公害を考える いつの日かホタルは帰ってくる 湖国の名物のひとつに”ホタル”があった。「あった」と過去形で書かなければならぬのは、まことに残念なことだ。守山の源氏ボタルは、天然記念物の指定をうけたほど見事なもので、野洲川のきれいな水で育ったホタルが、群をなして飛ぶさまは、夏にかかせない風物詩だった。ホタルは清い水にしか育たないというが、それほど守山周辺の水はきれいだったわけで、万葉の昔から、この守山は、”水清き里”として知られ、昔は清水池という池があり、清冽な水をたたえていたという。そんなところから、この地方には、きれいな水の場所だという吉水(よしみず)という地名があり、今でも吉身町という地名が、その名残りをとどめている。しかし、もう、そのホタルはいない―。ホタルが絶滅したのは、昭和三十五年ごろのこと。農薬と家庭の廃水が、ホタルを追ったのである。地域社会の発展のためにはやむおえないこと―と一方では思いながら、一方には、あのホタルをしきりになつかしがっている自分がいる。この想いは守山全市民の共通の想いではないだろうか。そして私は決意を新たにするのだ。真の政治とは、結局は、人間と自然が調和した環境をつくることにあるのだと―。最新の技術、経済の発展は、一歩誤れば知性のおごりになる。そのおごりから人類が失うものについて、いま、われわれは深く考えなければならない。ホタルの光りは、あるかないかの淡い光りにすぎないけれど、この光りを市民が胸のなかに抱いて、地みちな地域社会づくりを進めていけば、いつの日か、現実にホタルも帰ってこよう。いたずらな点数かせぎの”公害反対”の声だけでは、ほんとうに人間と自然が調和して生きる地域社会づくりはできないのではあるまいか。
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