明治初年、鉄道の開通や欧米文化の浸透等で大津絵の衰退が著しく、初代 松山等がその復興を願い三井寺参道にて大津絵の店を構える。やがて大津絵 の店一軒(高橋家)になる。 昭和7年現松山氏生まれる。本名文平。二代目松山が大津絵の行く末を案じ、 近松門左衛門の芝居「吃の又平」にあやかり、又平に点一つを加え、文平と命 名。 昭和27年京都美術工芸学校卒業後、父の病気のため画業修得に従事。30 歳にて四代目高橋松山 を襲名し、現在に至る。
松山等がその復興を願い三井寺参道にて大津絵の店を構える。やがて大津絵
の店一軒(高橋家)になる。
昭和7年現松山氏生まれる。本名文平。二代目松山が大津絵の行く末を案じ、
近松門左衛門の芝居「吃の又平」にあやかり、又平に点一つを加え、文平と命
名。
昭和27年京都美術工芸学校卒業後、父の病気のため画業修得に従事。30
歳にて四代目高橋松山 を襲名し、現在に至る。