てる爺の つれづれ日記(2015年7月) No.132  近江八幡を散策しました  かつて、近江八幡市の郊外に厚生年金の保養所がありました。 数年前に閉鎖、売却され、滋賀県の代表的な菓子屋さんが購入しました。保養 所の施設は全て撤去され、新店舗が築かれたので様子を見に行きました。  広大な敷地に一棟の店舗が鎮座していました。 訪れたのは平日でしたが、広い駐車場には多くのお客さんが来ていました。 お菓子屋さんの偉容1 ←お菓子屋さんの偉容  ↓ お菓子屋さんの偉容2  かつての保養所はゆったりした利用しやすい施設でした。 私は何度も宿泊しただけでなく、併設されていた陶芸教室に通ったこともあり ました。  新店舗の近くにはヴォーリズ記念病院があります。 ヴォーリズ記念病院 ←ヴォーリズ記念病院   ↓西の湖から安土山(手前)を望む  西の湖から安土山(手前)を望む  姉妹都市交流使節団の歓迎会に参加しました  野洲市はミシガン州の地方都市と姉妹都市提携をしています。 隔年毎に交流使節団を派遣し、受け入れています。今年は受け入れる年でした ので、国際協会主催の歓迎会に参加してみました。 市長と団員とのプレゼント交換 ←市長と団員とのプレゼント交換  ↓協会員の手作り料理 協会員の手作り料理  使節団の派遣時期は7月中旬に固定されています。 ミシガンに行くのは夏でも比較的涼しいので苦になりませんが、祇園祭り前後 に来日する団員と、10日余りのホームステイを受け入れるホストは大変です。 板前さんから習う寿司の握り方pg ←板前さんから習う寿司の握り方   ↓むかで太鼓の演奏  むかで太鼓の演奏  紫香楽宮跡を訪ねました  大津京を遷都した天智天皇は、近江に最も縁の深い天皇と言えます。 次いで、紫香楽宮を遷都した聖武天皇が挙げられるでしょう。聖武天皇は恭仁 京、難波京、紫香楽宮と頻繁に遷都しましたが、紫香楽宮は半年足らずの短命 に終わったようです。  紫香楽宮跡は信楽町宮町という地区にあります。 新名神高速信楽ICの北約1キロ位の位置です。信楽高原鉄道の「紫香楽宮跡」 駅が信楽ICの南約1キロにあります。  宮町地区は周囲を山に囲まれた盆地です。圃場整理された田んぼに緑の稲が 広がっていました。盆地のほぼ中央に宮町会館(公民館)がありました。 宮町会館から北方向の景色1 ←宮町会館から北方向の景色  ↓ 宮町会館から北方向の景色2  宮町会館の脇に、紫香楽宮の説明図がありました。 朝堂は南向きで、南北に延びる長い西脇殿と東脇殿が配置されていたようです。  宮町会館は紫香楽宮の朝堂に向き合う位置にあります。 紫香楽宮の配置図pg ←紫香楽宮の配置図  (現在地=説明図の配置場所)  ↓紫香楽宮のCG 紫香楽宮のCG  宮町地区は長閑な田園地帯です。 この地に都を定めた理由は分かりませんが、四方が山に囲まれているので、防 衛上適しているためなのかも知れません。  信楽高原鉄道の「紫香楽宮跡」という駅名は、宮町地区で遺跡が発掘される 前に発掘された甲賀寺または近江国国分寺の跡が「紫香楽宮跡」と誤認された、 という経緯によるようです。  なお、宮町地区の西隣りは黄瀬(きのせ)という地区で、信楽焼に使われる 黄瀬と呼ばれている粘土の産地です。信楽焼は釉薬を使わず、薪を焚いて焼き しめることで土に色をつけますが、黄瀬の粘土を使うとよい色が出ると言われ ています。私も黄瀬の粘土を混ぜて使っています。  虫送りを見学しました  農作物の収穫を妨げる要因として、天候、獣害と並んで虫害があります。 現代のような薬品が使われなかった時代には、虫害を抑えることは農民にとっ て切実な願いだったでしょう。  そこで、害虫を駆除して豊作を祈願する「虫送り」という行事が各地で行わ れてきました。今回、信楽町の宮町地区を訪ねたのは、現在でも行われている 虫送りの行事を見学させていただくためでした。 人気のない宮町会館 ←人気のない宮町会館  ↓広場の一角にある石仏 広場の一角にある石仏  夕方の6時過ぎ、宮町会館前はがらんとしていました。 日が沈む7時近くになった頃、会館前に次々と軽トラックが集まってきました。 20数台の軽トラが勢揃いしました。トラックには松明(たいまつ)が積んで ありました。竹竿の先に細い丸太や角材をくくりつけたものでした。  7時を回った頃、会館の中で神事が行われました。 神事と思っていたのですが、お坊さんがお経を読み上げていたのが意外でした。  虫の成仏を祈願したのでしょうか?  会館前に集合する軽トラ ←会館前に集合する軽トラ  ↓炎を上げる焚き火 炎を上げる焚き火  会館の中の儀式が終わったのは7時半を回った頃でした。 儀式の後、会館前で焚き火の炎が上りました。次々に松明の先に火がつけられ、 会館前から暗い夜道に運び出されました。 松明を持って夜道に繰出す人たち ←松明を持って夜道に繰出す人たち  ↓火の粉を落としながら進む松明 火の粉を落としながら進む松明1  松明を運ぶ人たちは10人位づつの4組に分かれました。 鉦(かね)と小さな太鼓を鳴らす人が先導しました。子供も混じっていました。 宮町会館から東西南北の4方向に分かれて田んぼの周りをあるき、会館近くの 一箇所に戻ってくるということでした。  松明を持った人は道端に火の粉を振り落としながら歩きました。 落された火が道端のあちこちでしばらくの間煙を上げていました。出発から巡 回を終えて松明を一箇所に集めて燃やすまで、30分近くかかりました。2 火の粉を落としながら進む松明 ←火の粉を落としながら進む松明  ↓巡回後一箇所で燃やされる松明 巡回後一箇所で燃やされる松明  今回の見学は俳句仲間と行きました。 今回の見学者は私たちだけでしたが、数年前にはNHKが取材に来たそうです。  日本各地で行われてきた「虫送り」は、俳句の季語(夏)とされています。      人里を離れて生きよ虫送り     てる爺                        (2015−7―31) ------------------------------------------------------------------                日記メニューへ   トップページへ