滋賀県指定無形民俗文化財

水口(みなくち)曳山まつりのホームページへようこそ!



平成29年4月20日の祭礼は、木曜日にあたります。多くの御参拝者のもとに、盛大かつ無事故にて斎行致し度く考えて居ります。






お願い
  曳山からの落下物があるかもしれませんので、曳山には絶対に近付かないで下さい!







水口神社境内でのまつり風景

午前11時頃より曳山が順次入り、古式祭を斎行の後、大神輿(1)・子供神輿(2)・子供樽神輿(2)が渡御します。

午後7時の神輿の還御の後、曳山は提灯を灯して町内へ帰ります。







後拾遺集・・・よみ人しらず
◇笛の音(ネ)の 春おもしろく きこゆるは 花ちりたりと 吹けばなりけり
「ちりたり」は、「散りたり」と笛の譜を口ずさむ時の擬音「チリタリ」とを掛ける。

擬音・・・笛のメロディーを覚えるのに、地元では、「オヒャラ・ヒャラブル・ヒブヤー・・・ドンドヒブ・ドンドヒブ・ヒャラ・ドンドン」と口ずさみながら覚えます。そこでこの曳山(単にヤマとも言う)を「どんどひぶ」と地元では呼んでいます。

「枕草子」二〇六段・・・笛は
◇笛(フヱ)は横笛(ヨコブヱ)いみじうをかし。遠(トヲ)うより聞(キコ)ゆるがやうやう近うなりゆくもをかし。近(チカ)かりつるが遥(ハル)かになりて、いとほのかに聞(キコ)ゆるもいとをかし。車にても、徒歩(カチ)よりも、馬(ムマ)にても、すベて懐(フトコロ)にさし入(イ)れて持(モ)たるも、なにとも見(ミ)えず、さばかりをかしき物(モノ)はなし。まして聞(キ)き知(シ)りたる調子(テウシ)などは、いみじうめでたし。

笛のひびきを「竜吟(リュウギン)」といいます。

どどいつ(「おまつり」の4文字の折り込み)
◇お 「思い出すのは」  ま 「祭りの夜の」  つ 「月に輝く」  り 「リンゴ飴」

江戸川柳
◇祭の子 笑って通る うちの前…柳17
子供用の神輿をかつぎに行った子が、自分の家の前を通る時に声を掛けてやると、ちょっと照れたように、それでもうれしそうな笑顔をみせるという子供の生態を表現した句。





大神輿の出発風景です。

青年の「ワッショイ、ワッショイ」
の元気な声のもと、町内を渡御
します。
還御は、うす暗くなる午後7時です。








左の写真のように、曳山はたくさんの提灯に明かりを灯して町内へ帰ります。神社参道の松並木道を提灯がゆれながら帰る風景は、また格別です。
この帰る曳山を「帰り山」と呼んでいます。
ぜひとも、この帰り山まで、お楽しみ下さい。








毎年4月19日(宵宮)・20日(例大祭・曳山巡行)に斎行。




交通のご案内・・・JR草津線「貴生川(キブカワ)駅」乗り換え、近江鉄道「水口城南駅」下車、徒歩3分。

宵宮祭(4月19日)並びに祭礼当日(4月20日)は、神社の周辺を交通規制しておりますので、車でお越しの節は近くの駐車場を御利用下さい。

この祭の斎行日が日曜日と重なるのは、2014年・2025年・2031年です。

滋賀県下では、日野町の日野祭と同じく最多の曳山数(全部で16基)です。






水口神社より平成28年の水口曳山まつりに関する御連絡

平成28年度曳山奉納(予定)町名は以下の通りです。

@大原町(オオハラマチ)・・・・・・・・歴史民俗資料館より出庫
A池田町(イケダマチ)・・・・・・・・歴史民俗資料館へ入庫
B天神町(テンジンマチ)
C田・片町(タ・カタマチ)


以上の4基です。

纏田楽並びに曳山奉納順は古例により4月8日の「くじ取り式」にて決定します。
従って、本年度の次第書のアップは、4月9日以降となります。

尚、平成28年度の交通規制の時間帯(予定)は次の通りです。御協力をお願い申し上げます。
   4月19日・・・16時〜21時半
   4月20日・・・  9時〜21時半(30分早まることがあります)

  






水口町(滋賀県甲賀市水口町)

水口町(総面積68.93平方キロメートル)の町名の起源は郷土開発の祖である水口神社の祭神「大水口宿禰命(オオミナクチスクネノミコト)の名が地名となった説。第2は神田に蝗の発生したとき、その水口の神事をして防がれたともいわれています。また、古名を倉田荘または山直郷と称し、平安時代には美濃部の郷といって、菅原氏荘園の地であって近世まで水口美濃部の両地名を用いていました。


水口神社

水口神社は、平安時代の延喜式に記録されている式内の古社で、当地開発の祖神「大水口宿祢命(おおみなくちすくねのみこと)」をお祀りしています。江戸時代に水口宿(東海道50番目の宿場町)の繁栄とともに社殿が整備され、藩主加藤氏の保護を受け、「大宮さん」と呼ばれ親しまれています。この神社の例大祭が水口曳山祭です、
曳山は古く大嘗会の標山(しめやま)に由来するものと説かれているが、水口では享保20年(1735年)にはじめて実施されました。当時の賑わいは格別で、曳山を邸内にまで曳き入れたので、水口藩主やその家族をはじめ家臣一同適宜の場所に桟敷を設けてこれを見物したと伝えられています。

水口曳山まつり(曳山の巡行)

江戸時代、水口は東海道の50番目の宿場町、加藤氏25,000石の城下町として地域の政治、経済、文化の中心として発展しました。水口曳山祭は、江戸時代中期の享保年間この町に住む町民の力によって創り出された祭礼で、町の繁栄と町民の心意気を示すものです。この祭の特徴は、町民が楽しむばかりでなく、近郷近在からの見物客を集めるところにあり、曳山の巡行や水口ばやし等、さまざまな演出で盛り上げられます。それだけに、祭の準備も大規模となり、数ヶ月前から始められます。
4月8日には、曳山と纏田楽のお渡りの順番を決める「くじ取り式」が行われ、祭の10日ほど前には、巡行当番の曳山は「地渡り」といわれる曳き始めをして曳山の調子を確かめます。
4月19日は「宵宮祭」で、神社では神輿が飾られ、各町内では曳山に提灯を飾り付けて宵宮ばやしを奏で祭の気分を盛り上げます。
4月20日の「例大祭」は、朝に各町内を出発した曳山と纏田楽が、まずお旅所の「弟殿(おとんど)」と呼ばれる所に集まり、曳山に自慢の「ダシ」を飾り付けて一同が打ち揃って水口神社へ入る渡行が行われます。松並木を水口ばやしズムにのって渡行する曳山に桜の花が散りかかるその情緒豊かな光景は、さながら時代絵巻を見るようです。
午後からは、神事のあと神輿の渡御(神社より出て行く事)が行われ、賑わいも最高潮となります。夕刻、神輿の還御(帰ってくる事)を待って、曳山は「ダシ」を降ろして提灯に火をともし、各町内に戻って行く「帰り山」が行われ、美しい姿を披露しつつ華やかな祭の幕が閉じられます。


曳山法量表


町 名
ふりがな
全高
全長
全巾
車径
備 考
1
田町・片町
たまち・かたまち
6.20m
4.83m
3.85m
1.20m

2
松原町
まつばらちょう
5.83m
4.55m
3.10m
1.31m

3
湯屋町
ゆやまち
5.00m
3.90m
2.55m
1.15m

4
大池町
おいけまち
5.70m
4.80m
3.40m
1.50m

5
池田町
いけだまち
5.05m
3.90m
3.00m
1.33m

6
平町
ひらまち
5.73m
4.59m
3.27m
1.31m

7
米屋町
こめやまち
5.55m
3.90m
3.14m
1.35m

8
天王町
てんのうちょう
5.40m
4.10m
3.10m
1.37m

9
作坂町
つくりざかちょう
5.45m
4.84m
2.96m
1.45m

10
旅篭町
はたごまち
5.69m
3.86m
3.20m
1.30m

11
東町
ひがしまち
6.30m
4.73m
3.70m
1.39m

12
柳町
やなぎまち
5.20m
4.35m
3.26m
1.38m

13
大原町
おおはらまち
5.23m
3.93m
2.93m
1.32m

14
呉服町
ごふくまち
5.85m
4.65m
3.65m
1.35m

15
河内町
かわちまち
5.40m
4.60m
3.04m
1.38m

16
天神町
てんじんまち
5.70m
4.30m
3.40m
1.27m





享保二十(1735)年の曳山登場時の古文書(石王日記より)
◆享保二十年四月朔日条
今度大宮祭礼、格相立九ヶ村より山鉾等差出し、三十四町巡年ニ致し供奉致度旨、宿役人中地方役人中より御願申上、早速被為仰付候
◆同四月四日条
午刻水口神社御神幸如例、於鳥居前作法等畢、九番之山鉾・地方・内貴等渡物賑々敷、御幸還幸之後、天王前木戸より右山鉾入候而、美濃部小路通詞御門前迄通シ、直ニ天王口江出候畢、神主神人等迄相具し候也


関連するホームページへは以下からどうぞ。

水口囃子八妙会


                          



石王のホームページ

以上