てる爺の つれづれ日記(2016年5月) No.142  信楽にある美術館を訪ねました  陶芸で知られる信楽の山中に「MIHO美術館」があります。 私が毎月作陶に通っている陶芸仲間の工房のすぐ近くにあります。久しぶりに 美術館を覗いてみました。 s-20160506 mihomuseum (1).jpg ←テーマ展「飾り」の幟   ↓美術館入口からの見晴らし  s-20160506 mihomuseum (2).jpg  この美術館は宗教団体が運営しています。小高い山の上にありますので、俗 世界にどっぽり浸かっている私のような人間にも、心の安らぎを感じさせるよ うな雰囲気を漂わせています。    足伏走馬を見学しました  近江八幡市の郊外に「賀茂神社」(かもじんじゃ)があります。 この神社はおよそ1300年前、奈良時代の736年(天平8年)に聖武天皇 によって創建されたそうです。  5月初めの賀茂祭を見学しました。 この神社は馬を祀っています。天智天皇は白村江の戦い(663年:天智2年) で敗れた後、この地に初めて国営の牧場を造ったそうですから、馬の聖地とし て必然的に馬の霊を祀る神社とされたのだろうと思います。 s-20160507 kamoshrine (1).jpg ←神馬像のある境内  ↓ s-20160507 kamoshrine (2).jpg s-20160507 kamoshrine (3).jpg ←渡御の列  ↓ s-20160507 kamoshrine (4).jpg  賀茂祭りの最後に「足伏走馬(あしふせそうめ)」があります。 古来からの形式に則った競馬神事です。加茂神社には直線400メートルの競 馬コースがあります。ここで7頭の馬が競争します。2頭づつのリーグ戦です。 s-20160507 kamoshrine (7).jpg   ↑一回戦    s-20160507 kamoshrine (8).jpg       ↑準決勝戦         s-20160507 kamoshrine (9).jpg           ↑決勝戦(黒い馬が優勝)                s-20160507 kamoshrine (10).jpg  隣接する栗東市に日本中央競馬会(JRA)の「栗東トレーニングセンター」 が設けられていますが、古い歴史と関連性があるとすれば夢が膨らみますね。  高名な写真家のお話しを拝聴しました  歴史教室の講座でプロの写真家からお話を拝聴しました。 寿福滋(じゅふくしげる)さんという写真家で、文化財の撮影を専門にしてお られます。滋賀県の文化財の撮影はほとんど寿福氏が手掛けておられます。  はじめに、いくつかの撮影のテクニックを素人にも分かりやすく解説してい ただきました。例えば、建物の下と上の幅が変わらないように撮影するには、 光の照射角度で凹みと突起が反転するのを防ぐには、...など。 s-20160509 rekishiclass (1).jpg ←蛇腹式カメラの使い方  ↓凹みと突起の反転例 s-20160509 rekishiclass (2).jpg  文化財の撮影に当たっては色々な注意と工夫が必要とのこと。 詳細は割愛しますが、プロとしての探求心に感銘したことを一つ上げてみます。  栗東市の金勝山に狛坂磨崖仏があります。  (ご参考⇒狛坂磨崖仏) 山の頂上付近にあった金勝寺は女人禁制だったため、女性がお参りできるよう に山の中腹に建てられた狛坂寺に磨崖仏が彫られたと言われています。  氏は磨崖仏の岩の上に上り、溝が彫られていたことを確認し、その溝は屋根 の梁を支えるためであり、つまり磨崖仏は建物の内部で拝観できるようになっ ていたのではないかと推測したそうです。さらに、そうであれば暗い建物の中 で磨崖仏にどのように光が当てられていたのか、多分蝋燭の光で磨崖仏を拝観 していたのではないか、と想像を巡らせたそうです。 s-20160509 rekishiclass (3).jpg   その想像力に驚きましたが、  氏は磨崖仏を夜訪ねて下から光  を当てて撮影してみたそうです。  狛坂磨崖仏は私も訪ねたことが  ありますが、足場の悪い寂しい  山の中です。   氏の執念に脱帽しました。 ←狛坂磨崖仏の撮影例  氏は職業としての撮影活動とは別に、個人的なライフワークとして、杉原千 畝氏から命のビザを手にしたユダヤ人の足跡を追い、世界各地を訪ねています。  氏の写真集「杉原千畝と命のビザ−シベリアを越えて」を是非ご覧になって くださいませ。  海外で金塊を探しました    陶芸仲間と毎年海外旅行に行きますが、今年は金塊探しが目的でした。 今は金の値段が上がっていますので、1キロあれば500万円近くになります。 かつては日本でも多量の金が採掘されていましたので、まずは昔の採掘現場を 覗いてみます。 s-20160524 sado (9).jpg ←佐渡金山跡を見下ろす  ↓金山奉行所付近の復元模型 s-20160524 sado (8).jpg   佐渡の金山跡には昔の坑道が観光用に整備されています。 江戸時代の宗太夫抗では、工夫が鉱石を手掘りしたり水を汲み出したりしてい ました。 s-20160524 sado (4).jpg ←狭い坑道で作業する工夫達      ↓    s-20160524 sado (3).jpg  佐渡島の面積はほぼ琵琶湖と同じ位です。 島の北西部では野草が咲き誇っていました。今年は例年よりも少し早く咲いた そうです。 s-20160524 sado (14).jpg ←岩ユリ  ↓ s-20160524 sado (16).jpg s-20160524 sado (18).jpg ←カンゾー  ↓ s-20160524 sado (21).jpg  トキの森公園では、真近に朱鷺を観察できました。 s-20160524 sado (25).jpg ←散歩する朱鷺  ↓餌を口移ししている親子 s-20160524 sado (27).jpg   モロッコの市街地であちこちのビルの上にコウノトリが巣を作っていること を思い出しました。公園の職員さんに朱鷺との違いを尋ねてみると、朱鷺は定 住性、コウノトリは渡り鳥だということでした。  佐渡島へは直江津から高速フェリーで南端の小木港へ行きました。 スクリューの代わりに海水を高速で噴射して進みますので、後方に白い航跡が 長く残ります。 s-20160523 sado (1).jpg ←高速フェリー  ↓ s-20160523 sado (2).jpg  小木港の岸壁に接岸するとき、フェリーがバックするのに気づきました。 バック用のスクリューが付いているのかを船員に尋ねたところ、推進機構は海 水を後方に吐出する部分だけであるが固定されており、ある補助機構を加える ことによって後進することができるのだ、ということを聞いて納得しました。  クイズ:このある工夫とはどんなことでしょうか?  (どうしても知りたい、という方は てる爺 までご連絡ください)  今回は日本国内で海を渡った海外旅行?!でした。 今回の旅行の目的だった金塊は、12キロ余り(時価6千万円余り)の延べ棒 を握りしめるチャンスがありました。  しかし、残念ながら...持ち帰ることはできませんでした。    鮭の街を見学しました  新潟市から北へ50キロほど行くと村上市があります。 ここは一言で言えば「鮭の街」です。水量の豊富な三面(みおもて)川では昔 から鮭が沢山獲れ、江戸時代には藩の財政を支えていました。ところが、乱獲 によって漁獲量が激減したため、人工的に稚魚を育てて放流することにより漁 獲量を回復させたそうです。およそ250年前、青砥武平次(あおとぶへいじ) という人物によって実現された鮭の増殖法は世界で最初だそうです。  村上市は多数の鮭料理が伝わっている街です。 とりわけ有名なのは「塩引き鮭」でしょう。内臓を取り払って塩を振った鮭を 吊るしてじっくりと乾燥したものです。煙も天日も当てず、風通しのよい屋内 で乾燥させるのだそうです。  s-20160525 murakami  (2).jpg ←三面川  ↓吊るされている塩引き鮭 s-20160525 murakami  (4).jpg s-iyoboya.jpg   鮭の博物館「イヨボヤ会館」を見学  させていただきました。  (イヨとは魚の意、ボヤとは魚の意の  幼児語で、当地ではイヨボヤ=鮭) ←イヨボヤ会館(公式ホームページから引用)  館内には見ごたえのある展示が豊富でした。 驚いたのは、地下を長い距離歩いた突き当りに水槽が見えましたが、これは鮭 の泳ぐ川の覗き窓なのだそうです。 s-20160525 murakami  (3).jpg ←観察用の川  ↓川の流れを観察できる窓 s-20160525 murakami  (1).jpg  老農時代を偲びました  老農という言葉をご存知でしょうか? 自慢するわけではありませんが、オホン!私は小学生の頃から知っていました。 老農の意味は知りませんでしたけど。以前この日記で触れたことがありますが、 私の故郷群馬県では「上毛かるた」のひとつに、  老農船津伝次平 という札があります。  私が小学生の頃には上毛かるたを全部暗記していたものでしたので、意味は 分からないまでも言葉だけは知っていたというわけです。  老農とは農業指導者のことで、明治維新後に農業の生産性向上のために老農 が重用されたことがありました。船津伝次平は三大老農の一人とされています。 20160528 rounou.png   老農は各地にいました。  現・野洲市には大岡利右衛門という老農が  いました。銅鐸博物館のテーマ展で  「近江の老農 大岡利右衛門」が開催され、  「『老農時代』の技術と思想」という講演  会が開催されました。   講師は同志社大学教授の西村卓氏でした。   老農時代とは明治10〜20年代です。  この時代の老農は、私利私欲のためでなく、  世の中のため、農業で苦労している人たち  の役に立ちたい、という気概に突き動かさ  れていた様子に感動しました。  西村先生の著書にご興味のある方は ↓こちら↓ をご確認ください。 「老農時代」の技術と思想―近代日本農事改良史研究 (MINERVA日本史ライブラリー)                        (2016−5―31) ------------------------------------------------------------------                日記メニューへ   トップページへ