俺は休日の過ごし方が下手らしい。
 やりたい事といえば、普段出来ない正午をまたいでの睡眠くらいだ。
 今日のように暖かい日はそれに適している事この上ない。
 そんな事をぼんやりと頭の片隅で考えながら、布団の中でゴロゴロと惰眠を貪っていると、
 枕元に置かれた電話の子機がけたたましく鳴り響いた。
 布団に潜ったまま、手だけを伸ばして受話器を取ると―――聞こえてきたのは以外な声だった。
 
「もしもし、水森ですが」
「んぁ…」
「起きてます?」
「…今から起きる」 
 
 もそもそと布団から這い出た。
 時計を見ると、13時過ぎ。
 …少々寝すぎたな
 
「おはようございます、神條さん」
「ああ、おはよう」

 昼過ぎの「おはよう」に苦笑しながら窓を開けた。
 眩しい日差しが飛びこんでくる。

「で、どうした。水森から電話もらうなんて思ってなかったから驚いたよ」
「そうですか」

 昨日の行為については、あえて触れなかった。
 というか、思い出すのが恥ずかしいだけだったりもする。
 多分、向こうもそれは心得ている筈だ。

「電話番号は美月から?」
「ええ」

 なるほど。確か以前から友人だって云ってたっけな。
 昨日の朝の美月の話を思い出しながら、階下への階段を下る。
 
「えぇと、ですね神條さん」
「ん、なんだ?」
「今日、少しだけ付き合って欲しいのですが」
「付き合うって」
「その付き合うとは違います」

 俺がボケることを予測して、先回りのツッコミを放つ水森。
 …ボケ潰しはご法度だと思う。

「で、何に付き合えばいいんだ?」
「特に何をするというわけでもないですが…」
「ん」
「一緒に、行って欲しい場所があります」
「森のあの場所?」
「ちょっと違います。」

 『ちょっと』ってなんだと思いつつダイニングのテーブルに置き去りにされたコーヒー―――昨日の残りに手をつける。
 夜の空気で冷え切ったそれを、恐る恐るすする。
 香りはすっかり飛んでしまって、お世辞にも美味いとは云いがたいが、それでも脳の覚醒要素にはなる。
 
「―――よろしいでしょうか?」
「んぁ?」
「その…今日の」
「ああ、来てくれるかっていう話な。いいぜ、用事もないし」
「ありがとうございます」

 受話器越しにでも判る、ほっとしたような声だった。
 連鎖的にこちらの頬も緩む。
 
「それでは、今から…だと少し早いですね。15時に昨日のあの場所で、それでよろしいですか?」
「ああ、構わない」
「ありがとうございます。それでは後ほど」
「おう」

 そう返答した後、電話は切れた。
 昨日のあの場所―――そう云われて昨日の水森との…くちづけを思い出す。
 なんでなんだろうな…
 水森には別段嫌われてはいないだろうけど、好かれてもいない気がする。
 それにその前後に彼女が口走った言葉もよく判らない。
 
「ま、いっか…」

 それを今日説明してくれるのかもしれない。
 深く考えるのはよそう。
 そう決めて、俺は着替えるべくまた階段を上がっていった。
 
------------------------------------------------------------

 風が吹く。
 街の喧騒から離れた遠い場所。
 俺はベンチに座って水森が来るのを待っていた。
 
「寒いな…」

 春の気温、なんてもんじゃない。
 異常気象っていえるくらいの寒さだった。
 また雪ぐらい降ってもおかしくないよな…
 そう思って空を仰いだ。
 
「寒いな…」

 もう一度呟く。
 口に出してみることによって一層体感温度は下がった気がした。
 
「来なけりゃよかったかな…」
「そうですか」
「うわっ、水森!?」

 いつの間にか目の前に水森が立っていた。
 全然、気付かなかった…
 
「いや、今のは冗談というヤツだ。うむ」
「そうですか」

 興味なさげにそう吐き捨てて、俺の横に座ったかと思えば、以降彼女は黙り込んで何も話しはしなかった。
 
「水森?」
「…」
「みーなーもーりー?」
「…」

 答えない。
 彼女は依然として、目を閉じ、何か考えこむように沈黙を保っている。
 俺は彼女にかける言葉も浮かばずに、ただその沈黙に流されるだけだった。 
 …
 ……
 ………
「これから」
「ん?」
「これから話すこと、多分今のあなたには信じられない事だと思います。それでもいい。ただ最後まで聞いていてほしい。たとえ信じられなくても、私が云う事を嘘だと思っても。心のどこかに留めておいてさえくれれば」

 そう云ってじっとこちらを見つめる水森。
 強い決意を感じずには要られないその様子に、俺はただ頷くだけだった。
 それを確認すると、一瞬だけ表情を緩めて、だけどすぐに表情を引き締めて、ゆっくりと口を開いた。 
 
「この街に…いえ、この世界に住む人々は、まもなくその活動を停止するでしょう」
「……」
「死ぬ、ということです」
「なっ……?」

 正直、覚悟はしていた。
 水森の前置きからして、俺の理解できないようなことが語られるんだろうな、くらいには。
 だが、俺のそんな覚悟など軽く吹き飛ばすくらいに、今の水森の言葉は突拍子もなかった。
 まもなく皆死ぬ?
 何の根拠があって? 何の為に?
 
「そんなこと―――」

 あるわけない。
 云いかけて口をつぐんだ。
 水森の話はまだ終わっていない。
 最後まで聞くと約束したから、途中で俺が口をだすわけにはいかなかった。
 
「すまん、続けてくれ」
「はい」

 ……俺は深く深呼吸をした。
 それはさっきよりも大きな覚悟。
 どんな話を聞かされても、俺は頭ごなしに否定したりしない。
 そんな密かな覚悟だった。
 
「100年も昔の話です……ある一人の天才科学者が居ました。その科学者はとある施設で、とある研究をしていました。研究の名前は『永久機関』と、そう呼ばれていたんです。『永久機関』―――その名前が意味するところは『永遠の命』、時の権力者が望んだ禁断の研究。」

 今した決意がいきなり揺らぎそうになったことなど、彼女は気付かずに続ける。

「だが、そんなに容易く『永遠の命』は手に入らない。研究は停滞していた。そんな中、一つの事件が起こりました。
先述した天才科学者、研究のリーダーが自殺したんです…」

 何故かその部分を云う時だけ微妙に声のトーンが落ちる。
 表情を伺うと、水森はひどく哀しそうな顔をしていた。
 
「そのリーダーが亡くなっても、『永久機関』の開発は続きました。しかし全権をその科学者が握っていたため、研究は完成に向かうどころか迷走をはじめた―――『永久機関』は完成どころか、未完成のまま実用に移されたんです」
「つまり、それは…」

 俺が云わんとする事を予測したのか、水森はゆっくり頷いた。 

「未完成の永久機関は、やがて一般にも広まって……今に至ります。現在生きている人々は永久期間によって生かされている―――偽りの人形なんです。だから『永久』は『永久』足り得ないんです。そして、間もなくその寿命がおとずれる」
「………」
「話は終わりです」

 沈黙が辺りを包んだ。
 俺は頭ごなしに否定するどころか、すっかり彼女の話を受け入れてしまっていた。
 馬鹿馬鹿しい。ありえない。
 そういえば簡単なのに、つまらない事で苦悩する必要なんてないのに…
 否定しろ。
 俺の中の何かがそう命令を発する一方で、心の奥底で”そのこと”を容認している何かがいた。

「水森」
「はい」
「…俺もそうなのか?」
「……」
「……俺もその人形なのか?」

 水森のまた悲しそうな表情。
 
「なぁ……答えてくれよ?」
「あなたは…」

 ともすれば今にも泣き出しそうな彼女に、俺はどうする事もできなかった。
 俺は何かに辛く当たることでこの突拍子もない現実から逃げ出そうとしていたのかもしれない。
 このことを信じている自分がいる一方で信じていない自分がいる。
 水森は何も悪くないことなんて、とっくに判っている筈なのに。
 
「あなたは―――」

―――あなたとわたしは唯一の例外

 判らなかった。
 何が本当で、何が嘘で。
 何が現実で、何が虚構なのか。
 判らなかった。
 俺は誰で、水森は誰なのか。
 
 全てから逃げてしまえれば楽なのに……

-----------------------------------------------

back