カタカタカタ
 
 誰も居ないこの部屋に、キーボードを打つ音だけが響く。
 もう、何日目になるだろう。
 研究員を全て殺して、この部屋で神條先生の再構築を始めてから。
 時の感覚は忘れた。
 この研究を続けるために自らの身体さえも作り物に変えてしまってから、そんな感覚必要無くなっていた。
 時は永遠に刻まれ続ける事になったから。
 
 カタカタカタ
 
 指を滑らせてキーをタイプする。

―――おはようございます、神條先生

 そう入力されたメッセージは、コンピュータ内の『永久脳』―――神條先生が生前に開発していた
 『人の知識、記憶など。そう云ったものを単純化して電気的信号に変換する』システムに送られる。
 今コンピューター上に存在しているデータは”神條弘耶”のもの。
 肉体が完成したあとでこのデータを脳に移すことで”神條弘耶”の再生と成り得る。
 
―――この部屋は、じめじめしていて嫌いです。

 馬鹿だろうか、私は。
 こんな電気信号相手にメッセージを送っているなんて。
 寂しいの?一人で居ることが。
 それとも、もう死んでしまった想い人と会話している気分に浸っている?
 判っているのかもしれない。
 このデータも、肉体も、完成させたところで”神條弘耶”足り得ないことを。
 所詮は作り物、偽者。
 判っているのかもしれない。
 
―――馬鹿ですか、わたしは? 

 馬鹿と云ってほしかった。
 
 
------------------------------------------------------------

 カタカタカタ
 
―――おはようございます、神條先生。

『うぅむ、先生はやめてくれよ。柄じゃない』

―――なら、神條さんで。

『ああ、それで構わないよ』

 私は何をやっている。
 何をしたんだろう…?
 
―――考えてみたんです。神條さんが『生き返ったら』私は何をしようかって。
 
『何をするんだい?』

 ああ、そうだった。
 データを改変して、擬似人格として独立できるようにしたんだ。
 一方的にデータを送るだけじゃなくて、コンピューター上で神條先生と会話できるように。
 知識は共有しているけど、性格はプログラムされたもの。
 多分、”彼”自身も自分は擬似人格である事を認識しているはず。
 わたしの為に作られた体のいいオモチャ。
 
 本当に、馬鹿だ。

―――学校に行ってみたいです。神條さんと。

『それは面白いな』

―――何気ない顔で、他人のふりをして。同級生として二人は出会うんです。

 こんなこと、やめないと。
 虚しいだけだ。
 …やめないと。
 
―――すべてが真っ白な状態から、二人は親密な関係になっていって…

 キーを打つ手は止まらない。
 
―――幸せになるんです。それこそ永久に。 

『なるほど、それは面白そうではあるな』
  
―――でも、それならもう少し若者らしい喋り方をしてほしいですね。

『ひどいな、それではまるで私が若くないみたいではないか』

―――違うんですか?

『むぬぅ』

 会話は続いていく。
 とりとめもない話。
 施設で研究していたあの頃に私がしたかった話。
 あの頃に置き忘れてきた会話。 
 虚しさと、哀しさが胸を一杯にしていたけど、私は文字の対話をやめなかった。
 
------------------------------------------------------------ 

 カタカタカタ

―――おはようございます、神條さん

『おう、おはよう水森』

 いつからか、擬似人格の神條先生…神條さんの口調は16、7の少年のものになっていた。
 私がいつか語った”高校生の神條さん”という願望を反映するように。
 
―――今日は街まで行ってきました。

『出不精の水森にしては珍しい』

―――永久機関の動作確認のためです。もちろんこっそりですけど。

『なるほど』

 研究所が燃える前に誰かが持ち出した永久機関の書類から、誰かが永久機関を実用化に移したらしい。
 人類の新たな時代の幕開け、などと大々的に宣伝されていたけど…
 
―――馬鹿馬鹿しいです。

『何がだ?』

―――”人類皆作り物”いつかはこんな時代が来ると思っていましたが、実際に目の当たりにすると本当に馬鹿馬鹿しいです。

『俺もお前も、じゃないのか?』

―――そうですね。違いないです。

 馬鹿ですね、私達。


------------------------------------------------------------



カタカタカタ

―――神條さん。

『なんだ?』

―――あなたを、凍結します。

『唐突だな』

―――これは所詮夢だから。わたしの妄想だから。偽りの日々には別れを告げないといけないんです。

『…そっか。なら仕方ない』

―――でも、楽しかったです。本当に。  

『俺もだ』

―――

 
 消去の手順を打ちこんでいく。
 画面に最後の確認を問う文字が流れる。
 
 …
 ……
 ………
 
 なんで泣いてるんだろう、わたし。 
 
 擬似人格に失った時間を埋めてもらった。
 滑稽にも程がある。
 なら、何故泣いているの? 
 このオモチャに愛着でもわいた?
 気が遠くなるほどの時を”彼”と過ごした。
 知識こそ神條先生のものであれど、人格は別物。
 ”彼”は神條弘耶じゃない。
 ニセモノ。
 ニセモノなのに…
 
 わたしはこうして泣いている。
 別れを惜しんでいる。

 彼はニセモノ。
 だけど、ホンモノ。 
 わたしの寂しさを埋めてくれた、ただ一人のひと。


 わたしは彼に―――恋していたのかもしれない。  
 


-----------------------------------------------------------------


「―――だから、あたしは馬鹿なんです」

 一晩かけて過去の顛末を告げ終えて、わたしは大きく溜息をついた。
 ずっと喋りつづけていたから、喉がからからだ。
 疲れた。
 
「…そっか、だから水森は馬鹿か」
「はい」

 あれからわたし達は、場所を移した。
 いつまでもあの研究所の近くにいるのも、なんだかみっともない気がして。
 燃え続ける森を避けるようにして、街中をぐるぐると歩き回っていた―――昔語りをしながら。
 
「憎いですか?」
「何が?」
「わたしが。あなたをこの世に生み出したあたしが」
「なんで?」

 彼は本当に不思議そうに首をかしげて、笑った。
 わたしは言葉を失い、ただじっと横顔を見つめた。
 何を考えているか判らないのは、昔からちっとも変わってない。
 
 わたしは、この人が好きだ。
 神條博士は初恋の人。そしてこの人は二人目に恋した人。
 二人は一人で、どちらも神條弘耶。
 どちらが本物かだなんて、判らない。

「わたしは、勝手に恋してます」
「ん?」
「勝手に好きになって、勝手に貴方を引っかきまわしています。運命も、その身体も」

 この舞台も、わたしが作ったものに過ぎない。
 全ては作られた世界。
 ―――愛して、いいのだろうか。 
  
「何を悩んでるのか判らないけど。俺はお前が―――」

 言いかけたその言葉を、わたしはまた遮った。
 
「神條さん。その感情はプログラムされたものかもしれませんよ」
「さっき話してたこと、か?」
「そうです。貴方の心はわたしが作ったものです。あたしのことを好きだと言う感情も、それはわたしが勝手に作ったもので、貴方の意思でないのかもしれませんよ?」
「―――はぁ」

 彼は大きく溜息をついた。
 落胆したと云うよりは、呆れたようなそんな表情で。

「お前はそんなことでまだ悩んでたのか」
「そんなことって、そんな云い方はないです」
「そんなこと、だよ水森。そんなことは―――」
 
 彼は腕を伸ばし、西を指差した。
 あっちは―――

「もう終わってる」 
 
 研究所だ。きっともう燃え尽きてしまったあの場所。

「思い出も、過去も、何もかも焼けた」
「…」
「忘れよう、全部。」
「……」
「強引かもしれないけどさ―――もう、これからの俺たちにそんなものは必要ないと思うんだ」
「……」
「真っ白な世界、だよ」

 真っ白な世界―――何も要らない世界。
 過去も記憶も、来歴も、全てが必要のない世界。
 そう云いたいのだろうか?

「判りません、善く」
「判らなくて結構。俺もよく判らないままに発言してる」
「……変な人」
「やっと気付いたか?」
「…もう」
「判らないなら―――ついて来てくれないか?」

 この真っ白な世界は何処までも続くから、と。
 彼はそう云った。
 わたしの過去。
 色々なものに汚れて確かな形も判らなくなってしまったわたしの過去は――― 
 
 燃えてしまったから。 

 だから。

「一人で歩くには寂しすぎるんだ」
「わたしは―――」
 
 だから、わたしはついて行くしかない。
 これからのわたしを証明するもの。
 わたしが生きていく上で必要なもの。
 
 未来はこの人の傍にしかないんだから。
 
「―――お供します」

 そう答えると、彼は照れくさそうに笑って、空を見上げた。
 真っ白な空だった。 
 何もない。何も見えない。ただ一面に広がる白。 
 
「これから、何する?」
「―――お任せします。お好きなところで、お好きなことをしてください」

 そっけなく答える。
 
 
「………適当だな…」
「だって関係ないじゃないですか。何をしても、何処にいても―――」

 ギュッ、と。
 握った手の温かみを感じる。
 どれだけ時の流れを経ても、何度この身体を失っても
 何よりも確かなこの体温。
 
「わたしはずっと笑っていますから」

 そうだ―――笑っていよう。
 
 この白い世界に笑顔一つ、それだけがわたしの所持品であればいい。

 あとはただ、歩こう。
 足跡をつけて。
 この白い世界を、何処までも続く無限の終わりを。
 
 
 二人分の足跡を、残しながら。

-------------------------------------------

fin




BACK