アメリカの金融危機 その意味するもの

 サブプライムローンに端を発した今回の世界的金融危機について、何人かの会員から「会長はどう考えているのですか」「解説してください」と言われました。その道のプロでもない私の意見を聞きたいと話しかけてくる…やはり嬉しくなりますし、また奮い立つものがあります。そして有り難いと思います。果たして私の意見が正鵠を射たものかどうか正直言って分かりませんが、できるだけ歴史的な目でとらえ、私なりに自分の頭で考えたことを大胆に(いつも大胆な意見ばかりではないかと言われそうな気もしますが)、できるだけ分かりやすく書いてみたいと思います。

住宅ローンがきっかけで

 まずはじめに「金融危機の実体」をお話します。
 昨年の8月頃、アメリカの庶民向け住宅ローンを基にした債券「サブプライムローン」というものが大きな損失を出しそうだと米国及びヨーロッパの金融筋で表面化されました。
 アメリカは世界一の経済大国です。東京でもこれがニュースとして取り上げられ、また香港の友人も「危ない。かなりの損失が出る」と慌てて知らせてきましたから、米国以外のマスコミでも取り上げられていたようです。しかしこの時点では、まだEUなどの状況について詳しいことは分かりませんでした。
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 世界経済をリードするアメリカでは、住宅の販売に関して流通する資金が、何十年と続いてきた消費景気を支える大きな柱の一つとなっていました。ところが買えばまた上がるという住宅ブームで二倍以上値上がりし続けた住宅価格は、一転、この一年急速に値下がりに転じたのです。
 米国の住宅資金の融資方法は、住宅価格よりも多額の資金を融資するというやり方です。家を買おうとする者は「住宅資金」の名目で、住宅そのものに必要な資金以上を借り受けてローンを組み、自動車など他の消費にその金を回す。そんなやり方をしてきました。
 アメリカ国民は、住宅資金を様々な消費に当てて生活していると、私はこのとき初めて知りました。
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 このサブプライムローンですが、日本語に直せば「(サブという位置付けなので)信用力がメインと(なる證券に)比べて弱い證券」とでもいうことになりましょうか。具体的にいうと、ヒスパニック、黒人、白人低所得者を対象に、本来ローンの対象にならない人、銀行口座もない、定職がないなど日本ならば全く融資の対象にならない人々にも銀行は金を貸したのです。
 アメリカにはローン斡旋業者がおり、銀行に代わって書類をつくり客を探し手数料をもらうのですが、平均年収は6千万円だそうです。いわゆるローブローガーです。だから支払能力に責任を持たない。銀行はそれを知りつつ貸し付ける。なぜか…。これが最大の問題です。
 このローン債券を他の債券と混ぜて証券化し、しかも格付けを「トリプルA]として全世界に売ったのです。トリプルAはアメリカの国債と同様の絶対安全といわれる最高信用度を示します。例えば十年前の日本の国債は四ランク下のトリプルBに格付けされ、日本政府がクレームをつけたことがありましたが、余りにもデタラメ。いや、犯罪といった方が正しいくらいです。
 その信用力がメインよりも劣る証券・アメリカの住宅をーんの債券が今年の三月、全体的に、しかも急に目減りしてしまいました。そして、そのあおりを受けて、住宅ローンの債券を買っていた日本の銀行は三千億、四千億という損失を出すことになります。
 我が国では当初、これはアメリカの住宅ローン会社だけの損失であると考えていました。ところがご承知にようにその後、半年の間に状況は急速に変わり、恐ろしいことが分かってきました。
 債券を発行してのはアメリカの住宅ローン会社ですが、このアメリカの債券を全世界の多くの証券会社や投資信託会社が買っており、損失を受けたのはアメリカの会社だけではなかったのです。
 また、この債券・資金を運用して様々な金融商品が新設販売されていたことも分かってきました。
 新たな商品を開発して売れば、売買金利やその利息、また手数料などの利益が見込まれますから、多くの金融商品が新設されていましたが、その究極の商品が「保険ローン」。企業が倒産したとき、その会社が発行した債券を保証し、債券を肩代わりするというものです。
 生命保険をかけた人が亡くなれば保険金がおります。それと同様に倒産した会社があれば、その会社が発行した債券を保証するというわけです。
 このように新たな、しかも利回りのいい金融商品がいくつも開発され、世界中に出回っていたわけです。ところがアメリカの景気が住宅を中心に翳(かげ)りを見せ始め、ローンの返済が不可能なため、差し押さえられる住宅が出てくるようになりました。そしてカリフォルニア州などは、これが百件に二件の割合にまでなってしまいました。実感できないかもしれませんが、これはすごい割合なのです。
 やがて米国の住宅ローン会社の中から倒産するものが出始めます。当然、その会社の再建を買っていた証券会社などは損失を被ることになります。
 米国政府はファニーメイとフレディマックの二つの政府系住宅金融会社に公的資金援助を行い、国の傘下に収めたものの、その他の会社の証券までは保証しませんでした。ここに至って、米国住宅ローン会社の証券を買っていた海外の証券会社も多大な損失を被ることとなり、世界中が大慌てすることとなります。
 このような状況になったことから、だんだんと倒産する会社が増えていき、先ほどの「保険ローン」などの新たな金融商品を折り扱っていた会社の中からも倒産する会社が出始め、ますます倒産件数は増えていきました。
 しかも米国の住宅ローン会社の証券を手元にして、別の投資会社が、またそれを手元に次の段階では別の金融会社が運用している。さらに同業者同士もそれを売ったり買ったりして金融市場は動いていたことが分かってきました。
 そして、このような会社が世界中に一体どれだけある想像ができないというのです。米国の住宅ローンは推定で十二兆ドル(1200兆円)。そのうち不良物件がいくらあるかは誰にも分かりません。被害はされに広まっていくことになりました。
 このようにして当初はアメリカの住宅ローン会社が倒産。そしてその会社の債券を買っていた証券会社などが倒産。さらにその債券を運用していた会社や、新たな金融商品を扱っていた会社が倒産や身売りするという具合に連鎖反応が世界中に起こって現在に至っている。これがサブプライムローンに端を発した金融危機のあらましです。

予測不能の状況に

 金融危機が進んで行く中で、実際にはどれだけの債券を保有していたかは分かりませんが、中国国営の投資公司が米国の住宅ローン会社の債券を四十億ドル、金融市場に売りに出そうとしました。倒産した住宅会社の債券をアメリカ政府が保証しないなら売るぞというわけです。
 アメリカは慌てました。そこで米国政府の出資した住宅ローン会社については、その債券を国が保証するということで、中国側は納得することとなったのですが、実に中国は強(したた)かです。
 しかし、全米でも有数の証券会社リーマン・ブラザーズが破綻したときは、アメリカ政府はこれを救済しませんでした。
 そして、そのあおりを受けて日本だけでも同社の倒産に関連して何千人もの社員が職を失うことになりました。負債総額も何千億ドルあるか、今もってはっきりとつかめていません。これは、いま保有している債券が一体どれだけの価値があるか、判断がつかないためです。
 私が強調したいのは、ここです。今回のアメリカで起きた金融危機に対して米国政府は「全力を挙げて対処する。7500億ドル(75兆円)の枠で公的資金を導入する」といったわけですが、それでもニューヨークの株式相場は下げ止まることがありません。
 ブッシュ政権はリーマン・ブラザーズを救済しませんでしたが、それは不良債券がどれだけあるか、いや、いま分からなくても今後どれだけ出るか、もし出た場合はいったい誰がどれだけ保証するか、それを明らかにできなかったからです。私はこのリーマン・ブラザーズの倒産劇が、今回の金融危機を象徴しているように思えてなりません…。
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 ニューヨークの株価全体が下がったことから、全米ナンバーワンを誇っていた自動車会社GM・ゼネラル・モータースの株も八ドルに下落し、フォードも四ドル、つまり全盛期の二十分の一あるいは十分の一にまで下がってしまいました。
 ことここに至って、遂に米国三大自動車メーカーは資金繰りのため、合わせて2兆5千億円もの緊急融資を国に依頼しました。最後には支援せざるを得ないのでしょうが、今も政府は首をたてに振ってはいません…このようにしてサブプライムローン問題は、金融問題から実体経済にまで波及することとなりました。
 そしてこの間にも米国有数の証券会社メリルリンチが、バンク・オブ・アメリカに500億ドルで買収されるなど、証券会社は軒並み自立することができないくらいの状況に陥ってしまいました。
 アメリカで起きた今回の問題は、不良債券がいったいどれだけあるか分からない。また今後どれだけになるかの予測がつかない「不透明」なものであるということ。この点が日本の金融危機と基本的に異なる点なのです。
 日本の場合はご承知のように、大手の倒産や合併吸収などもありましたが、債券や債務、負債総額は大きいといえども予測できるものばかりでした。
 ところがアメリカの場合は利回りをよくするために債券や為替あるいは株式を組み合わせた様々な「デリバティブ(金融派生商品)」が、いったいどれだけ多くの会社が、また何種類をどれほど発行しているかが分からない。しかもそれを互いに貸し借り・売り買いしていますから、負債総額をまったく予測することができないという最悪のケースなのです。
 アメリカ議会が緊急融資として最終的に承認した7500億ドルではとても足りません。実際にアメリカ政府は、無制限にすべての銀行、証券あるいは投資会社に至近を融資できるのか。また、そうせざるを得ない状況に陥ったときアメリカの財政は大丈夫か…。
 要するに、これから先どうなるか予測がつかない「不透明な状況」であるということです。

公的資金導入への日米の違い

 このような状況になったことから、今では「公的資金を導入せよ」が世界の大方の声になっていますが、当初、米国会議(下院)はこれを否決しました。
 理由は「(一般国民は)住宅ローンの支払いさえ思うにまかせず『差し押さえ』さえ生じている状況である」「国民は生活苦に喘いでいる」「強欲な経営者を、なぜ国民の血税で救うのか」というものでした。
 しかし殆どの議員は「公的資金導入はやむを得ない」と理解していた筈です。導入に反対したことを「選挙民がうるさいので票を意識したパフォーマンス」とまでいうつもりはありませんが、選ばれて議場にいるからには選挙民の声は伝える。そんな思いがあったのでしょう。
 言い方を変えれば、一般納税者には誠に申し訳ないことではあるが、公的資金導入はせねばならない。結論は出てはいるものの、しかしこの怒りにも似た切実な声は議員として伝えねばならない。そんな覚悟であえて反対したともいえるでしょう。
 たしかにリーマン・ブラザーズの経営陣の中には給与や、ストックオプション(上級管理職に与えられる自社株購買権)などをあわせて、ここ何年かの間に日本円にして500億円以上もの収入を得ている者もいましたし、今回の危機で会社を身売りしたメリルリンチ、ゴールドマンサックス二大証券のトップの退職金が一人100億円とは常識外にもほどがあります。
 また優秀といわれるディーラーは、オフィスの中で各自が専用に与えられた個別ブースから、コンピューターによるデータのやり取りや、書類にサインするだけで3億から5億円を稼ぎ出し、年収は平均して約3000万円。
 洒落たビジネススーツを身にまとい、ニューヨークシティーを我が物顔に闊歩していた連中に「なぜ貧乏人から取り立てた税金を投入するのか」また「いま生活が苦しいという貧困層が、資産のある富裕階層を、なぜ助けねばならないのか」という声が米国下院の大勢を占め、公的資金導入に「ノー」という結論を下したのでありました。
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 日本政府は十数年前、破綻状態に陥った大銀行を中心に公的資金を投入し、一斉に不良債券を「整理」しました。
 倒産した大手企業も何社かありましたが、ゼネコンはじめダイエーなど、多くの大企業は債券の切り捨てや債務の免除で、一社で何百億もの不良債券をまとめて「処理」することが許されました。
 ところが中小企業にはそのような債券免除などまったくなく、多くの会社が倒産してしまいました…。しかも公的資金を導入するかどうかの審議が国会で行われたとき、米国下院で出されたような意見を述べる議員は、いませんでした。
 また、銀行に体力をつかさせるためにはまず儲けさせねばならないと、日銀はいわゆる「ゼロ金利」へと踏み切り、その結果、定額預金の利息は1%どころか0.2%となりました。これはもう「金利」などと呼べる代物ではありません。しかし、このお陰で日本の銀行は国内での貸し付けの利鞘や、また海外への投資などを行い、大いに利益をあげることができたのでした。
 これで被害を被ったのは預金生活者です。もしゼロ金利にならなかったら利息は預金生活者に入ったわけです。その総額は推定で年間およそ20兆円。これも銀行の収入利益へとつながったわけです。
 このようなことがあって、今では日本の銀行は経営が安定していて「強い」といわれるようになったのですが、その銀行に対して「これまでやってこられたのは、誰のお陰と思ってるんだ」という声は、今に至るもあがっていません。
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 日本人は「おとなしい」といわれます。公的資金導入については、たしかにアメリカとは異なりマスコミも評論家も、また政治家も、米国下院で出されたようなことを言う者はいませんでした。
 果たしてこれは民族性の違いなのでしょうか。私は違うと思います。はっきり言えば日本の政治家も国民も「無知」あるいは「勇気がない」のです。だから日本人は「おとなしい」と言われるのです。
 いずれにせよアメリカが金融危機対策として公的資金を導入するのに手間取る理由の一つには、先ほど述べたことのほか、このような声、社会的背景があるということ。
 我が国と彼の国とでは、かくも違うということです。

米国主義の資本主義の破綻

 サブプライムローン問題に端を発した今回の金融危機を歴史的観点から見ると、どうやらこれは「悪しき資本主義の末路」を象徴する出来事ではないかと思えてきます。
 アメリカは「製造業」で日本を含めて世界各国に敗れてしまいました。テレビやエアコンなどの家電分野などは、それを象徴する最たるものといえましょう。いまアメリカでは満足にテレビの生産ができないことは皆さんもご存知のことと思います。また、自動車にしてもトヨタやホンダの米国に占める生産販売台数を考えれば、いずれ同じような結末を迎えることとなるでしょう。
 そこでアメリカは、ITと徳に金融で遅れを取りかえす。すなわち金融国家になることで、「物をつくり出さない大国」としての道を歩み始めました。
 アメリカ政府が認めたか、また応援したかは分かりませんが「金融工学」などという妙な名称をつけて「物をつくらずとも金が金を生むシステム」を追い求め、額に汗して働いた人々が稼ぎ出した金を集め、それを運用することで新たなる金を生み出すことに腐心してきたのです。
 そして物をつくるための活動である「労働」をして稼いだ金よりも、その何十倍何百倍ものを「労働」しない一部の人間が手にすることができる社会、気がついたときには、このような資本主義社会が生まれていたのです。先ほど述べたビジネススーツでニューヨークを闊歩する階層の人々を思い浮かべれば、容易に理解できるかと思います。
 また、それがアメリカの「新しい時代の金融」「グローバルスタンダード」などという名の下に、金融業界を堕落させてしまったのです。
 このような状況下、日本の銀行もいつしか融資するよりも投資する。この方が手っ取り早く稼ぐことができるという考え方に変わってしまいました。
 投資会社は別として、かつて銀行は企業を共に生きるもの。銀行側に言わせれば「企業を育てる」。これが本来の使命でありました。頭取に限らず、昔の銀行マンは末端の行員に至るまで、多少以上の誇りを持ち、また市民から尊敬も受け、「勤めるなら銀行に…」という憧れに近い思いさえ抱かれた時代もありました。
 ところが今の銀行は、誰もが知る言葉として社会に定着した「貸し渋り」や「貸し剥がし」するようになり、銀行マンへの憧れが市民の口の端にのぼることもなくなりました。卑しい職業とまでは言いませんが、銀行のやっていることは多くの市民の共感を得ていない。これだけは事実でしょう。アメリカの経営思想が日本に入ってきたことから、日本の銀行はその体質がまるで変わってしまったのです。
 金融はたしかに重要です。しかし金融が製造業や農業など、他の産業の上に立つ。あたかも君臨するかのごとき存在となるのは、はたして健全な資本主義社会であろうか…。世界の国々は考え直さなければならない時期を迎えていると思います。

今が「絶好の機会」である

 これまで述べてきたことを考えれば、現在のアメリカ主導の資本主義は、たとえ十年二十年という時が必要だとしても変わらざるを得ないと思います。
 否が応でもアメリカは、そのやり方を転換せざるを得ないでしょう。といっても一朝一夕に変えることは無理。とても考えられません。
 しかし、いまアメリカのリーダーシップ、またグローバリズムに対して「これでいいのか?」という大きな疑問符が突きつけられました。これを受けてアメリカはどう変わるか。もし適切な対応ができないときは次なるリーダーは誰かということも含めて考えねばならない大きな課題となりました。
 やがて世界は変わっていく。そして、それを予感させたのが今回の金融危機であると私は受け止めています。
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 先ほど日本の銀行の悪口らしきことを書きましたが、短期的に見れば間違いなく「円」は世界で一番強い通過です。ユーロでさえもドルに対して下降線を示しています。下がらないのは円。おそらく日本の通貨だけでしょう。
 かつて日本は、株式であれ不動産であれ、何でもアメリカの言うがままに買い叩かれた時期がありました。それが今、金融危機のまっただ中にあるアメリカが「投げ売り」をしています。GM株が8ドルそしてフォードが4ドルという具合で、大銀行や証券会社の株も暴落。日本の銀行や投資会社にとっては今こそチャンス到来といったところです。
 私の個人的な感覚で言えば、敵討ちの絶好の機会。そして経済という観点から言えば、金融でアメリカに進出すべき時です。時代は変わりました。今度はアメリカの銀行や証券会社あるいはその他の有力企業を、日本政府の大均衡救済策で国民の擬制のもとに金利ゼロでつくりあげた体力と、強い「円」を活かして買い叩いてはどうか。
 こんな議論を尽くした上で打って出るなら、中小企業経営者や預金生活者など、貸し渋りやゼロ金利に泣かされた人々へ、債務的とはいかないものの「国益として還元することになるのではないか」と、このようなことを私は考えているのですが、どうでしょう。


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