てる爺の つれづれ日記(2015年9月) No.134  文芸仲間と懇親会を楽しみました  文士仲間(!?)と年1回恒例の懇親会を楽しみました。 関西と関東の仲間7人が、御殿場の豪華リゾートホテル!に集合しました。が、 生憎の台風16号が中部地方に上陸した日だったため、大雨で観光を楽しむこ とはできませんでした。  翌日、山梨県都留市にある「山梨県立リニア見学センター」を訪ねました。 その後、群馬の実家へ行きました。今回は久しぶりに新幹線で往復です。 雨雲に包まれた御殿場市街 ←雨雲に包まれた御殿場市街   ↓疾走するリニアカー  疾走するリニアカー  「鐘の鳴る丘」を訪ねました    ♪ 緑の丘の 赤い屋根      とんがり帽子の 時計台      鐘が鳴ります キンコンカン        ・・・ ♪  「鐘の鳴る丘」という童謡は、年配の方なら聞いた覚えがあると思います。 終戦間もない昭和22年7月から3年半にわたってNHKのラジオドラマとし て放送された菊田一夫作「鐘の鳴る丘」の主題歌です。  このドラマに触発されて「鐘の鳴る丘 少年の家」という児童養護施設を設 けた人がいました。場所は群馬県、赤城山の麓にある大胡町です。絹産業が盛 んだった頃、前橋と桐生を結ぶために作られた上毛電鉄の中間点にある大胡駅 の近くです。 鐘の鳴る丘 愛誠会 ←鐘の鳴る丘 愛誠会  ↓大胡駅付近からの遠望 大胡駅付近からの遠望  現在、この施設は「社会福祉法人 鐘の鳴る丘愛誠会」が運営しており、特 別養護老人ホームが併設されています。大胡から赤城山の裾野を北に登った中 腹(富士見町)に、特老「鐘の鳴る丘 愛誠園」が10年前に新築移転されて います。  鐘の鳴る丘創立60周年記念式典(2007年)には、各界から支援者の有 名人が訪れています。 鐘の鳴る丘 愛誠園 ←鐘の鳴る丘 愛誠園  ↓記念式典に出席した有名人 記念式典に出席した有名人  ↓後援会長 後援会長  私は高校へは大胡駅から電車通学したのですが、鐘の鳴る丘の施設が駅の近 くにあるということを、つい最近まで知りませんでした。最近、親族が特養で お世話になっているため、見舞いに寄せていただきました。  後援会長はたかの友梨(エステクリニック)さんだそうです。 ポスターのようなポーズの美人女性介護士さんが世話をしてくれるのだったら、 私は是非、元気なうちに入所したい!! ものです。  船津伝次平をご存知でしょうか 上毛か
 るた   群馬県の郷土かるた「上毛か  るた」に「老農 船津伝次平」  という札があります。   船津伝次平(ふなつでんじべ  い)は、幕末から明治時代にか  けて活動した農業研究家です。  明治初期の1877年、内務卿の大久保利通が農業を盛んにするため、群馬 県を訪れた際に船津と出会い、内務省に迎え入れた由。船津は全国を巡り歩い て近代農業の普及に努めたそうです。  船津は富士見村の出身で、村役場(現・前橋市富士見支所)の敷地内に銅像 が建てられて顕彰されています。ここは私の実家の隣村です。鐘の鳴る丘の施 設に寄った後、銅像を拝見させていただきました。 船津伝次平の銅像 ←船津伝次平の銅像  ↓船津家一族の墓所 船津家の墓所  役場から少し離れた所に伝次平の墓がありました。 多数の墓碑が立っている大きな墓でしたが、全て船津姓でした。伝次平は村役 人を勤めたことがあり、船津家はこの地方での有力者だったようです。  私は伝次平の著作を研究したわけではありませんが、伝次平の説でひとつ印 象に残っていることがあります。アメリカの開拓史を読んだときでした。牧場 を開拓するには先住民であるインディアンが邪魔になるため、インディアンの 食料源であるバッファローを数百万頭も虐殺したという歴史があります。 その当時、伝次平は「牛肉を得るために広大な土地を使わなければならない牧 畜は効率がよくない」というような主旨の批判をしていました。  野洲川下流域の史跡を訪ねました  歴史教室の館外研修に行きました。 「野洲川下流域の歴史と文化」というタイトルで、史跡巡りと琵琶湖博物館を 見学しました。ここでは弥生時代の史跡の一部だけを紹介させていただきます。 ◆服部遺跡(はっとりいせき)◆  野洲川は滋賀県で一番大きな川ですが、天井川のために水害の被害に悩まさ れてきました。野洲川は北に向かって流れて琵琶湖に注いでいます。琵琶湖に 近い下流域では北流と南流の二つの天井川に分かれていましたが、その中間に 川幅を広げて川底を大きく掘り下げた新しい野洲川が造成されました。 (野洲川の改修工事は昭和46年(1971)に始まり、昭和54年(1979)に通水が  始まりました。) 守山市埋蔵文化財センター   この造成工事の折に発見された  のが「服部遺跡」です。   服部遺跡には弥生時代前期から  鎌倉時代に至るまでの生活の跡が  残っています。 ←守山市埋蔵文化財センター    服部遺跡で明らかになったことをふたつだけ挙げてみます。  ひとつは稲作初期の水田跡の発見です。およそ2500年前の遺跡だそうで す。  もうひとつは方形周溝墓群の発見です。多数(総数360基以上)の墓が集 合して設けられていますが、その墓はいづれも周囲に溝が巡らされています。 このような墓は初めての発見さそうです。  水田跡 ←水田跡   ↓方形周溝墓群  方形周溝墓群 ◆下之郷遺跡(しものごういせき)◆  服部遺跡の南約6キロの位置(守山市)に下之郷遺跡があります。 現在の野洲川からは2キロ位西に離れた場所です。およそ2200年前、弥生 時代中期の集落で、集落には深い溝が巡らされています。  三重の溝、場所によっては四重以上の溝が確認されています。 下之郷遺跡の平面図 ←下之郷遺跡の平面図  ↓当時の村の復元想像図 当時の村の復元想像図  遺跡のあった場所の一部が遺跡公園として整備され、建物の地下に環濠の一 部が見えるように保存されています。  公園の一角では古代米が栽培されています。この遺跡から発掘された稲籾の DNA調査によれば、南方系(東南アジア)の稲も栽培されていたようです。 第4環濠の一部 ←第4環濠の一部   ↓第4環濠が復元されている公園  第4環濠が復元されている公園 ◆伊勢遺跡(いせいせき)◆  もうひとつ、今回は訪問しなかったのですが、伊勢遺跡をご紹介します。 下之郷遺跡の南約6キロの位置(守山市)に伊勢遺跡があります。  およそ1800年前、弥生時代後期の巨大な集落遺跡です。 伊勢遺跡  この時代には多くのクニがあり、伊勢遺跡  はその頂点にあったクニであろう、と見られ  ています。   それは多くの大型棟持柱建物があり、その  中心には多くの大型掘立柱建物群が整然と配  されていたこと、などが理由です。   もしかしたら、卑弥呼が治めた邪馬台国は  この辺りだったのではないか、という想像も  膨らみます。   数年前、歴史研究家が【邪馬台国近江説】  という著書を発行していますので、ご興味の  ある方はご覧ください。   ↑伊勢遺跡                            初秋の夜景を楽しみました *八幡堀(近江八幡)*  八幡堀は多数の映画やテレビの撮影がされる場所です。 堀の周囲に多数の灯りがつけられ、石畳みをゆっくりと歩く人で賑わいます。 数年前までは笛や太鼓などの演奏会がありましたが、今年は静かに散策を楽し みました。 八幡堀pg ←八幡堀  ↓ 八幡堀 *御上神社(野洲)*    野洲市の御上神社では月あかりコンサートが行われました。 重文の楼門前には篝火が焚かれて迎えてくれました。国宝の本殿前にある拝殿 で、フルート、ピアノ、声楽の演奏が披露されました。 篝火が焚かれた楼門前 ←篝火が焚かれた楼門前   ↓フルートに合わせて フルートに合わせて *玄久園(彦根)*    彦根藩井伊家の庭園だった「玄久園」で虫の音を楽しみました。 毎年この時期に「虫の音を聞く会」が催されます。広い庭園のあちこちにコウ ロギや鈴虫などの声が響いています。   玄久園入口 ←玄久園入口   ↓ライトアップされた彦根城 ライトアップされた彦根城  今回訪ねた日は月と地球がもっとも接近する日で、大きな明るい月(スーパ ームーン)が輝いていました。茶席で「埋れ木」という和菓子と抹茶をよばれ て帰りました。 スーパームーンを仰ぐ ←スーパームーンを仰ぐ      ↓船上で雅楽の演奏(2007年)    船上で雅楽の演奏(2007年)                         (2015−9―30) ------------------------------------------------------------------                日記メニューへ   トップページへ