てる爺の つれづれ日記(2022年4月) No.210 ■ 県立美術館を訪ねました 大津市にある県立美術館を訪ねました。 1984年に開館した滋賀県立近代美術館は2017年4月から4年余り休館し、昨年6 月に滋賀県立美術館と名称を変えてオープンしました。今回は初めての訪問です。 レイカディア大学陶芸科の卒業生・在校生による5回目の作品展を見学しました。 私は26期生ですが、昨年の入学生は43期生です。同期の仲間には無監査(市展で5回 特選)などの熱心な人がおり、数人がは出品してきました。落ちこぼれの私はこの作品展 には出品していません。 ←展示会場 ↓ 美術館に隣接する公園があります。 久しぶりに公園内の茶室でお茶をよばれて帰りました。 ←桜が満開だった公園(4月5日) ↓公園内の茶室 ■ 滋賀県の出世力士を偲びました 滋賀県出身の力士で出世頭は関脇の蔵間(本名・蔵間龍也、1952〜95)です。 蔵間関は最高位が西関脇(昭和53年5月場所)でしたが、相撲を愛した昭和天皇に目を かけられたそうです。天覧相撲の時、説明役についた春日野理事長に「蔵間はどうなの?」 と尋ねると」、理事長は「あれは大関になります」とお答えしたそうです。 この年の10月12日、大相撲野洲場所が盛大に開催されました。 JR野洲駅の近くで行われた巡業「蔵間関出世・大相撲野洲場所」の板番付が残っていま す。蔵間関は我が野洲市出身なのです。銅鐸博物館で記念品の展示をしています。 【特集陳列・野洲出身の力士 蔵間‐生誕70年記念‐ 5月24日まで】 ←銅鐸博物館前の桜(4月6日) ↓板番付 蔵間は昭和50−60年代に女性ファンを引き付けたイケ メン力士でした。現役引退後は1年足らず親方を務めた後、 相撲協会引退後には軽妙なトークを生かしたタレントとして さまざまなテレビ番組から引っ張りだこになりました。 蔵間は現役引退の理由を隠していたようですが、「慢性骨 髄性白血病」に侵されていました。 平成7年(1995)1月26日没 享年42歳でした。 ■ 湖北の桜並木が壮快でした 滋賀県で桜が満開になるのは、東京や大阪に遅れること1週間ほどです。 北部の奥琵琶湖周辺ではさらに1週間ほど遅れます。奥琵琶湖の湖岸に海津大崎という桜 の名所があります。 ←海津大崎の桜(4月11日) ↓ホテル前から見る海津大崎の桜 近くのホテル宿泊者には、ホテル前から遊覧船に乗れるサービスがありました。 満開になった海津大崎の桜を遊覧船で眺めてみると、実に爽やかな気分になりました。 写真を少しご紹介すると、 ・・・ あ、写真が見つかりません・・・。 実は・・・ 以前は高速道路だった湖西道路を北上してホテルに向かったのですが、 事故渋滞で2時間ほど遅れてしまい、遊覧船に乗ることができなかったのです。(涙) ←残雪の見える山 ↓湖岸道路の桜並木(4月12日) 翌日、湖岸道路を走り、びわ湖を眺めながら帰りました。 この道路は何度も走ったことがあり、道路脇に桜並木があることは知っていましたが、 満開の時期に走るのは初めてでした。 この満開の桜並木が壮快だったことはハンパではありません。 桜並木は10キロ位、少なくとも7、8キロほど連なっているのです! ■ ジュニアバンドの演奏会を楽しみました 野洲市では子供たちだけで編成された吹奏楽団が活躍しています。 小学4年から中学3年までが参加資格とされ、野洲市外の小・中学校からも多くの参加者 がいます。小学生でも上手に演奏するのに感心させられます。 野洲吹奏楽団ジュニアバンドによる「ふれんどりーコンサート2022」を楽しみました。 ← ↓ 翌日、県立希望ヶ丘公園でK高校吹奏楽部の演奏があるというので出かけました。 隣家の孫息子が出演するのです。ところが、広い駐車場は満杯で、長蛇の列が少しも進む 様子がありませんでした。この日はモーターショウがメインイベントとして設定されてい たためです。 やむなく演奏会は断念し、近くの小公園で花を眺めて帰りました。 ←近江富士近くの小公園 ↓ ■ 4月の花(4月10日) 私の借り農園は小学校と保育園への通路に面しています。 入学式・入園式の前後に、♪咲いた 咲いた チューリップの花が♪ 満開になりました。 ←借り農園のチューリップ ↓庭のチューリップ 名前を忘れた花が 庭の片隅でひっそりと咲きました...。 雨に濡れたような白い花びらが 可憐だなぁ。 ←君の名は? ↓ (2022−04−30) ------------------------------------------------------------------ 日記メニューへ トップページへ