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覚如・存覚 年表
 (真宗年表 大谷大学編より抜粋)
1268 恵信尼没(87・推定)。
1270 覚如(宗昭)生れる(慕詞・敬詞)。
1273 大谷の親鸞の墓を吉水の北に移し、堂を建てて親鸞の影像を安置する(伝絵・専文)。
1274 小野宮禅念、大谷北地を覚信尼に譲る(本文)。
覚如、慈信房澄海に外典を学ぶ(敬詞)。
1275 性信没(89)(報恩寺荼毘塔銘)。
小野宮禅念没(専文)。
1277 覚如、慈信房澄海より天台宗「初心集」を伝受さる(慕詞・敬詞)。
覚信尼、親鸞門弟に廟堂敷地の譲状を書き、教念・顕智に渡す(本文・専文)。
1280 覚信尼、廟堂留守職について、覚恵に置文を書く(本文)。
1284 覚如、延暦寺宗澄の門に入る(慕詞・敬詞)。
1283 覚如、興福寺一乗院信昭の室に入る(慕詞)。
覚信尼、東国門徒に書状を書き、廟堂留守職を覚恵に譲ることを告げ、後事を依頼する(本文)。
覚信尼没(60)(推定)。
1286 覚如、一乗院で出家受戒、行覚に学ぶ(慕詞)。
1287 覚如、上京の如信に法義を学ぶ(慕詞)。
1288 常陸河和田の唯円上京、覚如、法義を学ぶ(慕詞)。
1290 覚恵・覚如、東国に下向、親鸞の遺跡を巡拝し、善鸞・如信にあう(慕詞・敬詞)。
存覚(光玄)生れる(存記)。
1294 覚如、「報恩講式」を著わす(慕詞)。
1295 覚如、「親鸞伝絵」(初稿)を著わす(伝絵奥・慕詞)
1297 存覚、日野親顕の猶子となる(存記)。
1299 この頃、如信、乗専の請により、常陸金沢の草庵に住む(敬詞)。
覚恵発病して七、八年患う(敬詞)。
1300 如信、常陸金沢で没(66)(西本願寺蔵如信絵像裏)。
1301 唯善、延暦寺源伊の策謀に対処、大谷安堵の院宣を請う(専文)。
長井道信、唯善の大谷領知の策動を覚恵に告げ、対策を要望する(存記)。
1302 覚如、大谷敷地安堵の院宣の費用調達のため、覚恵の使として東国へ下向(存記)。
順性ら東国門徒二一名、院宣を門徒に披露、覚恵の廟堂留守職を承認する(本文)。
覚恵、廟堂留守職を覚如に譲ることを東国門徒に告げ、後事を依頼する(本文)。
1303 存覚、東大寺で出家受戒する(存記)。
存覚、興福寺の慶海・実伊・良寛に学ぶ(存記)。
1304 存覚、延暦寺で受戒する(存記)。
1305 存覚、日野俊光の猶子となり。名を光玄と改める(存記)。
存覚、十楽院有職となる(存記)。
1306 覚恵病臥。唯善、覚恵に大谷廟堂の鍵の譲与を強要、覚恵、二条朱雀衣服寺辺に退去する(存記)。
1307 覚恵没(69?)(大系・敬詞・存記)。
陸奥伊達郡野辺の了専・了意上京、覚如の世帯窮乏をみて、覚如を伴ない奥州へ下向する(存記)。
1308 覚如上京、法興院辻子に住む(存記)。
これより先、常陸鹿島の順性・下野高田の顕智・三河和田の信寂、おのおの使を派遣、唯善が延暦寺衆徒と大谷を横領していることを不条理とし、事態に対処するよう覚如に要請。
覚如、庁裁を請い、この日、検非違使別当宣により、廟堂留守職の領掌を保証される(存記)。
唯善と延暦寺衆徒、大谷を退去せず。唯善、覚如の庁裁請求は不当とし、件案は青蓮院の差配による、との院宣を得る(存記)。
1309 存覚、毘沙門谷証聞院に居住する(存記)。
常陸鹿島・下野高田・三河和田門徒の使者上京、大谷の地安堵をめぐつて、青蓮院奉行泰任に折衝する(存記)。
青蓮院、裁決を下して門徒の理を認め、唯善に親鸞の影像・遺骨の返還を命じる(本文)。
唯善、敗訴により、親鸞の影像と遺骨をもって、鎌倉常葉に退去する(存記)。
覚如、留守職就任の前提として、門徒に懇望状十二箇条を書き、下野高田門徒に渡す(本文)。
1310 覚如、留守職就任について、門徒と折衝のため東国へ下向(存記)。
顕智没(85)(遺骨包紙墨書)。
覚如、東国から帰り、留守職相承券文・懇望状を門徒に提示して留守職に就任する(存記)。
存覚、毘沙門谷証聞院から大谷に帰る(存記)。
1311 覚如、存覚と越前に下向、大町如道に「教行信証」を講述(滞在20日)。
大谷の影像・堂舎を復旧、この日、青蓮院、顕智・法智の経営の功を賞め、念仏興行を下知(本文)。
この年、親鸞五十回忌に当たる。
1312 法智の発案により、大谷の堂舎に「専修寺」の額を掲げる(存記)。
延暦寺の指令によって、「専修寺」の額を撤去(存記)。
1314 覚如、病弱のため、存覚に大谷の管領を譲る(存記)。
1316 存覚、室奈有を迎える(存記)。
1317 存覚、親鸞自筆「観無量寿経」「阿弥陀経」の集註を書写する(専修寺蔵阿弥陀経奥)。
1320 存覚息光祖生まれる(存記)。
了源、存覚に指導を求める。存覚、覚如の指示によって、了源を指導、聖教数十帖を与える(存記)。
1322 存覚、宮中最勝講の表白文をつくる(存記)。
存覚、覚如の勘気をうけ、大谷を退去して牛王子辻子に寄宿。
存覚、京都を出発、近江瓜生津に着く(存記)。
存覚、奥州で越年。覚如との和解斡旋を門徒に依顕する(存記)。
1323 存覚上京、山科の了源の寺に入る(存記)。
奥州・関東の門徒、覚如・存覚の和解斡旋のため、連署状をもって上京する(存記)。
1324 存覚、了源の求めにより「浄土真要鈔」「諸神本懐集」「持名鈔」を著わして付与する(奥)。
妙香院、覚如の廟堂留守職継承を認め、存覚の就任を否認する(存記)。
存覚、「破邪顕正鈔」を著わす(奥)。
了源、山科興正寺を供養、存覚、導師をつとめる(存記)。
存覚、了源の求めにより、「女人往生聞書」を著わす(奥)。
1325 存覚息光助生まれる(存記)。
1327 了源、存覚の住居を建てる(存記)。
1330 了源、興正寺を山科から渋谷に移し、仏光寺と改称(存記)。
仏光寺供養、導師存覚(存記)。
1331 存覚、関東へ出発、家族を近江瓜生津にとどめる(存記)。
覚如「口伝鈔」成る(奥・慕詞)。
1332 覚如、奥州大網で如信三十三回忌を営み、参集の門徒のうち親鸞の門弟二十余名に署名を求め、宗義の相伝者として承認する(常楽寺伝名位奥)。
この頃、存覚の家族、鎌倉大倉谷に住む(存記)。
1333 存覚、鎌倉を出発、近江瓜生津・仏光寺に向う(存記)。
本願寺・久遠寺、護良親王の祈両所となり、敷地・留守職安堵の令旨くだる(本文)。
1334 青蓮院、留守職を安堵。存覚は覚如に義絶されて、留守職就任を志望できないと通告する(本文)。
1336 この年、覚如、兵火をさけ近江瓜生津で越年。この間、大谷の堂舎焼ける(存記)。
1337 覚如上京、西山久遠寺に住む(存記)。
覚如、「本願鈔」を著わす(常楽寺蔵奥)。
この頃、存覚、備後に滞在、明光のため「顕名鈔」を著わす(新潟県浄興寺蔵奥)。
覚如、「改邪鈔」を著わす(奥)。
1338 存覚、備後国府で法華宗と対論、「決智鈔」「法華問答」「報恩記」「至道抄」「選択註解抄」を著わす(存記・奥)。
覚如、瓜生津愚咄の斡旋により、存覚の義絶をとく(存記)。
高田専空・和田寂静ら、堂舎を六十六貫文で買い、本願寺御影堂を建てる(存記)。
1339 存覚、壬生雅康邸から大谷に移住する(存記)。
覚如・従覚、大谷に移住する(存記)。
覚如、置文を書き、本願寺寺務職の継承順序を善照尼・従覚・善如と定め、存覚の継職を除外する(本文)。
1340 覚如、近江伊香成信の求めにより「願々鈔」を著わす(奥・慕詞)。
1342 この年、覚如、存覚を再び義絶。存覚、塩小路油小路顕性の宿所に住む(存記)。
1343 覚如、目良道源(寂円)の求めにより「最要鈔」を著わす(奥)。
このころ、存覚、大和に住む(存記)。
「親鸞伝絵」(康永本)成る(奥)。
1344 覚如・空如、名帳・絵系図は宗義に反すること等、禁制六箇条を定める(常楽寺伝名位)。
存覚、大和から上京、六条大宮に住む(存記)。
1346 大和柏木願西ら、重ねて存覚の義絶赦免を斡旋、覚如拒絶。のち願西ら、存覚を伴い大和へ帰る(存記)。
1348 存覚、宝幢院叡憲のために「信貴鎮守講式」を作る(存記)。
1349 瓜生津慈空・和田寂静、存覚の義絶赦免を斡旋する(存記)。
日野時光、存覚の依頼で義絶赦免を斡旋(存記)。
存覚、三河和田門徒に義絶赦免の斡旋を依頼(存記)。
1350 綽如(時芸)生れる(茸林)。
日野時光、存覚の依頼で義絶赦免を斡旋、覚如拒否(存記)。
この頃、和田門徒・覚如に存覚の義絶赦免を請う(存記)。
覚如、存覚の義絶を解く。教願、赦免状を摂津豊島の存覚に届ける(存記)。
存覚、覚如に面会する(存記)。
覚如、置文を書き、存覚の義絶を解き、寺務職就任の志望を排する(本文)。
覚如、善如に別当職の譲状を書く(本文)。
存覚、妙光と共に河内大枝へ下向(存記)。
1351 覚如、存覚に大谷の窮情を通報(存記)。
存覚の懇志、大谷に到着、夕刻、覚如発病(存記)。
覚如(宗昭)没(82)(存記・慕詞)。覚如を建仁寺に葬送、
存覚、綱厳を錦織寺慈空の後嗣とすることを約諾(存記)。
従覚、「慕帰絵詞」を編む(通紀)。
1352 延暦寺衆徒、公人・祗園社に命じて、一向堂(仏光寺)を破却させる(舐日)。
延暦寺衆徒、大谷廟堂の破却を企て、青蓮院の指令により中止(祗日)。
存覚、性覚・明光らの勧めにより、大宮の坊舎を大谷附近へ移転をはかる(存記)。
1353 存覚、覚如絵像に賛銘を記す(西本願寺蔵裏)。
1354 存覚、大谷今小路の新居に住む(存記)。
1356 存覚、「浄土見開集」を著わす(鑑古録)。
1357 存覚の長男光祖没(36)(存記)。
大谷本願寺に勅願寺の綸旨を下し、四海安全を祈らせる(柳原家記録)。
1358 存覚、善如の求めにより、「嘆徳文」を著わす(奥)。
1360 存覚、「教行信証六要鈔」を著わす(西本願寺歳奥)。
存覚、尾張大野の空性に「六要鈔」を与える(西本願寺蔵空覚書写奥)。
1361 この年、親鸞百回忌にあたる。
1362 存覚、善如のために「浄典目録」を編む(奥)。
存覚、乗智の求めにより「纔解記」を書き与える(奥)。
1363 存覚、錦織寺慈観に「教行信証六要鈔」を写させ、校合・付与(西本願寺蔵奥)。
1372 存覚、自身の像を良円に措かせ、銘を書く(常楽寺蔵裏・存記)。
1373 存覚没(84)(存記・鑑古録)。
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