ヤングゼネレーションに愛をこめて 万国博で考えたこと 昨年、大阪の千里丘陵に、百余におよぶ国、州、都市、企業あるいは団体の参加を得て、アジアではじめて開催された日本万国博覧会は、「人類の進歩と調和」という基本テーマを揚げ、六千万人を越える観客を集めて、その幕をとじたのである。万国博は、それぞれの時代において人類が到着し得た、文化の粋を一堂に集めてこれを展示するとともに、それによって将来の人類進歩の方向を、示そうとするものである。この会場に集まった世界の人々が、ここを共通の広場とし、言語、人種、宗教の違いを越えて、相互の理解と親善を深める光景を見て、私は、人類の進歩と調和の祭典とは、まさにこのことだと思ったのである。その万国博で、私が強く感じたことを、次に書いてみよう。日本政府館を見ていたときのことであるが、アフリカの低開発国の老人が、会場の係員に何か質問をしていた。この質問を聞いていた私は、この老人が、とてもよく日本のことを知っていることと、そのポイントをとらえた質問の内容に、びっくりしてしまったのである。それから私は、レストランに入った。このレストランは、アジアのある国の経営するレストランで、その国の民族料理を食べさせているのである。私は、このレストランの印象が、日本のレストランのそれとは、まるで違うことに気が付いた。よく観察してみると、ボーイやウェイトレスが、実によく働いているのである。お盆を持ってボンヤリしているウェイトレスなど、どこを探しても見当たらないのである。アジア・アフリカといえば、いわゆる低開発国である。その低開発国の人達の熱心さや真面目さを、これほど感じたことはなかった。この熱心さや真面目さの、原動力はなんであるのか。それは「いつまでも低開発国という汚名にあまんじてはいない」という民族の叫びなのではないだろうか。かつて、日本にもそういう時代があった。そういう時代を経て、日本は今のように高度成長し、GNP第二位というところまで発展してきたのである。しかし、その日本に生まれこれからの日本を、背負って立とうとする次の世代の若者達に、低開発国の人達に見たような情熱が、あまり感じられないのはどうしたことなのであろうか。それは、日本国民が今の繁栄の上にアグラをかいて、将来のことなどまったく考えず、弛緩しきっているからではないだろうか。貿易が自由化され、外国の安い製品がどんどん入ってくるようになったとき、日本はそれに対抗できるだけの、準備をしておかなければならないのだ。それには、まず日本国民のすべてが、低開発国に見たような情熱と、自覚をもって、国民の一人一人が考え、研究していくという意識のもとに、日本という小さいけれども、偉大な国を増々発展させていかなくてはならないのである。
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