てる爺の つれづれ日記(2015年8月) No.133  消えた飛行場跡と掩体壕を見学しました  滋賀県の南東部に東近江市があります。 旧・八日市市を中心に市町村合併で名づけられた市です。かつて、旧・八日市 には飛行場がありました。終戦後にこの飛行場は消滅しましたが、その痕跡を 訪ねてみました。 かつての八日市飛行場 飛行場跡の碑  ↑かつての八日市飛行場(滋賀県平和祈念館に掲示)     ↑飛行場跡の碑  八日市飛行場は大正初期に民間飛行場として出発し、大正11年に陸軍飛行 場になりました。近畿では有数の軍事基地として特攻隊の訓練にも使われまし た。ちなみに、俳優の故・三船敏郎さんは昭和17〜19年にかけて2年間こ こで訓練をうけたそうです。  飛行場跡には住宅が立ち並び、車の多い道の脇にある記念碑が名残りをとど めています。この記念碑以外に、飛行場脇にあって現在も残っている神社と、 少し離れた所に残っている掩体壕(えんたいごう)があります。 コンクリート製掩体壕 ←コンクリート製掩体壕  ↓土堤の掩体壕跡 土堤の掩体壕跡  掩体壕とは飛行機の格納庫ですが、敵機の襲撃から逃れるために作られまし た。 飛行場から1.5キロほど離れた布引山の麓に掩体壕跡が残っています。 コンクリート製7基、土堤製10基が確認されています。  私は数年前に済州島を訪ねたとき、コンクリート製の掩体壕を見学したこと があります。日本軍は中国本土への前線基地として、済州島に飛行場を建設し ました。飛行場跡に広がっている田畑のあちこちにコンクリート製の掩体壕が 残っているのが印象的でした。 (ご参考:済州島)  布引山の上の方に設けられた射撃演習場跡も見学しました。 銃での射撃練習用広場(200メートル)と手榴弾の投擲練習用基台が残って いました。 射撃演習場跡 ←射撃演習場跡  ↓手榴弾の投擲練習用基台 手榴弾の投擲練習用基台  なお、布引山とは八日市市(東近江市)の南方、八日市飛行場跡の南にある 標高250メートルほどの山です。射撃演習場の麓、掩体壕とは山を挟んだ反 対側に石塔寺があります。  (ご参考:石塔寺)    今回は東近江市観光協会の企画した「八日市飛行場と周辺戦争遺跡を探る」 というツアーに参加させていただきました。8月初めの猛暑の日でした。 東近江市は滋賀県の中で一番気温が上がる地域です。なぜこの暑い日にやるの かと言えば、終戦に思いを馳せるには8月でなければいけない、というのが案 内をしてくれた語り部さん(80歳)のこだわりなのだそうです。  昼食はホテルで近江牛ステーキをよばれました。 ややボリュームが少ないかな、と思っていたら、その後訪ねた「滋賀県平和祈 念館」でボランティアの老婦人から振舞っていただいた戦争食(戦中・戦後に 食べた「すいとん」)をおいしくいただくことができました。  戦後70年を考える集いに参加しました  8月15日に「戦後70年 戦争と平和を考える集い」がありました。 私がお手伝いしている歴史教室が企画・主催したもので、200人近い人に参 加していただきました。 集いの会場 ←集いの会場  ↓女性トリオのミニコンサート 女性トリオのミニコンサート  はじめに若い女性トリオの演奏を楽しみました。 その後、特攻隊の訓練を経験した元大学教授の講演と、海軍特別年少兵に志願 した地元在住の人の体験談を拝聴しました。 戦争体験者の講演 ←戦争体験者の講演  ↓戦争体験者の体験報告 戦争体験者の体験報告  暑い夏でした  今年は7月から8月前半にかけて猛暑が続きました。 私は暑さには強い方ですが、かなりエアコンの世話になりました。  天気予報を見ていたら、沖縄(那覇)は最低気温が27度、最高気温が32 度という日がずっと続いていました。35度以上の日が続いた本土の人にとっ ては、避暑地は沖縄に限る、という実感が強くなっただろうと思います。 比叡山近くに発達している雲 ←比叡山近くに発達している雲   (西瓜を買いに出かけた朝)  ↓工事中の病院(朝) 工事中の病院(朝)                        (2015−8―31) ------------------------------------------------------------------                日記メニューへ   トップページへ