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クラブ紹介
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CLUB [GAZ]は、ここから始まりました。


  あとがき

   最初の予定では、我々は「肉体的・精神的対決としてのクライミング」という見出しの最終章を

  書くつもりでいた。しかし、結局それはあまりに知的問題であり、クライミングにおける世界観を

  構築しなければならぬ羽目に陥る危険があった。したがってここでは、観念的になることを避けて

  スポーツ科学では律しきれないクライミングの一側面についてのみ簡単に触れることにした。

    

   クライミングは、おそらく他のほとんどどんなスポーツにも増して精神的な、またそれゆえ知的

  な挑戦である。クライミングほど運動形態とその可能性が多様なスポーツは、ほかにないだろう。

  まったく同じクライミング・ルートは世界のどこを捜してもないのだ。それとは反対に、器械体操

  の演技はミュンヘンでもロサンゼルスでもモスクワでも同じである。そしてまた、あらゆるクライ

  ミング技術を完璧にマスターし、体力条件を最高に整えたとしても、ある一本の最難ルートにおけ

  る成功はまだ保証されたわけではない。なぜならそこには、肉体的ファクターを支える精神が参加

  しなければならないからだ。初見(未知)の登攀箇所の「チェスの問題」を解くのは精神である。

  精神が長年の運動体験の蓄積の中から、当面の箇所に最も類似した動作パターンを瞬時に呼び出し

  それから行動によってそれを現実する。したがって、初見ルートのクライミングは常に創造的行為

  であり、芸術行為とすら呼べる。クライミングにおける創造的要素の頂点は初登攀である。このと

  きクライマーは自分自身の足跡を遺産として残すことになる。つまり、そのルートには、クライミ

  ングに対する自分の考え方が反映され、ライン選択、岩の与える物すべての完璧な利用、あらゆる

  確保の可能性の追求等における自分の創造力が反映される。初登攀は、まだ触られたことのない岩

  場にクライマーが描く絵であり、永遠に残るものである。

 

   あまりに多くのクライマーが、フリー・クライミングの挑戦目標を、単に測定可能な要素、つま

  りグレードにのみ集中させている。クライミングもたしかに他のスポーツ同様、業績と数字によっ

  て成り立っている。そしてその業績は疑いもなく肉体と精神の複合的行為の所産である。しかしそ

  れにしても、「フリー・クライミング」の世界の体験は、グレードという数字の枠内だけでとらえ

  られるべきものではないと我々は考える。世界には数えきれないほどのクライミング・エリアがあ

  り、そのどれにも独自の特徴と特殊な条件と魅力的な景観がある。だからこそ、どのクライミング

  エリアもグレードの数字の狭い枠をはるかに越えて挑戦のしがいがあるのだ。クライミングの真骨

  頂は、新しいルートを求め、未知の課題に取り組み、そこで繰り返し自分自身の創造力を検証する

  ことにある。未知のエリアを旅するごとに、我々は自分たちと同じ理想と世界観を発見したクライ

  マーに出会う。個性豊かな人々が同じ精神を共有していることで知り合い、心のミニュケーション

  ができ、仲間の輪が無限に広がっていく。我々は、クライミングを通じて大部分の友人と知り合え

  たと誓って言える。

 

   何年も夢中にクライミングをしている者なら必ず、旅行に出かけて新しいことを知りたいという

  抑えがたい欲求の中毒となった経験があるだろう。旅と人々と他国に「中毒」になっているからこ

  そ、我々は創造力を最大限に働かせ、常に未知のクライミングの可能性とエリアを求め続ける。

  一つの目標を発見し、それに到達した瞬間に私たちの頭にはもう次の目標が浮かんでいる。私たち

  の最終目標となるような登攀旅行など決してないだろう。ありがたいことだ!仮に最終目標のルー

  トを発見し、登攀してしまったら、何をしたらいいのだろう?ほかのスポーツにでも移るしかない

  のだろうか・・・・ クライミングは究極的にはきわめてロマンチックな人生観である。そこでは

  自分の体験の無限の可能性の前に、スポーツとしての業績や個々のグレードの価値は突然色あせて

  しまうのだ。

 

   我々は、本書が読者のスポーツ的能力向上への道標になることを願っている。しかし同時に、読

  者がクライミングを実践することで、このスポーツの多様な側面を発見し、業績主義やグレードを

  はるかに超える体験を獲得してくれるよう祈っている。

 

                                ヴォルフガング・ギュリッヒ

                                アンドレアス・クービン

           山と渓谷社『フリー・クライミング上達法』あとがき より原文のまま  


   いきなり「あとがき」とは、こりゃどうしたことかと思われた方も居られるでしょう。でも、この「あとがき」が CLUB [GAZ] の、はじまりにしたいんです。長年クライマーをやっておられる方は、すでに読んだ とおっしゃるでしょう!最近はじめた方やこれからという方には、なじみがないでしょうが、日本での第1刷が1988年だから、W・ギュリッヒとA・クービンが書いたのは、さらに遡って今から16年ほど前ということになりましょうか。

 クライミングをはじめたころ、この滋賀というクライミング僻地でなんの情報もなく、ただうまく登りたいと思う日々を送っていた私に、書店でいくら多くの書籍があろうと、『フリー・クライミング上達法』というタイトルを見逃すはずありませんでした。これで自分も近い将来、5.13クライマーだと喜んでみたものの、ページをめくるほどに希望は遠のき、逆に半絶望感が支配していったのです。そこに書いてある内容は、当時 5.10 をヤッサモッサしていた私には大変レベルが高く、また必要のない技術が記されていました。それなれば、とトレーニングの項を開けば、そのトレーニングをするために、トレーニングしなければならないありさま! (今もあんまし変わっとらんが)すぐにこの本は、本棚の一構成員となってしまいました。

 それでも暇な時に、時々読み替えしたりしていました。読むほどにクライミングのきびしさを再認識していました。そのたびにこの「あとがき」を読み返し、なぜかこの文章に引かれていったのです。クライミングをする者は、だれしも壁に当ります。ルートの攻略ができない、登攀グレードが上がらない自分の身体能力の限界、はたまた生活状況の変化からくるレベルダウンなど、それは人によって千差万別です。えもすると目標を失って片寄ったクライミングを実践してしまったりで、クライマーは常に悩んでいるのです。

 でも、それでも登りたいのがクライマーなんです。クライマーは、やっぱ岩に登ってなきゃ!みなさんゴチャゴチャ言ってないで登りに行きましょうよ。そしてこの一文が、何かしら我々を正しく導いてくれそうな、そんな気がするんです。

 悩み多きクライマーのみなさん、今は亡きW・ギュリッヒですが、その足跡を今一度捜し、辿ってみませんか?

 今は、答えはありません。それを考えていくのが  CLUB [GAZ] です。