環境 

自分が汚いと思うものが他人にとってきれいなもの?
〜昔は当たり前だったことまで失ってしまった私たち〜
トレンディという言葉はあまり好きではないのですが、あえて使わせていただきますと、今の社会で最もトレンディなものといえば「環境問題」でしょう。政治家が福祉と並んで最もよく口にする問題です。しかし、ここにも先程から述べてきた問題が潜んでいます。実を言えば日本で最初にゴミの分別収集を提案、実施の持ち込んだのは私(ちょっと自慢話っぽくてごめんなさい)。昭和57年から守山市で開始されました。その後、高知市や愛媛県観音寺市へ広がり、最終的に全国に普及し始めました。私はスクラップ業をしていたので、ゴミの実態を知っていました。資源は有限であり、少なくとも缶とビンとその他のゴミはわける必要があると痛感していました。また、同時に住民のみなさんが持っておられる『問題点』を目の当たりにしています。それは、こんな簡単な分別収集なのにそのルールを守らない人がほとんどだということです。裸のまま放り込まれた紙オムツ、生理用品・・・・・・分ける分けない以前の状態でゴミが出ています。集められた段階でどうなるかご存知ですか?実は現場で作業員の方が「手」で分別しているのです。自分が出した『汚いもの』は他人にとってきれいなものでしょうか。もっと汚いに決まっています。ちょっとした心がけで、きちんと分別して出していただければ、現場での手作業による分別も必要ありません。ゴミ処理にかかる経費も減ってきます。イヌの散歩だって似たようなもの。さすがに、みなさんビニール袋を持ち歩いてフンを処理されるようにはなりましたが、そのフンを入れたビニール袋を周辺にポイと捨てる人が後を断ちません。ここに欠けているのは一体何でしょう。環境事業の予算でも施設でもありません。ゴミを出す人、イヌを散歩させる人の「心」ではないでしょうか。地球規模の環境問題だって身の回りから始まります。「人がやってくれる」ではなく「自分からする」。一人ひとりがゴミを減らし、分別して出し、家の周りをきれいに保てば事態はぐんとよくなるでしょう。ここでも、政治と行政は「自分でしようとする」人のサポートをするのが役割となります。私は、そのための努力を惜しみません。

◆環境の具体策
・ゴミの減量化、ゴミ分別についての周知徹底
・環境にやさしいまちづくり
・市民自らの創意工夫による環境づくり