公害を考える

告発の年よさようなら 解決の年よこんにちは
70年は公害告発の年であった。―水俣病事件、阿賀野川第二水俣病事件、神通川イタイイタイ病事件、四日市ぜんそく事件、富士ヘドロ事件、安中鉱毒事件などなどの大公害事件をはじめ、日本列島の津々浦々に、公害告発の声が高かった。全国紙をはじめジャーナリズムは、公害告発のキャンペーンをくりひろげ、「昭和元禄」とかの繁栄に酔っていた国民は、繁栄の所産である公害の頻出に、暗い奈落を見る思いだった。繁栄と公害は楯の両面である。この意味でいえば、公害告発は、それなりに意義がありジャーナリズムによるキャンペーンも、それなりに成果をあげたといえよう。しかし、公害告発のなかには、ヒステリックな声があまりにも多くなかったろうか、公害告発は時代の”錦の御旗”であるから、私が、そのなかにヒステリックな声を認めても沈黙している方が、あるいは賢明なのかもしれないが、それを承知で、敢えていわしてもらうことにしよう。さて、公害告発のなかのヒステリックな声とはなにか、といえば、その最大のものは、公害をふくめて経済成長のもたらしたもろもろのヒズミを「国家独占資本主義」とか「アメリカ帝国主義」とか「体制」とか「GNP(国民総生産)」のせいにしてしまう思考である。これは更年期障害にかかった中年後期の女性のヒステリーよりしまつに困る。なぜしまつに困るかといえば、まず、その論旨の根元は、「一点思考」にあるからだ。一点思考とは、いろいろ考えをめぐらすことがめんどうくさくて、固定観念にショートしてしまう病理現象をいうが、これが現代の流行とはいえ、相当の知識人にもこの病理現象が顕著に現れているのは、たいへんに危険なことだといわねばならぬだろう。一点思考の行きつく先は、集団ヒステリーによる「思考ファシズム」ということだ。話はちがうが、ナチスドイツのアウシュビッツなどにみるユダヤ人虐殺などは、「思考ファシズム」の代表的な例であろう。つぎなる代表は、反経済成長主義ともいうべき思考だ。彼らは叫ぶ「くたばれGNP」と。第三に登場するのは、反企業主義。公害企業の地元にこのタイプが多く、公害企業をその地域から追い出せば問題は解決するという、地域エゴイズムになりやすい思考である。公害告発の大部分は、真剣で、切実な声であるが、それに便乗しているヒステリックな声を分析すると、およそ以上の類型に分類できるようだ。そして、その諸類型に共通していえることは、いずれもが、その結末は、客観的にみれば、あまりにも無残な”不毛”ということである。まず第一の、公害の元凶を、資本主義の利潤追求にあるとする思考だが、もしそれが正しいとするならば、社会主義国には公害がないということになるだろう。ところがそうは問屋がおろさない―。ソビエトの例では、世界一の澄明度を誇ったバイカル湖には製紙ヘドロがたまり、母なるボルガ河やカスピ海が汚染され、モスクワの大気汚染度が、東京、大阪なみだという―。なぜそうなるか、公害が現代資本主義体制の必然的結果ではなく、高度技術社会、工業化社会の必然の産物であるからそうなるのである。勉強が足らないせいか、まだ中共の公害の実態について知らないが、工業化社会の建設がすすめば、とくに解決への手段が講ぜられないかぎり、実態は同じだろう。第二の「くたばれGNP」という思考だがこれは、「病人をなくするには病人を殺すことがもっともよい療法だ」というのと等しい。もともと高度技術社会、工業化社会など存在しなければ、経済成長もあり得ないし、公害などあり得ないことだが、そのかわり経済的繁栄もあり得ない。そして歴史の歯車を逆転させることは絶対に不可能なことだ。第三の反企業主義は、観念的な前二者にくらべて、はるかに切実な要求だといえるが、かりにその地域から公害企業を追い出したとしても、公害企業が人跡絶えた地域にでも引越さないかぎり、ほかの地域に公害を拡散させるだけだろう。この考え方は、ともすると地域エゴイズムにおち入る危険があるといえるのだ。一方いったん企業を地域社会に組み入れたからには、それがその地域社会の構成要員として、地元と深いかかわり合いをもってくるという事実も無視できない。ひとつ間違うと公害企業を追い出すことで、その地域社会が崩壊することだってないとはいえないだろう。これは公害問題ではないが、エネルギー革命で火の消えた筑豊炭鉱地帯の場合が、地域社会と企業との関係の実物教科書である。かって石炭景気にわいた筑豊炭鉱地帯は、いま文字どおり”ゴーストタウン”であるのだ。いずれにしても、公害企業を地域社会から追放しても、真の解決になり得ないことは明らかなことだろう。以上ヒステリックな声々に、共通して欠けているものはなにか、それは人間の主体性であり理性であり英知である。真に重要な問題は、公害を体制の必然悪とか経済成長の結末とか工業化社会の逃れられない宿命だとして、あきらめたり失望したりすることではなく、人間らしい”暖かい心”と”冷静な頭”とを失わず、公害をいかに科学的に分析し、いかに合理的に克服するかにあるのである。公害キャンペーン華々しかった告発の年70年はすぎた。71年は解決の年である。「告発の年よさようなら、解決の年よこんにちは」である。混乱のあとに秩序が生まれ、国民の英知に支えられてわが国は、公害のない繁栄を必ず手にすることができるだろう。そして、その新しい世紀を切り開いていくのが、政治に課された最大の責務であるといえるのである。