公害を考える A君がみた夢 A君が東京から来訪した。A君は眉をひそめてこういう。「地球に生をうけた生物は、そのすぐれた特長で、自ら亡びていったといいます。たとえば、かつてその巨大さで地球に君臨した爬虫類は、その巨大な胃袋を満たすため、食糧という食糧を食いつくして亡びていったといいます。いま人間は地球を制覇せていますが人間の武器は”知恵”。ところが、この知恵が、原子爆弾や公害をつくり出しています。人間は自らの知恵によって亡びるような気がしてなりません。」そしてA君は、巨大なシダ類が繁茂する白亜期の地球上で、食うか食われるかの闘争を展開するブロントザウルスやテラノザウルスの奇怪な姿を、夢にまでみるという。A君は、このところちょっとノイローゼ気味。だからへんな夢をみるのだろうが、いうところはなかなかにおもしろい。たしかに、かつて地球の王であった生物は、動物たると植物たるとにかかわらず、興り、そして亡びていった。人間も同じか?この設問に対して、二つの答えがある。もちろん「是」と「否」の二つである。そして私のとる立場は「否」である。私は宿命を信じるより、人間の主体性と英知を信じる者だ。人間の主体性と英知をもって、公害を克服した実例は、いくらでもあるが、ここでは英京・ロンドンとテームズ河の話をしよう。ご承知のとおり、ロンドン名物は「霧」である。この霧は、正しくはスモーク(煙)とフオッグ(霧)が結びついた「スモッグ」である。四、五年前の冬のことと記憶するが、ロンドンで、スモッグを原因として多数の死者を出したことがあった。当時のロンドン市民は、暖房に石炭を使っており、各戸から発出される煤煙が、テームズ河から発生する濃い霧と結びついて、スモッグをつくり出す原因となっていた。ところが現在は、ロンドン名物の霧が、ほとんど発生しないという。市当局は、各戸の石炭ストーブを、石油などの非公害暖房方式に切りかえさせるため助成惜置を講じるなどの積極的な対策をすすめ、市民もこれに協力して、ついに”名物”追放に成功したわけだ。旅行者のノスタルジアは消えたが、これは人間の主体性と英知の勝利の物語りである。また、かつて汚れに汚れ、一切の生物が存在しないといわれたテームズ河も、管理者の努力、企業や市民の協力で、現在は海マスがさかのぼるほどきれいになったという。これも人間の勝利の記録である。公害退治は、やればできるのである。それも繁栄を犠牲にすることなく―。そこで、われわれ日本の場合はどうか―。人類の歴史はじまって以来最高の速度で、四つの島のホソ長い海岸に、最大の密度で、現代技術文明を開花させた日本経済は、その成果を公害の除去、環境の改善に向けることができないはずがないということだ。公害制御の技術を開発し、防除設備に投資する余力を、われわれは十分に備えているはずだ。たとえば、ひとつの例として、石油と硫黄がある。硫黄がふくまれた石油を燃やすことによって、硫黄酸化物が排出され、浮遊煤塵と複合して、大気汚染の原因になっていることは、すでにご承知のことと思うが、これを避ける、いちばんの早道は、硫黄分が多い中近東産の石油から低硫黄のアフリカ産、東南アジア産などの石油に切りかえればよいのである。しかし、私がこういうと必ず「それはシロウトの考えであって、そう簡単にはいかない」という反論があるであろう。なぜなら、アフリカ、東南アジアの石油などは、わが国の膨大な原油需要をまかなうには供給力不足だし、だいいち、悪名高い、かの石油国際カルテルが、そんなわがままを許してくれないだろう、というのだ。だが、石油国際カルテルの力は、もうむかしのように強力ではない。むしろその力は伝説でしかないといった方が、より真実に近いのではないだろうか。このことは最近の石油輸出国機構(OPEC)と石油国際カルテルの”石油戦争”をみても明らかなことだ。いってみれば、海千山千の国際石油資本の専門家たちですら、産油国側の急激な態度の変化に振り回されているのである。今度の”石油戦争”ではっきりしたことは、石油の値段は、もはや国際石油資本が決めるのではなく、産油国が決めることになった、という点である。産油国はこれを、「過去十年間の、植民地的契約条項の是正だ」としてるし、彼らは、消費国との直接取引を希望している。世界第二位の石油消費国であり、世界最大の輸入国のわが国は、もう国際石油資本だけを相手にしていたのでは時代おくれだ。すでに西欧の消費国は産油国との直結を策しているようで、好むところから好む石油を買う時代は、すぐそこまで来てるといえる。したがって、この面から公害石油の追放が可能な時代に入っているのである。また、もうひとつの明るい見通しとして、沖縄大陸棚原油の採取がある。沖縄大陸棚原油は、東南アジア産と同じに、非常に硫黄分が少ないといわれている。これらの対策をとることで、石油輸入構成を全体的に低硫黄化することが可能になる。もし、これらがスムーズに運ばないとしても、とる手段がないわけではない。直接脱硫、間接脱硫、排煙脱硫の技術を開発し設備をつくり、あるいは火力発電などは、原油の生だきなどの手段がとれる。このような技術革新による公害防止は、なにも石油にかぎらない。たとえば粉末冶金という製鋼法がイギリスなどで注目されているそうだが、これは煤煙や有毒ガスを大量発生させた従来の圧延法にかわる方法で、しかも良質の鋼が、ローコストでできるという。この二つの例からもわかるとおり、一見、二律背反にみえる公害と経済発展を両立させる手段はいくらでもあるといえるのだ。むしろ、公害が人間の不誠実、無知、不勉強、不注意、軽率などという因子に根ざして発生してくることの方が問題である。公害防止には一見したところ大金がいるかのようであるが、他面において必ずそれを償うものが現れるといえよう。くりかえしていうが、70年代の十年をかけて、公害を制御し、社会資本の整備を計画し、それを実行することは、技術的にも、経済的にもそれほど困難な問題ではない。さて、十年後のある日、A君はどんな夢をみるか、私には楽しみだ―。
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