| 浄土論註翼解 第6巻の7(9の内) 解義分(長行) 観察体相 国土体相(器世間) 総明国土荘厳不思議 |
| 無量寿経論註翼解 巻六之七 |
| 【註】観察体相者。SSZ01-317 【註】 (観察の体相というは。)SSZ01-317 おのおの妙荘厳を体となし、おのおの不思議を相となす。RY06-25R 【註】此分中有二体。一者器体、二者衆生体。器分中又有三重。一者国土体相、二者示現自利利他、三者入第一義諦。SSZ01-317 【註】 (この分の中に二の体あり。一には器体、二には衆生体なり。器の分の中にまた三重あり。一には国土の体相、二には示現自利利他、三には入第一義諦なり。)SSZ01-317 【註】国土体相者、SSZ01-317 【註】(国土の体相というは、)SSZ01-317 【論】云何観察彼仏国土荘厳功徳。彼仏国土荘厳功徳者、成就不可思議力故。如彼摩尼如意宝性、相似相対法故。SSZ01-317 【論】 (云何が彼仏の国土の荘厳功徳を観察する。彼の仏の国土荘厳功徳というは、不可思議の力を成就するが故に。彼の摩尼如意宝性の如く、相似相対の法なるが故に。)SSZ01-317 【註】不可思議力者、総指彼仏国土十七種荘厳功徳力不可得思議也。SSZ01-317 【註】 (不可思議力というは、総じて彼仏国土の十七種の荘厳功徳の力、得て思議すべからざることを指〈しめ〉す。)SSZ01-317 【註】諸経統言。有五種不可思議。一者衆生多少力不可思議。二者業力不可思議。三者龍力不可思議。四者禅定力不可思議。五者仏法力不可思議。SSZ01-317 【註】 (諸経に統べて言う。五種の不可思議ありと。一には衆生多少力不可思議。二には業力不可思議。三には龍力不可思議。四には禅定力不可思議。五には仏法力不可思議なり。)SSZ01-317 五不思議は『華厳』『涅槃』『本行』『大論』等の説なるが故に「統言」という。また『増一』の十八には四を説く。衆生と世界と龍と仏となり。「不可思議」とは、心縁の測ることなく、言議の及びがたきが故に不思議という。『大論』の七十九に云わく「不思議を不決定と名づく。一切心心数法に出でて、一切言語の道を出でて、行到すること能わず。故に不可思議と名づく」〈cf.『妙法蓮華経文句』〉。RY06-25L,26R- 第一をいわば、生仏の二界は増減せざるが故に、故に『倶舎』に云わく「有情界の量は虚空の量の如し。」『宗鏡』に問いて云わく「衆生度すべくんば、則ち諸仏の界増し衆生の界減ず。もし度すべからずんば諸有の行願はみな尽く唐捐ならん。如何が会通してその邪見を断ぜん。答う。不増不減経に云わく。一切愚痴の凡夫は実の如く一法界を知らざるが故に、邪見の心を起こして衆生界増衆生界減となす。また経に云わく。衆生界無性の故に、衆生界無辺の故にと。古徳の云わく。要を以てこれを言わば、衆生界はなおし虚空の如し。たとい無量勝神通の者、おのおの無量劫に虚空を行じて、空の辺際を求むれども、終に尽くすべからず。尽くさざるを以て遊行と名づけざるにあらず。遊行を以て辺際を得しむるにあらず。当に知るべし、この中に仏の生を度する道理もまた爾り。当得を以て、それ終わりあらしむるにあらず。無終を以て無得ありと説くにあらず。この故に、もし、一切衆生はみな当に作仏すべしとは、これ則ち衆生多しといえども必ず終尽あり、と難ずるの疑い、通ぜざることなきなり」と。-RY06-26R,26L- 「業力」とは、『倶舎頌疏』に云わく「中有、最初の業道を獲得す。上、世尊に至る。能く遮抑することなし。業の勢力最強盛なるを以ての故に」と。然るに業に三種あり。善と悪と不動となり。おのおの三報を得。現と生と後となり。業に麁細あれば、報に好醜あり。それ慳貪の貧を感ずるなり。[キョウ02]慢の賤を招くなり。忍辱の美を引くなり。礼譲の貴を牽くなり。頭円足方、眼横鼻直、未だ一毫の乖戻するものあらず。千歳の雉は海に入りて蜃〈シン おおはまぐり〉となり、百年の雀は江に入りて蛤となり、千歳の亀は能く人と語り、千歳の狐は起ちて美女となり、千歳の蛇は断ちてまた続き、百年の鼠は能く相卜す。鷹の鳩となり、鷹の鳩となり、鳩の鷹となり、腐草は蛍となり、朽葦は蛬〈キリギリス〉となり、稲は[カ06]〈ヨナムシ〉となり、鶴は[ショウ26]〈クジカ〉となり、蛇は[ベツ02]〈カメ〉となり、蛬〈キリギリス〉は蝦となる。その血気を失わずして形性変ず。これみな業力の然らしむるなり。-RY06-26L- 「龍力」とは、「説文に云わく。能幽、能明、能大、能小。春分には天に登り、秋分には淵に潜る。管子に云わく。小ならんと欲せば蚕子の如し。大ならんと欲せば天地に満つ。もし華厳に依らば、六天に遍じ、横に四域に亘る」〈cf.『止観輔行伝弘決〉〉。「種種の雲を興し、種種の雷を震い、電を輝かし、雨を降らす。龍は本宮に於いて動ぜず搖がず。しかして一切に於いて施設自在なり」〈cf.『摩訶止観』〉。経に説くが如し。一僧の硯水に与りて雨水みな黒きが如きの類なり。-RY06-26L,27R- (『説文』は許慎が著する所なり。)RY06-26L 「禅定」とは、『大論』の三十に云わく「菩薩、深禅定に入り、不可思議の神通を生ずるが故に、一念の中に悉く十方諸仏世界に到る」と。それ道士の迦葉仏を俟ち、力監の車の轟きを聴かず、鬼逼の五輪の相を現る、上宮の南岳の経を取るが如き、みな禅定の力なり。-RY06-27R- 「仏法力」とは、それ仏道の思議すべからざるや、動じて世〈よ〉よ天下の道となり、行じて世よ天下の法となり、言をもって世よ天下の則となる。これを遠ざかれば則ち望あり。これに近づけば厭わず。天の覆[トウ22]するが如く、地の持載するが如く、日月の代明の如く、四時の錯〈たがい〉に行ずるが如し。住行向地も腮〈あぎと〉を龍門に曝し、等覚金剛も羅〈うすもの〉を月光に隔つ。軽を以て重となし、遠を以て近となす。足指を地に按じ、国土厳浄なり。丈六の卑劣も頂相を見ることなし。六十小劫は食頃の如く、万八千界は金色を成す。不可思議の極なるものか。-RY06-27R 【註】此中仏土不可思議有二種力。SSZ01-317 【註】 (この中の仏土不可思議に二種の力あり。)SSZ01-317 【註】一者業力。謂法蔵菩薩出世善根、大願業力所成。二者正覚阿弥陀法王善住持力所摂。SSZ01-317 【註】 (一には業力。謂く。法蔵菩薩の出世善根、大願業力の成す所なり。二には正覚の阿弥陀法王、善住持力の摂する所なり。)SSZ01-317 初は因の大願力、後は果の住持力なり。「大願」はこれ「超発無上殊勝之願」の誓約なり。「大業」は即ち「無央数劫積功累徳」の万行なり。「大力」は即ち「令諸衆生功徳成就」の化益なり。また「大力」はこれ「専求浄仏土、必成如是刹〈専ら浄仏土を求めて、必ずかくの如きの刹を成ず〉」の功勲なり。また『六要抄』に云わく「願(大願)行(大業)殊なりといえども、共にこれ因位なり。」「大力」というは果位の神力光明摂取利益衆生、これを大力と名づく。余の文解し易し。RY06-26L 【註】此不可思議、如下十七種、一一相皆不可思議。至文当釈。SSZ01-317 【註】 (ここに不可思議というは、下の十七種の如き、一一の相みな不可思議なり。文に至りて当に釈すべし。)SSZ01-317 【註】如彼摩尼如意宝性、相似相対者、借彼摩尼如意宝性、示安楽仏土不可思議性也。SSZ01-317 【註】 (如彼摩尼如意宝性、相似相対というは、彼の摩尼如意宝性を借りて、安楽仏土の不可思議の性を示すとなり。)SSZ01-317 「借」は、音は積、仮なり、貸なり。至理は玄微にして、迷いを抱きて悟らず。荘厳は深奥にして、執情は奚〈なん〉ぞ解せん。要は近きを仮て遠きに喩うるが故に「借彼」という。梵語には摩尼、此には翻じて宝となす。新には末尼という。具足して震[タイ08]末尼というべし。此には思惟宝という。意を会して翻ぜば如意宝珠という。意の求むる所に随いてみな満足するが故に。然るに五徳あり。一には悪龍鬼を鎮むる徳。人の求むる所を遂ぐる徳。三には輪王意珠徳。四には龍の甘雨を降らす徳。五には光の天地を照らす徳。(『仁王の疏』に出づ。)これに対して解すべし。また『華厳の疏抄』の十四に略して五義を挙ぐ。一には勝の義。二には希の義。三には浄の義。四には貴の義。五には蘊の義。況合して釈すべし。『探玄記』に云わく「摩尼はこれ珠宝の通名、通を簡んで別を取るが故に如意摩尼という。」「輔行記に云わく。また如意というは唐梵の不同に似如〈に〉たり。大論・華嚴には並びに如意摩尼という。並に二名を列するに似如〈に〉たり。もし法華に摩尼珠等というは体別なるに似如たり。大荘厳論に、摩尼珠あり、大さ膝蓋の如し。大論に云わく。如意珠は状、芥粟の如し。また云わく。如意珠は仏舍利より出でたり。もし法没尽の時は、諸の舍利みな変じて如意珠となる。観経には如意を指して摩尼とす。天台の云わく。摩尼は如意なり」〈『浄土三部経音義集』〉。然るに『如意輪経』に耨多(如意と翻ず)摩尼(宝と翻ず)。故に知りぬ。摩尼は宝珠の通名。如意は宝中の上首なり。『大品』に云わく「無価摩尼珠宝、所住の処に在れば、非人、その便を得ず。熱風冷等の病を除き、闇を除きて寒からず熱からず、毒滅す」等(乃至広説す)。『止観』の五に云わく「如意珠の如きは天上の勝宝なり。状は芥粟の如く、大功能あり。浄妙の五欲、七宝の琳琅、内に畜うるにあらず、外より入るにあらず。前後を謀らず、多少を択ばず、麁妙を作らず、意に称いて豊倹なり。降雨穣穣たり。添え、尽きず」といえり。余文、解し易し。RY06-28R,28L 【註】諸仏入涅槃時、以方便力、留砕身舎利、以福衆生。衆生福尽、此舎利変為摩尼如意宝珠。此珠多在大海中。大龍王以為首飾。若転輪聖王出世、以慈悲方便能得此珠。於閻浮提作大饒益。若須衣服飲食灯明楽具、随意所欲雨種種物時、王便潔斉、置珠於長竿頭、発願言。若我実是転輪王者、願宝珠雨如此之物、若遍一里、若十里、若百里、随我心願。爾時即便於虚空中、雨種種物、皆称所須満足天下一切人願。以此宝性力故。SSZ01-317,318 【註】 (諸仏入涅槃の時、方便力を以て、砕身の舎利を留めて以て衆生を福〈さいわい〉す。衆生の福尽きぬればこの舎利変じて摩尼如意宝珠となる。この珠、多くは大海の中に在り。大龍王、以て首の飾りとなす。もし転輪聖王、世に出でたまえば、慈悲方便を以て能くこの珠を得、閻浮提に於て大饒益を作す。もし衣服・飲食・灯明・楽具を須〈もと〉むれば、意の所欲に随いて種種の物を雨ふらす時に王便ち潔斎して、珠を長竿の頭〈はし〉に置きて願を発して言わく。もし我実にこれ転輪王ならば、願わくは宝珠よりかくの如きの物を雨ふらして、もしは一里、もしは十里、もしは百里に遍じて、我が心願に随わんと。その時に即便ち虚空の中に於て種種の物を雨ふらし、みな所須に称〈かな〉って天下一切の人の願を満足す。この宝性の力を以ての故なり。)SSZ01-317,318 『蓮華面経』に云わく「仏法滅尽の時、如来の舎利は龍宮に陥入す。龍宮の法滅には金剛際に陥入す」〈cf.『仁王護国般若波羅蜜多経疏』〉。『大論』の五十九に云わく「法既に滅尽して、舎利は変じてこの珠を成じ、以て衆生を益す。」また云わく〈『智度論』〉「この宝珠は龍王の脳中より出づ」と。梵語には舍利、或いは設利羅。此には骨身という。遺〈のこ〉れる所の骨分を通じて舍利と名づく。『金光明』に云わく「この舎利はこれ戒定慧の熏修する所にして甚だ得べきこと難き最上の福田なり。」『大品〈摩訶般若波羅蜜経〉』に云わく「舎利はこれ諸の功徳宝波羅蜜の住処なり。(乃至)般若波羅蜜修薫の故に。」また「大論に云わく。砕骨はこれ生身の舎利。経巻はこれ法身の舎利なりと。法苑珠林に云わく。一にはこれ骨。その色白し。二にはこれ髪舎利。その色黒し。三にはこれ肉舎利。その色赤なり。菩薩羅漢はみな三種あり。もし仏の舎利は椎〈つち〉をもって撃ちても破れず。弟子の舎利は椎をもって試むるに即ち砕く」〈翻訳名義集〉と。「輪王」というは上の如し。人寿八万已上に世に出でて四大洲を領す。「閻浮提」とは須弥山の南、第八外海の小洲なり。「潔」は清なり。心を洒〈そそ〉ぐを「斉」という。「竿」は竹挺なり。RY06-29L,30R 【註】彼安楽仏土亦如是、以安楽性種種成就故。SSZ01-318 【註】 (彼の安楽仏土もまたかくの如し。安楽の性、種種成就せるを以ての故に。)SSZ01-318 上に引く所の五徳五義を以て配合して解すべし。次下に註の中に独り雨物に約して消釈す。知るべし。RY06-30R 【註】相似相対者、彼宝珠力、求衣食者、能雨衣食等物、称求者意。非是不求。彼仏土則不然。性満足成就故無所乏少。片取彼性為喩、故言相似相対。又彼宝、但能与衆生衣食等願、不能与衆生無上道願。又彼宝但能与衆生一身願、不能与衆生無量身願。有如是等無量差別故言相似。SSZ01-318 【註】 (相似相対というは、彼の宝珠の力、衣食を求むる者には、能く衣食等の物を雨らして求むる者の意に称う。これ求めざるにあらず。彼の仏土は則ち然らず。性満足成就するが故に、乏少する所なし。片に彼の性を取りて喩となす。故に相似相対と言えり。また彼の宝は、ただ能く衆生に衣食等の願を与えて、衆生に無上道の願を与うること能わず。また彼の宝は、ただ能く衆生に一身の願を与えて、衆生に無量身の願を与うること能わず。かくの如き等の無量の差別あり。故に相似と言う。)SSZ01-318 「片」は、音は判、半なり、分なり。それ珠の徳をなすなり。需〈もと〉めに応じて物を雨ふらす。需めざれば雨ふらず。彼の土はしからず。求めずして自ずから得て、求索の患いなし。今はただ珠の雨物の性を取りて彼土の満足の性に喩う。求索の情を以て喩況となさず。故に「片取」という。「又彼」の下は別して「相似」の相を明かす。『大論』の五十九に云わく「この如意珠はただ能く悪鬼を除きて魔天を壊すること能わず。般若は則ち能く二事を除く。珠は能く身病を治す。般若は能く身心の病を治す。(乃至)珠はただ能く形質火日の熱を除く。般若は能く三毒の心熱を除く。珠は能く風雨寒雪を除く。般若は能く十方無量世界衆生の不信不恭敬懈怠心等の寒を除く。(乃至)珠は能く著する所の函篋房舍をして威徳あらしむ。般若の力は能く十方無量世界阿僧祇の衆生を度して威徳あらしむ」といえり。例して知るべし。RY06-30L,31R |