てる爺の つれづれ日記(2019年4月) No.177  喜寿を迎えました  4月に入り、喜寿を迎えました。 喜寿は七十七歳。なぜ喜寿が祝いの歳かと言えば、喜という古い漢字が七を三 個連ねる(一個の七の下に二個の七)ことに由来しているようです。  私にとって、喜寿とは嬉しくもあり、悲しくもあります。 子ども達は親が喜寿になったことを知らないようで、お祝いの言葉も贈り物も なしのつぶて。山の神めは素知らぬ顔で外出した、という有様です。  独りで庭の花を眺めたり、パソコンを抱きしめたりして感慨にふけりました。 s-20190409_tulip.jpg ←庭のチューリップ   ↓祝いの花  s-20190410 gift3.jpg  冷淡な家族の仕打ちを嘆いていたら、宅配の声が聞こえました。 さては...親を気遣う愛いやつは誰じゃ? と思ったら、昔働いていた会社 のOB会からの、喜寿祝いの花束でした...涙!  全くの予想外でした。  ところで、このサイト「近江の散策」は開設から15年経ちました。 ここまで続けてこられたのは、時折読者の皆様から寄せていただく感想やご希 望などが大きな励みとなりました。今後ともよろしくお願い申し上げます。  枝垂れ桜を堪能しました  今年は早めに桜が咲いた所が多かったのですが、近江では入学式に合わせて 満開になりました。信楽ではさらに一週間遅れて満開になりました。  信楽で満開の枝垂れ桜を堪能しました。 s-20190416 mihomuseum (1).jpg ←満開の枝垂れ桜  ↓ s-20190416 mihomuseum (2).jpg  枝垂れ桜を楽しんだのはMIHO美術館です。 この美術館は陶芸仲間との作陶場所の近くにあります。訪ねたのは平日でした が、県外からの訪問者が殺到して駐車が大変でした。国宝の曜変天目が展示さ れる、というテレビ報道の影響なのでしょう。私は...桜で満足しました。 s-20190416 mihomuseum (4).jpg ←美術館の通路   ↓曜変天目(パンフレットから)  s-20190416 mihomuseum (3).jpg  陶芸作品展を観賞しました  滋賀県のレイカディア大学(老人大学)には陶芸学科があります。 私の学年は毎年作品展を開き、去年14回目を迎えましたが、それとは別に陶 芸学科卒業生全体の有志による作品展が2年毎にあり、今年4回目を迎えまし た。今年の展示は草津のイオンモール内でした。(私は不参加です) s-20190417_ceramics (1).jpg ←作品展  ↓ s-20190417_ceramics (2).jpg  湖北の菅浦を訪ねました  琵琶湖北部の西浅井町(長浜市)に大浦、菅浦という地区があります。 ここは交通がやや不便なので、県外の人も県内の人も足を延ばす機会が少ない だろうと思います。しかし歴史好きの人にとっては興味深い場所です。  まず大浦(おおうら)の「北淡海・丸子船の館」を訪ねました。 かつて琵琶湖は北陸と京都・大阪をつなぐ交通路として利用されました。その 湖上水運の主役を務めたのが丸子船でした。江戸時代の最盛期には1400隻 もの丸子船が往来していたそうです。展示されている船は全長17メートルの 百石船(米250俵積載可)でした。  丸子船の館に隣接した「大浦故郷資料館」には古民具が沢山展示されていま した。 s-20190419 sugaura (1).jpg ←丸子船の館  ↓大浦故郷資料館 s-20190419 sugaura (2).jpg  丸子船の館から150メートルほどの位置に「腹帯観音堂」がありました。 最澄作と伝えられる観音像は姉川合戦の際、戦火を避けるために蓮池に沈めら れ、88年間泥の中で眠っていたそうです。  掘り出された際、多くのさらしで清められ、その布が腹帯として妊婦に配ら れたところ、皆が安産でした。そこで安産祈願の腹帯を頒布するようになりま した。観音像には腹帯が巻かれていますが、毎日巻き替えられているそうです。  平成15年には観音像が盗難に遭いましたが、一年半後に戻りました。 s-20190419 sugaura (3).jpg ←十一面腹帯観音菩薩  ↓腹帯観音堂 s-20190419 sugaura (4).jpg  大浦の次に、湖岸沿いの道路を走って菅浦(すがうら)に向かいました。 途中、山の斜面を切り開いた棚田が二か所にありました。これは大浦と菅浦で 長く争いになった農地です。  菅浦は道路が行き止まりになっている集落です。 集落への道は一本だけで通り抜けることができません。  菅浦には平安時代から人々が定住するようになったそうですが、自力で村を 守る高度な自治組織を作り上げました。村の規則である「村掟」や大浦との争 いの様子などを記した多数の古文書が、昨2018年に国宝として指定されま した。一般の民衆が遺した資料として貴重な価値があるのでしょう。 s-20190419 sugaura (6).jpg ←菅浦の集落  ↓作業所 s-20190419 sugaura (7).jpg  ところで、農機具メーカー・ヤンマーの創業者は長浜市出身です。 創業者の山岡孫吉氏は、農村振興策として家庭で内職できる環境を作りました。 菅浦には第〇〇作業所と表示された小さな作業小屋(内職用工場)が19か所 (現在は17か所?)あります。ヤンマーに納入する部品の加工場です。  農機具用部品の加工作業をしている主婦や、部品を集配している軽トラのお じさんを見かけました。  菅浦集落の少し手前に公営の宿舎があったので昼食をよばれました。 今回は「楽しく学ぶ歴史教室」の下見に来たのですが、おいしいものを食べる ことは歴史の勉強以上に重要!?なのです。館外研修の参加者は毎回40人前 後いますので、食事の会場も限られます。竹生島を臨める国民宿舎(なのか?) 「つづらお」は木の香りのする建物で、食事にも満足しました。  南の島を訪ねました  陶芸仲間と海外旅行に行ってきました。 海外と言っても、実は...パスポートの要らない奄美大島です。 沖縄に近い奄美大島は沖縄県でしょ?と思っている人がいるかもしれません。 奄美大島は鹿児島市から約350キロ南にあり、関空から奄美空港まで1時間 半でした。  ちなみに、自動車のナンバープレートは「鹿児島」と「奄美」があります。 「奄美」は2014年から始まったご当地ナンバーです。 s-20190422 amami (4).jpg ←澄んでいる海  ↓西郷翁上陸之地 s-20190422 amami (1).jpg  最初に訪ねたのは、「せごどん」ゆかりの場所でした。 奄美空港から車で20分位西の龍郷町にありました。ちなみに、龍郷町は東西 を奄美市に挟まれています。(奄美市は二分されています)  奄美大島に流されたせごどんが安政6(1859)年に上陸した場所と、そ の近くにあるせごどんと愛加那が過ごした家(西郷南洲流謫跡)を訪ねました。 (流謫=るたく:罪によって遠方に流されること)  「この小さな家はせごどんが設計した」というような説明をしてくれたのは、 愛加那の甥の孫だという年配の男性でした。 s-20190422 amami (3).jpg ←西郷南洲流謫跡  ↓ s-20190422 amami (2).jpg  夕方、ホテルから20キロほと離れている名瀬(奄美市)に向かいました。 名瀬(なぜ)は奄美大島で一番大きな市街地です。なぜ名瀬に向かったのかと いうと、郷土料理を楽しみながら島唄が聞けるという居酒屋に予約を入れてい たのです。   この日は島唄の名人だという美人の女将は不在でしたが、小さい頃から島唄 を習っているという3人の女の子(小、中、高校生)が見事に演じてくれまし た。 s-20190422 amami (5).jpg ←島唄の披露   ↓島のあちこちで見られる花  s-20190424 amami (2).jpg      s-20190424 amami (1).jpg  翌日はあいにく一日中雨でした。 午前中は予約していた金作原(きんさくばる)原生林ツアーを楽しみました。 奄美大島は平地がわずかで、ほとんどは緑で覆われた300メートル前後の低 い山です。しかし原生林はわずかに残っているだけで、それは昭和になって鉄 道の枕木やチップ材として伐採されたためだそうです。原生林には貴重な植物 や昆虫などが残っています。  原生林ツアーは、今年(2019)2月27日から公認ガイドの同伴が必要 になったそうです。経験豊富なガイドさんの説明を聞きながら、尾根道を1時 間位散策しました。 s-20190423 amami (2).jpg ←高く成長したヒカゲヘゴ  ↓緑に覆われた山 s-20190423 amami (1).jpg  原生林への往復の車中でガイドさんから聞いたところによると、奄美では山 菜を食べる習慣がないそうです。ハブがハバを利かしているので。  山のふもとの道路脇のところどころに高さ1メートル余りの細いパイプが立 てられ、木の棒が挿し込まれていました。ハブを見かけたらこの棒でお仕置き をするそうです。  川沿いに細い竹が群生しているのを見かけましたが、孟宗竹はないようです。 今の時期(4月)の我が家では毎日筍を食べていますが、奄美ではこの楽しみ が味わえないようです。  原生林ツアーの後、名瀬で昼食に鶏飯を食べました。 奄美の名物料理と聞いていたので、鳥料理専門店を探し当てました。鶏肉が少 しだけ入っている雑炊(?)でした。  雨が止みそうもないのでマングローブ見物は断念し、海洋博物館を訪ねて亀 の餌やり体験をしました。雨がますます強くなってきたので、名瀬に戻ってゆ っくりコーヒーでも飲むことにしました。スマホでスタバなどを探しましたが 適当な店が見当たりません。  たまたま、喫茶もできる陶芸工房があることが分かったので訪ねました。 工房は少し高台にありました。あいにく喫茶はもうやっていないということで したが、美人の奥様から美味しい日本茶をいただいてほっとしました。 s-20190423 amami (4).jpg ←遊び心の感じられた工房  ↓陶芸作品 s-20190423 amami (3).jpg  三日目の最終日は曇り空でした。 空港近くの半島を海岸沿いに走って景色を楽しんだ後、空港に近い奄美パーク を訪ねました。  奄美パークの売りは田中一村(いっそん)記念美術館です。 奄美大島に20年近く住んで島の植物などを描いた一村は「日本のゴーギャン」 などとも評されています。1977年に69歳で亡くなった一村は、生前はあ まり評価されなかった不遇の画家でした。  しかし彼は「自分は人の評判を気にしないで、自分のために描く」と開き直 り、独特の絵を描き続けました。         (うーん、ワシは好きなことをしてるけど..どれも中途半端で..            誰からも 認められてないナー...(*_*;s-20190424 amami (4).jpg ←作品例「亜熱帯地域の植物」(パンフレットより)      ↓田中一村記念美術館     s-20190424 amami (3).jpg                        (2019−04−30) ------------------------------------------------------------------                日記メニューへ   トップページへ