てる爺の つれづれ日記(2016年11月) No.148  太平記の世界を偲びました  全国的に見て市町村の「村」は減少の一途を辿っています。 9月に訪ねた奈良の明日香は村でした。奈良県にはまだ12の村があるようで す。私の郷里である群馬県には8の村があります。滋賀県の村は0になりまし た。では関西の大都市である大阪府はどうでしょうか?  答え=1。 奈良県との境界に千早赤坂村があります。  その千早赤坂(ちはやあかさか)村を訪ねました。 太平記などに記録されている楠正成(くすのきまさしげ)の生地です。  千早赤阪村立郷土資料館の横に楠公誕生地の碑がありました。資料館の隣に 道の駅「ちはやあかさか」がありました。全国で最初に作られた全国で一番小 さい道の駅だそうです。 道の駅「ちはやあかさか」 ←道の駅「ちはやあかさか」  ↓楠公誕生地の碑 楠公誕生地の碑  正成は幼少の頃、近くの観心寺(河内長野市)で修行したそうです。 湊川の戦いで敗れた正成の首は足利尊氏によって観心寺に送り届けられたそう で、正成の首塚が観心寺に残されています。 観心寺pg ←観心寺  ↓正成の首塚 正成の首塚  千早赤坂村は奈良県と山を介して接しています。 曲がりくねった急な道を上って行くと、金剛山の麓に千早城址があります。正 成が籠城して鎌倉幕府軍を撃退した城跡です。  本丸跡に千早神社が建てられていました。 この神社は参拝者が多いそうです。真田一族が豊臣方と徳川方に分かれて戦っ たのは真田家を残すという戦略だったのに対し、楠公一族は時勢にとらわれず に初志を貫いて消滅した、という潔い生き方に共感を覚える人が多いのだそう です。たまたま、祈っている若いカップルの姿を見かけました。二人とも初心 を忘れずにいつまでも手を取り合っていけるものかどうか...? 若いカップルが祈る千早神社 ←若いカップルが祈る千早神社  ↓千早城址の碑 千早城址の碑  能囃子と能を鑑賞しました  「親しみやすい能楽鑑賞 お囃子演奏と能『融』」と題した催しがありまし た。米原市の滋賀県立文化産業交流会館で行われた滋賀県・滋賀県文化振興事 業団(主催)、滋賀能楽文化を育てる会(共催)の催しでした。  私は能楽については初心者ですので参加してみました。  お囃子に使われる楽器の解説とお囃子演奏は大変興味深いものでした。 能『融(とおる)』は解説の後で演じられたので分かりやすく楽しめました。 ちなみに、融とは源氏物語のモデルになったと言われている源融のことで、滋 賀県には源融を祀っている「融神社」があります。(ご参考:融神社パンフレットの一部 ←パンフレットの一部  ↓能囃子(wikipedia「能楽」から引用) 能囃子(wikipedia「能楽」から引用)  紅葉巡りをしました  滋賀県外の三か所の紅葉見物バスツアーに参加してみました。  最初は兵庫県の須磨寺です。 須磨寺には見るべき紅葉がありませんでしたが、源平合戦の歴史を偲ぶのには 興味深い場所でした。平敦盛の首塚がありました。熊谷直実が笛の名手だった 若き平敦盛を討ち取った故事がよみがえりました。敦盛は「青葉の笛」を愛用 したそうですが、同名の曲が現在も笛の愛好家によって演奏されており、かつ て私もこの曲の練習に取り組んだことがありました。  子規と蕪村の句碑がありました。    暁や白帆過ぎゆく蚊帳の外     子規    笛の音に波もよりくる須磨の秋   蕪村 須磨寺の三重塔 ←須磨寺の三重塔    ↓芭蕉の句碑   芭蕉の句碑  神戸市内のホテルでフランス料理を楽しんだ後、大阪の箕面を訪ねました。 箕面公園では猿の被害が報じられていたことがありますが、今回は猿を見かけ ませんでした。目を見張るような紅葉も見かけませんでした。  京都洛西の大原野神社に着いたのは日没の頃でした。 西側に山がありますので日没が早い場所です。参道脇のぼんぼりが点灯されて いました。夕暮れだったせいか参拝者は少なく、穏やかな秋の夕景色を楽しむ ことができました。 箕面大滝 ←箕面大滝  ↓大原野神社 大原野神社  今回は神戸、大阪、京都の三都紅葉巡りと題されたツアーでしたが、近江で 見慣れたような鮮やかな紅葉には出会えませんでした。近江には紅葉の名所が 沢山あります。...紅葉は近江に限るのだー!  石田三成ゆかりの地を訪ねました  石田三成は近江出身の武将でした。 三成ゆかりの地を歴史教室の館外研修として訪ねました。  石田三成は現・長浜市石田町で生まれました。 ここは織田信長と浅井長政が激突した姉川の合戦場に近い所です。石田家は村 長(むらおさ)を務めた有力者だったそうで、1町4反(4000坪余り)の 屋敷に館を構えていたようです。  その屋敷跡に建てられた石田会館で三成の顕彰活動が行われています。 現在、石田町には石田姓の家がない、とお聞きしたのが驚きでした。それは、 関ケ原の合戦で敗れた後、徳川方から厳しい残党追及が続いたためだそうです。 石田三成顕彰碑 ←石田三成顕彰碑  ↓佐和山城址 佐和山城址  三成の居城だった佐和山城は米原市街地の少し南方にありました。 東向きに作られた城は陸上交通を取り締まるためだったのかも知れません。し かし、徹底的に破壊されたので当時の城の面影を偲ぶことはできません。大手 門側の東から城山を仰ぎ見ました。  関ケ原の合戦場跡(岐阜県関ケ原町)を訪ねました。 関ケ原町歴史民俗資料館で、合戦時の両軍の初期配置と時間の経過に伴う移動 の様子をビデオを見ながら学芸員さんから説明していただきました。この資料 館は家康が前線に乗り出してきて陣を構えた場所に建てられています。 関ケ原町歴史民俗資料館 ←関ケ原町歴史民俗資料館  ↓笹尾山から見下ろした関ケ原町   は歴史民俗資料館) 笹尾山から見下ろした関ケ原町  石田三成は見晴らしの良い笹尾山に陣を構えたそうです。 笹尾山は麓からの高さが50メートル程度の低い丘ですが、東軍と西軍の動き がよくわかる位置にあります。 笹尾山 ←笹尾山 ↓笹尾山から見た西軍の配置方向 笹尾山から見た西軍の配置方向  三成は少年時代に近くの観音寺で修行しました。 当時、この寺は7堂伽藍23坊を有した名刹だったそうです。秀吉に才能を見 出された初対面の場は観音寺でした。三献の茶を立てるために三成が水を汲ん だ井戸が残っています。 観音寺 ←観音寺  ↓三成が水を汲んだ井戸 三成が水を汲んだ井戸  仁徳天皇陵を訪ねました  大阪府堺市にある仁徳天皇陵を訪ねました。 仁徳天皇陵は大きさが全国一位の巨大古墳(前方後円墳)です。クフ王のピラ ミッドや秦の始皇帝墓陵にならぶ「世界三大墳墓」とも言われているそうです。  陵の周囲には歩行できる道路があります。 一周約3キロほどなので、ぶらぶら歩いて1時間位かかります。しかし、陵は 巨大なのでどこから見ても低い丘の周りを歩くだけの感じです。 正面から見た陵 ←正面から見た陵  ↓上空から見た全景(案内板) 上空から見た全景  かねてから一度は訪ねてみたいと思っていた陵です。 末っ子が関東から関西に転勤となり、新居が仁徳天皇陵のすぐ近くだというこ とが分かったので駆けつけ、ついでに新居も確認しました。  日野町の古い神社を訪ねました  滋賀県の南東部、鈴鹿山脈に近い位置に日野町があります。 ここは近江商人を輩出した地域でもあります。この町の知人から毎年新米を分 けてもらっていますので訪ねました。  知人宅の近くにある神社に初めて参拝しました。 比都佐(ひつさ)神社という風格のある古い由緒ある神社です。 比都佐神社 ←比都佐神社  ↓ 比都佐神社  境内に宝篋印塔がありました。  鎌倉時代に建立された重要文化財だそうです。 本殿 ←本殿  ↓宝篋印塔 宝篋印塔  本殿前には石造の狛犬一対が配置されていました。 本殿にはもう一対の狛犬が控えていました。珍しいことに、こちらは木彫りで した。 s-20161129 hitusashrine (4).jpg s-20161129 hitusashrine (5).jpg                         (2016−11―30) ------------------------------------------------------------------                日記メニューへ   トップページへ