門に違するが故に、貪楽を抑うるなり。善欲貪土と貪著楽とは別なるが故に。委しく「下巻」に出でたり。ここに煩わしくせず。RY05-29L |