てる爺の つれづれ日記(2020年11月) No.193 ■ 湖北の宿でのんびりしました 琵琶湖の北部に湖北町(長浜市)という地区があります。 水鳥観察センターがあり、竹生島が真近に見える湖岸は撮影ポイントとして人 気があります。その一画にある宿に泊まりました。←竹生島の見える宿 ↓各室に露天風呂
珍しいことに、この宿はスリッパを使っていませんでした。 玄関で靴を脱いだら靴下履きのまま移動です。エレベーターの床は畳でした。 食事は部屋食か1階のレストランまたはレストランに隣接した食事用の個室で した。
←宿の前から見た夕刻の風景 ↓湖面には沢山の水鳥
料理が評判のこの宿は、普段なら手の届かない高級な宿でしたが、GoTo トラベルの利用で寛ぐことができました。 ■ 湖西を散策しました 湖北に泊まった翌日は、湖西を回って帰ることにしました。 全国的に珍しいカタカナ名のマキノ町(高島市)にはメタセコイアの並木道が あります。2キロ以上も続く並木道は壮観で、新緑、黄金色、雪化粧など、一 年中景色を楽しむことができます。 マキノピックランドという道の駅のような施設があります。 マキノはアクセスの良くない山の中にあるので、観光シーズンといってもあま り人はいません。 と思いきや、平日なのに次から次へと観光客が訪れていま した。県外ナンバーの車が多かったようです。
←メタセコイアの並木道 ↓マキノピックランドにて
マキノの次は朽木に向かいました。 朽木村は2005年に高島市に編入されるまで、滋賀県で唯一の村でした。 日本海に面する小浜から京の都へ通ずる、いわゆる鯖街道の中間に位置してい る山あいにあります。 朽木にある私好みのそば屋さんに寄りました。 このそば屋さんはそばが美味しいだけでなく、遊び心に富んだお店です。店の 庭にはさまざまな動物が遊んでいます(陶芸品です)。ガラス越しの目の前で は次々に小鳥が餌をついばみに降り立っていました。
←ウサギの親子 ↓餌をついばむ小鳥
この店も混みあっていました。 いつもは駐車場がゆったりしているのに、この日は駐車するまで少し待ちまし た。ここでも県外からの車が多く見られました。 ■ 明智光秀の坂本城址を訪ねました 琵琶湖西岸の坂本で明智光秀ゆかりの場所を訪ねました。 まずは日吉大社に向かう参道脇のそば屋さんで腹ごしらえです。 近江ではよく知られた老舗のそば屋さんには大勢のお客さんが次々に訪れてい ました。 日吉大社の少し北に西教寺があります。 この寺は明智家の菩提寺で光秀の墓や供養塔があります。 芭蕉の句碑もあります ⇒ 月さびよ明智が妻の話せん 「麒麟がくる」の影響で、今年は特に参拝者が多いようです。 西教寺は何度も訪ねたことがあり、今回は初めて坂本城址を訪ねるため、早々 に移動しました。
←西教寺 ↓そば屋さん
坂本城址は日吉大社から南東の湖岸沿いにありました。
光秀が城主だった坂本城は ・1571年(元亀2) 創建 ・1582年(天正10)炎上 と短命でしたが、日本で最初 の石垣と瓦葺きの天守を持つ 城だったそうです。 城址に近い湖岸沿いの坂本 城址公園に駐車しました。 ←坂本城址の地図 (公園の掲示板から) ●:坂本城址公園 ■:坂本城址の石碑 「日本史」を書いた宣教師ルイス・フロイトは「信長の安土城に次ぐ名城」 と評したほど豪壮華麗だったようですが、その実態は謎に包まれています。 堀に囲まれていた広大な敷地跡には、現在、住宅や営業所などが密集していま す。わずかに坂本城の址を示す石碑があるだけでした。 琵琶湖の中に沈んでいる城の石垣は私有地の中だそうです。
←坂本城址の石碑 ↓公園の対岸に見える近江富士 (手前に水鳥の群れ)
光秀は茶の湯、連歌、詩歌などに造詣の深い文化人でもあったようです。 城址公園に光秀の詠んだ和歌のひとつが紹介されていました。 われならで誰かは植えむ一つ松 心して吹け滋賀の浦風 ■ 緑の杉玉が鮮やかでした 新酒の季節になりました。 湖東の酒造店に行くと、新しい杉玉が吊られていました。
「杉玉」は季語だと思いこんでいました が、歳時記には見当たりませんでした。 杉玉の語が入った句↓ 杉玉の新酒のころを山の雨 文挟夫佐恵 我が家の主人御用達の酒を買ってから、 いつものように近くのうどん屋さんに寄り ました。かれこれ四半世紀ほどの馴染みの 店の主人は代変わりしました。 運転手の私は日本酒には余り馴染みがな く、ここでお手当のうどんを啜りました。 ↑緑の杉玉 (2020−11−30) ------------------------------------------------------------------ 日記メニューへ トップページへ